3-1 ぼくは、もう三年以上も山口にソーシャル・ハックを仕掛けられている

 先輩のパッケージ撮影の助手を一日勤めると、自分で本番撮影するときの倍は疲れる。駅前のそば屋でそばを食って夕食は済ませた。帰ったら風呂に入ってすぐ寝ようと思いながら、自宅へ向かって歩く。駅から十五分以上歩かないといけない。けっこうバカにならない距離だ。

 途中のスーパーに寄って、エビアンと野菜ジュースを一本づつ買った。野菜は、現場の弁当と野菜ジュースで取る。野菜を買って料理することはない。

 家について、計画通り風呂に入ることにする。着替えとバスタオルを洗濯機の上において、風呂場に入る。

 まずは体を洗う。体を洗っているあいだ、お湯をバスタブにためる。使うときだけシャワーからお湯を出す。体、顔、頭と洗い終わって、湯船につかろうとすると、目標の湯量の半分くらいしかたまっていない。お湯がたまるのを待ちながらも湯船につかっているから、全体の時間としては長湯になるかもしれない。

 湯船にお湯が落ちるジャバジャバという音を聞きながら考え事をする。キャナイ・テイク・ア・ピクチャー?きっと写真を撮る機会が多いだろうから、海外で困らないように、こんな英語を練習する。ヘタに写真を撮ってスパイ容疑で逮捕されたら大変だ。ウェア・イズ・ザ・キャシードラル。ヨーロッパでは、たいてい大聖堂が観光名所らしい。ヨーロッパで大聖堂の写真を撮る日がくるかもしれない。半袖で入場できないところもあるそうだから、ヨーロッパへ行くときは長袖シャツを一枚はバッグに入れておく必要がある。

 外でバイクのエンジン音がしだした。アイドリング状態で敷地にはいってきて、駐輪場に駐めるのだ。アパートの駐輪場には三台バイクが並んでいることがある。バイクが便利なのだろう。ぼくは免許ももっていない。エンジン音が高くなったかと思うと、消えた。エンジンを切るまえって、なんであんな風に一度ふかすんだろう。意味があるんだろうけど、バイクのことはわからない。興味がないから聞こうとも思わない。

 お湯をとめる。バスタブの縁に頭をあずけて目をつむる。体の疲れが溶け出すようだ。足が伸ばせれば最高なんだけど、我が家のバスタブは狭くて、曲げた足の膝が湯につからないほどだ。大浴場にはいりたい。温泉なんて贅沢はいわない。銭湯でもビジネスホテルでもいい。そんなことを思いながら、うとうとしてガクッと落ちる感覚に襲われる。でも、眠くて風呂からあがれない。ガクッとしてハッとなるのを何度も繰り返す。

 一大決心をして、どうにか風呂と決別する。パンツ一丁で冷蔵庫からエビアンをだしてグラスで飲む。キッチンに放置したままだった弁当の空き容器とか、洗っていなかったコップとかが片付いている。玄関に女もののスニーカーが揃えてある。山口が来ているのだ。

 ドアを開けて部屋にはいると、案の定、山口がぼくのパソコンに向かっている。スクリーンセイバーにパスワードを設定していないのをいいことに、勝手に管理者権限をつけてアカウントを作成されてしまった。それよりなにより、いつの間にか部屋の合鍵を所持している。ぼくは、もう三年以上も山口にソーシャル・ハックを仕掛けられている。

「来るときは電話してっていったのに」

「した」

 山口が指さすパソコン本体の上で、ケータイが着信があったことを知らせるライトを点滅させている。

「電話しろってのは着信を残すってことじゃない。電話で事前に許可をとれってことだよ」

「知らなかった」

「もう。勝手にキッチン片付けてるし」

「ダメだった?」

「いや、いつもありがとう。だから、文句いいにくくなるんだよ」

「これは?この子好きになったの?」

 山口はケータイの奥に積んであるパッケージの山を指している。パソコン本体の上って、物を置くのにもってこいなんだ。つい、なんでもおいてしまう。あわててパッケージを押入れにしまう。

「資料だよ。現像のための」

「そうなの?おかずかと思った」

「」

 言葉がでてこない。たしかにその通りなんだけど。自宅で作業できないから、仕事の資料を自宅にもってくる意味ないんだけど。会社から借りるのがメンドーになって、ひと通り自分で買ってしまったんだけど。でも、ごまかしたかった。

 パジャマを着る。

「今日は疲れたからもう寝る。山口も遅いから泊っていけよ」

 山口はよくぼくの部屋に泊まっていく。ぼくは押入れから毛布を出して、クッションを枕にカーペットの上に寝ころんだ。

「ベッドで寝なよ」

「いや、山口は女の子だからベッドを譲る」

「二人で寝ればいいよ」

「」

 ぼくは、こういう冗談にうまく切り返せない。横を向いて寝ると、山口のふくらはぎから先が見える。キレイな足だ。心の中でシャッターを切って、感謝の手をあわせる。

 照明が暗くなったせいで目が覚めたらしい。豆電球だけがついている。頭をあげると、ぼくの足元で山口がパジャマのズボンに足をいれようとしているところだった。パンツしか身に着けていない。後ろ向きだから滑らかな曲面をした背中からお尻が見えている。山口はぼくの部屋に着替え一式を置いている。つまり、もう少し早く目が覚めて頭をあげていたら、パンツをはきかえるシーンが見られたはずだ。惜しいことをしたような、性欲を刺激されずに済んでよかったような。いや、性欲を刺激するには十分なような。

 山口が振り返った。勢いよくクッションに頭を沈めたはずみに、頭をしたたかに打った。クッションに期待したほどのクッション力がなかった。役立たずめ。しばらくして山口がベッドに入る気配があった。

「おやすみ」

 山口の、母のような、姉のような、やさしい声が聞こえた。ぼくは安心して、すぐに眠った。

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