第六話 『秘書』
◆
………あれから迷子の子をお母さんの所に導いたり、近道が通行止めで通れなかったり、
紆余曲折あって、結論から言いますと
超遅刻しました
「すいません~~~!」
時間にしてそこまで大幅とは言えませんが、それでも遅刻は遅刻です。
着いた早々わたしは、雇い主であるホグワさんに身体が二つ折になるぐらいの勢いで謝ります。
ホグワさんは『いいよいいよ、アズサちゃんは毎回指定した時間より早く来て仕事してくれているんだし』と、快くわたしの非を許してくれました。
わたしより二回りくらい大きな女性の方で、恰幅がよく豪快な人です。
わたしが師匠の工房に住まうまでは、此で住み込みさせて頂いていました。
わたしもその頃はまさか魔法学校の試験に落ちるとは思わず、住まう所がなく、先立つ金も心許なくて、色々と必死でしたからねー………
そんな事情を顧みてくれたホグワさんは住み込みでわたしを此で働かせてくれたのです。
以上の事で、ホグワさんにはとても頭が上がりません。
それは大切な師匠指導付きの修業よりもお仕事の方を優先にするぐらいに。
くぅぅ…、なので、今日は一生の不覚ッッ!
「早速だけど、後ろの倉庫からそれと、あとこれとこれを持ってきてくれる?」
「ホグワさーん、これは何本持ってくればいいんですかー?」
「ん? そんなの適当適当」
「はーい、っていやいやいや! 適当じゃダメですよ!」
「そうねぇ、じゃあアズサちゃんの判断で要るだけ持ってきて」
「分っかりましたー!」
ホグワさんが営むこの雑貨店は通常の雑貨に加えて、魔法道具も並びます。
売れ行きとしては魔法道具の方が好調ですかね。
あ、魔法道具は魔法道具でも今わたしが嵌めている指輪等とは全く意味が異なりますよ?
こっちは『商人さん』曰く魔装具だそうで、そんなのでは無く師匠がわたしに魔法の訓練をしてくれる時に必要なその他諸々、そう言う手の物が大まかに魔法道具でして…
使われる事は多々あります。何せ魔法使いの卵はわたしを含めオディールには多々いるでしょう。
此は魔法使いの街ですからね。
雑貨点で売っている魔法道具はエーテル原液やその器になる薬筒、後は様々な薬品ですね。
薬品等を又別の事に使用する目的の人も中にはいます。
わたしもエーテル原液等は此で買っていますし、師匠頼みで来て買物したりします。
魔法使いを目指してる人相手に接客しますし、魔法道具以外も置いているので買っていかれる方達も沢山いますよ。
でも魔法学校在席の人が此に来る事は滅多に無いですね。
あそこは中でこういうのを売っているか、支給されてるのでしょう。
「アズサちゃーん! ちょっとお客さんお願い!」
「はいはい~!」
週五日程度のお仕事です。
お給料でお金に余裕がありそうな気がしますが、エーテル液が結構値が張り、後は『奉仕』と言う恐喝で師匠のお酒代へと消えていきます。
「えっ~と、調度…ですね、毎度でーす」
「んん?……あれ? 100レナー……多いッ!?
お、お客さん~~~! 100レナー! 100レナー多いですよ~~~待ってぇぇ!!」
……………
……………
……………
見上げれば空の赤みはスッカリ抜け落ち、代わりの鉛黒が脇から忍び寄っています。
この黄昏が帯びる時間をわたしは川沿いをお供に斜面を登っていきます。
仕事は遅刻と言うアクシデントを除けば、本日も恙無く終わる事が出来ました。
ついでに今日の朝方無駄にしてしまったエーテルを補給する意味で、お店でエーテルを少し購入しています。
ホグワさんはタダで良いとおっしゃってくれますが、ここは譲れません。
エーテル液は高価ですし、厚意に甘えてしまうと心が肥えてしまいますからね。
ホグワさんにはちゃんとお金を受け取って頂きました。
わたしもイチお客様として『買物をした』に過ぎません。それでホグワさんのお店が潤うなら何よりです。
「~~~♪」
キョロキョロと首を振り、目を凝らせば、冬の芽吹きはチラホラと確認出来ます。
これは『アデナス』と言う冬に咲く野草、のような…? 図鑑で見た事がある気がしますが、自信ありません。
川の中は、残念ながらお魚の姿は視認出来ません。
しかし遠方にまだ残る黄昏の赤みが、川の表面にうっすらと色彩を付けてとても幻想的です。
少しだけ手に持つ重量が堪えますが、オディールの町並を見ていると、そんなもの辛さの内に入りませんね。
毎日の同じ景色もオディールにいると毎度違って見えます。
こうしていつもの帰路に着く今も、わたしは新鮮な気持ちで胸がいっぱいになるんです。
それは、とても幸せな事なのかも知れませんね。
美しいオディールの町並みに比べれば、魔法失敗の連続に落ち込むわたしなんて矮小です。
もっと視野を広く持ち、
寛大な気持ちで───
入学試験だってまだ二ヶ月も先の話です。
もっと心にゆとりを持ち
マイペースで───
「ってそんな悠長にしていられますかぁーッ!!」
ブンブンブンとエーテル液の入った袋を振り回しながら、わたしは斜面を駆け出しました。
テレサレッサやメドゥーサと熱い約束を交わした以上、血泥啜ってでも魔法を確実に顕著させなければ。
やる事やってから砕け散る!
