第6話「知らない恋心。」

******


無事に追試が終わったあとの、夏休み前日。

今日は終業式。

暑い体育館で校長先生の長~い話を聴いて、午前中で帰れる素晴らしい日。


だけど…


「公ちゃん、今日も泊めて」

「……」


自分の水野くんへの気持ちに気がついたあの日から、実はずっと水野くんの家に帰れていないあたしは、今日も朝の屋上で公ちゃんにそう言ってお願いしてみた。

そしてあたしの気持ちの全てを知っている公ちゃんは、そんなあたしの言葉に顔をしかめてあたしを見る。


「……お前な、いくら水野と顔合わせづらいからって…」

「おーねーがーいー!あたししばらくあの家帰れないよ!公ちゃんあたしを見捨てる気!?」


あたしがそう言って口を膨らませると、公ちゃんは困ったような表情を浮かべてそっぽを向く。

…いや、あたしだってわかってるよ。

このまま、逃げたままじゃ良くないこと。

わかってるけど…

だけどあたしがそう思いながらうつ向いていたら、ふいに公ちゃんがあたしを見遣って言った。


「…真希、やっぱ今日は帰れよ」

「!」

「いつまでもこのままじゃ、さすがによくねぇって」


そう言って、ぽん、とあたしの頭に優しく手を遣る。

でも…


いやいやいやいや。

あの家には帰りたくない。

出来ればずっと公ちゃんの家にいたい。

だけどあたしがそう思って公ちゃんの手を退かそうとしたら、その前に公ちゃんが手を離して言った。


「っつかお前、俺ん時とは全然違うんだな」

「…え?」


公ちゃんはそう言うと、ふいにあたしを見遣って悪戯に笑う。

…全然違う?って、何が?

そう思って独り首を傾げていたら、その時朝礼開始のチャイムが鳴ってあたし達は慌てて屋上を後にした。

そして、クラスが違う公ちゃんとの別れ際に、公ちゃんが念を押すようにあたしに言った。


「真希、絶対今日は俺ん家来るなよ」

「……」

「…返事、」

「…はぁい」


あたしがその言葉に渋々返事をすると、公ちゃんは自分の教室へと戻って行く。

本当は帰りたくないけど、公ちゃんがそう言うんじゃ仕方ない。

…あっ。じゃあ今日は歩美の家に泊めて貰おうかな。

そしてあたしはそんな良いことを思いついて、すぐに自分の教室に戻った。


しかし…


「え…休み?」


教室に戻ってきた時、あたしは今日歩美が学校を休んだことを初めて聞いた。

珍しく歩美がまだ来てないからそれを口にしてみれば、クラスの女子に「体調が悪いから休み」ということを聞かされたのだ。

……おかしいな。

いつもだったら、休む時はあたしに連絡くれるのに。

そう思って携帯を開いてみるけど、そこにはラインも着信も来ていない。

そのことにため息交じりで携帯を閉じると、その直後に一件のラインが届いた。


「!」


もしかして、歩美かな?

そう思いながらまた携帯を開くけど…

……………違った。

でも、歩美じゃないけど、ラインの差出人の名前を見た途端にドキッとしてしまう。


…水野くんからだ。

そしてドキドキしながらメールを開いてみると、そこには…


“今日は俺の家に帰って来いよ”


って、それだけが表示されてあった。


「……」


…ダメだ。

逃げらんない。

ってか、あたしって友達少ないな…。

水野くんのラインを読んで、あたしはため息交じりに返信を打つ。


わかったよ、と。

…ちょっと味気ないかな?

絵文字とかつけてみる?

なんなら赤いハートとか……いやいやいやいや。キモイから!

と、そんなふうにしばらくラインと格闘していたら…


「瀬川」

「…」

「瀬川、」

「…」

「おい、瀬川!!」

「!!はっはいいぃぃ!?」


ふいに大きな声で担任にそう呼ばれ、あたしはびっくりして椅子から立ち上がった。

するといつの間にか目の前には怒ったような表情をした担任がいて…

ビクビクしていたら、手に持っていたスマホを突如取り上げられる。


!!


「今は朝礼の時間なんだが、」

「…あっ」

「夏休み中に、職員室まで取りに来なさい」


そして担任はそう言うと、スマホを持ったまま教卓へと戻って行く。

う、嘘…最悪!

