第21話 終幕

「ラークの怪我は目立たなくなってるし、サイベルさんも服を魔法で直したから、見た目は問題ありませんね」


 猫カフェの玄関前。シルヴェスは後ろを振り返ると、店内から漏れる光に照らされた二人の身なりを最終チェックした。


 何しろ彼らはついさっきまで、傷だらけの血まみれで、ボロボロになった服を着ていたのである。ロウザの修復魔法のお陰で、何とか外見を取り繕うことはできたのだが、完全に元通りになったわけではない。だから、念には念を入れて、お客さんに不審に思われないよう、確認しておく必要があったのだ。


 それにしても、これは何とも奇妙な光景である。


 ラークとサイベルはお互い顔を背けて仏頂面をしているし、その後ろに控えてサイベルを見張っているロウザは口元に薄く笑みを浮かべ、この状況を面白がっているようだ。


 シルヴェスとロウザの目が合うと、ロウザは「うまくやんな」とジェスチャーで伝えてきた。


 シルヴェスは頷いて返事をすると、薄緑色の壁にはまった扉に向き直り、深呼吸をする。


 この中に広がっているのは、私がこの一年で作り上げてきた小さな世界。


 大丈夫だ。きっとうまくいく。


 カランカラン。


 扉を押し開け、四人は店の中へと足を踏み入れた。


「あれ? シルヴェス、どうしたの? ――って、サイベルさん!? ラークも!?」


 一番にシルヴェスたちに気が付いたエリスが驚いた声を上げる。


 一階にはお客さんはおらず、キッチンにエリスとフェルが並んで立っていた。入って来た四人を見た途端、フェルの顔がさあっと青ざめる。何があったのか、彼女は全てを悟ったのだろう。


「ごめん。ちょっと色々あって、この三人を猫カフェのカウントダウンパーティーに招待することになったの」


「ええっ!? 色々って、一体どういう……」


「えーっと、それはまた今度話すね。とりあえず、みんなに猫カフェの人気を見てもらいたくって」


「まあ、それはいいけれど……。メニューはいる?」


「そんなに長居しないから大丈夫。ありがとう!」


 エリスに笑いかけ、シルヴェスは三人を率いて階段を上った。


「失礼します」


 扉を開けると、猫カフェの中にいたお客さんたちの視線が一斉に彼らに集まる。


「シルちゃん! と王子!?」


 真っ先にサイベルに気が付いたヨラが、ガタッと音を立てて立ち上がった。


「ヨラ!?」


 サイベルは目を丸くして答える。


「わー、懐かしいー。私のこと、覚えててくれたんだー」


「あ、ああ……」


 手招かれるまま、サイベルはヨラたちのテーブルの方にふらふらと向かった。


「おい、勝手に……」


 ラークは険しい口調で咎めようとしたが、ロウザが彼の前に手を伸ばし、その言葉を制する。


「大丈夫だよ。ちょっとでも怪しい動きをしたら、すぐに私が対応する。ここは大人しく、あの子の様子を見よう」


「えーっと、卒業以来だから五年ぶり? 同じ街で就職したのに、これまで全然会わなかったわよねー」


 ヨラは興奮気味にサイベルと握手を交わした。


「そ、そうだね。僕らは仕事でも接点がなかったし……」


 とサイベル。シルヴェスはサイベルの隣に立ち、彼らの会話を黙って見守っている。


「確か、ヨラの勤め先は銀行だったっけ……?」


 サイベルがぎこちなく言葉を継ぐと、ヨラは嬉しそうに手を打ち鳴らした。


「そうそう、正解! ここにいる三人は私の同僚よ! 猫好き仲間で、いつもこの店に入り浸っているの」


 すると、赤毛の友達が待ってましたと言わんばかりに「はーい」と手を上げた。


「はじめましてー! ヨラの友達です。と言っても、私たちは魔女じゃないんですけどね!」


「え? 魔女じゃないの?」


 サイベルは目を丸くして聞き返した。


「魔女じゃなくても猫好きはいるよ……」


 猫イラストでいっぱいのスケッチブックに目を落とした友達が、ぼそぼそと呟く。ヨラはサイベルの表情を見て笑い声を上げた。


「あはは! そっか。はじめて見たらびっくりするよね。でも、この店では魔法使いと一般の人が一緒にいるのは珍しくないわよ。ねー? シルちゃん」

 

「はい。『誰もが分け隔てなく交流できる隠れ家』――それがこの店のコンセプトですから」


 シルヴェスは微笑んで答えた。それからサイベルの腕をとんとんと叩いて彼を振り向かせると、店内のテーブルを端から順番に指さして紹介する。


「ほら、見てください。あの奥のおばあさんと、その手前の三人は魔法使いじゃありません。ハーブティーを飲んでいるカップルは、魔法使いと一般の人のペア。この店で出会った二人です。それに……」


「サイベル君!」


 ――と、シルヴェスが言い終わる前に、再び誰かが鋭い声を上げた。


「ダ、ダグラスさん!?」


 しまった! この人がいることを忘れていた!


 不機嫌な顔のジャックを抱きかかえたまま、こちらに駆け寄ってくる紳士の姿を見て、シルヴェスは臍を噛んだ。


「しゅ、首領! どうしてこんなところに!?」


 サイベルは思わずたじろいで後ずさる。


「それは私のセリフですよ! 全く。君という人は……。魔法使い解放軍の方針に反して勝手なことばかり。流石にこれ以上は、私も見過ごすわけにはいきませんよ」


「ちょ、ちょっと待ってください。今は……」


 シルヴェスは慌てふためいて二人の間に割り込もうとする。


「どうした? ダグラス。そいつは知り合いなのか?」


 野太い声で言い、ぬっとダグラスの背後に立ったのは髭面の大男だ。


 うわ! もっとややこしい人が来た!


