第31話:君がいない世界
「ミヤが来ない…」
今までミヤが約束を破ったことはなかった。最後に会った時は笑顔で別れたのに。
今朝食堂に来るはずのミヤコが一向に現れない。時計は既に開店の時間を過ぎてクルトは昨日と同じメニューを出して、イライラと接客を済ませていた。食物庫のドアの前を行ったり来たりしてミヤコが来るのを待っていたが、ドアが開く様子はない。何度も開けたり閉めたりしてみたが、そこは砦に続く入り口で、ミヤコの部屋に続く明るい廊下ではなかった。
「くそっ!」
舌打ちをし、力任せに壁を拳で叩くがしびれるような痛みを感じるだけで事態は変わらない。
何かあったのか?
ふと、あの夜現れた同級生とかいうあの男のことが頭をよぎる。
まさかまたあいつが何かしたのではと考えてみたが、すかさず頭を振りイメージを振り払う。ミヤは子供じゃない。将来の選択も彼女のものだし、自分はまだ何も伝えてはいない。
いや…。
多少は、匂わせたはずだが。ミヤは気づいていないかもしれない。だいたい何かと鈍そうなのに、無防備で危機感が足りないんだ、彼女は。僕が会えないうちにうっかり食べられてしまったんじゃ…。
クルトは自分からミヤコに会いにいけないことが、これほど腹立たしくもどかしいとは思いもよらなかったとまた舌打ちをする。
病気かもしれない。あるいはもっと、何か阻めないもの…例えば、事故とか。
………精霊王とか。
きゅっと腹部を締め付けられるような気持ちが溢れたが、拳を握りしめて雑念を振り払った。昨夜ミヤの声が聞こえたと思ったのは、空耳ではなかったのか?どうしたらいい。
どうすればミヤに会える?
「ハルクルト隊長!」
イライラしているところへアッシュが大慌てで駆け込んできた。
間を置かずに爆音が響く。
「何事だ!?」
「
クルトとアッシュが慌てて店の外に出ると、森からもうもうと土埃が上がり、魔性植物が大空へ舞い上がって引き千切られていくのが見えた。
「な、何が起きているんだ!?」
「わ、わかりません!魔物の暴走です!それに森全体が!」
地面が生き物のように震えた。
土が盛り上がり木々をなぎ倒し、魔性植物が悲鳴をあげる。クルトが結界内の植物を確認するように見ると精霊の姿が目に入る。精霊達はぴったりと植物に張り付き
精霊が恐れている?
「聖女の結界は持たないかもしれない!全員戦闘体制に入れ!」
「はい!」
ミヤコの料理を目当てに今朝もたくさんの戦士や隊員が集まってきている。全員ここの空気で体調は万全に整っているはずだ。少なくとも50人。クルトが隊長を務めていた時の隊員達は、幸い全員ここにいる。あとは王都の戦士数十人とフリーの冒険者達だ。
守れるか。
「全員結界から出るなよ!できる限り結界内の植物の近くで待機しろ!ここの植物は空気清浄効果がある。たいていの瘴気は払われるから、ここにいれば問題はない!結界を破って入ってきた魔性植物に火炎は使うな!」
「はっ!」
「風魔法が使える者はエア結界を使え!ビャッカランの触角に気をつけろ!毒素が強い」
「了解!」
「精鋭討伐隊は僕に続け!炎魔法が使える者はフランダケを見つけたら真空滅却!瘴気胞子を吸い込まなように注意しろ!ゴーグル装備の上、視界を確保しろ!」
「オーライ!隊長!」
クルトは戦士達に的確に指示を与え、アッシュを含む精鋭討伐隊を引き連れて前線へ赴いた。森自体の暴走を抑えたことはこれまでにない。これは魔性植物の暴走ではない。森が無造作に魔性植物を刈り取っている。
森が怒っている?
まさか精霊王の再来…?
