第13話 元患者の美容師

 この施設には歯科医もいたし、美容師もいた。

 ただ、美容師というのは元患者の女性だった。一見何も変わらない、にこやかな女性だったが、時々会話が止まるのと、ちょっとしたことを忘れてしまう癖があった。

「私は、いろいろあって、参ってしまって。なんだか、人に悪口を言われているような気がして。それで、このままだと何かおかしいことをしてしまうんじゃないかって、それが不安で。それで、病院に行ったんです。何もしてないのに病院に行くのはおかしいかもしれませんけど、何かがあってからでは遅いので……」

 彼女はハサミを持ったまま棒立ちになり、遠くを見つめていた。その目玉はぐるぐると回っていた。

「めまいがするんです。眼振といって、目玉がガガガってなって。歩くこともできないときがあるんです」

 私はハサミで耳を切られるんじゃないかと少し心配したが、問題なく最後まで切り終えた。

 髪を切った後、芝生を歩いていると、めずらしく鉄門が開き、バスが入ってきた。私はその場に立ち止まって様子を眺めていた。バスからは一人二人と、二十数人が降りてきた。

 彼らは精神病院を見学する一般の人たちで、病院側がイメージアップのために行っている企画とのことだった。

 久しぶりに見る施設以外の人の集団を遠目に見て、私はなんとなく恐ろしいなと思った。彼らは自由で、ここにいる人たちのように鉄柵で囲われてはいない。変な言い方だが、何をしでかすかわからないと思った。

 一方、彼らはじろじろと物珍しそうに患者や設備を見てまわっていた。彼らもまたカメラやスマホを禁じられているようだった。

 彼らからしたら、ここにいる人たちは動物園の動物のようなのかもしれない。患者だけでなく、医師や看護師、われわれ事務員も含まれるのでは……。

 彼らの方が普通で、私たちの方が異常。

 患者だけが異常なのではなくて、私は自分を患者と結びつけて考え、柵の外の人たちを切り離して考えていた。

 自然を自由に走り回っている彼らの方が正しい生き方をしており、柵に入れられて行動を制限されている私たちの方が本来とは違う生き方をしている。

 人間本来のことから離れ、離され、結果、いつしかそれを忘れ、それができなくなっている。そういうふうに私たちは定義されているのではないか。

 いつか若手精神科医の内川が言っていた「学生の頃は人間らしく生きていた。友達がいて、恋人がいた。勉強もしたが、遊びもし、くだらないことばかりしていた。だが、あの方が人間らしかった気がする」という言葉を思い出した。

 看護師の副島も殴られたり悲惨な目に遭っていた頃と比べて今は、張り合いがないというか生きている心地がしない、というようなことを言っていた。それで私を悪しざまに言って、生きる気持ち悪さとか、いやらしさを取り戻そうとしていたのだろうか。

 だが、どっちがいったい「本来」なのかはよくわからない気もしていた。当然、外の人間の方が正しいのだろうが。

 それに、外でも内でも大して変わらないような気もしていた。

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