第2章:西獄谷編

第35話:心機一転


「ハクラむすびのセットとボーリアカツ丼できました〜」

「ミヤ、マロッカソーダ4つ追加頼む」

「はーい」


 あれから1ヶ月経って、ミヤコは養護施設の仕事を辞職した。


 辞職と言っても元々パートで雇われて、しかもまだそれほど日が経っていなかったのでチクチク文句を言われたが、「押しつけお見合い」を勧めてきた所長とはやっぱり仕事をしたくないというのが本音だった。


 聞けば所長の息子さんは総合病院の内科の先生とかで複数の看護婦との不祥事で裁判になっていたらしい。そんな息子を押しつけてくるとは図々しいにもほどがある、と後で和子叔母が憤慨していた。


 噂はこんな小さな町では浸透するのも早かったが、古くから真木村家を知っている人たちは「あのミヤコちゃんがまさか」と思う気持ちと、和子叔母が鈴木酒店に鬼気迫る殴り込み(?)をしたおかげで、単なる逆恨みの噂だったと逆に心配されて噂は鎮火しつつある。


「真木村家が悪く言われていないのならわたし自身は問題ありません」とミヤコがきっぱり言ったので鈴木酒店の中傷的な噂については大々的に取り上げないことにして落ち着いたが、鈴木酒店の主人がご近所からの不評を買ったのは言うまでもない。


 それについては俊則が個人的に謝罪に来たが、叔父夫婦が俊則がミヤコに会うことは拒絶したということを後になって聞いた。


「バジリスト」ハーブ店がミヤコから消臭スプレーと洗剤を定期的に取引することになった。ミヤコはひとまず月々の収入にもメドがつき、本格的にクルトの店を手伝うことを決めた。向こう側には祖父母もいるし、食材は違うとはいえミヤコの調理知識が役に立つというのが嬉しい。作ったものを「美味しい」と言って食べて貰えるのはやはりやり甲斐がある。


 そしてクローゼットの向こう側の世界は、結界が消え失せたことでアリの巣をつついたような状態に陥っていた。


「わたしは聖女じゃありません。結界なんて無理です」

「やってみなければわからないでしょう!是非とも神殿へお越しください!」

「ミヤは精霊王の愛し子だ。ミヤを拐うつもりなら精霊王の怒りを買うと思えよ」

「くっ…!王命を無視すると?反逆罪にとらわれても良いと申すか!」

「僕は精霊王とその奥方よりミヤの擁護を仰せつかっている。その名はたとえ王であっても覆せない。それにミヤはこの国の人間でもないんだ。王命に従う理由はない。帰って王に伝えろ」


 この数日、王都からの使者が絶え間ない。


 聖女が結界を結べず、魔物に襲われた村や町の国民が反乱をあちらこちらで起こしているのだ。ミヤコとクルトを含む討伐隊とそれぞれのエリアで警備をしていた戦士たちは、手分けをして精霊によって育った植物を各地へ送り植栽を続け瘴気を浄化してはいるが、被害に追いつかない。国王はミヤを王都に呼び、聖女として祭り上げたいのだろう。神殿に入り結界を張れ、と。


 そんな力はミヤにはないというのに、聞く耳すら持たないようだった。


 怪我人や病人は緑の砦に毎日のように運ばれてくる。その度にミヤとクルトができるのは、回復薬になる食事や飲み物を提供することだけだ。症状の重い人には回復魔法の使える者が手当てをするので、ミヤは魔法を使える人に魔力回復のできるものを提供する。軽度のけが人にはアロエの葉肉やハーブで回復を促し、討伐隊員や戦士には食事で回復をするといった目の回るような毎日だった。


「これはもう、戦場で働いているナースみたいですね」

「すまない。こんな状況に巻き込むつもりではなかったのだが」

「いえ、元はと言えばわたしのせいです。ひとまず東の森イーストウッドは落ち着いたし、あそこで取れる薬草はかなりいい薬になってるみたいですね」

「うん。精霊王と君代殿の恩恵でいろんな薬液も作れた」


 そう、精霊王である祖父が回復して、森が清浄されて本来の目的である森が回復した。


 ミヤコがもともと作ろうとして歌った精霊の森には、たくさんの薬草や果樹が育ち正常な気の中で様々な効果を持つ実がたわわに実った。野生動物や野鳥も戻り、祖母も精を出してそれらを育成しているのだ。クルトはミヤコの祖母を「お祖母ちゃん」とは呼べないので「君代殿」と名前で呼ぶことにしている。


「なんとかしたいですよね。結界…」


 そもそもミヤコはこの国がどれだけ大きいのか知らないのだ。ミヤコにとって扉の向こう側は緑の砦だったのだから、国の事情や争い事など考えてもみなかったのに、森を潰したことで結界が崩れ、大きく状況を変えてしまった。自分が落とした小さな布石が大きな波紋を呼んでいるのだ。ミヤコの腹の底にずしりと伸し掛る責任が影を落とす。


「ミヤ、君のせいじゃないんだよ。そんなに思いつめないで」


 はっと顔を上げると、クルトが横から心配そうにミヤコの顔を覗き込んでいた。


「あ、えっと。そんなに思い詰めた顔してました?」

「うん。君はすぐそうやって全部自分で背追い込もうとする」

「え…だって本当に…」

「僕たちがどれだけ君に助けられているか、まだ自信ない?」

「う…」


 そんな熱い目で見つめないでほしい。


 それで手を握るのはなぜ?

