第41話:少しの勇気

 聖女の作った結界はもう何十年も不完全だったらしい。


 彼方此方にほつれができて飛行性魔獣や地中の魔虫は容易に結界をかいくぐり街を襲った。歩行性の魔性植物が増えた西獄谷ウエストエンドは風が谷間に滞り、濃い瘴気を作り出したため、凶暴な魔獣や魔虫が発生した。近くにあった村や町は被害が最大になり何人かの人間も魔物化したという。


 モンドが潜入していた村の人々はすでに避難を済ませ、西獄谷ウエストエンド精鋭討伐部隊が守りを固めているが、厳しい状況にある。早急な処置が必要なのだとモンドが言った。東の魔の森イーストウッドの討伐隊員が援護に当たっており、ミヤコの育てた植物も周辺に植えられ瘴気の影響は減りつつある。


西獄谷ウエストエンドが抑えられれば、王都周辺の町はひとまず安心できるだろう。余すところは、天南門サウスゲートのダンジョンと王都内に絞られ、ルブラート教の動きも封じられる。俺たちはそこを狙い、偽聖女を断罪する」


 緑の砦に集まった精鋭討伐隊員たちに向かって、モンドが作戦を講じた。


「ミヤとハルクルト、アッシュを始めとする東の魔の森イーストウッドの討伐隊に西獄谷ウエストエンドの清浄化を頼みたい」

「ミヤを使うのは賛成できない。危険リスクが大きすぎる」

「谷の清浄は彼女にしか頼めないし、了承は取ったはずだ」


 モンドが作戦を立てれば、クルトが反対をする。この小1時間モンドとクルトの押し問答で話が進んでいない。もうとうに夜は更けて、ミヤコは自宅に帰った後だ。クルトの表情は硬く、ミヤコを戦闘に織り込むのはなんとしてでも避けたいと言い、モンドは彼女なしに到底達成できない任務だと言い返す。どちらも譲らない姿勢で埒があかなかった。


「それに、彼女一人で立ち向かうわけではないだろう。お前たち討伐隊員15名があの女を守るためにいるんじゃなかったのか」

「僕と15名の隊員だけでは心もとない。西獄谷ウエストエンドの討伐隊はどうなんだ」

「あいつらには天南門サウスゲートの防御援護を頼んである。王都の聖騎士隊にはルブラートの息のかかった者が多い。それを凌ぎながら王都を守るのに人数が圧倒的に足りない」

「……聖騎士隊までが」

「ミヤ殿は魔獣について何も知らないし討伐経験もない。女性を危険な討伐に入れるべきではないのではないか」

西獄谷ウエストエンドまでの移動も普通に考えれば難しいんじゃナイっすかね。隊長が常にそばにいるっていうなら別っスけど」


 アッシュとルノーも肯定的ではなさそうだ。他の隊員も同意を唱える。


「だが、この国の生死を分けた勝負だ。時間もない。必要ならばこの俺が隣で守ろう」

「却下だ!」


 引き下がらないモンドにクルトは唇を噛み締めて睨みつけた。モンドの言っていることは正しい。ミラート神国は既にかなりの時間を無駄にし、ルブラート教の好き勝手に翻弄されてきた。国民も戦士たちも長い間迫害され、食糧難から魔物の暴走で爆発寸前のところまできている。ここにきて東の魔の森イーストウッドが崩壊し、森の魔性植物が撲滅された。トライアングルのバランスが崩れ、討伐隊たちの力も今は西と南に集中できる。西獄谷ウエストエンドの瘴気が解消されれば国にも余力が生まれ、ルブラート教の拠点も抑えやすい。国家再建のチャンスは今しかないだろう。だが、自国の闘争にミヤを巻き込んでもいいものか、と言われればクルトは否と言いたかった。


「少し時間をくれ。……精霊王にも伺いを立てる。一度ならず二度までも精霊の怒りを買うことは得策ではないはずだ」

「精霊王に…会えるのか?」


 モンドははっと目を開き、クルトを見つめた。


「……ミヤと僕ならば」

「まさかと思うが、ハルクルト。お前は精霊が見えるのか」


 全員の目がクルトに向かう。皆が信じられないという顔をする。


 東の魔の森イーストウッドの精鋭討伐隊員は全員精霊王の姿を垣間見たはずだったが、それ以外の人間はおそらく誰も精霊王にあったことはない。ましてや精霊を見た者は東の魔の森イーストウッドの精鋭討伐隊員でもいないのかもしれない。クルトは眉を寄せ少し考えてから話し始めた。


