12-3 山口がいれば、なんでもできる、なにをやってもうまくいく、そんな気がする。

 家に帰ったけど、山口はきていなかった。専門学校で出会ってから、こんなに長い間山口に会わなかったことはない。山口に会いたいと思った。もう夜遅かったから、明日会いたいと書いてメールを送信した。緊張と、告白のイメージトレーニングと、青木さんに言われたことの反芻とで、なかなか寝付けなかった。となりに寝てくれる人がほしいと思った。目覚めたり、寝入ったりを何度か繰り返した。

 人を好きになるっていうのは、こういうことなんだ。よく苦しいというけど、ぼくも今、その苦しみを味わっていた。

 朝になっても、こんどは起きだすことができず、やっと昼頃になってベッドを完全に抜け出した。朝食の準備をしたけど、いざ食べようとすると空腹感が失せてしまった。時間をかけてゆっくり、ちまちま食べた。昨日の暴飲暴食だけのせいではない。何度もため息が出た。

 部屋を出て、駅までブラブラ歩く。時間はまだ早い。部屋にいても手持無沙汰で落ち着かなかったから出てきてしまった。空は曇っていた。夜には降り出すかもしれない。ジャマになるから、傘はもってこなかった。

 山口の両親にスイス土産を買ってきていた。部屋を出るまえに梱包しておいた包みの宅配を、駅に向かう途中のコンビニで依頼した。今年も遊びに行くと山口の両親に言ってしまったけど、夏休みはスイスに使ってしまった。遊びに行く予定が立たない。

 休日の昼間、のぼりの電車でも各駅停車はスカスカにすいていた。駅のホームで買ったペットボトルのミルクティーを開けて飲む。なんだか息苦しい気がして、深呼吸する。まだ梅雨にはいるかという時期だというのに、真夏のような格好の若い女の人が途中から乗ってきた。ファッションは季節を先取りするものだと聞くけど、まだ寒いんじゃないかと勝手に心配する。

 一度新宿にでて、カメラ屋をまわる。中古の銀塩カメラが目的だ。ぼくはまだ銀塩カメラが好きで、フィルムが販売されなくなって現像もできなくなるというときまで撮り続けたいと思っている。ちなみにいうと、ぼくはミノルタが好きだ。いまはカメラ事業が売却されてソニーになってしまった。カメラというよりレンズが好きなのだ。ミノルタのレンズで撮ると、ちょっとねっとりしたような描写になる。

 お昼の代わりにソフトクリームを食べる。朝食が遅かったし、食欲がわかない。朝からずっと胃が重いままだ。ソフトクリームは、おいしく感じる。ぼくのほかに男の客はいなかったけど、目をつぶることにした。ソフトクリームを食べても、胃が重たい感じは解消されなかった。

 これは、早く山口に告白して受け入れてもらわないと、内臓がもたないと思う。早く楽になりたい。いい写真を山口と一緒に撮って、賞に応募して、すこしづつ名前を売って、いつか独立する。山口がずっとそばにいて世話してくれる。そんな妄想がふくらむ。山口がいれば、なんでもできる、なにをやってもうまくいく、そんな気がする。

 もうすることもないから、待ち合わせ場所に向かう。

 山口が待ち合わせ場所にあらわれた。もう日が落ちて、空は暗い。いまいるところは、街灯やネオンがついているから、それほど暗いわけではない。

「お待たせ」

「ううん。なんかしばらくぶりだね。二週間以上会わなかったことってなかったんじゃない?」

「そうだね」

「かわりに写真を撮ってこられたけど」

「そう、よかったね。話があるんでしょ、そこの公園でいい?」

「どこでも大丈夫だよ」

 公園といっても、子供が遊ぶ公園ではない。道が園内にめぐらされていて、ほかのところは木とか芝が植えてある。道路に接したところは花壇になってもいる。ところどころに照明がついて、夜でも道に沿って歩ける。中央あたりに屋根がついていて、その下にベンチが設置されている。ベンチは、園内の道の途中にいくつか設置してあるけど、屋根がついているのは中央の一箇所だけだった。山口とぼくは、中央のベンチにすわった。なかなかロマンチックな雰囲気だ。

 山口に会ってからさっきまで普通に話せていたのに、これから告白するんだと思ったらすごく緊張してきた。胸が苦しい。胃が重いのはかわらない。でも、ぼくが告白したら、山口がどんなに嬉しそうな顔をするだろうと思うと、楽しみのような気もした。大きく息を吸う。

「スイスにいってきたよ。これお土産」

 バッグから出したチーズのパッケージを渡す。

「山口の実家にも今日送ったよ。今年も夏に遊びに行くって言ってあったんだけど、スイスに行くのに休み使ったから、行けそうになくなっちゃったよ」

 山口は微笑む。

「中身はチーズなんだけど、そのままでもおいしいし、チーズフォンデュにしてもおいしいんだって。パンにのせて焼いてもいいよ」

「ありがとう。いい写真が撮れたみたいね」

「自分ではよくわからないけどね。でも、賞に応募してみるよ。そのために遠くまで行ったんだからね」

「そう。これからだね。あのね、カズキ」

「なに?」

「わたしからも、話があるんだけど」

「うん」

「わたし、好きな人ができた。もう付き合い始めたんだ」

 全身に鳥肌が立った。まったく予想していなかった言葉だったけど、その意味を理解した。山口に好きな人ができた!心臓がギュッと縮むのを感じた。

「同じ会社の人で。告白されたっていったでしょ?あの人なの。もうキスもした」

 ぼくはなんて間抜けなんだ。あのとき山口は好きというわけじゃないと言った。それは嘘じゃない。山口は嘘なんかつかない。いまだって、ごまかさずにはっきり好きな人ができたといっている。あのときは、まだ好きじゃなかったというだけのことだ。ぼくはやめておけと言った。それでどうした?ぼくは、そのあと山口のことをあまり気に留めていなかった。萌さんのことばかりにかかずらわって、山口は二の次だった。キスをする仲になったと言って、すこしうかれていた程度のことだ。

 ぼくが萌さんと会っていたのだ。同じ会社なんだし、山口がその人と会っていたって、なんの不思議もない。その間に、山口はその人が好きになってしまったのだ。三年以上の付き合いのぼくよりも、数週間でその人を好きになってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る