魔王再び
ミサキは絶望にもだえながら北野坂を登り、さらに山手幹線の交差点を渡り、そこからにしむら珈琲の方に進んでいきます。ここらあたりから路地に入って行けばホテルがあったはずです。ミサキの格好は魔王の腕にしがみつくようになっており、誰がどう見てもホテルに直行前のカップルです。その時に、
「うぅ」
魔王が突然うずくまり、ミサキを縛っていた力がなくなります。ミサキは渾身の力で手を振りほどきます。その時に目に入ったのはミニチュア神も倒れている様子です。そこに、
「香坂部長、どうかされましたか」
駈けつけて来てくれたのがメグちゃんです。この場をとにかく逃げないといけませんから。
「メグちゃん、とにかく逃げよう」
「わかりました」
真っ青な顔のミサキを見てメグちゃんはテキパキとタクシーを呼び寄せ家まで送ってくれました。家に帰るとマルコが出迎えてくれましたが、
「怖かった」
もう夢中で抱き付きました。もう一歩も動けない状態で、マルコに抱えられてリビングまで。最後に何が起ったかサッパリわかりませんが、とにかく危機一髪のところで助かったのです。ふと気が付くとメグちゃんもリビングまでついて来てくれていました。
「香坂部長、後の手配はお任せ下さい。明日の午後にお伺いします」
メグちゃんが何を言っているのか理解できませんでしたが、とにかく魔王は甦り、女神、それもミサキをターゲットにして動いているのです。ミサキでは魔王に無力なのは思い知らされました。これはミサキを抱きしめてくれているマルコでも同様です。何かしなければならないのですが、今夜はこれ以上なにも出来そうにありません。
今夜は無性にマルコに抱いてもらいたい気分でしたが、とにかく体がクタクタ、一方で神経が高ぶり切ってしまっています。こういう時のマルコは本当に優しくて、ミサキをベッドまで運び、抱きよせながらミサキが寝付くまであやしてくれました。マルコの体の温もりがミサキの心をやがて落ち着かせ、やがて眠りに落ちました。
翌朝、目を覚ました時の朝の光がまぶしく感じました。隣に眠っているマルコにそっとキスして、無事でいられたことをひたすら感謝しています。昨夜はあのままでは、今頃は魔王に弄りつくされて、絞り尽くされて、ミサキの女神どころか、人としてもどうなっていたかはわからなかったからです。
マルコはミサキが話し出すまで待ってくれていました。一晩寝て少し落ち着いたので、ポツリポツリと概略だけでもと思って話しましたが、話し出すと昨日の恐怖が甦ります。それでも我慢強く聞いてくれるマルコに感謝です。遅めのブランチを取りましたが、食欲もありません。午後になり、
「ピンポ~ン」
そう言えばメグちゃんが後の手配のために午後に来ると言っていましたが、現われたのは、
「ハ~イ、ミサキちゃん、助かって良かったね。それにしても、あのクソエロ魔王の野郎、執念深くまだ生きてやがったんだ」
コトリ専務の快活な声です。それこそ弾けるようなテンションで、あの上の空状態はどこかに吹っ飛んでいます。来られたのはコトリ専務だけではなく、シノブ常務もメグちゃんも一緒です。ここで疑問が、
「コトリ専務、たしかに魔王に襲われましたが、どうしてそれを」
「メグちゃんに聞いたんだ。それから、テンション上がりまくりよ。今度こそ宇宙の塵に変えたんねん」
ちょっと待った、ちょっと待った、メグちゃんは昨夜の現場に居合わせましたが、魔王のことは話していないはず。
「もう、隠さなくてもエエと思うから言っとく。ミサキちゃんを助けたのはユッキーよ」
「えっ、えっ、えっ」
「メグちゃんはユッキーってこと」
そうしたら、メグちゃん、いやユッキーさんが、
「わたしは癒しの女神や輝く女神に隠さなくてもイイんじゃないって言ったんだけど、コトリがね」
「悪い、悪い、こんな騒動になってくれると思ってなかったし」
昨夜は本当に危なかったようで、ユッキーさんが二次会の店の窓からミサキと魔王の姿を偶然見つけて、助けてくれたようです。
「仕留めたのですか」
「ムリよ。あれだけ魔王とベッタリ状態のところに強力なのを撃ちこめば、癒しの女神も巻き添えになっちゃうよ。ホンの軽くってところ。とりあえずミニチュア神の方は仕留めといたけど」