「おそらく精霊は見せたい相手にしか姿を現さない。僕は緑の砦ここで暮らし始めてから精霊が見え、呼べるようになった。理由はわからないが」


 討伐隊員たちがざわめいた。「お前、見たか」「いいや、全然気がつかなかった」などと話しているところを見ると誰も精霊は見ていないらしい。砦内にもあんなにいるのに誰も精霊には気が付いていない、と言うことにクルトは初めて気がついた。


「ではあの時感じた殺気はやはり…」


 とモンドは振り返る。


「森の中で俺を襲ったのは、精霊か」

「ああ。精霊はミヤの意思に反応する」

「………あの女は敵になり得るか?」

「ミヤを傷つければ必ず。精霊は報復をするだろう」

「なるほどな…。諸刃の剣というわけか」


 だから彼女を巻き込まなければいいんだ、とクルトは思ったがモンドの意見を待った。


「背に腹は代えられん。精霊王はお前に頼んだ。もし、彼女の助けが受けられないとすればこの戦いは厳しい。だが俺たちはやらなければならん」


 全員の意思は固まった。やるしか道はない。


 今しかないのだ、と。



 *****



「すまなかった」


 その頃ミヤコの目の前で、俊則が豊と康介、有香を連れて玄関の前で土下座をしていた。


「いや、あの。土下座はいいから、入って」


 ミヤコは恐縮して土下座はやめてというが、俊則は一向に頭を上げようとしない。


「俺の親父がいい加減な噂を流して本当に迷惑をかけた。俺が愚痴ったのが元はと言えば良くなかったんだけど、まさかこんなことになるとは思わなかったんだ」

「も、もういいよ、鈴木君。頭上げてよ。寒いから中入って」


 俊則は噂の元凶が自分の父親だと聞いて父親を殴り倒す勢いで問い詰め、噂の収拾に努めていた。その間、毎日のように真木村の本家へミヤコに合わせてほしいと頼んだが、今日までそれすらも叶わなかったと言った。いよいよ腹をくくって友人3人を連れ直談判に出たというわけだ。


「もう、本当俊則バカだからさ。私もお母さんから聞いてびっくりしたわ」

「俺たちも謝る。真木村ちゃんの噂があんなに広まるまで気がつかなくて」

「まさか俊則の親父さんから出た噂だとは思わなかった」


 豊も康介も有香も頭を下げた。ミヤコは気まずさもあったが、この4人が頭を下げてくるとは思いも寄らなくて友情に涙が出そうだった。


「心配してくれてありがとう。もう、友達終わったと思ってたから来てくれて嬉しいよ」


 ミヤコはちょっと困ったように笑うと4人を家にあげた。


「今日は呑み明かそうぜ」


 豊がそういうと、俊則が日本酒とワインを差し出し、豊はすでにピザを頼んだと言い、有香と康介はコンビニで買ったつまみを持ってきていた。


「もうそのつもりで来たのね」

「あったり〜。有無を言わさず押しかけました」


 しょうがないなあ、とミヤコが笑い居間は宴会場へと変わっていった。


 何杯飲んだのか覚えがなくなる頃になってようやく落ち着いたのか、俊則がほろ酔いで、しかししっかりとミヤコに向き直った。本人は真面目に話をしようとしているのだが、頭が前後にゆらゆらと揺れる。飲めないくせに飲むから、と思ったがミヤコも真摯に向き直る。


「真木村。本当に悪かった」

「もう、いいってば。私もはっきりしなくて…傷つけたよね。ごめん」

「いや。それ以上に謝ることも会うこともできない方が辛かったから。でもこれで諦められる」

「……うん。ありがと」


 ミヤコが申し訳なさそうに伏し目がちになると、俊則はキュッと口を一文字に結んだ。豊がポンポンと俊則の頭を撫でる。えらい、えらいと有香が呟きながら残った酒を煽った。ぽろぽろと涙を流す俊則にギョッとしたが、ミヤコは見なかったことにして苦笑する友人たちともう一度乾杯をして俊則の失恋を慰めたのだった。


「俊則の失恋に乾杯」


 豊が杯を上げる。


「鈴木君の未来に乾杯」


 ミヤコが杯をあげる。


「真木村ちゃんの幸せに乾杯」


 有香と康介が杯をあげる。


「俺たちの友情に乾杯」


 俊則が最後に杯をあげると5人はカチンとグラスを鳴らした。


 もしこの4人にミヤコの秘密を話せたらどんなに良かっただろう。言えない過去がなければもっと近づけたかもしれない友情。ミヤコは切ない思いを胸に、それでも言えない言葉をぐっと飲み込んだ。


「みんな、友達でいてくれてありがとう。みんなの勇気を少しだけもらって、元気が出たよ。わたしも勇気出すね」


 友人たちが首をかしげるが、ミヤコはそれに対して微笑むだけで何も言わなかった。

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