女神の歌声
エレギオンの特番から始まったエレギオン・ブームは続いています。天城教授も相本准教授もお忙しそうで、テレビや講演会に引っ張り凧状態のようです。とくに相本准教授は今やアイドル扱いみたいになっていて『ファン』もたくさんおられます。
コトリ専務のエレギオンでの行動は撮影も禁止され、行動記録も残されていないというか、コトリ専務が調査隊に要請してそうしてもらってるのですが、これだけのブームになると口まで塞ぎきれず段々に広がってるようです。とくにコトリ専務が現地で歌われたのは隊員たちにとっても余程印象的みたいだったみたいです。
印象的だったのは隊員たちもそうですが、テレビクルーにとってもそうみたいで、是非もう一度聴きたいの声が出ています。調査隊員にとってはあの時の歌声をもう一度の懐かしさなんですが、テレビ局側はこれをネタに番組を作りたいとの狙いです。コトリ専務は、
「ミサキちゃん、断っといてね」
こう言われてますから、すべて断っているのですが、実はミサキも聴きたいのです。これはシノブ常務も同じですし、どうやら綾瀬社長や、高野副社長も同じ思いがあるようです。それぐらい、実際にコトリ専務の歌声を聴いた人々の感想は感動的というか、神秘的というか、そんな表現では収まり切れずに。
『歌う姿に女神を見た』
こう口々に言われるからです。そんな時に社長から料亭に呼ばれました。例の密談場所です。行ってみると社長と副社長、シノブ常務と佐竹本部長、そしてミサキの五人でコトリ専務はおられません。その代りと言ってはなんですが天城教授がいらっしゃってました。挨拶もそこそこに社長は天城教授に、
「天城教授は現地で小島専務の歌声を聴かれたのですね」
「はい、そうです」
「何回、聴かれました」
「四回です」
たった四回なんだ。もっと聴いてたかと思ってた。
「どんな歌い方でした」
「すくっと立ち上がられて、まさに朗々と歌い上げる感じです」
「直立不動ですか?」
「直立不動ではありません。すくっと自然に立ち上がっているとしか言いようがありません。その立ち姿は本当に美しい、いやそんなものでなく神々しいものでした」
なんとなく想像できるのですが、それは素晴らしい姿であったのだろうと思います。
「身振りとか、手振りとかは」
「ありません」
そこから発掘初日の現地作業員との間で起ったエピソードを聞かせてもらったのですが、社長は感嘆したように、
「では六時間ぐらいずっと小島専務は立ったまま見守っていたのですか」
「そうです。身じろぎもせずに、ただ微笑みを浮かべながら」
そこまでされたら小島専務が現地でも女神扱いされたのは良くわかります。
「歌声はどんな印象を持たれましたか」
「大地に響き渡り、天空に舞い踊り、人の心を震わし癒します。誰もが跪き、まともに見続けることは困難な感じです」
社長は『う~ん』と黙り込んでしまいました。やがて、
「天城教授、もう一度聴きたいですか」
「もちろんです。聴けるものなら是非です」
「いや、話を聞いているだけで聴きたくて仕方がありません」
今日の会合は小島専務の歌声をどうしたら聴けるのかの相談のようです。
「でも社長、小島専務にはそういう要請を断るように命じられています」
「香坂君、それは私も聞いている」
「まさか業務命令を出されるつもりだとか」
「そんなもので歌ってくれるなら、とっくの昔に出してるよ」
いかに社長とて小島専務に頭ごなしの業務命令は出せないのはミサキにもわかります。とくにこういう本来の業務に関係がなく、コトリ専務が嫌がってるものは無理としか言いようがありません。ここで綾瀬社長はじっと考え込まれました。そこからおもむろに、
「小島専務の歌が単に素晴らしいだけではなく、不思議な力を持っているのは間違いないと思う」
これは、そうだと思います。なんと言っても次座の女神が心を込めて歌われたのですから、単なる歌ではなかったはずです。
