第19話「少年は大切なものを守りたかった」
目の前に広がるのは、ただ一面に一帯を覆い尽くす業火。
『なに……これ……』
家が立ち並んでいたはずのその場所は、真っ赤な炎に埋め尽くされていた。
『お父さん! お母さん!!』
『だ、ダメだ! そっちに行っちゃ……!』
『いや、いやぁっ、いやぁあああっっ!!!!』
半狂乱の彼女を必死で食い止める。
普段の自信たっぷりの性格とは正反対の彼女の様子が、逆に自分を冷静にさせた。
『くっ!』
『離してっ!! だって、こんなの……っ!!』
『今は逃げないと! このままだと二人とも!!』
今は、自分がしっかりしないと。
そう、思ったんだ。
お守り代わりのビー玉を、ポケットの中でしっかりと握りしめる。
大丈夫だ。俺ならできる。
俺らは、助かる。
『あ……』
その時、真っ黒な人の形をした物が、火の中で焼かれているのが見えた。
よく見知った形だった。
その色と、何かが焼け焦げた臭いが漂ってくること以外は。
『あ、あああ……っ!』
考えてはいけないと思った。
それ以上先を。
あれは、俺の母親の――
『うわぁぁぁぁぁああああああああああっっっ!!!』
だから、叫んだんだ。思考を狂わせようとしてくる感情を、外に放出するために。
そうしなければ、そのまま辺りを取り囲む炎によって焼け死んでいたからだ。
『はぁ……っ、くっ、あっちへ、逃げよう……!』
『嫌だぁ!! 嫌だよぉっ!!! どうして、どうしてっ!? ここには……! 何もなかったのに……!!』
少女の悲痛な叫びがほんの数分前まで村だった場所に響く。
そうだ、ここには何もなかったんだ。
にも関わらず無差別的に、この村は、波揺は燃やされた。
――――
断続的に脳内に知らないはずの映像は現れ続けて、その間も俺の頭痛が止むことはなかった。
しかし家に着く頃にはもう脳を締め付けるような痛みはなくなっていて、午後からはまた彼女と外へ出歩けた。
午前のことをずっと気にしているようだったが、俺が強引に連れ出したといった格好だった。
そこから先のことは、いつも通り。夕方になったら家に帰り、夕飯を食べて眠るだけ。
夕飯に出されたカレーを食べた時、一瞬頭痛に襲われたが、想定の範囲内だったから顔には出さなかった。
――と思う。気づかれてなかったと思いたい。これ以上余計な心配をかけるのは、なんとも心苦しい。
虫の声が窓の外から聞こえてくる。
この音を子守唄代わりにして、ここで眠るようになってもう何度になるだろう。もうこの音が耳に入ると自然とあくびが出てくる。
しかし、今日は眠るわけにはいかない。
「すぅー、すぅー……」
美奈は隣でいつものように寝息をたてている。今度ばかりは彼女を連れていくわけにはいかない。
「……寝たな」
そっと窓を開き、予めこの部屋に持ってきていた靴を履いて夜の闇の中へ飛び込んだ。窓のすぐ外にある倉庫に飛び移り、そこからさらに地面へと音を立てずに降り立つ。
脱出成功だ。
どうしても彼女には気づかれずに行動したかった。そのためには、夜しかない。
窓のすぐそばに設置されている倉庫に感謝しながら、真っ暗な道を歩く。
向かう先は、あの祠だ。
暗闇に包まれた山の中は、ともすれば迷いかねなかったが、さすがにこの程度で遭難していては勇者は務まらない。
俺の足が向かった先は、いつか熊に襲われた時のあの山の中にあった祠だった。
「女神様」
一応そう呼びかけてみる。だが、返事はない。きっと今もまだ、俺の転移のための準備をしているのだろう。それが好都合なのかはわからないが。
その祠の屋根に手を触れる。
――シャラン。
「くっ……」
予想通り、あの音が鈍い痛みとともに脳内で響き渡る。やはりこの場所は俺と、古堅正太郎とゆかりのある場所だった。
それと同時に、また知らない光景が頭の中に次々と浮かんでくる。
絶望。
悲しみ。
黒と黒の二色が視界を暗闇に塗りつぶす。その中に輪郭のはっきりしない情景が映し出された。
もやのかかった世界はやがて徐々に形を持ち始める。
「……そうか、そういうことだったのか」
俺は見た。
自分を。
そして、彼女を。
――――
『ここまで来れば、さすがに……』
俺と陽菜は火のない山の中に逃げ込んだ。何もない村以上に何もないそこなら、きっと安全だろうと思ったからだ。
『ひっぐ、ひっぐ、うぇえ……』
『……大丈夫?』
涙と鼻水でグチャグチャになった顔。もう今にも壊れてしまいそうで、やりきれない思いが心の中を覆い尽くす。
『大丈夫なように、ひっぐ……、見える……?』
どうにか絞るように出した声。
『……ごめん』
謝ることしかできない。目の前の女の子に対して慰めることすらままならない俺は、あまりにも無力だった。
『みんな、死んじゃった……』
『それはまだ、わからない。もしかしたら自分たちみたいに……』
『そういうことじゃないよ……っ!』
陽菜の苛立ちを含んだ声音に言葉を押さえつけられる。自分の頓珍漢な言葉はない方がマシだったと思い知らされる。
『お父さんも、お母さんも……っ! もう……!』
ポロポロと涙をこぼす彼女の傍らに、小さな祠が見えた。
この世に神様なんていない。
いるのなら、どうしてこんな目に自分たちを遭わせるのだろうか。
『ぐす……っ、ひっぐ……』
『……クソッ』
憤りからその祠を蹴るも、ただつま先を痛めただけだった。
俺には何もできない。
無力な自分が憎い。
たくさんの人が死んでいた。ほんの数時間前まで笑っていた人たちの時間が、もう進むことはない。
さっきの光景が頭の中に何度もよみがえる。真っ黒に焦げてしまった指がポロポロと崩れていった光景が、目に焼き付いて離れない。
『……ねぇ』
陽菜の声でハッと現実に引き戻される。見ると彼女の細い指が俺の服の裾を引っ張っていて、それに自分が気づいていなかったことを察した。
『お願い……。お願いだから、私から、離れないで』
縋りつくような眼差しだった。自分が陽菜にとっての最後の拠り所なのだと強く痛感せざるを得ない。
俺がしっかりしないと。
そう、強く思った。
『君だけは、突然いなくなったりしないで。もう、いなくなっちゃうの、耐えられないよ……っ!』
『……ああ、約束する』
『約束、だよ……?』
約束。
俺が、守る。
陽菜を、何があっても、守る。
――――
深夜の部屋の中はゾッとするくらいに静寂に包まれていた。
誰もいないような気がしてしまうほどに静かで、忍び足で歩いても微かに床を踏みしめる音が響いた。
俺の向かう先はさっきまで自分が眠っていた部屋ではなく、その真下に位置する和室だ。
「……ただいま」
襖をゆっくりと開け中に忍び飲む。
「くぅ……、くぅ……。むにゃむにゃ……」
彼女はそこに眠っていた。だからここに来た。起きていたら、謝ることができない。
だって、そうだろう?