大事なスマホを取り上げられた!

しかも夏休み中って…今日返してくんないの!?

だけどあたしはこれといった反抗もできずに、やがて朝礼も終わって終業式に突入してしまう。

浮かない気分のまま先に掃除をして体育館に向かうと、心で思うよりも先に目で水野くんの姿を探した。


…もう来てるかな?

そう思ってキョロキョロしていると…


居た。

クラスの男子と(たぶん友達?)、何やら真顔で話している水野くんの姿が。

特に盛り上がっているわけでもなく、きっと「うん」とか「へぇ」とかしか言ってないに違いない。

そう思いながらしばらく水野くんを見つめていたら…


「…」

「…!!」


ふいに水野くんの視線があたしの方に来て、ばっちり目が合った。

だけどあたしはその視線からすぐに逃げると、勝手に熱くなった顔を必死で抑える。

…何でだろう。

目が合っただけなのに。

心臓が凄くバクバク叫びだして、うるさい。

公ちゃんの時はこんなだっけ?

こんなにドキドキしてたっけ?

今までどうしてた?

……わからない。


そしてそのあと勇気をだしてゆっくり水野くんの方にまた目を遣ると、水野くんはまた友達と話していた。

…つい最近まで、水野くんのことがあんなに苦手だったのに。

今は水野くんが輝いて見える。

あたしは病気だ。


……………


しばらくすると終業式が始まって、予想通りの先生達の長~い話がようやく終わった。

体育館を出て教室に戻ると、担任の話を聴いて鬼のようにたくさんある宿題を渡され、終礼も終わった。

歩美がいないから独りで帰ろうとするけれど、あたしは生徒玄関でふいにピタリと足を止める。

……水野くんはもう、帰ったかな。

この前の図書室でのこともあるから、あんまり容易に行動しない方がいいんだけど。

何か急に会いたくなって、家に帰ればいくらでも会えるのに…あたしは無意識に、生物室に向かってしまった。

他の生徒達が帰ったあとの静かな廊下を、あたしは急ぎ足でバタバタ走る。

特に急ぐ必要もないけど、誰もいない階段を駆けのぼると…やっと生物室が見えてきた。


そしてゆっくり深呼吸をすると、あたしはノックもせずにガラ…とそのドアを開ける。


「…」


水野くん…いるかな?

そう思いながらそれを開けるけど、その瞬間目の前に飛び込んできたのは、誰もいない静かな薄暗い生物室。

いるのは生物部が飼っている亀やヤモリ、ハムスター……等の生き物だけ。

…やっぱり、いないか。

そう思ってため息を吐くけど、あたしはふいに生物室の中に入って、そこに続く隣の部屋のドアに近付いてみた。

そこは確か…あたしが水野くんに初めて無理矢理キスされた場所。

思い出すと恥ずかしすぎるけど、あたしはそのドアに一応ノックをしてみた。

そこまでは勝手に入っちゃ、さすがにマズイ気がする。


だけど…


「……」


やっぱり中から返事が聞こえてくるわけでもなく、あたしはまた深くため息を吐いた。

…帰ろう。


しかし、そう思った次の瞬間―――…


「!?」


開いていたはずの生物室のドアが、突然勢いよく音を立てて閉まった。

突然のその音にびっくりして入口を振り向くと、外側からガチャリと鍵が締まるような音が聞こえてくる。


もしかして、閉じ込められた?

一瞬にしてそれに気がつくと、あたしは慌てて入口の方に駆け寄って、必死にドアを叩いた。


「ッ、誰!?開けてよ!」


そう言って、どんどんと叩いてドアを開けようとするけれど、やっぱり外から鍵をかけられているらしく、それはビクともしない。

それでもなんとかして開けようとしていたら、外から声が聞こえてきた。


「あれれー?どうしたのかなー、瀬川さん」

「!?」

「何で生物部でもない瀬川さんが、こんなところにいるんだろうねー?」


そしてわざとらしくそう言うと、きゃはは、と不気味に笑う。

この声…この前の図書室の時と同じ奴らの声だ。

そう思っていたら、そいつらが言葉を続けて言った。


「アンタなんか、明日からずっとここでじっとしてれば?」

「!」

「まぁ、いつか知らないけど、生物部が部活しに来るまで頭冷やしてなよ」


そしてそいつらはそう言うと、


「じゃーね~」


そう言って、生物室から容赦なく離れて行く。

でももちろんこのまま閉じ込められるなんて絶対に嫌だから、あたしは必死にドアを叩きながら言った。


「待ってよ!お願い、開けてよ!

