女神伝説第四部
Yosyan
コトリ変調
ミサキがクレイエールに入社してから十二年目の春が巡ってきました。そう、ミサキも三十四歳になります。サラは小学校に入学し、ケイも保育園の年長組です。大きくなったものです。二人とも元気に育ってくれて何よりで、とくにケイはマルコに似たのか手先が器用です。マルコに、
「ケイもエレギオンの金銀細工師になれるかなぁ?」
こう聞いたのですが、
「あの道は厳しいからな」
普段は歩く親バカみたいなマルコですが、この時だけは難しい顔をしていました。まあ、それぐらい厳しい道なのはミサキも良く知っています。そりゃ、マルコが工房を始めてから未だにエレギオンの名を許される者は一人も誕生していないからです。
そうそうシノブ常務も三十九歳になられます。他人のことは言えませんが、シノブ常務もお変わりありません。さすがに二十代前半とは言えなくなりましたが、せいぜい半ばぐらいです。これまた頑として変わられない制服姿がとってもお似合いで、相変わらず珍騒動を起こされています。
コトリ専務は四十九歳になられます。コトリ専務は本当に変わられません。信じられないですが二十代半ば過ぎのままです。コトリ専務の回りだけ時が過ぎ去らない錯覚さえ抱きます。とにかく専務ですし、実績手腕とも文句の付けようのない活躍を続けております。最近の成功はクレイエール・ブランドから独立させた超高級ブランドのクール・ド・キュヴェを軌道に乗せた事です。
この成功により社内では次期社長に小島専務を推す声が高くなっています。高野副社長に取り立てて失点はないのですが、副社長就任以来これといった業績を上げられていないのと、綾瀬社長との歳の差が近いというのがあります。次の時代が小島専務なら安泰ぐらいの空気でしょうか。これについてコトリ専務は、
「社長はヤダ。専務だってイヤなのに社長は論外よ。次は高野副社長で変わるはずないやん。コトリが社長になることは天地がひっくり返ってもないわよ」
コトリ専務が重役になってしまったことを喜んでないのは前から聞いていますが、引っかかったのは『天地がひっくり返っても』の部分です。というのも、次期社長は無理としても次期次期社長は誰が見ても確実だからです。もう少し言えば、コトリ専務の後には、まだ話は早いですがシノブ常務を推す声も出ているぐらいだからです。それぐらいお二人の実績と手腕、さらに人望は飛び抜けているのです。そうそうコトリ専務の口癖である、
『男が欲しい』
これが最近ではあまり聞かれなくなっています。ミサキにしたら、あの素敵なコトリ専務からモロ過ぎる言葉が出ない方が助かるのですが、無ければないでさみしいところです。
「コトリ専務、イイ男は見つかりましたか」
「さすがにアラ・フィフやから、手遅れになってもた」
「歳なんて関係ないじゃありませんか」
「うんにゃ、そろそろ賞味期限切れやわ」
冗談なのか本気なのか不明ですが、少しさびしそうな口ぶりが気になります。ミサキの仕事の方はジュエリー事業部を任され本部長に就任しています。これはコトリ専務がクール・ド・キュヴェの立ち上げに専念するためにそうなっています。そんなミサキに、
「ミサキちゃん、これはコトリの予言やけど、高野副社長の後はシノブちゃん、その後はミサキちゃんよ」
「あれ? コトリ専務は?」
「だから賞味期限切れ」
「それは男であって仕事じゃないと思いますが」
どうにもコトリ専務の調子がおかしい気がします。そう言えばジュエリー事業を引き継ぐ時にも異常なぐらい丁寧でした。ミサキも副本部長だったので、おおよそノウハウは知っていたのですが、引継ぎに半年ぐらいかけています。その引き継ぎ事項の細かいというか、微に入り細に入り方は異常なほどにも感じました。そこまでやった上で、
「ミサキちゃん、それでも困ったことがあったら、このノートを見てね。出来るだけまとめといたから」
ドンと五十冊ぐらいのノートを渡されたのです。今どき手書きのノートと思いましたが、
「デジタルにしても良かったんやけど、手書きも味あるで」
なかにはビッシリと仕事のノウハウが書かれています。
「ありがとうございます。でも、それでもの時はご相談させてもらって、よろしいでしょうか」
「相談できる間はね・・・」
なにかガクッと歳を取られたと感じたのはミサキだけでしょうか。ただ、そう思ったのは瞬間だけですぐに快活ないつものコトリ専務に戻られ、
「いやぁ、アラ・フィフなっちゃうと、いつ死ぬかわかんないもの。見た目は若いけど、人としての寿命は別だからね。あははは、心配し過ぎるところが賞味期限切れの証拠よ」
そんなコトリ専務の変化が誰の目にも明らかになったのが夏頃からです。どうにも体調が優れないようなのです。病院受診を勧めたのですが、
「夏バテ、夏バテ、コトリは昔から夏に弱いのよ」
そう言って笑い飛ばされます。そう言えば飲みに行かれる回数もかなり減ったようです。時々ランチも御一緒させてもらうことがあるのですが、以前に比べて異様なぐらい食が細くなっています。いえ、食が細くなってるだけでなく明らかに痩せられています。
九月の重役会議に出席されたコトリ専務の顔色はいつもにも増して良くありませんでした。会議室に入ってきた時からフラフラしているのは誰の目にも明らかです。綾瀬社長が、
「小島君、顔色悪いぞ。今日の会議は良いから病院に行きたまえ。これは業務命令と思って欲しい」
コトリ専務は無理やり作ったような笑顔で、
「たいしたことはありません。ちょっと疲れが・・・」
ここまで話した時に椅子から転げ落ちられました。ミサキは大急ぎで駆け寄り癒しの力を送ったのですが、これはタダ事でないのはすぐわかりました。ミサキの癒しの力で意識を取り戻したコトリ専務は、
「ミサキちゃんにはバレちゃったねぇ」
意識こそ取り戻したものの、もう動くことも出来ず救急車が呼ばれて病院に搬送されました。もう会議室は騒然として、その日の会議どころでなくなってしまいました。会議室だけではありません。噂が広まった社内は誰も仕事が手に付かず落ち着きません。救急車を見送った後、シノブ専務から、
「コトリ先輩の具合はどうなの」
「それが・・・」
とにかく悪いのです。これは魔王戦の時とはまったく違います。あの時は人の体のコトリ専務は大したことはありませんでしたが、今度は人の体のコトリ専務がボロボロなのです。逆に中の女神はピンピンしています。
「ミサキちゃんなら、なんとか出来るよね」
「悔しいですが、あれはミサキではどうしようもありません」
「そんなに悪いの」
「悪いなんてものじゃありません」
シノブ常務は顔を真っ暗にしながら、
「ミサキちゃんでもダメなんだ。これはその時が来たってこと?」
ミサキは春からのコトリ専務の引っかかる点をシノブ常務に話し、
「思えば、すべてそのために動かれていたような」
「コトリ先輩らしいけど、とにかく今は待とう」
唇をギュッと噛みしめるシノブ常務の横顔は悲壮観に溢れていました。きっとミサキも同じような顔をしていると思います。
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