第17話:扉の結界
ミヤコは、数秒金縛りにあったように動けなくなった。ゆっくりと思考を巡らせる。
さっさとこちらに連れて来ればいい?
誰を?
何のために?
クルトさんはわたしは聖女ではないと、はっきり今、言ったよね。でも、もし聖女だったら?そういう危険があったわけ?聖女になってくれって言ったのはそういうこと?いずれわたしをこちらの世界に繋ぎとめようとした?
「キイテナイ、キイテナイ、キイテナイ」
私は何も聞いていない。ミヤコは小さく呟きながら、震える足を踏み出して元来た道を戻った。
早く。
階段を登って。
ドアを閉めて。
鍵をかければ。
それから、二度とーー。
ミヤコが階段を上がろうとした時、派手にドアが開く音がして、誰かがもつれ合いながらミヤコの腕を掴んだ。
「待てっ!」
「きゃあああああ!いやっ」
その瞬間、ミヤコの体は金縛りが解けたように跳ね上がり、振向きざまに、持っていたピースリリーの鉢植えを男に投げつけた。掴んでいた男の手は一瞬ひるみ、その隙を逃さずミヤコは手を振り切って廊下へ転がり出た。すぐさま振り返り後ずさると、クルトが戦士らしい男を殴りつけ、階段のドア枠まで駆け上がってきた。
「来ないでっ!!」
ミヤコが叫ぶのと同時にクルトの体が弾けとび、階段を転がり落ちた。
一瞬、何が起きたのかわからずポカンとするミヤコと、愕然として階段の下からそろそろと這い上がってくるクルト。開いたドアの前でパントマイムのように掌を開いた空間に当てる。見えない壁に行く手を阻まれて、驚愕した新緑の瞳がミヤコを見つめた。
「ミヤ…!」
入れないんだ。
ミヤコが頭の隅で理解する。
来ないでと言ったから。わたしが拒否したから。
「僕は、君を傷つけるつもりは毛頭ない」
クルトが悲しそうに、絞り出すように訴える。ミヤコはわかってはいるものの、言葉が出てこない。ミヤコの目には恐怖が映っている。
「ハルクルト隊長!!」
「下がれ、アッシュ!お前は黙ってろ!」
苛立ちを隠さず、隊長と叫んだ男に声を荒げるクルト。ミヤコに向き直り、両手を見えない壁に押し付け、ミヤコから何かしらの感情を汲み取ろうと瞳を泳がせるが、ピクリとも動かず怯えるミヤコを見て、目を伏せる。
「…すまない。怖がらせるつもりではなかったんだ。それだけは……信じて」
がっくりとうなだれるクルトを見て、胸が締め付けられるような感覚にとらわれたミヤコは、恐る恐るクルトに向かって声をかけた。
「せ、聖女なんてできないって…言いましたよね。わたし」
「ああ」
「でも、お掃除、手伝うって言ったでしょ」
「うん。すごく助かると、思ってる」
「わたしを、そっちに引き止めるつもり、だった?」
「まさか。君が自由に行き来してくれたら、それでいいと思ってた」
クルトが泣きそうな顔をしているのを見て、ミヤコは恐怖心がすっと収まっていくのを感じた。ぽろぽろと、ミヤコの目から涙がこぼれ落ちる。ぎゅっと目をつぶって涙を絞り出し、これ以上こぼれないようにと自分を押さえつける。そうしてから目を開けて睨むようにクルトを見た。
「怖かったんですよ、何ですか、あの人」
「アッシュは…あれは、元僕の部下で現討伐隊隊長だ。王から伝言を持ってきたんだ。悪い奴ではないが、ちょっと苛立っていてね」
そういうと、クルトはアッシュに顔だけ向き直り、下がっていろと命令をした。若干青ざめているアッシュはしぶしぶと下がり、食堂の方へと戻って行ったのか、パタンとドアが閉まる音がした。
「この扉は君にしか開けられないし、君が招待しない限りこちらからは入れないようだ。だから、こちらからの干渉はできないし、するつもりもない。君に何かをしようなんてこれっぽっちも思っていないよ。だから信じてほしい。僕は…」
そこまで言いかけたところで、ガタガタと音がして、土間から叔父夫婦が飛び込んできた。ゼイハアと息を荒げているところから走って慌ててきたようだ。ドアを蹴破ってきたのだろうか。
「ミヤコ!大丈夫か!?」
「ミヤちゃん!」
はっと振り返ると、キッチンからミヤコに向かって哲也と和子が大きく目を開き、固まっていた。
目だけが、ミヤコとクルトを交互にみかわして、直後。
「男を連れ込んでるのか!」
「そんなところに隠して!」
と、ものすごい形相でドカドカと上がりこんできた。
「えっ、ち、ちが…!」
「何が違う!?ようやく東京から帰ってきたと思えば、お前はっ!」
哲也は真っ赤になって、ミヤコの腕を掴むと引っ張り上げた。腰砕けになっていたミヤコは、振り上げられるような格好になる。
「ミヤ!」
クルトが叫ぶ。バンッと見えない壁を叩きつけるが、クルトの手が壁を突き破ることはない。だが、ふと違和感に気がついた和子が哲也を止めた。
「お、おおお父さん、待って!」
「なんだ!?」
半ば引きずる様にミヤコを立たせ、顔を真っ赤にして声を荒げる哲也は、引き留める和子に荒々しく返事を返したが。
「あ、あの人の後ろっ…!」
