アングマール戦記2
Yosyan
プロローグ
「コトリ、アングマールの話の続き聞きたいんだけど」
「あの続き?」
「コトリが使者としてアングマール王に一撃を浴びせた後のお話」
コトリはボクの恋人にして港都大学院考古学部エレギオン学科名誉教授、さらにはクレイエール代表取締役副社長の立花小鳥。コトリの肩書は錚々たるものですが、まだ二十七歳なんです。コトリがその若さで副社長になっているのはクレイエールが世襲会社だからではありません。すべてその実力と実績によるものです。
コトリと付き合い始めた時に既に専務でしたが、一年で副社長に昇進しています。異例なんてものじゃないのですが、クレイエールではコトリが社長にならず副社長に留まった事の方が意外と受け取られています。
この時の人事は前社長が会長になり、前副社長が社長就任と見られていましたが、前副社長も相談役に退かれてしまったのです。コトリはナンバー・スリーだったのですが、社長に抜擢されたのはコトリの秘書だった係長の小山恵さん。これについてコトリは、
「当たり前やん。ユッキーは首座の女神だよ。エレギオンの四女神、いや五女神がそろってもトップはユッキーよ。これは四千年前から決まっていること」
ボクも港都大学院考古学部エレギオン学科博士コースですから、これはわかります。古代エレギオンは女神による神政政治。この時のトップは首座の女神であり、小山さんはその首座の女神の記憶と能力を受け継ぐ人です。ではコトリは誰なのかですが次座の女神。
エレギオンの女神は、意識を宿主に移して永遠の記憶を保ち続ける女神です。ちなみに小山さんをユッキーと呼ばれるのは、小山さんの前宿主が木村由紀恵であったからで、コトリも小山さんも前宿主時代の呼び名がお気に入りで今も使われています。
「ユウタ、あの続きは重すぎるから話すのもそうだけど聞くのもシンドイよ」
「でも、これを知っているのはコトリか小山さんしかいないもの」
ボクはエレギオン音楽の研究で修士を取っています。ほとんどコトリに助けてもらったようなものですが、博士コースの研究にある大叙事詩の解明に取り組んでいます。この大叙事詩は第一次エレギオン発掘調査の時から存在が示唆されていました。第二次調査でも語学学校のテキスト等に広く引用されているのはわかっていましたが、全体像がはっきりしないところがあります。
古代エレギオンでもあれこれと引用されたり、決まり文句の元になったり、現代であえて喩えればシェークスピアみたいな扱いだったらしいのはわかるのですが、大叙事詩全体の記録が残っていないのです。
そのためにあちこちの断片を拾い集めての編集作業になっていますが、とにかく断片的過ぎて難航を極めています。大叙事詩がある国との戦争を叙述したのだけはわかっていましたが、その時系列、登場人物の背景、地名、出てくる兵器らしいものの実態がサッパリわからなかったのです。
その解明の大きなヒントになったのが、コトリが前に話してくれたアングマール戦。聞きながら結びついたのですが、叙事詩が歌っているのはアングマール戦そのものであったのがわかったのです。
ボクはコトリの話と、叙事詩の断片をつなぎ合わせて、エレギオン包囲戦までを論文にまとめました。この論文は天城教授も非常に高い評価を与えて下さりました。
『あの叙事詩は、古代エレギオンの巨大な民族体験であったと見て良いと考えてる。後のエレギオンの歴史・文化に大きな影響を及ぼしているのは確かだ。ここまででも解明できたのは偉大な業績だ』
ただ叙事詩はエレギオン包囲戦の後にも延々と続くのは確認されています。むしろ残ってる部分の方がはるかに多そうだと見られています。相本准教授は、
『もし全容が解明されたら、これほど素晴らしい仕事はないわ。柴川君、これは君のライフワークにするぐらいの価値があると思う』
ボクもそう感じています。学者として宝の山を掘り当てたような気がしています。しかし研究はひたすら難航しています。この叙事詩の価値が高いことはエレギオン研究者にとって常識ですが、これまで多くの人が取り組んでも、さしたる成果が上がらなかった分野でもあるのです。