そこから魔王に言われた事を聞いてもらったのですが、
「そうよ、だからクソエロ魔王。一〇〇%混じりっ気無しの女の敵。とくにあのパワーの吸い取り方は許せないのよ。あんな楽しいことを地獄の所業に変えやがって・・・」
はい、ここからしばらくはコトリ専務とユッキーさんの悪口の洪水になりました。
「女神がパワーを吸い取られて死ぬと言われましたが、人の生命力を吸い取られるとどうなるのですか」
コトリ専務とユッキーさんは顔を見合わせた後、
「あんまり知って欲しくなかったんだけど、老婆になって捨てられる」
「殺しはしないのですか」
「老婆じゃやる気が無くなるみたい」
聞くだけでおぞましい話で、魔王は女神だけではなく人からも生命力パワーを吸い取るようです。手法は同じですが、コトリ専務の話ではさんざん悶絶させられた末に、とても言葉では言い表せない物凄いエクスタシーが最後にやってきて、その後に枯れ果てるように干からびてしまうそうです。
「実際に見てへんからわからんとこもあるけど、人の場合は最後の物凄いので八割ぐらい吸い取られるみたい」
「女神の場合は?」
「これはやられたことないから推測やけど、女神はミサキちゃんみたいなタイプでも抵抗力があるから、一回ごとに削り取られるみたいだよ。吸い取られるたびに、段々抵抗力が落ちて、落ちるごとにエクスタシーが大きくなって、より吸い取られるぐらいかな」
ぞっとしています。ユッキーさんに助けてもらってなかったら、ミサキは今頃そうなっていたはずです。
「時間はかかるのですか」
「人相手やったら普通は平均で一時間ぐらいって聞いてる。女神はもっと長いかもしれへん」
どうしてそんなに詳しいかと聞いたら、エレギオンの主女神の娘とその侍女がさらわれて、魔王の犠牲になった事件があったそうで、その時に聞いたそうです。
「あの娘は本当にイイ子だったのよ。コトリも可愛がってたし、ユッキーも可愛がってた。賢いのはもちろんだけど、思いやりがあって、そりゃもう慈悲深くて、アラッタの主女神の再来じゃないかと思ってたぐらい」
ユッキーさんも、
「あの娘に主女神を宿らせる時には、眠りから起してもイイんじゃないのかって、コトリと話していたし、コトリも大賛成していたぐらいなの。あれだけ素質のイイ子は見たことがないどころか、ダントツで飛び抜けていたぐらいだったの」
「いくつだったのですが」
コトリ専務とユッキーさんの顔にはこらえきれない怒りが、
「十三よ・・・」
まだ子どもじゃないですか、
「あの日だって、領内巡視をやっていたの。領内巡視だって、まだやる必要がなかったのに、自分の目で見て国民の困っているところを見つけてなんとかしたいって、泣いて頼まれて思わず許可しちゃったんだ・・・」
コトリ専務の目が真っ赤です。
「コトリ、あなたのせいじゃないわ。わたしだって賛成したんだから罪は同じよ。それに護衛部隊を付けないのに賛成しちゃったのは・・・」
ここでユッキーさんが言葉に詰まっています。コトリ専務は、
「あのクソエロ魔王は、パワーを吸い取るのを楽しみやがるんだ」
ミサキも魔王の言葉からそれはわかります。
「クソエロ魔王は何時間でも、下手すりゃ何日でも続けられるんよ」
「そんなに・・・」
魔王は相手から吸い取った人なら生命力を、エロ・パワーに一部変換しながらアレをやり続けるそうです。だから女をエクスタシーに導くほどますます猛り狂うかんじでしょうか。
「それとやけど、相手によってかける時間がだいぶ違うんや。余り好みでなければ、ものの三十分もかからんのやけど、好みで楽しみたいと思ったら延々とやりくさるのよ」
ミサキが魔王の好みだったら、ここでこんな話をしているのではなく、ベッドの上で未だに悶絶中かもしれません。背筋がゾッとします。
「それにその行為を見せつけるのよ。悪趣味もエエとこよ」
「どういうことですか」
魔王は人さらい部隊を幾つも派遣しており、これに主女神の娘も捕まった訳です。捕まえられた生贄は魔王の宮殿に連れて行かれるのですが、敵国の身分の高い娘の場合は、素っ裸にして都市の中を馬に乗せて回らせさらし者にし、最後に公開でやられるそうです。これは恐怖政治の一環で見せしめの意味と、住民への娯楽の提供の両面があったと見れない事もありませんが、
