気仙沼時代9 2014年08月02日(土)

 この頃も私がインターネットやSNSから抜け出せず、夢中になってしまったのはそれなりに理由があった。


 私が働きたいと思ってるような企業で働いてる人がマイミクになってくれたり、Twitterでフォローさせてくれたりしたからだった。


 アカウント名は証(あか)せないが経歴を言えば、あの日本人が一気に注目を浴びたアントワープの2002年度の卒業生で第3位で卒業された方と、そのお知り合いのコム・デ・ギャルソンで働いて居た方々だ。


 この二人と仲良くなれば、私はそれだけでも働けたりしないかなぁと、なんとも甘い若過ぎた考えを諦(あきら)めきれずにいたのだ。


 アパレルはとかく人脈が大事だとされる狭い業界だった。


 それで、私はこの二人に過干渉(かかんしょう)になり、結局二人ともに煙(けむ)たがられてしまって遠のいてしまうのだ。


 特にこの二人は最初、色んな質問に答えてくれたし好印象だった。


 でもそれは顔の見えないコミュニケーションで人脈と呼べるものには程遠い存在だったのだ。今は二人とも海外で働いてる。アパレルエリートになった。所謂(いわゆる)、コムデギャルソン・キッズなのだ。


 二人とも、相互フォローは会った方のみだと、知り合いとネットの世界を区別していた。


 じゃあ、どうすれば、会えるの?どうすれば人脈とまで言えるようになるの?それを可能にするのがSNSじゃないの?と、とかくチャンスと捉えてた部分が私には多分にあった。


 だが、相手方は違うのだ。企業の人事担当で空いてるポストを埋めるためにネットを活用してるわけじゃない。元々の知り合いと繋(つな)がるために使っているんだ。



 私はネット上で、汚い言葉もたくさん使った。誰が見てるとも知らない世界で不純に満ちた暗噸(あんとん)とした心の闇を、言葉という汚物(おぶつ)で撒き散らした。時に言葉は鋭利なナイフより鋭さを増した。人間的に未熟でおかしくなってた。


 だってそんなことしてる奴ら2ちゃんねるにはウヨウヨいたんだ。どうせなら架空の人物になりすまして、ネット上での人格として、自らのアカウントで垂れ流す方がよっぽど正々堂々としてて清々(すがすが)しいと正義感さえ持っていた。


 でも違った、多くの人と出会い、別れ、弱いつながりとはいえ、好かれ嫌われ、一喜一憂した。喧嘩(けんか)別れも多かった。やはり私に対する批判の目もネット上にはたくさんあったんだ。



 それより何より、このお世話になった二人からの信用問題にも発展した。


 アントワープを卒業された方へは聞かれてもいないのに、住所を伝えたりまでした。そして喧嘩(けんか)別れだった。彼がアメリカで一人で頑張ってる頃のことだった。



 そう、私はもう、この頃辺りから一人も同然だったから、親和欲求や独占欲など、ありとあらゆることをネットに依存した生活を送っていた。ネットの世界はうまく行くか行かないかわからない。危うさもあれば、楽しさもあった。若い私にはピッタリだったんだ。


 でも、だからこそ、取り返しのつかない間違いや、誤解(ごかい)を生んだり、もう忘れたいけど、忘れられないような失敗も経験する。軽度なものから重度なことまでありとあらゆる対人関係での失敗だ。


 今はそのせいかだいぶ丸くなったと思う。一旦辞めたり、名前を変えたり色々した。


 ネットの世界、頭の中の世界で以外は格好つけられなかったんだ。まだ、若かった。



 そうしてるうちに見えて来たことがあった。アパレルに入る人には常識のような事だったのかもしれないが、ビッグネームや1兆円企業だなんて世界を股に架けるような企業にはバックにヤクザやマフィアやギャングが付いて居るって事だ。