何でもするからっ…!!」


だけど、あたしがそう言ってももうそれ以上廊下から声は聞こえなくなって…


「開けて!開けてよっ…!!」


しばらくそう叫んでいたけど、やがてとうとう生物室の周りには誰もいなくなってしまった。


「…っ…」


…どうしよう。

何であたしがこんな目に遭わなきゃいけないの、超ムカつくっ…。


だけど、そう思って悔しくなるけど…どうにも出来ない現実が、悲しさを増していく。

しかもこの生物室はあんまり人が通らない場所にあって、今日中に出られるとは考えにくい。

それに季節も季節なだけに、だんだん暑くなってきた。


……水野くん、助けに来てくれないかな…。


…………


クーラーが効いた部屋で、独り漫画を読む。

今日は、本当だったら終業式で学校に行っていた日。

だけど親が仕事の都合でずっといないのをいいことに、あたしは仮病を使って休んだ。


図書室での真希と優大を目撃してから、あれから何だか二人と合わせる顔がないあたしは、逢いたいって思うけどやっぱり何だか逢いづらくて…。

朝のうちに優大に『風邪引いたから学校休む』ってメールを送ったら、『じゃあお見舞いに行く』って絵文字とか顔文字一切無しの返信が来た。

その返信に、あたしは『逢いたくない』って可愛くない文章を作ってみる。

だけどそれを送ることは出来なくて、メールの編集途中でそれを破棄した。


結局、『逢いたい』っていう気持ちには勝てないや。


…………


しばらく漫画を読んでいたら、昼の12時手前になってようやく玄関でチャイムが鳴った。

急いでそれに出ると、ドアの前にはやっぱり優大が立っていて…。

あんまり逢いたくなかった気持ちもあったはずなのに、あたしが思わず笑みを浮かべれば、優大が首を傾げて「大丈夫?」って問いかけてきた。

…みんなから「無愛想」って言われてる優大だけど、本当は優しいからそんな優大があたしは大好きだ。


「平気。熱があったけど、今は引いてる」

「…そう、」

「上がってよ。暑いでしょ?何か冷たい飲み物持ってくるね」


そしてあたしがそう言うと、優大は自販機で買ったらしいペットボトルのジュースを鞄から取り出して言った。


「大丈夫、これあるから」


そう言って、


「歩美はゆっくり休んで」


そんな優しい言葉を付け加える。

…優大…。

その言葉に、思わずキュンときてしまう。

最近少し気分が落ち込んでいたせいか、優大に甘えたい。

だけどその前に聞きたいこともあるし、確かめたいことだってある。

…今聞いてしまおうか?

そう思うけど、怖くて聞けない。

臆病だから。


そして聞けないまま優大を自分の部屋に上がらせると、あたしは病人のフリをしてベッドに寝転んだ。

優大はその傍に座ると、あたしがさっきまで読んでいた漫画に目を遣る。

そして、ポツリと呟くように言った。


「…歩美って、」

「うん?」

「少年漫画、好きなんだ?」


そう言って、意外そうな顔をしてあたしに視線を移す。

…あれ、言ってなかったっけ。


「うん、あたし少年漫画好きだよ。ってか、少年漫画しか読まないから」

「…少女漫画読むイメージあったのに」

「……引いた?」

「ううん、引かない。いいと思う」


あたしはそんな優大の言葉に少し安心すると、少しだけ黙り込んで…勇気を出して、口にしてみた。


「…真希は、少女漫画しか読まないけどね」


そう言って、内心ドキドキしながら優大の言葉を待つ。

どんな反応を見せるのかと横目でじっと見つめていたら、優大が言った。


「…瀬川さんの話は聞いてない」


そう言って、傍に置いてあるペットボトルのジュースを口に含む。

あ…機嫌損ねちゃったかな。

でもその言葉を聴いて、少しだけ安心する。

だって本当に興味なさそうな顔をしてるから。

だからあたしはそんな優大を見ると、言った。


「あ、ご…ごめんね。

あたし、真希のこと大好きだから。つい、」


そう言うと、ははっと誤魔化すように笑う。

…笑顔が引きつってないか、心配。

だけど…あたしがそうしていると、優大がペットボトルの蓋を締めながら言った。


「……大好きだったらさ、」

「…え?」

「何で…助けなかったの?」


そう問いかけて、真剣な眼差しであたしを見つめる。

…助けなかった?

