ほおずき弓

本条凛子

 お盆がはじまる頃、田舎では墓や仏間に飾る花を買うのに躍起になる。乳白色から黄色、の大きな菊から甘い匂いの花やら夏に出回るリンドウ──長持ちするやつはだいたいすぐなくなる。全て、ではないが、いい花は早いもの勝ちと言わんばかりに、遅れてきた客どもを笑うかのように弱々しく、半日も保たない小さな花だけがぽつんと桶に残される。

 あれがない、これがない、と負け組の客どもは店員たちを困らせた。

 早く来ればいいだけの話じゃあないのかね。無いものは無いのだよ。

 律子は無いものねだりの客どもを見た。溜め息ばかりの客と生返事ばかりの店員を視界の端っこに収める。そんな律子の手には、しっかりと瑞々しい花の束が握られている。咲きかけの百合の花が小さな鼻を生意気にもくすぐった。


「へっくしょい」


 女らしからぬくしゃみをハンケチで収めた。人前では女らしく、しおしおとしているのだが、今ので鼻水がぴゅっと出てしまったが素知らぬふりをして拭う。

 耳が熱っぽいのも知らぬふり。

 律子は花選びに勤しむことにした。

 白ばかりじゃあ味気ない。否。赤も入れるべきではないだろうか。今度は黄色──いやいや緑が足りない。ん。多いかもしれぬ。

 結局は予算額が超えてしまった。大きくなってしまった花の束を抱え、律子はうんうん唸って帰路を急ぐ。


「おかえりなさい、りつねぇさん」


 妹の瑠璃子が玄関できゅうりをかじって出迎えた。祭りで配られた見栄えのしないうちわを煽っている。


「ただいま。蘭子姉さんは」

「部屋で読書」


 簡単に言ってくれるな。脱力して律子はただ買ってきた花どもを降ろす。玄関いっぱいに広げられた花どもを二人で眺めては、はあ、と吐いた。気付けば外で、求愛ばかりに勤しむ蝉どもの姦しさが耳に入った。


「買いすぎだよ」

「やっぱりそうかしらん」

「そうだよ」


 でも、と律子は反する。


「仏さんにも出すんだからいいでしょ」

「でも多いってりつねぇさん」


 ふふんと笑い、瑠璃子はきゅうりを食べ終えたその白魚の手で百合の虚勢をはじめた。

 咲いたら咲いたで美しい百合だが、律子は好きではない。強い匂いは、鼻をドブにつけたみたいに駄目にする。そして律子を最も鬱々とさせるのは百合のおしべだ。花粉が付く。悔しいことに服に花粉がつけば、なかなか取れやしない。前にお気に入りの服がお蔵入りになってしまった。無様なことに瑠璃子の前で赤子のごとく泣き喚いてしまった。

 おしべを取るのは、以来律子ではなく、瑠璃子の役目である。

 ぷつん。ぷつん。

 淡々とおしべの去勢が終わったあと、飾るために組み立てなくてはいけない。


「母さんはどこに行ったのかしらん」

「仏壇にやるお菓子を買いに行ってる」


 どっちでもいいや。瑠璃子は頬杖をついて律子の作業を眺める。あまりにも痛い視線を寄越すのでついきつく見返してしまうのであった。


「瑠璃子。あんた、刺繍はどうしたの。可愛い図案見つけたって嬉しそうだったじゃないの」

「うーん、飽きた」


 こいつほど簡単に趣味を捨てる奴があるだろうか。


「前も水彩にはまった、なんて言ってたじゃない」

「それも止めたの」

「なんでまた」

「それよりも早くしようよ。おじいちゃん、寂しがってるよ」


 瑠璃子に上手くはぐらかされた。口が達者な妹は持つと苦労する。しかし確かに愛妹の言うとおりである。律子は慌てて残りの花どもを組み立てた。

 鏡合わせのようにまとめて、部屋にこもる蘭子を引きずり出した。愚痴愚痴と文句を垂れているが無視だ。行く途中でその言葉もなくなって静かになるのを姉妹は知っている。そして、母の帰りを待つのはもう数年前かららりる姉妹──名前のはじまりがラ行続きのためよく言われた──は諦めている。

 母の父──らりる姉妹にとっては祖父になる。祖父は十年も前に他界した。


「墓が近いって便利でいい」


 サンダルの瑠璃子がほがらかに言って、墓場の水道からもらってきた水を満遍なくかけた。格安の柔らかいブラシで軽く掃いて汚れを落とす。跳ね返る飛沫に猿みたいな悲鳴を蘭子が零したが、瑠璃子は素知らぬふりだ。

 上と下の姉妹のじゃれあいを遠目で見つめる律子は脱力するばかりだ。きっちりと化粧をし、よそ行きの服を着てきたのが馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。

 りぼんのついたカンカン帽の淵を握って目を隠す。

 祖父が死んだ日は二月の寒い夜だったと言うのに、お盆というやつはどうして。ネチネチとした熱苦しい天気に、帰ってこようとするのか。それを定めたのが神であろうと仏であろうと、律子にとっては嫌なことである。

 お盆が嫌いなのさ。


「母さんをおいてきてよかったのかしらん」


 墓を綺麗に掃除した瑠璃子が律子に問う。返事したのは蘭子だった。


「別にいいんじゃないの。毎年墓参りのたびに泣かれてもねぇ」


 祖父が大好きだった母は祖父の話題になるといつも目元を哀しげに濁らせる。それを慰めるのはいつもらりる姉妹のうち律子の仕事だ。

 色々思い募ることがあるらしい。しかし、その複雑で迷解たる情など、別個体である、らりる姉妹には空想上の同調しかできない。

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