ずっと前に死んだはずの人間が、今更こんな姿で目の前に現れたって、困らせてしまうだけだ。
「くぅ……、くぅ……」
「……ごめんな。約束、守れなくて」
こんなの、ただの自己満足に他ならない。でも、それでも伝えたかった。
あの日に交わした約束を、ほんのわずかしか守れなかった自分を許してほしかった。
「そのせいで、きっとたくさん悲しませたよな。本当に、ごめん……」
彼女は、『陽菜』は眠りについていて、言葉を返す気配がなく、寝息を立てながら心地よさそうに目を閉じている。
「……いいよ」
「えっ?」
ボソリと小さな声が耳をつついた。思わず聞き返してしまったが、陽菜はまた穏やかな寝息をたてるだけで起きているわけではないらしい。
寝言だろうか。
そう思っていると再び陽菜の口が開く。
「あなたが……、守ってくれたから……」
きっと夢を見ているのだろう、と思った。
俺と、かつての古堅正太郎と彼女は夢の中で対話しているのだ。
それが彼女にとって救いになるのか、今の俺にはわからない話だが。でも、救いになってくれていたらと、そんなことを考えてしまうのはおこがましい。
「だから……、いいよ。……ありがとうね」
そう言って、彼女は微笑んだ。
この数週間を過ごしてわかっていたことだ。彼女の、陽菜の人生が決して不幸なんて二文字で表せるものではなかったことは。
あれから俺がいなくなった後でも一人で懸命に生きて、そして幸せを手にした。
だから俺は美奈に出会えた。
だから俺は救われた。
「……ありがとう」
それは他の誰でもない、俺のための救いに他ならなかった。
――――
鶏の朝を告げる声で今日も目を覚ます。しかし目は覚めても体が重くて思うように起こすことができなかった。少し前からかなり体の無茶が効かなくなっている自分に驚く。
「ほら、朝だよー!」
と、美奈がカーテンを勢いよく開き、俺を起こすために声を張り上げる。
「ん……、あと五分……」
思わず漏れてしまう甘えの言葉。これではいつかとあべこべだ。
「なにダメ人間みたいなこと言ってるの。……よし、仕返しできた」
何やら満足げなので、こちらも満足させてもらうことにする。
「すぅー、すぅー……」
「って、二度寝しないの!」
パシンッと頭をハタカれるが無視して、まだ目をつぶっている。
「また布団に巻かれたい?」
「それだけは勘弁!」
「うん、よろしい」
また壁に頭を激突する羽目になるのは心底勘弁願いたい。よく見たら前にぶつけた時に壁が若干凹んでいる気がする。
「おばあちゃんおはよー」
「おはよう、……ございます」
昨日の感覚がまだ残っているせいで妙な言葉遣いになってしまう。あくまでも彼女はかつて知る幼馴染などではなく、友人の祖母であることに変わりない。
「おはよう。朝ごはん準備できてるよ」
祖母はいつものようにキッチンに立って朝食の準備をしていた。
「わーい! ごはんごはんー!」
配膳を手伝おうとすると、祖母からの暖かな視線が送られてくるのに気づいた。
「あれ、機嫌いいね。良いことでもあったの?」
同じく気づいた美奈が問うと、祖母はまたニコリと微笑みを浮かべる。その表情にいつかの川辺で楽しそうに遊んでいた頃の姿を重ねてしまった。
「んー、ちょっとね」
「えー、何それー。気になるー」
「大したことじゃないわぁ。……でも」
「?」
「……いい夢だったわねぇ」
ぼそりとつぶやいた。何かを懐かしむように、でもそこには微塵の悲しさも含まれていないように見える。
遠い日のちっぽけな宝物を思い出したような、郷愁に似たような感情。
「夢かぁ。確かにいい夢見ると、朝の起きた時も気持ちいいよねー」
「ええ。そうねぇ」
そう、やわらかな笑みを浮かべる。その表情はまるで、あたたかな平和な昼間の日だまりのようだった。
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