 私は奇(く)しくも、そんな企業ばっかりが大好きだったのだ。思い出したのはH6君の別れ際の言葉だった。


 横浜育ちの彼が「世の中回してるのはヤクザなんだよ。」って言ってた一言は、落ち着いて言ってたのに凄みがあった。


 そんなんで怖くなって尻尾(しりお)巻いて東京から逃げ出した私には合わない業界なのかも知れない。


 なぜだか、今まで販売員としてどこの企業でも受かったことがないのは偶然なんかじゃない。業界から嫌われてるんだとしか思えないくらいだ。


 私は一番厄介な口だけ達者なヘビークレーマーか何かなんだろう。繊維業界に嫌われてるわけじゃない。縫製の仕事にはこの後(あと)もありつくことがあった。


 見た目が悪いだけかもしれない。ただ、R3君もベルギーから帰って来てから言っていたが、アパレルはユダヤ人かゲイか大金持ちじゃないと大成しないんだそうだ。


 最初から決まっていることもあるんだ。越えられない壁もあるんだ。


 それよりヤクザってなんなんだ。そんなことが頭を掠(かす)めるようになる。


 決定的だったのはアンダーカバーを育てたヤクザは言わずと知れたヨシダ、って言う書き込みを見た時だった。


 R3君も学生時代に言っていた。アンダーカバーは当時まだ学生だった高橋盾さんが始めたブランドだったが「青山の一等地をヤクザから買い取って始めたんだ。」とか、高橋盾さんは「学生時代BURSTという死体まで載せるTATOOマガジンばっかり読んでた。」とか、まことしやかな噂(うわさ)をよく耳にしたものだった。



 なんでヤクザが出て来るんだと思うだろう。書き方が悪かったがS7さんに話を聞いたんだ。


 S7さんが靴からアパレルに進出した話はもう書いたがそのサクセスストーリーの中で「いつだって店は畳(たた)める。それでも年収1000万くらいの奴ならザラに居るよ。」って私を励ましてくれたんだ。


その後(あと)に、あんな大きなブランドに成長するにはバックにヤクザが付いてるんだ。と種明かししてくれたんだ。そんなS7さんもお寺の坊ちゃんで墓持ちだった。


 訂正:神主の御氏族でした。二人男兄弟でアパレルブランドを経営してたのは確かですが、地元もバーのマスターに聞いたら神主の御氏族で、今は弟さんが継いでいらっしゃるとの事です。S7さんはお兄さんの方です。震災を機に横浜に転居しました。この情報は29に聞いた情報で誤りでした。訂正させて戴きます。


 令和3年2021年10月11日(月曜日)午後18時頃、訂正


 甚く(いた)く気に入って通い詰めたシーラカンスという古着屋の29も親子三代続く創価学会員だった。


 私は29を否定したくはない。しかし、それで一回ひと揉めしたんだ。


 私は29を好きになりそうだった。でも大嫌いな創価学会の人だった。


 既婚者だったし、でも子供は作らないと言っていた。よく店の中でお茶して話してくれたんだ。


 「バイヤーって最初一パック100万円くらい現金を用意してて、まとめ買いするもんなのよ。」とか、「届いてみないとわからないの。」とか。色々教わった。nikitaというブランドをなぜ取り扱えたのかと言うことも話してくれた。「スノーボード仲間が一人nikitaのパブリッシングを任されてる人だったの。」とか、要するに凄腕(すごうで)のスノーボーダーが居て、スポンサーにnikitaが付いているからじゃないのかなと。29は知り合いになってnikitaを取り扱い始めた。


 そんなこんな書いて来たが、29も「大島に別荘を買おうかな。」なんて軽く言っちゃうようなお金持ちだった。



 アパレルはまず資本なのだ。資本がなければお話にならないのだ。


 海外だと高校生の進路指導で生徒がアパレルに行きたいと言うと、お家柄を調べて「君は辞めといた方が良い。諦(あきら)めるんだ。」と言う生徒指導がなされるくらいだ。


 夢半ばにして、それが突きつけられる現実だったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る