第8話 店づくり

「お疲れ様ー。どう? 私の見立て通り、猫好きのおばあさんは協力的だったでしょ?」


「あっ。エリス。来てくれたの?」


 埃っぽい建物の中に入ってきたエリスを見て、シルヴェスは嬉しそうに手を振った。


 ルーマと話した次の日、シルヴェスはフェルに協力をお願いし、二人で空き家の改装作業に入っていたのである。


「フェルから通信魔法で聞いてねー。どんな建物か気になったから……おっと」


 フェルの念力で花瓶が飛んできたので、エリスは反射的に素早く頭を下げた。花瓶はそのまま部屋を横切り、玄関の靴箱の上に軽やかに着地する。


「フェル!  物を飛ばすときには、その先を確認してからにして!」


「あ……エリス……。ごめん……」


 模様替えに夢中になっていたフェルは、その時はじめてエリスが入ってきていることに気が付いたようだった。宙に浮いていたテーブルと食器棚と箒とポールハンガーが、ゴトッと音を立てて床の上に落ちる。


 フェルは作業を中断し、話しているシルヴェスとフェルの傍まで小走りでやってきた。


「驚いたわ。思ったよりも進んでいるじゃない」


 エリスは店内を見回しながら言う。シルヴェスは額の汗をハンカチで拭って満足げな表情を浮かべた。


「だいぶ出来てきたでしょー。なにせ、姫が『ぼろ小屋に住むくらいならお屋敷に帰る』って言うもんだから」


「姫? 誰よ、それ」


 エリスに問われ、シルヴェスは部屋の奥に鎮座する高級ソファの上を指さした。


 そこに座っているのは、王族のごとき気品をたたえたシャルロットである。


「ルーマおばあさんから譲り受けたの。ソファと猫のごはんもセットで」


 シルヴェスが説明すると、


「ああ。確かにあの子は『姫』だわ」


 エリスは妙に納得した顔になった。


「つまり、とりあえずは猫が快適に暮らせる環境づくりって訳ね」


「うん。カフェを営業するにはまだまだ準備不足だからね。それに、この店が魔女狩りの標的にならないような工夫もしないと……」


 シルヴェスは小さくため息をつく。すると、エリスが何かを思い出したように、急に険しい表情になった。


「あっ。そうだ。そういえばシルヴェス、この前魔女狩りに遭ったらしいじゃない」


「えっ。ああ……。恥ずかしながら……」


 シルヴェスはバツが悪そうに頬をかく。エリスの美しい眉が吊り上がった。


「『恥ずかしながら』じゃないわよ。もっと気を付けて! シルヴェスが死んだら悲しいどころじゃないんだから」


「うん。ごめんね……」


 シルヴェスが謝ると、エリスは「はあ」と言いながら額に手を当て、並べられたばかりのイスの上に腰を下ろした。


「しっかしラークも、宮廷魔導士っていう難しい立場なのに、よくシルヴェスを助けてくれたわねー。下手をすると、彼の信用問題に関わってくる行為じゃない」


「そうなの!?」

 

 エリスは眉根を寄せ、驚いた顔のシルヴェスを見上げる。


「知らないの? 宮廷魔導士は王への忠誠を認められ、公的に魔法を使うことが許された存在。しかしそれは、ひとたび王の意向に背けば裏切り者として王宮を追われる危うい身分なの。――過去には、敵の子どもを見逃しただけで、宮廷魔導士を辞めさせられた人もいると聞くわ。しかも、宮廷魔導士は名前も顔も国民に知られているから、辞めさせられた後はひどい吊し上げに遭うのよ」


「そうだったんだ……」


 シルヴェスは呆然と呟いた。ラークは何でもないような態度をとっていたが、本当は大変なリスクを背負ってくれていたのか……。感謝してもしきれない……。


「だから、今回シルヴェスが助かったのは本当に幸運だったってこと! 基本的に自分の身は自分で守らないといけないのよ」


 言うと同時に、エリスがシルヴェスの脇腹を指先で小突く。シルヴェスは鈍い痛みに腰を曲げ、数歩後ずさった。


「わ、分かった! 分かりました!」


「分かったのならよろしい」


 エリスは腕組みをして立ち上がる。しつこくないのはエリスの良いところだ。


「じゃあ、私も手伝おうかしらね、お店作り。シルヴェス、内装のイメージはできているの?」


「うん。カムフラージュのために一階は普通のカフェにして、二階を猫カフェにするつもりなの。コンセプトは、魔法使いと一般の人が分け隔てなく交流できる隠れ家的なお店! アットホームでありながら、お店に入ったら別世界と思わせるような雰囲気にしたいの!」


 つい饒舌になるシルヴェス。


「へえー。いいじゃない」


「……別世界……楽しそう……」

 

「でしょ? あ、でも、フェルはあんまり張り切りすぎないでね?」


 フェルが恍惚とした表情を浮かべたので、シルヴェスは慌てて付け加えた。フェルが本気を出したら、デザインが前衛的になりすぎて収集が付かなくなることは必至だ。


 エリスは長髪を指に巻き付けながら、思案げな表情を浮かべる。


「それなら、ファンタジックなインテリアの方がいいかもしれないわねー。フェルのガラス細工、私のドライフラワー、あとは鉢植えとかで演出できればいいけど……」


「いいね! 緑がいっぱいで森の中みたいになりそう!」


「森……素敵……。この建物も緑……だから……」


「確かに!」


 フェルの言葉にシルヴェスは顔を輝かせ、ぽんと手を打った。


「そうだ、閃いた! カフェの名前! 森の友達──『シルヴァンメイト』なんてどう?」


「シルヴァンメイト……。うん。悪くないわね」


 エリスとフェルはちょっと黙って吟味してから、そろって首を縦に振った。 


「よーし! 決定! 名前が決まったら、なんだかお店を開く実感が湧いてきた!」


 シルヴェスは気合の入った目で両の拳を握りしめる。――と、エリスがシルヴェスの頭の上に手を置いて、「どうどう」と言った。


「こらこら。まだ気が早いわよ。大体、店のメニューも決まっていないでしょ」


「あ! そうだった」


「カフェを開くなら、ハーブティーだけじゃなくて食べ物も用意しなくちゃ。どうするの? 自分で作るの? 仕入れるの?」


 エリスに問われ、シルヴェスは「うーん」と首をかしげる。


「猫たちのお世話のことを考えると、料理をしている余裕はない気がするなー。仕入れる方が現実的かも……」


「それなら仕入れ先を探さないとね。この辺りにケーキ屋さんとかあったかしら?」


 エリスはカバンから地図を取り出し、シルヴェスに見えるように広げた。


「えーっと……。あ、すぐ近くに魔法使いのパン屋があるじゃない。『サイベル・ベーカリー』だって」


「サイベル……」


 不意にフェルが呟く。


「ん? フェル、知ってるの? このサイベルさんって人」


「う……ううん……。何でも……ない」


 フェルは口ごもり、うつむいてしまった。


 シルヴェスとエリスは「どうしたのだろう」という表情で顔を見合わせる。しかし、フェルが何も言わないので、二人はちょっと困って苦笑した。フェルの言動がよく分からないことは彼らの間では珍しくない。


「ありがとう、エリス。また今度このパン屋さんを見に行ってみるよ」


 シルヴェスはエリスに笑いかけて言った。



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