その言葉を聞いて、最初はその意味がわからなかったけど…


「…この前の、図書室のとき」

「…!!」


優大がそう言葉を付け加えた途端、嫌でもわかった。

まさかあの時のことを言われるなんて思ってもみなかったあたしは、一瞬にして顔を青くする。


…うそ、

気付かれてたの?

あたしがあの時、こっそり図書室にいたこと。


優大は…


「あの時…歩美、あそこに居たよね?」

「…っ…」


知ってたんだ―――…。


あたしがそのことにびっくりしすぎて思わず言葉を無くしていると、そんなあたしを見て優大がため息を吐く。

そして…


「もしかして、ほんとは…あれ全部、歩美の意思?」

「!!」

「…そんなわけないよね?」


そう言って、鋭い目付きであたしを見つめる。

その口調はあくまで柔らかいけど、優大の目だけは…全てを見透かしているようで、怖い。

…でも、優大の言っていることに間違いなんか無くて。

どうしても優大と真希のことが不安なあたしは、あの時クラスの友達にあの図書室でのことを頼んだ。

そして今日も、今ごろ真希は……


あたしはそう思いながらだんだん顔をうつ向かせると、沈んだ声で優大に言った。


「…そう、だよ」

「…」

「図書室でのことは、あたしが他の友達にお願いしたの。

だって不安なんだもん。優大も真希も、何も言ってくれないから。

………ねぇ、優大…今…真希と一緒に、家に住んでるでしょ?」


あたしは声を振り絞るようにそう言うと、顔を俯かせたまま優大の言葉を待つ。

やっと言えたはいいけど、凄く怖くて…。


ドキドキ ドキドキ


静かに叩く心臓が、うるさい。

そしてあたしは自然と震える手をぎゅっと握ると、やがて優大の返事が怖くて誤魔化そうとした。


「な、なんてね!聞いてみただけ、」


…───でも。


「そうだよ、一緒に住んでる」

「!!」

「歩美の言う通り、俺…“真希”と一緒に、二人きりで俺の家に住んでるよ」


優大は突如あたしの言葉を遮ると、確かにはっきりそう言った。


…“真希”…


「…っ、」


…その言葉をはっきり聞きたかったはずなのに、

いざそう聞くと、凄く悲しくなる。

どうしてもっと早く言ってくれなかったの?

どうして内緒にしてたの?

何かもう…あたしの中でわかっていたことが、わからなくなって。

言葉より先に、涙が溢れた。


「…っ…」


だけど、泣きだすあたしを見ても…優大は何も言わない。

「ごめん」とも言わず、ただそんなあたしを見つめて…今までの元カレ達とは違って、雰囲気が凄く冷たい。

…優大って、こんなだっけ?

そう思っていたら、優大がようやく口を開いて言った。


「……ごめん」

「…?」

「俺…歩美に、他にも言わなきゃいけないことがある」


そう言って、「顔、上げて」と言葉を付け加える。

…でも、上げられなくて。

優大が何を言うつもりなのかを考えると怖すぎて、聞きたくない。


「…やだ、」


あたしが呟くようにそう言うと、水野くんは呆れるようにあたしの名前を口にした。


「歩美、」

「…っ、」


だって…顔を上げたら優大は何て言うの?


“本当は好きじゃない”?

“別れよう”?

“真希のことが好きになった”?


