外伝2 せんせいとすみちゃんと結婚式 1.すみちゃんの憂うつ

「せっかくすみちゃんとお休みが一緒になったのに……残念だね」

 まだベッドでゴロゴロしている私に向かって樹梨が言った。

 最近、樹梨は私のことを「すみ枝さん」ではなく「すみちゃん」と呼ぶ。姪たちの呼び方につられてしまったようだ。

「それなら樹梨ちゃん、行くの止めればいいじゃん」

 私は「先生」と呼ぶのをようやくやめて、基本的に「樹梨ちゃん」と呼んでいる。時と場合によっては「樹梨」と呼び捨てにしてしまうこともある。

「そんなわけにはいかないでしょう?」

 樹梨は私の言葉を聞き流すだけで、出掛ける準備を止めようとはしない。

 フリーランスの私は曜日に関係なく仕事をする。一方の樹里は小学校の先生をしているので基本的に土日が休みだ。

 私が樹梨の休みに合わせられるように頑張ればよいのだが、なかなか上手くいかない。だから私も樹梨も同じ日に休めるのはかなり貴重なのだ。

 そのため私は昨夜のうちに樹梨の部屋に転がり込んだ。二人そろっての休みだから、朝からデートで遠出をしてもいいと考えていた。

 ところが樹梨は今日、出掛ける用事が入っているというのだ。

「今日は樹梨ちゃんとデートできると思って張り切ってたのに」

 そう、私は張り切っていた。張り切り過ぎて昨夜は少し叱られてしまったくらいだ。

「今日の予定はずっと前から言ってたでしょう? 忘れてたすみちゃんが悪いんだからね」

 ごもっともである。

「でもさ、本当にどうしても行かなきゃいけないの?」

 支度を終えた樹梨は、まだベッドの中で駄々をこねている私の側まで来ると、仁王立ちをして私を見下ろした。

「何がそんなに気に入らないの?」

「気に入らないっていうか、ちょっと化粧濃くない? 服装も派手だしさ」

 樹梨はいつもおろしている髪をきれいに結い上げ、清楚ながらかわいらしい印象のドレスに身を包んでいる。しかも普段は薄化粧なのに、今日は百パーセント全力のメイクを施していた。

「別にこれくらい普通でしょう? 今日、結婚披露宴だよ? 学校の運動会じゃないんだよ?」

 樹梨は今日、大学時代の友人の結婚披露宴に出席する予定なのだ。しかも披露宴でスピーチもするらしい。

「スカート、ちょっと短かすぎない?」

「かわいいでしょう?」

「かわいいよ、かわいいからダメなんじゃん」

「本当にどうしたの? いつも以上に子どもみたいになってるよ?」

 こうして話していると、どちらが年上なのかわからない。樹梨はベッドの横にしゃがんで、私の頭をやさしくなでた。すっかり児童をあやす先生モードになっているようだ。

「披露宴といえば、独身男たちがいっぱいでしょう? ぜったい樹梨ちゃんは狙われるよ」

「大丈夫よ、興味ないもん」

「かわいい女の子もいっぱい来るよ」

「すみちゃんよりかわいい人はいないから大丈夫だよ」

 樹梨はニコニコと笑って言う。だが、私のことをかわいいなんて言うのは姉と樹梨くらいのものだ。

「それに、昔好きだったみどりちゃんの結婚式でしょう? 花嫁なんて、一番きれいじゃん。樹梨ちゃんの気持ちが揺らいだりするんじゃないの?」

 そう言うと樹梨の顔色が一瞬変わった。

「あれ、私、みどりのことが好きだったとか話した?」

「んー、梅雨時期に、酔っぱらって終電逃したときに」

 樹梨があのときの話にあまり触れないと思ったが、どうやら酔って記憶をなくしていたようだ。

「あー、あのときか。私、そんなことまで話したの?」

「うん。みどりちゃんのかわいさを詳しく説明してくれたよ」

 そう教えると樹梨はベッドに突っ伏して肩を震わせた。

 しばらくそうしてもだえていると、不意に顔を上げて私の顔をまじまじと見つめる。

「その話を聞いて、すみちゃんはどう思ってたの?」

「え? そんなにかわいい子がいたんだな、って」

「それだけ?」

 どうして私が尋問されているんだろう。

「えっと、そうやって一生懸命話してる樹梨ちゃんがかわいいなあ、って」

 私の言葉を聞くと、あっという間に機嫌が直ったようで、樹里はニコニコと笑みを浮かべた。

「そっか。今は嫉妬しちゃうんだね」

 そう面と向かって言われると恥ずかしい。確かに会ったこともないみどりちゃんに嫉妬している。

「それはうれしいんだけど、全然見当違いだよ」

「でもさ、今日の樹里ちゃんは特にかわいいから、みどりちゃんの方が、樹梨ちゃんを好きになっちゃいかもしれないよ」

 尚も食い下がってみる。さすがに言い掛かりに近い子どもの理論だと思うが、抜いた剣そそう簡単に鞘に納めることはできない。

「花嫁が式当日に浮気するようなことはしないでしょう」

 樹梨はケラケラと笑った。

「じゃあ、みどりちゃんが誘ってきても、樹梨ちゃんは平気なんだね」

 すると樹梨はピタリと笑いを止める。そしてコホンとひとつ咳払いをした。

「も、もちろん。私はもう何とも思ってないもの。平気に決まってるじゃない。すみちゃんの考えすぎだよ」

 今の態度はどう考えても怪しい。何か思い当たる節でもあるというのだろうか。

 私は疑いの目を向けて体を乗り出し、さらに食い下がろうとしたのだけど、樹里は「あ、遅刻しちゃう」と言いながら立ち上がってしまった。

 そして体をかがめて身を乗り出している私の額にチュッとキスをする。

 なんだかすごく誤魔化された気分だ。私は唇をとがらせて不満を表明していたのだけど、樹里は私の顔を見てプッと吹き出した。

「そんな顔しないで。大丈夫。離れていてもすみちゃんにはきっと真実が見えるはずだよ」

 そうして祈るような奇妙なポーズをすると、バッグを持って玄関に向かった。

「あ、すみちゃん、玄関の鍵ここに置いておくから使ってね。帰りにすみちゃんの家に寄るから持って行っていいからね」

 樹里はそんな言葉を残して家を出て行った。

 樹里は合鍵を渡さない主義らしいので、私が樹里の家を訪れるときは樹里が在宅中だけだ。こうして樹里のいない家に一人でいることはほとんどない。

 少しだけ期待を込めてベッドの中から玄関の方をじっと見つめていたけれど、樹里が戻ってくる気配はなかった。

 私は一つ息をついてベッドから這い出る。

 ぐいっと背筋を伸ばしながら壁に掛けられた鏡を見ると、私のおでこにはくっきりとルージュのキスマークがついていた。

「第三の目ができてる……」

 本当にこの第三の目で樹里のことをいつでも見ることができればいいのに。そう考えながら、私は指先で樹里がつけた第三の目に触れた。

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