「もしかして、自警団の団長……?」


 サイベルは呆然とした表情でワーグの巨体を見上げる。


「どうして、あなたたち二人が……?」


 信じられないという口調で問うた。ダグラスはジャックを小脇に抱え、反対の手で杖をサイベルの鼻先に突き付けて答える。


「私たちは和解したんだよ。サイベル君。どうだい? これを見ても、君は我々の目標が夢物語だと言うのかい?」


 ダグラスがサイベルに詰め寄った。


「…………」


 サイベルは言葉を失い、ワーグとダグラスの顔を交互に見比べる。ジャックが不満げな声を上げ、ダグラスの腕から逃れて走り去った。窓の外から微かに鐘の音が聞こえる。


 そして、サイベルはぽつりと、


「……いいえ」


 と呟いた。しかし、その声は突然沸き起こったカウントダウンに掻き消されてしまう。


「ごー、よーん、さーん、にー、いーち!」


 店内のお客が声を揃えて叫んだ。


「ハッピーニューイヤー!」 


 サイベルは口を閉ざし、黙ってうつむいた。


 歓声と拍手が鳴り響いている。


「僕は……」


 賑やかな店内で、サイベルは静かに、しかしはっきり聞こえる声で言った。


「カラス仮面は、今日をもって、この街から姿を消します。――僕の夢は、みなさんに託しました」


 サイベルは顔を上げ、目元を拭うと、ダグラスとワーグにくるりと背を向ける。


「行こう」


 シルヴェスに声を掛け、彼は真っ直ぐに出口へと向かった。



 四人が玄関から外に出て、木々に囲まれた薄暗い庭に戻ると、空には満天の星々が新しい年を祝福するかのように輝いていた。


「もう、いいのかい?」


 ロウザが手に白い息を吹きかけながら尋ねる。サイベルは「はい」と答え、清々しい表情で天を仰ぐ。


「この街に希望が残されていることが分かっただけで充分です。僕の計画は、もう必要ありませんね……」


 サイベルはシルヴェスに向き直って、寂しげな笑みを浮かべた。


「ありがとう。シルヴェスちゃんに出会えて、本当に良かった。これで僕も心置きなく罪を償うことができるよ」


 「うん……」


 シルヴェスはうつむくように頷いた。


 理由はどうあれ、サイベルは大罪を犯した。捕まってしまうのは仕方のないことだろう。でも、その先に彼がどうなるかは考えたくなかった。


「応援してるよ。頑張ってね」


 サイベルはシルヴェスに声を掛けてから、ラークの方に両手を合わせて突き出す。


「ほら、ラーク君。僕は覚悟を決めた。早くしょっぴいてくれ」


 ところが次の瞬間、ラークはサイベルの手を勢いよく平手でひっぱたく。


「おい。あんた、何勝手に死のうとしてやがるんだ。これであんたが火あぶりになったら、俺の方が後味悪いだろうが」


「え? でも……」


「いいからさっさとキャリアーの隠し場所を教えろ。そしたら、俺はあんたの護送中に『うっかり』あんたを国境の外まで逃がしてしまうつもりだからな」

 

「えっ? ネズミたちはサイベル・ベーカリーの地下室だよ。――でも君、僕を逃がすって本気なのかい?」


「ああ……。だが、これは別にあんたのためなんかじゃない。罪滅ぼしのために宮廷魔導士になった俺個人のけじめだ。だからあんたは大人しく逃がされろ」

 

 ラークはフンと鼻を鳴らし、シルヴェスの方を振り返った。


「キャリアーの隠し場所はあんたが王宮に報告してくれ。俺の名前を出せば、宮廷魔導士の誰かが話を聞いてくれる。奴らなら、ネズミから腐敗魔法を除去することもできるはずだ。上手くいけば、王はあんたに褒美をくれるだろう」


「え……。でも、ラークは……?」


 シルヴェスはその目に悲しそうな色を浮かべて聞き返す。ラークはシルヴェスから目を逸らして言った。


「俺は国外にしばらく潜伏して、ほとぼりが冷めたころにふらっと戻ってくるさ。幸いなことに、俺が裏切り者の汚名を着せられても誰にも迷惑はかからない。育ての親は公表していないし、俺には親しい友達すらいないからな」


「そんなことないよ!」


 シルヴェスが叫んだ。ラークは驚いた顔でシルヴェスを見返す。そして、その口元にふっと笑みを浮かべた。


「馬鹿。そんなこと言ってたら、シルヴェスまでとばっちりを食うぞ」


「絶対に帰って来てね! 約束だからね!」


 シルヴェスは真剣な表情でラークに詰め寄る。ラークは頬を染め、慌ててシルヴェスに背を向けた。


「ああ。約束する。だから、それまでは絶対にこの店を潰すなよ」


「分かった!」


 シルヴェスの返事にラークは手を振って答えると、サイベルに声を掛けて連れ立って歩き出す。


「どうかお元気で!」


 シルヴェスはその目に涙を浮かべて言った。


 庭の外に出た二人の後ろ姿はゆっくりと通りの闇の中に消えていく。


「やれやれ。これで一件落着ってところかねえ」


 軒下でシルヴェスたちのやり取りを聞いていたロウザは、しみじみと独り言をこぼしたのであった。



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