………は故郷に住む先生の受け売り言葉。
今日はもう一睡もせずに修業に身心を注ぎましょう。
その為には師匠の協力は絶対不可欠です。
さて、肝心のその師匠をどう口説き伏せましょうかね?
わたしに僅かばかり残された女としての自尊心やプライドを、師匠への贄として捧げなければいけないのかも知れません。
「うっ………」
想像したら、少し背筋に悪寒が走りました。ふぅ…。
馴染みになった道を左折すると、先に見えるは黒を更に黒で塗りたくったような一際目立つ色彩の一戸建て。
あれが師匠の工房であり、わたしと師匠の住居でもあります。
一つ深い息を吐き、入口の前に立ち止まりました。
開ける為のドアノブには、何か例えようのない牛みたいであり猪とも思えるオブジェが付いています。
スゥーと息を吸い、また深く吐いて、
わたしは『バァン』と厳いた装飾がされた扉を開きました。
「師匠! 師匠ぉ! わたしもう何でもしますから! いや何でもするのはいつも通りなんですが、どんな理不尽な無理強いにも逆らいませんから! あああ、逆らわないのもいつも通りだ!
と、とにかく今から朝の続きを御指導お願いしま───って………あれ?」
勢いに任せ巻くし立てた言葉は、無機質な無音の淵に掻き消されてしまいました。
暗く、それでいて温さが全く感じられないこの家の中は、酷く冷たくて、わたしは身震いしてしまいます。
「師匠ー? 師匠ってばー」
取りあえず買ってきたエーテル瓶を置き、家の明かりを燈して、存在が一切感じられませんが一応師匠を探してみます。
「師っ匠ー?」
二人で寝ている寝室。
ベットに人がいるような膨らみはありません。
真っさらでいて真っ平。
「ドSー?」
お風呂場がある方の行き止まりから、師匠の宝である地下の酒蔵に行こうとしましたが、鍵が外側から掛かっています。
こうして外側から掛かっている以上、中に師匠はいないのでしょう。
もしいるならこの鍵は誰が掛かけたのかい?幽霊かい?怖い!ってな感じですし。
「師匠ってばー」
箪笥を開けたり、ゴミ箱の蓋を開けたり、コップの中身を覗いたり、おトイレに行ったりしましたが、
やっぱりと言うか初めから気付いていましたが、師匠はいません。留守です。ちっ
「ん~~~また何処かの町の酒場でお酒を呷ってるんでしょうねー」
師匠は酒は強いですが、たまに酔うとそりゃもう大変な事になります。
わたしは前に一度それで大変な危機に晒されましたので。
「むぅ…、仕方ありませんね。帰って来るのを待ちましょう」
それまで溜まった家事をやっておきましょうかね
まずはテーブルに散らばった食器の数々に目が行きます。
朝の内に飛び出したので、師匠にはお昼の用意をしていません。
これは師匠の昼食の残骸でしょう。一応料理は作れるみたいですが、後片付けを全くしませんね。あの人は。
カチャカチャとお皿を纏めていく内に、ふと視界には一枚の見知らぬ紙切れが。
「………何でしょう? 師匠のお仕事関係ですかね…」
これを見ながら食事を摂っていたんでしょうね、縁にソースが跳ねて付いています。
見る限り、何かの地図なようですが…。
テーブルの上に乱雑に置いてある事を考えるに、さほど重要な物では無いのでしょうか?
わたしは興味本位で、その用紙をマジマジと読んでしまうのでした。
「………───成る程」
そう言う事ですか、師匠。
わたしは食器を全部流しに漬けてから、寝室に行き、外行きの薬筒を持ってくると、
買ってきたエーテル瓶を袋から取り出して中に注ぎます。
次にそれを腿に巻いたベルトに差しました。
テレサレッサ達の一件で、薬筒を一つ消費してしまいましたからね。
最も、使った訳ではなく、後のテレサレッサの魔法のせいで下流に流されたまま不明になってしまわれました。
腿にはこうしていざと言うときの薬筒を五本差しています。
脚は二本ありますので、十本持ち運び可能です。
弱い魔法十回は使えます!なお!わたしは使えませんが!