それをわかってて、何で顔を上げられるの、

そう思いながらずっとあたしが顔を伏せていたら、そのうち優大が静かに口を開いた。


「…俺、ほんとは…歩美のこと…最初から、別に好きじゃなわけじゃなかった」


そう言って、また「ごめん」って呟く。

予想通りのその言葉に、あたしはショックすぎて涙しか出てこない。


じゃあ何で告白してきたの、とか。

何で好きなフリをしてたの、とか。

聞きたいことはいっぱいあるけど…それを声に出せなくて。

もちろんムカつく気持ちもあるけど、それも表せない。


あたしがそうやってしばらく泣いていると、また優大が言った。


「こんなこと、本当は言うつもりなかったけど…。

ずっと隠しておくつもりだったんだけど…

俺、真希に近づかないために、歩美と付き合ってた」

「…、」

「……過去にいろいろあって。真希を見てるとそれ全部思い出すから。

親の都合で一緒に暮らすことになって、また二度と同じこと繰り返さないように、真希の一番近くにいる歩美にわざと近づいた、」

「…っ」


水野くんはゆっくりそうあたしに説明するけど、でも納得できるわけがない。

過去?

過去に何があったの?

もっと詳しく教えてくんなきゃわかんないよっ…。


…しかし、そう思っていると…


「!」


その時、ふいに優大のスマホが鳴った。

誰かから電話がかかってきたらしく、優大はあたしに「ごめん」って言うとそれに出る。


…誰?

そう思いながらも涙を拭っていたら、やがて優大が電話の向こうの人に言った。


「…は?何でそんなとこに居たんだよ、」

「?」

「っ、わかった。今からそっち行く、」


そして優大はそう言って電話を切ると、一瞬鋭い目であたしに目を遣って…


「…もしかして歩美、また真希に何かした?」


そう問い掛けてきた。

…生物室に閉じ込めたのがバレたのかな。

だけどあたしは、静かに首を横に振る。

だってムカつくから。


「…知らない」


あたしがそう言うと、優大はそれ以上何も言わずにあたしの部屋を後にした。


…過去とかそんなの、わからない。

何であたしがこんな目に遭わなきゃいけないの…。


…………


鈴宮(公ちゃん)からの電話を切ると、俺はすぐに歩美の部屋を出た。


電話の内容は、

真希が何故か生物室に閉じ込められていて、気絶しているから迎えに来い、というものだった。

たまたまそれを見つけた生物部の顧問が、真希を保健室に運んで、幼なじみである鈴宮を呼んだらしい。

だけど鈴宮は部活の大会が近くて忙しいらしく、真希と普段一緒に住んでいる俺が呼ばれた。

…季節が季節なだけに、生物室も暑いに決まってる。

誰が閉じ込めたかなんてわかりきっているけど、きっと歩美はさっき嘘を吐いた。


………真っ暗な過去の記憶が、少しずつ蘇ってくる。

今俺の近くにいる真希は、そんなことにならなきゃいいけど。


闇の中に押し込んだはずの色んな声が、今の俺の邪魔をして…許してくれない。


“アンタのせいだっ…!”


「…っ、」


“アンタが、真希をこんなになるまで放っておくから!”

“どーせアンタのことだから、また女の子と遊んでたんじゃないの?”

“もう顔も見たくないから。真希の葬儀にも顔を出さないで”


“そもそも優大くんがしっかりしていれば、真希は自殺をしないで済んだんだ。

真希のためを思った?ふざけるな、アイツを殺したのは、他でもないお前だ!”


その過去を思い出すと、いつも割れるように頭が痛くなる。

そしてその時、記憶の中の真希が決まって俺に言うんだ。


“…どうして?”

“どうして優ちゃんは、あたしの傍にいてくれないの?優ちゃんまであたしを独りぼっちにするの?”


…違う、

そういうことじゃなくて。

そういうつもりじゃなかったんだよ。

ただ、俺は…


“もういいよ。あたしもう、全部諦めるから”

“優ちゃんとも…皆とももう二度と会わない”

“バイバイ、優ちゃん”


そして真希はそう言うと、暗闇の中で姿を消していく。

待ってほしいのに、悲しいくらいに追いつけなくて。

今は、後悔だけが俺の心に残っている。


そしてそんな過去を抱えながらようやく学校の保健室に到着すると、俺は目の前のドアを開けた。

俺がもし、今傍にいてくれている真希を本気で好きだってアイツに言ったら、アイツはもっと、俺のことを恨んでしまうのかな…。


…………


…………


頭に少しの痛みが走るなか、あたしはゆっくり目を開けた。

目の前に広がっているのは、あんまり見慣れない白い天井。


…ここ、何処?