和子が青ざめて、指を指した方向を見ると、クルトが目を見開いて見えない壁に両手拳を押し付けて、今にも哲也に跳びかからんとしている、その後ろに続く階段が目に入る。
哲也のミヤコを掴む手が緩んだ。
「ク、クローゼットの中に…」
「…異世界です。前に言ったでしょ」
ミヤコが続けて、静かに言った。
「ちょっといろいろあって、向こうに行くのは
途端に、両手と額を見えない壁にくっつけていたクルトがなだれ込むように、廊下に転がり込んだ。
「っ!ミヤッ!」
ガバッと起き上がりミヤを後ろ手にかばおうとしたが、ミヤコに止められる。
「クルトさん、叔父の哲也と叔母の和子です。おじさん、おばさん、異世界人のクルトさんです」
真っ青になって固まった叔父と叔母、ポカンとしたクルトを見て、ミヤコは天井を見つめ、またしてもため息をついた。
*****
「まあ、本当だったのねえ。叔母さんびっくりだわ」
「悲鳴が聞こえたから、何事かと思ってきてみれば。ミヤが男を連れ込んでるって方がまだ信じられたのに」
「だから、連れ込みませんて」
リビングでお茶をすすりながら、叔父と叔母、クルトとミヤが対面に腰掛けている。叔父はもちろんこの家を管理しているのだからスペアキーを持っていたらしい。ミヤコが叫んだことで物盗りか何かと勘違いをして、飛び込んできたのだった。隣の家まで悲鳴が聞こえるとか、ちょっと壁が薄すぎませんかね。
クルトはまるで先生に怒られた中学生のようにキチンと姿勢を正し、視線を合わせないように固まっているが、叔母はすっかり受け入れているし、叔父もおかしなことを言いながらも信じてくれた。
さすがに、あの祖母の息子夫婦だ。少々のことでは動揺しないらしい。
「まあ、ほら。お義母さん突拍子も無い人だったから。こんなこともあるかもしれないわねえ、あの人の家だしねぇ」
「ええ。あるの?マジそう思うの、おばさん」
「だぁって、その鍵だって元はと言えばお義母さんのものでしょう。案外あの人も異世界とやらに行ってたかもしれないわねえ」
「……考えられるな」
ええ〜。ちょっと受け入れすぎなんじゃ?
「歴史上異世界人というのはいたらしいですが、僕にはミヤが初めての遭遇です」
なんか扱いが完全にエイリアンな気がするんですけど。
「あっそうそう。クルトさん精霊が扱えるので、うちの庭すごいことになってるんだよ」
ミヤコが、どうせならぶちまけちゃおうとハーブと野菜の成長について語ってみたが、和子は「あら、いいわねえ。野菜が育ったらまた分けてちょうだい」おほほ、と流してしまった。哲也もふーん、と聞き流している。
信じてないな。
だが届けた野菜は美味しかったらしい。
叔父に「たとえ異世界人でも、朝まで男と二人で過ごすなよ。田舎は噂がすぐに広まるからな」と念を押されたが、叔母はミヤコも大人なんだしと言って二人とも隣の自宅へ帰って行った。
クルトと二人きりになって沈黙が続くと、ミヤコはふと放り投げたピースリリーの鉢を思い出した。そのことを伝えようと振り返ると、ミヤが口を開くより先にクルトがミヤの手を取った。ミヤコは「えっまた?」と体を硬くしたが、少し震える手を感じてクルトを見た。
「クルトさん?」
「…ミヤ。さっきのことは本当にすまなかった」
「いえ…。私も勝手に聞き耳を立てて…」
「君はいつでも、来たい時に来ればいい」
クルトは切なそうにミヤを見つめ、口元を歪ませた。
「この数日で僕は瘴気に悩まされていることも、あの砦で一人で住んで生きることも一時にでも忘れて、このまま君と穏やかに暮らしていけるような気がしていた。ほんの数日なのに、すっかり君に依存している自分に気づいて、驚いた」
クルトは思い出したように苦々しく眉を寄せる。
「君に拒絶されて、正直ショックを受けた。アッシュに…あの部下に討伐隊へ復帰しろと言われて腹が立って、あの通りだ」
「……復帰、するんですか?」
ミヤコが聞くと、クルトはふっと目を伏せて苦笑した。
「…いや。そのつもりはない。君がいれば、薬草の研究も進むし、瘴気も魔性植物の抑制も何とかなるような気がして」
クルトはちらりとミヤコの顔を伺う。まるでこれから捨てられる子犬のようだ。ミヤコは廊下の向こうに目をやると、暗い階段に続く食物庫を見つめた。
わたしも、大概甘いな。
「じゃあ、まずはあの鉢植えのピースリリーを助けないと」
そうミヤコが言うと、クルトはきょとんとして顔を上げた。
「あ、ああ」
「あの元部下の…アッシュさん、はもういないですか?」
「あいつには、僕からよく言って置くから大丈夫」
「じゃあ、行きましょう」
「君は…ミヤはいいのか?」
「わたし…クルトさんのことは、信じますから」
そういうとミヤは立ち上がり、クローゼットに目を向けた。
「あのクローゼットからこちらに来れるのは、クルトさんだけですよ。今までも、これからも」
「……心得た」
クルトはしっかりと頷き、ミヤコに続いた。
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