秘書
秘書という仕事はベールに囲まれているイメージがありますが、実態は会社により、さらに仕える上司によりかなり差があるようです。コトリ専務時代からクレイエールで一貫した方針として、付いた上司の仕事の効率化・最適化を主要業務として育成しています。コトリ専務曰く、
『秘書って仕事は重役連中のアクセサリーじゃないじゃからね。まったく逆で重役連中を管理するのがお仕事。無駄な仕事、無駄な時間を削りまくって時間を作り、いかに会社のためにコキ使うかなの。コキ使って悲鳴をあげさせて一人前よ』
わかりやすい例ならコトリ専務と組んだ鉄人コンビ時代の先行役です。まあ、コトリ専務クラスになると、秘書をコキ使って時間を作る感じになってしまいますが、育成方針として秘書が能動的に動くぐらいの感じでしょうか。
具体的にはスケジュール管理、電話取り次ぎ、環境整備、文書作成などがありますが、とにかく仕える上司の仕事がどんなものかを見極めて一歩どころか、二歩も、三歩、いや四歩、五歩も先を読みながら動くのが秘書です。ですから総務でも秘書担当になってもらうのは、それだけの適性を見極めて選んでいます。間違っても、ルチーン・ワークが出来れば良いと言うものではありません。
クレイエールでは社長から常務までと、一部上級執行役員に秘書が付きます。外形だけで言うと、上級執行役員でも秘書付かそうでないかで自然にランク分けされるところがあります。総務でも重役の適性を見極めて秘書を配置していますが、とにかく重役にベッタリ付く業務なので個人的な相性も出てくるので難しいところです。
さて総務では新人が配属されると、多彩な業務を一通りこなせるようになるように教育されます。これはミサキで半年、コトリ専務になると三ヶ月でマスターしていますが、これは例外として良く、通常は二年目になってから主たる担当に振り分けられます。秘書担当もその時に選ばれますが、さすがにすぐに実戦に投入できる者はまずいないので、二年目は見習いから始めます。具体的には先輩秘書に付いて回って、実戦的なノウハウをより覚えていくぐらいです。
この秘書見習いですが、ミサキが総務部長になってからはコトリ専務にお願いしていました。コトリ専務は言うまでもなく前総務部長ですから、秘書の育成も手馴れておられるからです。もっともですが、コトリ専務の仕事ぶりは猛烈です。ですので見習い段階で秘書をあきらめてしまう人も出てくるぐらいです。逆に言えば、コトリ専務の秘書見習いをクリアしたら一人前ぐらいと見なせます。
ただコトリ専務不在時代はそうはいかなかったので、秘書育成に関しては甘くなってる部分はあるとは思っています。今春に秘書担当を命じたのは小山恵さん。彼女にとって幸か不幸か微妙なところはあるのですが、コトリ専務が復活されたので、秘書見習いに付いてもらっています。最初は予想通りヒイヒイ言ってましたが、コトリ専務の評価は、
「メグちゃん見どころあると思うよ」
さてなんですが、この秘書が足りなくなってしまいました。予想外の退職者が発生したのと、産休・育休が重なってしまったのです。この辺はそこまで予想しきれていなかったミサキのミスもあるのですが、秘書も専門性の高い業務で早急に穴埋めとはいかない現状があります。コトリ専務に相談したら、
「コトリのところはメグちゃんだけでイイよ」
「いくらなんでも見習い一人じゃ無理があります」
「だいじょうぶ、今はヒマだから」
そんなにヒマとも思えないのですが、コトリ専務は現時点では主要事業の担当をされず遊軍的なポジションにおられます。この辺は三年間のブランクがあるので充電期間の意味と、新規事業等があった時の切り札として温存されてるぐらいでしょうか。とにかく何をやらせても出来る人ですからね。
とにかく足りないものは足りないので、本来秘書が認められる上級執行役員の方にもご理解頂きました。この時にコトリ専務でさえ見習いで我慢してもらっているというのは、説明する時に助かったのは本音です。
さてなんですが、コトリ専務は天城教授に会われた日から、あの上の空状態が続いています。見るからに重症で、ある朝なんかミサキが先にジュエリー事業部を見て、総務に行ったら指揮を執られていました。総務部員にしたらコトリ専務なら完璧な指揮を執られるので、なにかの事情でヘルプに来ているぐらいに見てくれましたが、