だけどそう疑問に思ったその直後、ある場所独特の匂いが鼻を掠めて、それがすぐにわかった。


保健室だ。

…でも何であたし、保健室にいるんだろう…。

そう思って起き上がろうとしたら、その時すぐ傍から聞きなれた声が聞こえた。


「大丈夫?」

「!」


その声が耳に入った途端、あたしは思わずドキッとして体が硬直する。

だって、そこには…


「…み、水野くん」


あたしを心配そうに見つめる、水野くんがいたから。

な、何で水野くんがここに…?

そう思って目をぱちくりさせていると、そんなあたしに水野くんが言う。


「真希、生物室に閉じ込められてたんだって?

たまたま生物部の顧問が見つけたみたい」

「!」

「…何で、生物室にいたの、」


そう言って、落ち着いた様子であたしの言葉を待つ。

そんな水野くんの言葉に、あたしはやっと思い出した。

…あ、そういえばあたし、急に水野くんに逢いたくなって、それから…。

…思い出すと嫌な感じが蘇るけど、あたしはそれを心の奥底にしまい込むと、言った。


「…な、何でだっけかな~。覚えてないや」

「俺に用事があったんじゃないの?だったらメールとかしてくれたらよかったのに」


水野くんはそう言うと、少し口を尖らせる。


「…そ、そうだね。でも本当に忘れちゃったよ。何で生物室にいたのかなんて」

「……」


あたしはそう言うと、誤魔化すように笑って見せた。

けど…違うよ、水野くん。

それじゃ意味がないんだよ。

あたしは、水野くんに“逢いたかった”んだから。

だけどそんなことを言えるはずもなく、あたしは黙ってベッドから起き上がった。


「…え、平気?無理しない方が、」


そしてそんなあたしに水野くんがそう言うけど、あたしは首を横に振って言う。


「平気。見ての通りピンピンしてるよ、」

「…そう、」


そう言って、なんとなく…辺りをキョロキョロして時計を探す。

…今、何時だろ。

そう思って保健室にある時計に目を遣ると、それを見た。


14時半。

どーりでお腹が空いたわけだ、

朝ごはんにバナナを一本だけ食べてから、何も食べてない。


「…帰ろうよ」


あたしがそう言うと、水野くんが自身の腕時計に目を遣って言う。


「…そだね。お腹空いたしね」

「うん、」

「でも、真希…一コだけイイ?」

「?」


水野くんはふいにそう言うと、ベッドを降りるあたしを引き留める。


…なに?

そう思って水野くんの言葉を待っていると、水野くんが言葉を続けて言った。


「今日のこと…落ち着いたらでいいから、俺に全部話してほしい」

「え、」

「今はまだ言えないだろうけど……ほんとは真希、全部覚えてるでしょ?」

「!」

「独りで溜め込まないで、何か言ってよ。誰かに何をされたって、俺は真希の味方だから」


水野くんはそう言うと、あたしに向かって凄く優しく微笑む。

その笑顔と言葉にあたしは何だかドキッとしてしまって、水野くんを直視出来なくなる。

…そんな顔、したりするんだ…。

あたしはそう思いながら、自然と赤くなる顔を隠すように少しうつ向いて言った。


「……ありがとう、」


あたしがそう言うと、水野くんは微笑んだまま「じゃあ、帰ろう」ってあたしの鞄を持ってくれる。


「うん、」


でも……何だ?いつもの水野くんとは少し違う感じ。

水野くんって、こんな優しかったっけ、

そう思って、あたしの少し前を歩く水野くんの背中に、あたしはふいに目を遣ってみる。

いつもはそんなふうに思わないけど、今は何故か水野くんの背中が広く見えて…途端に恥ずかしくなった。


…この気持ちは、何だ?

公ちゃんの時には感じなかった。

知ってるはずが、知らない感情。

恋ってこんなだっけ、


そう静かに疑問に思いながら、あたしは水野くんと一緒に保健室を出て学校を後にした。


「……つまんねぇ、なぁ」


そんなあたし達の姿を、後ろからこっそり見つめている公ちゃんの存在には気づかずに……。
















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