この世で大叙事詩を覚えているだけでなく、大叙事詩のもとになったアングマール戦を経験しているのはたったの二人。これは、そもそも存在する方が驚異なのですが、自分が学者として食べていくためにはコトリに教えてもらう必要があります。
「コトリ、お願い」
「ユウタのお願いを断れないけど・・・」
コトリはなぜか悲しそうな顔をしています。
「でも、聞かない方が良いと思うよ」
「どうして」
「叙事詩を地道に読み解いた方がイイと思うから。叙事詩では美しく歌い上げてるけど、実際の戦争はそんな綺麗ごとじゃないの。ドロドロした、そりゃ悲惨なものなのよ」
「でも、あの叙事詩の全貌、さらには叙事詩の元になったアングマール戦争を解明するのはエレギオン学にとって計り知れないぐらい価値があるんだよ。あれを解明できればボクも学者として食べて行けるようになるはずなんだ」
「それはわかるけど、困ったな」
エレギオンについてコトリはほとんど話しません。『どうしても』と天城教授や相本准教授が頼まれると限定的に話しますが、なるべく話したくない感じがします。これは小山さんも同じです。お二人にとってエレギオンは青春でもあるようですが、背負い続けた重みが辛すぎとも話していました。
それでもボクが頼むとかなり話してくれます。これも、音楽とか、祭祀とか、居酒屋とかの平和な話題に限るところがあります。前にアングマール戦の話をあれだけしてくれたのは異例中の異例ぐらいです。
「コトリは戦争の話は嫌いなの。コトリが好きなのはラブラブ」
コトリはなにをやらせても出来ます。いや出来るなんてレベルではありません。仕事はこの若さで副社長ですから説明の必要もありませんが、料理だって、裁縫だって上手のレベルを越えてプロ級です。歌わせても、踊らせても名人級で、知識や経験となると五千年の厚みをヒシヒシと感じます。
恋愛だってそうです。コトリは純愛が好きみたいですし、キスするまでだけでも相当な時間がかかりました。でもなんです。
「ユウタ、この体で初めてなのはホントよ。でもね、コトリの体には五千年の記憶が刻まれてしまってるの。だから軽蔑しないでね」
いやぁ、凄かった。ボクだって何人か恋人はいましたが、あれほどベッドの上でも全身全霊を傾けられるものかと驚嘆させられました。
「コトリがホントに極めたいのはこっちなの。ユウタなら、今までで最高のところに連れて行ってくれると信じてる」
こればかりは負い目を感じてしまったのですが、
「ちがうよ。コトリはね、たとえ相手が童貞でも満足できるし、満足できるようにしてあげれるの。二人で、もっと素晴らしい世界に行きたいから」
コトリのクレイエールでの仕事ぶりは見たことがありませんが、ベッドと同じの気がしています。すべてが全力投球で、コトリも楽しんでますが、ボクも楽しめるようにあらゆる気配りを欠かさず、すべての瞬間を完全燃焼させてくれます。今日も夢のような時間を過ごした後ですが、
「コトリ、お願い」
「気が進まないの」
「ボクは研究が好きだ。エレギオン研究を続けるために大学に残りたいんだ。そのためには業績が必要だけど、この叙事詩の全容を解明出来たらそうなれるんだ」
「ユウタの夢はエレギオン学の学者になることだものね」
コトリはじっと考え込んでいました。あれは考え込んでるというより、何かを見ている気がします。
「ユウタがどうしても聞きたいなら話してあげる。それがユウタのためになるなら。でも後悔しないでね。この話を聞き終った時にどんな結果になろうともね」
「どういう意味?」
「やっぱりやめようよ」
「お願い、ボクの夢、ボクの一生がかかってるんだ」
コトリは何かを見ているようでした。すっとずっと遠くを見つめる目をした後に、
「そうだったわね。ユウタの夢のために話してあげる」
話し始めたコトリの表情が、どこかいつもと違う気がしました。
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