気仙沼時代12 2014年08月14日(木)

 気仙沼時代は気仙沼に風俗店なんてなかったから潔白な身の上でいたのかというとそうではなかった。私はオジさん方(がた)が屯(たむろ)するスナックに通い始める。


 それくらいしか気晴らしすることもなかったし、女性と話す機会もなかった。


 初めて入ったスナックで自分の母親より少し若いくらいのママに出会って、それからママの店に通い詰めるようになった。


 30ママといったその女性は3回も離婚してて5人も子供が居る女性だった。オランダ人形のように少し日本人離れした目鼻立ちのキュートな女性だった。


 そしてママが経営するクラブで働いていたフィリピン人の31に私は一時期ぞっこんとなった。私がいつも好きになる女性の容姿をまるで具現化したかのようなゾクゾクする女だった。一番欲情させられる美貌を持っていた。


 31は最初は私のことを気に入り、店に私が入るとすぐに私の元に寄って来た。


 なんとなくいい感じだったこともあるのだ。といっても子供を生んだばかりの人妻だったのだが、私は他の客に気を使って、31に座りたい人の所で呑んでればいいって感じで仕事するのは良くないと言ったんだ。


 そのうち31が私の所に来なくなると、私はそれでも不平を言った。来たら来たで特別扱いは良くないと言いながら、来なかったら来なかったで駄々を捏(こ)ねたんだ。


 ある時大喧嘩になって外に追い出されたことがあった。


 要するに私が我が儘(わがまま)だったのだ。31も享楽的な所があって、人気の女性だったし、群がる男を手玉に取ってるような所があった。


 そんな一件以来、私が店に顔を出しても一言も言葉を交わすことなく鮸膠(にべ)も無い態度を31は貫き通した。


 私は随分(ずいぶん)悔しい思いをさせられた。なのに31の魅力に翻弄(ほんろう)されるような時期があった。


 これ見よがしにオジさんと仲良くして私には冷たい31を見にお金を費やすなんて馬鹿げていた。


 仲直りできないか、昔のようにと思ったのだろうが、一度そんなことがあってからでは遅かった。



 まぁ気仙沼時代にも好きになった女性くらい居たという話である。


 月一で仙台にも行っていたし、21とも継続はしてた。21にはティファニーの指輪を買って上げるなんて言ってたのに、Tシャツを作る都合で10万円全てを指輪代に充てることはできなくて、自分とお揃いのファッションリングなんかをプレゼントしてた。


 借金で困ってそうだったから、現金を上げようとしたこともあったっけ。でもそれは受け取ってくれなかった。


 勇気を出してティファニーの指輪を買ってプロポーズでもしときゃよかったのである。


 私は代わりに、借金を返した人の本と作ったばかりのTシャツを渡した。もうこの頃は21に会っても、服を脱いでプレイするようなことはなかった。


 いつも久しぶりって一頻り(ひとしきり)お互いのことを話してキスしてお別れするのが常(つね)だった。


 でもそのキス一つで私のハートはいつも鷲掴(わしづか)みにされたのだ。


 キスの上手い人のキスは極上であった。心まで溶かされてしまいそうなキスに酔いしれていた。



 私はいつもどっちつかずだ。女性についてはだらしがないのである。


 21が好きだったんだろう。でも31も気になっていた。近くに居る31か、遠くに居てなかなか会えない21か。たぶん21に本気、でも31とも遊びたい、そんな事だったんだろう。


 26才、一番遊びたい年齢だとも正直思う。体力に知力が追いついて来てなんでもできそうな気がしてた。怖いものがなかった。


 決して充実してた訳じゃなかったが生命力が横溢(おういつ)していた時期だった。私は21を借金から救ってあげたかった。そうして自分の女にしたかったのである。だから大きな構想を練って、権利収入とかで大儲(おおもう)けできないかと画策した時期だった。


 自分のロゴマークをユニクロに使ってもらい、イメージ戦略として売り上げがあがったら、上がった分を権利収入として貰(もら)えないかと柳井社長(やないしゃちょう)宛(あて)に直々(じきじき)に手紙を書いた事もあった。


 とにかく金が欲しかった、金さえあればなんでも望みが叶うとばかりに思っていた。


 巨万の富を築きあげたかった。見返したかったのだ。こんな落ちぶれて終わりたくはないと思っていた。まだ若かったのだ。未来に向かった欲望があった。


 今思うと微笑(ほほえ)ましい。



 そんな時だった。マックイーンが死んだのは。2010年の2月11日。突然だった。


 私のスーパーヒーローは突然この世を去った。理由はマックイーンの母が死んだ事による淋(さみ)しさからの自殺だと報道された。真実はわからなかったが、私は愕然(がくぜん)と落ち込みマックイーンの関連書物やファッションニュースの号外など買い漁(あさ)った。


 どうして死んじゃったんだ。と大変落ち込んだものである。もっと彼のショーを見たかった。


 マックイーンの霊がいるなら私の所に降りて来て欲しかったくらいだ。


 有名人が死んであんなに悲しかったのはこの死が最も痛烈(つうれつ)だったろう。


 また、死んだことでマックイーンのことをより知る事になった。


 私は今でも彼の墓前に足を運んで彼の誕生花を供(そな)えたいと思っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る