9-1 前回こってりキスをしてから、なんとなく顔を合わせづらい。
山口は今週、ぼくの部屋にやってこなかった。だから、自然に目が覚めるまで寝ていたし、自分で朝食を作り、洗濯も自分でした。洗濯は自分ですると面倒なものだ。今そばにいないけど、心の中で山口に感謝する。そういえば、自分の洗濯はどうしているんだろう。出かけてしまうからどうせ部屋干しで、夜に洗濯して干してくるのかな。
洗濯した物を干して、食器を洗って、コーヒーをいれた。山口がいないということは、富士山を撮りに行ったときの写真を現像するチャンスだった。萌さんが撮った写真も一緒に現像した。現像後は、プリントもした。萌さんにプリントを渡すつもりだ。萌さんが撮ったのは何枚でもないんだけど。
ほかに現像する写真もなくなり、家事もすることがない。手持無沙汰になってしまった。カメラをもって出かけようか。でも、もう夕方だった。写真の現像にはけっこう時間がかかるのだ。細かいことが気になるタチなのが悪いんだけど。山口がいない週末の過ごし方がわからなくなってしまった。ぼくが富士山撮影に萌さんと一緒に出かけたとき、山口も同じ気持ちだったのだろうか。いや、もっと嫌な気持ちだったはずだ。ぼくが萌さんと出かけたせいで退屈してしまったのだから。
では、山口に連絡をとろうと思うかというと、ぼくはちがうことを考えていた。萌さんに電話してみた。
『奥田くん、先週はありがとう、楽しかった』
「ぼくもです。楽しかったです、萌さん。そのときの写真をプリントしたんですけど、見ませんか」
『ホント?もう見られるの?見たい!』
「今夜どうですか?よかったら、またみなとみらいに行きますけど」
『わたしが東京にでようか?』
「いや、大丈夫です。夜は、萌さんの自宅に近い方がいいんで」
『うち来る?』
「そういう意味じゃないですよ」
『わかってます』
ぼくのことをからかっている。ぼくがみなとみらいに行くということで話がついた。支度をして部屋を出る。山口のことを思い出した。なんの連絡もしないで出てきてしまった。土曜の夜に山口がやってきたことはなかったように思う。きっと、今日は部屋にこないだろう。前回こってりキスをしてから、なんとなく顔を合わせづらい。恥ずかしいのだ。会ったら、またキスしていいのだろうか。キスしたくて山口に会うと思われないだろうか。そんなことを考えてしまう。念のため、着信に気づくようにテーブルにケータイを置いておくことにしよう。
みなとみらいに電車でやってきた。横浜に来る機会が最近多い。だんだん景色も見慣れてくるというものだ。改札を出たところで萌さんが待っていてくれた。長いエスカレータにのって地上階にあがる。
今日は洋風なお店にはいった。萌さんには中華より雰囲気があっている。まず、萌さんが撮った写真を渡した。
「どうぞ」
「もらっていいの?」
「もちろん。データも共有できますよ」
「じゃああとで、やりかた教えてください」
「はい」
「先生がいいんだね。キレイに撮れてる。自分で撮ったとは思えない」
「現像というのもありまして」
「デジカメなのに現像するの?」
「まあ、写真にうるさい人はやりますね。撮影のときに圧縮しない生データを保存するんです。それをパソコンのソフトで調整して自分の意図どおりの作品に仕上げるんです。フィルムのカメラのときも、うるさい人はリバーサルフィルムって言って、ちょっとお高いフィルムを使ってたんです。普通のフィルムはネガといって、現像したフィルムを見ると白黒反転で、何が写っているのかよくわからないんです。でもリバーサルはスライドと同じで、写したままの色をしている。ポジってやつです。ネガはポジの反対ですね。で、現像やプリントを写真屋に出すときに、いろいろと注文をだしてたんです。プリントの注文のときなんかは、試しプリントした写真にペンで書きこみをしたりして。いまはデジタルだから、写真屋に頼まずに自分でパソコンでできるってわけです」
「なんかむづかしくてわからなかったけど、フィルムの時代から、写真好きな人は普通の人とちがうことしてたってことね」
「むづかしかったですか。ぼくには、あたりまえの日本語なんですけどね」
「そういう世界をもっているって、大切なことだから、他人にわからなくてもいいんです」
「はい」
「この奥田くん、ちょっとかっこいいよね」
萌さんが富士山の撮影に飽きて、手持ちでぼくを撮った写真だ。ぼくが富士山を見つめてカメラのうしろでレリーズを手にかまえている。萌さんが要求して、ぼくがポーズをして撮った。ぶさいくな顔した男の写真なんて価値がない。お世辞は流した。料理が届いて、写真を片づけて食べ始める。ぼくはビール、萌さんはワインを飲んだ。
「青木さん情報は、ないですか」
「現場が一緒になることもなかったし、お酒を飲みにも行ってないです」
「それは残念。まだ、青木さんと一緒に行ったというバーに連れて行ってもらってないですよ」
「そうでした。いつがいいですかね」
「平日でよければ、今週?来週っていうのかな、一週間以内はどうですか」
「大丈夫ですよ。山手線から、目黒線だったかな、すぐだから」
「やった。楽しみだな」
「ウィスキーをストレートで飲みますか?」
「え、ストレートで飲んだの?大丈夫?」
「大丈夫と言っていいのかわからないですけど、青木さんの真似して飲みました。チェイサーって言って、水も飲むんですけどね」
「あー、ストレート・ノー・チェイサーだ。モンクだっけ。うん、それ試す」
萌さんはウィスキーをストレートで飲むのが楽しみになったようだ。
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