「まさか主女神の娘も」
コトリ専務もユッキーさんも無念さを押し殺すように
「フル・コースでやられた。時間も六時間に及んだそうよ。侍女たちは先にやられたんだけど、それを目の前でさんざん見せつけた後に最後にやられたんだ・・・」
想像するのさえ耐えきれません。ひょっとすると、昨夜、ミサキをあえて歩かせたのは、市中引き回しを真似たのかもしれません。
「あの子はねぇ・・・」
コトリ専務は話すのも辛そうに涙を浮かべながら、
「それでも魔王さえ許してた。ただ侍女が巻き添えになったことだけを悔やんでた。治療だって侍女が先に済むまで手も触れさせてくれなかった」
まだ十三歳の子どもがそこまで、
「ゆ、許せない」
「もちろんよ、今度こそ完全にケリつけたる。ユッキーも全面協力してくれるって言うてくれてる」
「当然よ。宇宙の塵にして消し飛んでもらうわ」
お二人の闘志が燃え上がるあまり部屋の温度も上がってる気がします。
「でも魔王をどうやって探し出すのですか」
「ちょっとヒント思いついてん。これはシノブちゃんとこに頼んでる。会社の仕事に関係ないけど、目を瞑ってもらお。誰かゴチャゴチャいうてきたら、コトリとシノブちゃんで辞表出せば済む話やし」
そうしたらシノブ常務が、
「辞表まで必要ないですよ。なにを調査するかの裁量権は広いですから」
「どれぐらいで、わかりそう」
「これぐらいなら長くて一週間、三日もあれば十分です。いえもっと短くさせてみせます」
シノブ常務もオロオロ状態の影は消え去り気合が入っています。
「ところでミサキちゃん。クソエロ魔王が片付くまでユッキーを泊めてあげて」
「どうしてですか」
「ボディ・ガード。もし襲われるんやったら、ミサキちゃんとこやと思うから。それと、これは悪いと思うけど、しばらくマルコと頑張るのは少し控えといてね。ユッキーも毎晩聞かされるの辛いだろうし」
「毎晩なんてやってません」
真っ赤になりそうです。でも魔王に襲われるのならミサキでしょうし、その時に魔王に立ち向かえるのはユッキーさんか、コトリ専務しかいません。ユッキーさんが一緒にいてくれたら、これほど心強いことはありません。だた、ここで一つ疑問が、
「ところでミサキも女神のはずなんですが、戦う能力はなにかないのですか」
「ないんよ。完璧にゼロ」
「ミサキは失敗作なんですか」
そしたらユッキーさんが、
「違うよ最高傑作だよ。わたしもそう思うもの」
「えっ」
ミサキの能力はひたすら癒しオンリーのようで、これは人にも神にも通用します。キャラ設計は真面目で、誠実で、常識的。とくに常識的のところが丹念に作り込まれているそうです。
「これのどこが最高傑作なんですか!」
「わからないかなぁ、わたしとコトリが一番やりたかったことをほぼ盛り込んであるの。わたしもこれほど見事に出来上がるとは思わなかったもの」
「えっ、ユッキーさんやコトリ専務のやりたかったこと・・・」
ミサキを設計する前にお二人は何度も何度も相談を重ねられたようです。色んなアイデアが出たそうですが、最後は自分たちが出来ない夢を託そうと言うことで話がまとまったそうです。
「政治だって、戦争だって、本当はやりたくないの。でも現実はせざるを得ないし、逃げることも出来なくなってたのよ。もっと普通に生きたかったのよ。でも、それは自分たちには不可能だから、人が喜んでくれる能力だけあって、後は可能な限り人として見てくれる女神にしたってこと」
最後のところでミサキにもわかった気がします。コトリ専務もユッキーさんも女神として君臨してましたが、やはり神として、いや人によっては化物扱いされていたんだと思います。そこから逃げられないのはあきらめるとして、ミサキはそうならないように作られたようです。二人の思いがミサキになっていると思うと、なにか感動しています。
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