 

 先日の幽体離脱事件からというもの、クルトは何かにつけこの潤んだ目でミヤコを見つめて来る。スキンシップもなぜか増えた。ふとしたことで手を握ったり、ハグしたりが多いのだ。見た目が西洋人なので態度もそうなのかも、とちょっと引きつつもミヤコは対応に困っていた。


 毎日会いたいとかいうし。これじゃまるで熱烈に想われてるみたいじゃない。イタイ勘違い女になりたくなんだけどなあ。やばいなあ。イケメン破壊力ありすぎて対応できん。


「ええと…。だって、わたしの力って聖霊の助けがあってのことだし、おばあちゃんの薬草で最近はだいぶ助かってるし…」

「それだって、ミヤがいるからだろ」


 ミヤコの顔を覗き込み殺人級の笑顔でにっこり笑う。


「自信持っていいんだよ」

「は、はあ」


 真っ赤になって俯くミヤコの頭にポンと手を置き、クルトは「よし」と言って席を立った。んっと背伸びをしてから食物庫のドアを開けた。


「さ、明日も早いし。ミヤもそろそろ休んだほうがいい。明日は時間を見て森に採集に行こう。そろそろ回復薬を補充しないとね」

「あ、はい。そうですね。じゃ、じゃあ、おやすみなさい」


 ミヤコは飲んでいたカップを洗い、それじゃまた明日と言って自分の部屋に戻っていった。クルトはひらひらと手を振ってミヤコを見送り、ドアが閉じると同時にがっくりと膝を折り、口元に手を当ててハアッとため息をついた。


 耳まで真っ赤に染まっている。


「やばかった…」




 *****



 ミヤが精霊の愛し子だとわかってから1ヶ月。


 向こうの仕事やらなんやらのカタをつけたからと言って以来、僕が君代殿からもらった鍵を使うまでもなく、ミヤはほとんど毎日食堂に来てくれている。あっちはあっちで何やらあったらしいが、それについては詳しく教えてくれなかった。


 こちらといえば、結界が外れたことであちこちで魔物の被害が出ていて、対処に追いついていない国の警備隊と対処の悪さから国民の不満は爆発寸前だ。


 それというのも、国王が警備隊を王都に呼び戻し王都を守れと令を出したせいで、西獄谷ウエストエンドから西の町村の警備が手薄になったせいだ。西獄谷ウエストエンドには凶暴な魔物が多く、ほとんどが肉食獣のため第二討伐隊と警備隊が付いていたはずだった。


 だが警備隊がいなくなったせいで第二討伐隊はこの数週間、昼夜なく戦っている。東の魔の森イーストウッドの討伐隊員が補充に当たっているが、怪我人も続出して街にも不穏な空気が流れ始めた。


 ミヤがこちらに来てからというもの、ミヤの作る料理の効果やハーブの噂はあっという間に広まった。ミヤのことを聖女だの愛し子だの魔女だの薬師だの挙句には女神とまで言われ、ともかく癒しを求めにくる人が絶えない。ミヤの提案で植栽を主要な場所にしたことで瘴気の被害は減ったものの、魔物の被害は日々多い。


 ダンジョン・トライアングルが『ミラート神の楽園』のように扱われ始めた。


「砦に行けば、聖女がいる」「精霊の食物を食べれば、傷が治る」「女神に会えば、瘴気が抜ける」という噂は尾ひれをつけて膨れ上がり、通行証を持っていない一般人が恩恵をよこせと暴動を起こした。王都は混乱の最中にあるというのに、現聖女は神殿に隠れたまま、王は暴動を抑えるよりもミヤを使おうと躍起になっている。ミヤの持てる力はどれほどなのか未知のままだ。


 ミヤがここにいるのは、危険なことはわかっている。ミヤのためには向こうの世界にいたほうがいい。せめてこの乱世が落ち着くまでは。だけど、いつこの乱世は収まるのか。ミヤがいなくてもこの国を立て直すことができるのか。森を1日で浄化できる力なくして、魔物たちを払えるのか。


 僕はミヤを手放せるのか?


 すでにミヤのことを考えない日は一日とてない。常に振り返りミヤがいることを確認してホッとする自分がいる。ミヤの横顔を見て、後ろ姿を見て、髪の一本一本、指の動きですら目が離せない。触れていたいとか、抱きしめたいとか、キスをしたいとかミヤを見るたびに思いが募っていく。


 ふと気を許したら体の一部を触れているんだから、自分自身が信用できない。


 全く、どうしたらいいんだろう。

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