「私が小島専務の歌を野次馬根性で聴きたい面があるのは白状する。ただし、天城教授の話を聞いて、そんな扱いにするのは許されない事もわかったつもりだ。小島専務が安易な要請に応じないのもそのためだろう」
コトリ専務も同じ考えだと思いますが、
「実はな・・・」
綾瀬社長の一人目の息子の浩一さんは白血病に罹られたそうです。当時としては精いっぱいの治療はされたそうですが、三年にもわたる闘病生活の末に亡くなれたとのことです。
「最後の化学療法の結果を見た医者にあきらめてくれって言われたんだ。でも浩一は喜んだよ。あの苦しい治療が終りって聞いてね。後は死を待つだけになった時にゲームソフトが欲しいって言うんだよ」
「ゲームソフトですか?」
「そうだ、当時大人気のゲームでどこに行っても売り切れ状態。もう必死になって探したよ。あの時は会社の同僚も協力してくれて、やっと見つけて浩一のところに持っていったんだ。浩一は喜んだなぁ」
綾瀬社長の目に涙が溢れています。
「大喜びでゲームをやって、
『疲れたから、今日はここまでにしとく。つづきはまた明日』
そう言って眠ったんだ」
社長は目を閉じ嗚咽しています。そこから涙声で絞り出しように、
「最後だった・・・」
病院にはそんな子どもさんがたくさんおられたそうですが、入退院を繰り返すうちに一人、また一人と亡くなっていくのも社長は見ていたそうです。社長が文化事業に力を入れる方針を出したのも、そんな子どもたちに夢を持たせ、生きる勇気を与えたいとの意味もあったとお話されました。
「今は昔より治療は進歩していると思うが、辛くて、苦しいのは同じだと思う。私はそんな子どもたちに小島専務の歌を聴かせてあげたいと思ってる。たとえ、その場だけであっても苦しみを忘れる時間を作ってあげたいんだ」
誰もが黙り込んでしまいました。そんな沈黙を破ったのはシノブ常務でした。
「私が話してみます」
ミサキも、
「私も・・・」
社長は、
「いや、君たちの気持ちはありがたいが、これは私が誠心誠意頼んでみる。それが社長、いや私の浩一のための仕事だ。君たちには後のサポートをお願いしたい」
一週間ほどしてから、コトリ専務から呼び出されました。
「マスコミはシャットアウトでお願い。それでも嗅ぎ付けてくるのがいるかもしれないから、警備員も手配しといてくれる。時刻は土曜の午後で交渉してね。それと悪いけど、会場の下見や設定はミサキちゃんに任せたわ」
これは病院でのコンサートの話だ。
「マイクとかは」
「いらないよ。伴奏はコトリが手配しておくけど、ピアノを一台用意してくれる。これもグランド・ピアノが必要」
「ピアノですか」
「うん、出来るだけ良いのがイイな。失礼がないようにしたいから。準備が整ったら連絡ちょうだい。コトリも会場を見に行くから」
ミサキは社長にも確認を取って動きました。病院側も歓迎ということで協力が得られることになり、会場は一階の玄関ホールに決まりました。二階まで吹き抜けになっており、広さはそれなりにあります。病院にはグランド・ピアノがなかったのでどこかから借りる算段をしていたら社長から、
「私が寄付する」
これもコンサートに間に合うように手配を急ぎ病院に搬入しました。手配が進んだところでコトリ専務に連絡、さっそく病院に行きました。
「ミサキちゃん、ピアノの調律は」
「やってますが」
「前日に伴奏を頼んだ方が来られるからミサキちゃん案内してあげてね」
「誰が来られるのですか」
「冬月先輩よ。頼んだら快くOKしてくれた」
「冬月って、もしかして、あのピアノの貴公子の冬月進ですか」
「コトリの一年先輩なの」
こりゃ、大変な伴奏者です。『貴公子』冬月進は人気も実力もナンバー・ワンと言われているピアニストです。演奏会はどこも満員で、チケットを手に入れるのも大変と言われています。それだけのピアニストが来られるとなると準備も気合が入ります。