「よし!」
後は先程の紙切れを手にすれば準備オーケー
家の明かりを消して、わたしは再び厳いたドアを『バァン』と開けて工房を出ました。
外はまだ夕暮れの終わりを告げていませんが、先程より幾分黒さが増しています。
そう言えばわたしはこの時間に外出するの、初めてでした。
これから行く目的の場所も、行った事がありません。
近くに着いたら、手探りで見つけ出すしかないでしょう。
初めて、ばかり。
ですが俄然やる気です!
今のわたしは、例え細い藁でも掴める可能性があれば縋りますよ。
軽く首を鳴らして、手元の紙を黒空に翳しました。
掲げた用紙には、やはり地図が描かれています。
しかしわたしは地図全体を見るのではなく、その中心にある赤い×ばかり見ていました。
×印が付けられているその付近にはこう書かれています。
魔法の『秘書』の在りか
はー、胡散臭!
でも行く!!!
……………
……………
……………
アズサが工房を出てから僅かばかりの時が経った頃。
玄関には黒の外套を羽織る魔女の姿があった。
「死ね死ね死ね、何が『悪気は無い』だ。
無許可で私の大事な庭を二塔の訓練用にして使いやがって…、
しかも賞品が胡散臭過ぎて二塔の奴ら誰もノって来ないって、たりめーだあんなの見てホイホイ行く奴いるかってのあのハゲ」
彼女は片手に小さな瓶を抱えている。中身は白だが、目は虚ろで据わっており、アルコール臭が鼻を突く。
珍しく、酔っているようだ。
魔女は、気に入って取り付けた聖獣のオブジェを配った玄関に手をかける。
そして『バァン』と勢いのまま開け放した。
「おー、アズサ、今お前の愛する師匠サマ帰ったぞー
まず靴を脱がせ、そして舐めろ。後は───…ああん?」
酒のテンションのまま、魔女が紡ぐ言葉は、途中で切れる。
ほろ酔い気分の魔女の視界に入ってきたのは、少し前までの我が家の寂しい姿。
一気に魔女の中で記憶の残滓が弾ける。
そこに光は無く、
温かみも無く、
いつも迎えてくれる、あのアズサの笑顔がない。
「………何だ、まだ帰ってないのか…。
門限は過ぎてるぞ。お仕置きだな。あは、あはははは」
『ま、そんな日もあるさ』と、さして気にする様子もなく、魔女は外套を最寄のフックに掛け、部屋の明かりを着けようとフラフラ彷徨う。
漸く燈った明かりは、魔女に僅かばかりの安堵を齎すと共に、ある物をも映し出した。
「ん…? 一回帰って来てるじゃないか…、何処をほっつき歩いてるんだアイツは」
それは魔女のすぐ側に。
アズサが買ったであろう、エーテルの瓶。
中身が少し減っているが、それで何かを感じ取れる訳も無し。
そうして、魔女は酔い醒ましに水を飲もうと台所に行く途中で、ある事に気付く。
綺麗に片付けられたテーブルの様。
昼まで此には、己が散らかした食器、そして、とある胡散臭い紙切れがあった。
───が、
無い。それは文字通り片付けられていて、テーブルの上には白いシーツに水差ししか無い。
「……………」
食器を片すのは当然。しないならしないで魔女の罰が下る。
だが、魔女が帰ってすぐ破って捨てるつもりでいたあの紙まで片したのか?
アズサには、魔女の私物には決して動かさないようにと躾てある。
しかし、用紙はテーブルの下に落ちてもいない。
あの用紙が無い。
一度帰ったアズサがいない。
買ったばかりであろうエーテル瓶の中身が少し減っている。
どう言う事だ? と口が言葉を紡ごうとした瞬間、魔女の頭内に稲妻が走り
思考のパズルが勝手に構築されて一枚の『まさか』が確固として完成する。
酔気もそれで吹き飛んだ。
まずアズサが、用紙に書かれた地図の場所に行ってしまった事を、魔女は確信する。
「………居たじゃないか釣られる馬鹿が。
あの用紙は二塔魔法使いの訓練用に、魔法学校の教師が勝手に作ったもの。
深部にあるのは魔法学校食堂の食券でお前が望むような物は無いんだぞ」
今は居ない誰かに向け、諭すような声で言って、魔女は力無く傍の椅子に座り込んだ。
「馬鹿…あそこには私の獰猛なペットがいるというに…
顔見知りでもない、魔法すら使えないクズなお前なら、それこそ一貫の終わりじゃないか………」
普段は賑やかな魔女の工房
しかし今は酷すぎる程に静か
その温度差と無音には、
よからぬ凶兆が、
孕んでいるように
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