「ミサキちゃん、ゴメン。ボォッとしとった」
そういう状態のコトリ専務の目を離したくないのですが、ミサキも仕事があり、鉄人コンビ時代みたいにベッタリ貼りついていられません。そうなると秘書の役割が重要になります。総務部の事件の時の事情をメグちゃんに聞いてみたのですが、
「香坂部長、大変申し訳ありませんでした。朝から専務室で専務をお待ちしていたのですが、一向に現れず、あちこち探していたのですが、総務部におられるとは思いませんでした。私の手落ちです」
そう言われると、それ以上、メグちゃんを責める気もなくなりました。まさか総務部長の椅子に座って、総務部長をされてるなんて想像する方が困難だからです。とにかくメグちゃんはまだ見習い段階ですから、対応としては合格点としか思えないのです。
「香坂部長、明日からはああいうことは二度と起こさないように努めさせて頂きます」
「相手は立花専務だから大変だと思うから、すぐに相談してね」
それからもコトリ専務の奇行スレスレの事件はありましたが、ミサキとメグちゃんでなんとか伏せて回っています。コトリ専務は上の空状態なのもよくないのですが、上の空状態でもじっとしてくれないのです。とにかく動き回ろうとされる上に、これが人の意表を衝くのです。人の意表を衝くのはコトリ専務の持ち味ですが、上の空状態でもそんなところだけ健在なのでミサキもメグちゃんも振り回されます。
もう少しベテランの秘書を付けたいところですが、とにかく秘書不足ですし、ベテランでもコトリ専務の奇行を抑えきれるかどうかは不明です。一番よいのはミサキが付くことですが、社内事情がそれを許してくれません。毎日ハラハラドキドキで過ごしていたのですが、状況が突然って感じで変わります。
ある時期からコトリ専務の奇行がピタッと止んでしまったのです。ではでは、上の空状態が解消されたかと言えば、ミサキにはそうは見えません。そうなるとメグちゃんがコントロールに成功していることになりますが、入社二年目の見習い秘書にそこまで出来るか疑問です。とにかく相手はコトリ専務だからです。聞いてみたのですが、
「コツをつかみました。もうだいじょうぶです」
メグちゃんなんですが、口ぶりも態度も見違えるように変わっています。コトリ専務の奇行に振り回されて、血相を変えてミサキのところに飛んできたメグちゃんの面影はすっかりなくなり、余裕というか、悠然たる姿勢に驚かされます。人は時にして短期間に成長する事がありますが、それにしてもレベルの成長です。
「香坂部長、これは秘書の職分を越える領域になると思いますが、御相談があります」
「なに?」
「立花専務の今の状態を改善するには、仕事が必要です。今はヒマ過ぎるかと」
メグちゃんの言葉をミサキは重く感じて仕方がありません。なんというか、逆らえないというか、まるで命令を受けているような感じがしてならないです。思わず、
「それはわたしの一存ではどうしようもありませんので、折を見て社長に相談させて頂きます」
「御高配ありがとうございます」
悠然と部屋を出るメグちゃんを見送るしかありませんでした。これではどっちが年上で、どっちが上司かわからなくなる錯覚さえ覚えます。メグちゃんの変化はコトリ専務や、ミサキに対する態度だけではありません。秘書担当者の中でも、
『メグちゃんがあれほどデキるとは・・・』
チーフでさえメグちゃんには一目も、二目も置いているのがアリアリとわかります。それでもコトリ専務の上の空状態による奇行がおさまってくれたので、ミサキはホッとしました。とにかくこの件は社長や副社長とかに相談し辛い性質のものですし、頼みのシノブ常務も相談しただけで、
『コトリ先輩はお可哀想に・・・』
未だにコトリ専務の話になると涙ポロポロ状態が続いているのです。それにしても、こんな状態の時に魔王とか、デイオルタスとか、ユダの脅威がなくて胸を撫で下ろしています。ミサキだけじゃ、対応できないのは良く知ってますからね。
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