金曜日の午後に病院で待っていると冬月さんが来られました。挨拶もそこそこにピアノの確認を始められました。専属の調律師がおられて、冬月さんの細かい注文に応じて調整を進められます。こういうところを初めて見るのですが、一流のプロともなるとここまでの準備が必要なんだとひたすら感心してました。そんな冬月さんに話を聞いたのですが、
「小島君かい。一学年下の天使のコトリだよ。でも、小島君が歌うなんて知らなかったな。でも、小島君が歌うためにボクを呼んだのなら、プロのプライドにかけて精いっぱいの演奏をするよ」
プログラムの打ち合わせをしたのですが、
「小島君からボクがメインでやって欲しいと言われてる。プログラムは聞いてるだろ。その通りに、それからアンコールは・・・」
既にコトリ専務は冬月さんと細かい打ち合わせは済んでおり、ミサキはそれを確認しただけでした。冬月さんはその夜はホテルに泊まられました。
当日はミサキが司会役になり、まず綾瀬社長からピアノの贈呈が行われました。引き続きこけら落しとして冬月さんのピアノ演奏です。プログラムは子どもでも馴染みやすい曲が選ばれてましたが、これぞプロってのが本当によくわかりました。ミサキもピアノを子供の時に習っていたので、良くわかります。
そしてコトリ専務が登場してきたのですが、見てビックリです。純白の衣裳なんですが、あれはウールなんでしょうか。どう言えば良いか、古代ギリシャ・ローマ時代の服のような感じです。あっ、そうだ、あれはエレギオン土産のプラチナ・プレートに描かれていた女神の服装と同じです。
コトリ専務はピアノの横に立たれましたが、天城教授が仰ったように自然でありながら見事な立ち姿です。もう立ってるだけで神々しい感じがします。しんと静まり返る会場でしたが、やがて小島専務が歌い始めました。その声の美しいこと、声量の豊かなこと、たしかにマイクなんて不要です。
かなりキーの高いところもありましたが、コトリ専務はまったく力むことなく、余裕でのびやかに発声されます。いや、そんな技術的なことは超越しています。これは歌ではありますが、祈りであり、人に恵みを授ける力とヒシヒシと感じるしかありません。
間違っても子供向きの歌ではないはずですが、子どもたちも聴き惚れています。親御さんや病院職員の方は一人また一人と床に跪いていきます。ミサキも気づくとそうしていました。天城教授が仰っていた、
『歌う姿に女神を見た』
とはこれだと良くわかりました。気が付くと冬月さんまで伴奏の手が止まってしまい聴き惚れています。冬月さんのピアノでさえ、コトリ専務の歌の前では雑音に聞こえてしまうといえば良いのでしょうか。夢の中にいるような時間が過ぎて行き、やがて歌は終ります。
会場は静まり返り声一つ出ません。誰もが一生懸命に子どもの病気が治るように祈っているように感じました。そこに一人の子どもが進み出て、握手を求めました。コトリ専務は穏やかな微笑みをたたえながら、そっと手を差し伸べられたのです。そこから、次の歌が始まったのですが、コトリ専務は歌いながら会場を回り、子ども一人一人に手を差し伸べていきます。手を握られた子どもは本当に幸せそうな笑顔になります。
歌い終わったコトリ専務は会場の皆さまの拝跪を受けるような状態になり、こぼれるような笑顔をされると振り向いて去って行かれました。ミサキも茫然としていましたが、コトリ専務が見えなくなったあたりでようやく我に返りました。ここで冬月さんなり、コトリ専務がアンコールを受ける予定でしたが、そんな状態ではなく、
「皆さま、本日は・・・」
終りの挨拶をしてなんとかコンサートを終わらせました。ここで本来は冬月さんの接待をしなければならないのですが、
「今日はチャリティだから要らないよ。その代りに夜は小島君を招待している。久しぶりに話をしようかと思って。そうそう、香坂君も来てくれるかい」
そう言われています。マルコにサラとケイを頼み、コトリ専務に連れられて店に向かいました。
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