第12話 ユア・ターン
「サッカーの醍醐味を君たちは知っているのか?」
「ゴールを決めることでしょう?」
「ここのゴールには鍵がかかっているのか?」
「何を馬鹿な」
「まるで無数の鍵がかかっているみたいじゃないか」
「そんなはずはありませんよ。ゴールは金庫じゃないんです」
「だったら何だね?」
「いったいゴールはどこにあるんです?」
「何だと?」
「みんな本当にわかっているんですか?」
「問題はもっと深刻だったようだな」
「さっきまでは、遙か先に微かに見えていたんですが」
「なるほど」
「今では影さえも見えなくなってしまいました」
「それではシュートはとんでもない方向に飛んでいくはずだ」
「僕はシュートを打ちましたか?」
「君は少し疲れているようだな」
「そうでしょうか」
「少し休め。そこでいいから少し横になっていろ」
「ここでいいんですか?」
「そう。そこでいい」
「おかしくないでしょうか? 突然すぎて」
「疲れた時には、休むのが自然だ」
「ですが、不真面目にすぎないでしょうか?」
「真面目もすぎると自らを傷つけてしまう」
「だけど、自分だけが……。本当にいいんでしょうか?」
「あまり考えすぎるな。時には何も考えるな」
「……」
「誰も君を責めはしない」
「すぐに笛が吹かれます」
「どうだろうか」
「あるいは誰かがボールを外に出すでしょう。異変に気がついて、みんな僕のところへ集まって来るでしょう」
「まあしばらく様子をみるとしよう」
「僕がこうしている間にも、どこかで数的不利が発生してしまう」
「それはどこででも起こり得ることだ」
「僕のせいで致命的な結果が生まれてしまうかもしれません」
「そんなにチームのことが心配かね?」
「勿論です。他に心配することがないほどです」
「チーム愛かね?」
「僕はいつでもチームの中心でありたいと願っていたんです」
「君がいなくても、何事もなくゲームは続いているようだ」
「そんなはずがありません。何かよくないことが起きているのでは……」
「とても静かに進んでいる」
「そんな」
「君が思うほどに、君一人の影響は少なかったようだな」
「そんなはずはありません。みんなが頑張っているんです。僕がいない分を、他のみんなが一人一人必死になって頑張ってくれているからです」
「どうだね。みんなが動いている間に自分だけがくつろいでいる気分は」
「何か奇妙な感じです。ここにいながら、ここにいないような……」
「芝生の状態はどうだね?」
「最高です。最高のベッドです」
「そうか。それはよかった」
「ただ心の底からくつろげる気分にはなりません」
「申し分のないベッドなのに」
「何か自分だけ置いていかれたような気分です」
「笛の音は聞こえたかね?」
「いいえ。大地の鼓動が聞こえます」
「大地の?」
「戦いの鼓動です」
「そうだ。大地は語り部だ。戦いの歴史を知っている」
「はい。僕はずっとここに立つ日を夢見ていたのです」
「多くの者が描く夢だな」
「はい」
「ほとんどの者はそれを描き切ることはできない」
「まだベンチにも入れない頃、そこに入ることは大きな目標でした」
「現実的な目標を定めるのは悪いことではない」
「初めてそこに到達した時、僕はベンチを温め続けることしかできませんでした」
「誰かがそれをしなければ、ベンチは空っぽになってしまうからな」
「僕は目標を誤っていたのではと思いました。目指していた場所に行って失望だけを持ち帰ったのだから」
「本当のゴールが見えている者は希だ」
「ずっと山を登っているつもりで来ました」
「人はみんな登山家だとも言える」
「そこが頂上だと思ってたどり着いたら、思ってもいないものを見た気がします」
「遠くから見る風景は、いつもどこか現実とは離れているものだ」
「はい。実際にそうでした」
「何が見えたのかね?」
「月の大地を踏んでいるようでした」
「地上とは違っていたというわけだな」
「そこから見える景色は、想像していたものとはまるで違っていました。今までの自分ではもういられないほどに」
「景色は人を変えるものだな」
「僕はもっと遠くを見ておくべきでした。もっと早くに」
「遅くはないんじゃないかな? 遠くを見ることに遅いということはないんじゃないかな」
「自分に足りないものをたくさん知りました」
「完全な選手なんて一人もいないさ」
「得意であったものにさえ、自信を失いかけました」
「一度失ってみるのもいい。そこで見つけられるものが本当に必要なものだ」
「でももう一度帰って来ると誓いました。そして、今度はベンチだけを温めるのではなく……」
「何を温めるのかね?」
「温めるのではなく、あつくするのです」
「もう、地球は十分にあついのではないかね」
「監督。それは皮肉ですか?」
「私が皮肉を言わない監督に見えるかね?」
「わかりません。人は見かけ通りとは限りません」
「その通りだ」
「熱狂させるんです。このスタジアム全体を!」
「そうか。それで今の君はどうだね?」
「ああ、僕はいったい何をしているんだ?」
「もう、十分休んだだろう」
「こんなところで何をしていたんだ。僕としたことが」
「いつまで寝ているのだ。さあ、早く立ち上がれ!」
「教えてください。どうして僕はこんなところで寝ているんです?」
「何かを失ったからだ。大切にしていた何かを失い疲れて倒れ込んだ」
「大切な何かを?」
「私がなぜ君を代えなかったかわかるかね」
「わかりません。まるでわかりません」
「待っていたのだよ」
「まるでわかりません。こんな選手を待つなんて、監督は監督に向いていないんじゃないでしょうか」
「強い愛は強すぎるが故に離れてしまうことがある」
「それはトラップを誤るようなものですか?」
「トラップを誤ってボールは足下から離れていってしまう」
「はい。トラップは一番大事だったのに」
「だが、思いが強く残っていれば、それは再び引き寄せられて戻って来る」
「運がよければ……」
「愛はいずれ戻ってくるのだ。消えたようでもな」
「愛……」
「それが私が待っていたことの理由だ」
「これからどこを目指せばいいのでしょうか?」
「最初にあったところだ」
「もう、みんな僕のことを忘れてしまったのでは?」
「覚悟を決めるのだ。そして覚悟ができたら立ち上がれ」
「どんな覚悟を決めればいいのやら」
「繰り返すことだ」
「繰り返す……」
「失敗と挫折を繰り返す」
「まだ失敗を重ねなければならないんですか?」
「失敗と挫折、パスとゴー……。子供たちが君を見ているぞ」
「僕を?」
「君が登った山。君が見た幻想、君が見た夢。今では君が、人々に見せる番なのだ」
「僕が?」
「君がここで動き回る。その仕草の一つ一つすべてが新しい風景となって誰かの夢を育むことになるだろう」
「僕にそんな力があったとは……」
「驚くのはまだ早いぞ! 覚悟ができたら立ち上がれ!」
「僕はここで繰り返す。失敗と挫折とドリブルとシュートと……」
「そうだ。これから君のすることは、小さくて大きなことだ」
「小さくて大きなこと……」
「これから君の生むゴールは、瞬間の歓喜や目先の勝利だけのためではない」
「僕は僕のゴールで勝ちたい」
「君は記憶の種を蒔くのだ」
「はい。僕の番だから」
「そうとも。それは眠っていてはできないぞ」
「ここで生きる。繰り返し、繰り返し、ここで生きていく」
「そうだ。生きていくのだ」
「記憶の種を、僕が蒔く!」
「そうだ。君ならそれができる!」
「僕はここで生きていきます!」
「さあ、覚悟ができたら顔を上げよ!」
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