だとすれば、やはりミヤは…。
「ワイバーンだ!3匹いる!」
討伐隊のひとりが叫ぶ。はっと我に返り、クルトが風魔法を使って旋風を起こす。
「
「
倍速のスピードで宙に舞い上がると、クルトは持っているブレードに炎風の合成魔法を付与する。それこそがクルトが最も得意とする魔法で、風魔法と炎魔法を相乗効果で剣に付与する上級テクニックだった。
「
大口を開けて迫ってきたワイバーンに、風魔法に炎魔法の付与効果をつけた剣技をお見舞いする。剣は空を切り裂き、真っ赤に焼ける刃となり肉も骨もチーズのようにスライスされる。
カマイタチの魔法は炎を纏いブーメランのように舞い戻り肉を切り裂き、地面に落ちた3匹のワイバーンはすでにバラバラになって事切れた。
業火に焼かれた切り口からは、血すら飛び散らなかった。
「お、おお…。隊長の技、ますます磨きかかってないか、おい」
「アレ、援護必要なんスカ?」
あっけにとられるアッシュとルノーだが、鞭を振るようにたなびいた森からは眠っていた魔物が次々と溢れ出てくる。
「マンティーザの群れが来る!まとめていくぞ!
カマキリのような刃の荒い鎌を持った6本足のマンティーザは、小柄ながら飛び跳ねるように移動する。群れで動くので退治のしにくい魔物だが、風魔法に弱い。クルトにとっては鎌さえ気をつければ容易い魔物だ。ヒュン、ヒュンと剣を振るうと数十体のマンティーザを切り裂いていく。
「た、隊長!強すぎッ!」
「体液に触れるなよ!酸で溶けるぞ!」
「ヒイィ!」
森は荒れに荒れ、そこに住む魔物と魔性植物は吐き出されるように四方に散った。クルトが思った通り、森が魔性のものを追い出すという前代未聞の事態が起こり、トライアングルにいた戦士たちは歴史に残る事態を目の当たりにしたのだった。
軽傷者は出たが、死者はゼロ。
緑の砦周辺を襲った事件は、ミヤの植物の瘴気浄化作用とクルトの的確な指示により事なきを得た。
そして、森が静けさを取り戻したのはそれから数日後だった。
*****
ミヤとの連絡が途切れてから五日が過ぎた。
「ミヤ…。何をしてると言うんだ」
クルトは憔悴した面持ちで張り裂けんばかりの胸を押さえ、静かに佇む森を握りこぶしで見つめた。森からはすでに瘴気が消え、野生の動物が帰って来ていた。
国王の命もあって、クルトは精鋭討伐隊員を従えて久しぶりに砦の外へ出た。現況を調べるためだ。
現隊長のアッシュから植物に対する知識はクルトの方が適任だ、と今回の遠征はクルトを隊長にと推したせいもあるが、クルトもじっと砦に籠ってミヤコが現れるのを待つより、体を動かしていたいというのが本音だったからだ。
森に入ってまず感じた清浄な空気に隊員は言葉を失った。魔性が去った森には光が差し込み、下葉が既に生まれて柔らかい大地を覆い始めていた。
ミヤと同じ匂いだ。
暖かい陽だまりとハーブの香り。
クルトは息を大きく吸い込み、どこかにミヤを感じることはできないかと全神経を集中させた。
精霊王がいるのなら、どうかミヤに会わせてくれ。
どうか彼女を連れて行かないでくれ。
突然、野生のマロッカがクルトたちの目の前に飛び出してきた。驚いた隊員たちは魔物かと構えるが、クルトは片手を上げて制する。
「野生のマロッカだ。魔物化していない」
「野生のマロッカ?本当に魔物化していないのか?」
「すごい。こんな立派なマロッカ見たことがない」
「真っ白なマロッカって精霊の使いとか言われてなかったか?」
隊員はそれぞれに驚きを口にし、マロッカの行方を伺う。
白いマロッカは知的な視線でクルトの目をじっと見つめ佇んでいたかと思うと、ふいっと顔を背け茂みを抜けていった。
「……っ!ミヤ?」
ふと、クルトはミヤコの存在を感じた気がして鼓動が高鳴った。
ミヤがいる。
「
「へ?えっ!ハルクルト隊長!?」
「どこ行くんっスか!?」
「お、おい、追うぞ!急げ!」
クルトは風魔法を使うと、慌てる隊員達を振り返ることなくマロッカの後を追った。
この森に、なぜミヤがいる?
だが、この香りはミヤのものだ。
ミヤの陽だまりの匂い。
近い。
どこにいる?
クルトは風に身を任せて、走り続けた。瘴気の恐怖はもうない。森の空気は清浄で痛いくらい肺に突き刺さる。だが、同時にピリピリとした気配を感じる。歓喜と畏怖が入り混じった森の気にクルトの感覚はより研ぎ澄まされる。
「どこだ、ミヤ!」
ミヤに会いたい。
心の叫びを言葉に乗せ、クルトはミヤを呼んだ。
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