キリスト論争

 そうそうミサキもクリスチャンになってます。マルコとイタリアで結婚式を挙げた時に入信したぐらいです。その方が波風立たないとも思ったのは白状しておきます。日本人にとって仏教からキリスト教に改宗したからと言って『あ、そう』ぐらいの反応しかなく、ミサキ自身もそんな感じですが、それでも一応クリスチャンです。


「コトリ専務、イエスとは何者だったのでしょう」

「キリストはんか、そうやなぁ、新興宗教の教祖ぐらいかな」


 キリスト教が新興宗教・・・コトリ専務の時間感覚からすれば、そうかもしれません。たかだか二千年ぐらいと言えてしまうのが怖いところです。


「やはり神だったのでしょうか」

「そうだって、聖書に書いてあるやん」


 そりゃ、そうなんですが、


「やはり神のような奇跡を起こされたのでしょうか」

「会うてへんから、その辺はよう知らん。それにキリストはんが生きとった時代はマイナーやったし」


 たしかに。キリストが活躍した時代にはコトリ専務はシチリアに移っており、パレスチナで活動してたイエスと会いようもありません。それでも同時代に生きていたというか、記憶を持つ人間と話をしているのは奇跡としか言いようがありません。


「でもコトリの一族みたいな神やったら、かなり特殊なタイプやと思う」

「かなりとは?」

「とりあえず武神とは思えん。考えられるとすれば男の恵みの神の生き残りになる」


 ミサキにも宿ってる神ですが、とにかく覇権欲の旺盛な武神のために、コトリ専務の記憶の始まる五千年前ですら数は絶滅危惧種並みに減っていたとなっています。神は武神と恵みの神の2タイプに大別されますが、女の武神と男の恵みの神は早くに絶滅したとなっています。


「これは自信があらへんけど、女の恵みの神もほぼ絶滅状態で、他に会ったことが無いぐらいやねん。下手したらアラッタの時の主女神が最後の生き残りに近かったかもしれへん」

「そんなに少なかったのですか」

「そうやねん。ただ生き残ってる可能性だけはあるねん。とにかく武神は覇権を目指すから表に出てくるし、出会えば必ず殺し合いになるんやけど、恵みの神は静かにしとったら、そうそう見つからへんのよ」


 そっか、神だからと言って必ずしも人に宿ってる神が見えるわけじゃなかったんだ。


「恵みの神にとって武神は天敵みたいなものやけど、非常に強大な力を持つ恵みの神なら、ほとんどの武神の目から逃げることが出来たとも言われてる」

「だったらイエスが男の恵みの神の可能性は残ると言う事ですね」

「まあゼロではない。聖書に書いてあることがある程度事実やったら、イエスが起こした奇跡は恵みの神の能力でほぼほぼ説明可能やねん。たとえばやで、マタイ伝の十七章一節の


『かくて彼らの前にてその状かはり、其の顏は日のごとく輝き、その衣は光のごとく白くなりぬ。』


 こうなっとるけど。これぐらいシノブちゃんでも出来るやんか」


 なるほど、そうだ。


「これもマタイ伝やけど二十一章十九節の、


『路の傍なる一もとの無花果の樹を見て、その下に到り給ひしに、葉のほかに何をも見出さず、之に對ひて「今より後いつまでも果を結ばざれ」と言ひ給へば、無花果の樹たちどころに枯れたり』


 これぐらいコトリでも出来るやんか」


 言われてみればそうだ。


「もう一個、これもマタイ伝で悪いけど十四章十四節の、


『イエス出でて大なる群衆を見、これを憫みて、その病める者を醫し給へり。』


 これはミサキちゃんでも出来るで」


 そうかもしれない。


「それにマリヤの受胎告知の話やけど、これはルカ伝一章二十八節からやけど、


『御使、處女の許にきたりて言ふ「めでたし、惠まるる者よ、主なんぢと偕に在せり」』


 いっつもそうしてる訳やないけど、出産前の胎児に宿る事も可能やねん。もっともそれしたら、出産の時に死んでもたら共倒れになりかねへんから、あんまりせえへんかったけど」

「それじゃあ、死後の復活なんて、女神にとっては普通というか、恒例行事みたいなものになりますね」

「そういうこと。復活の予言だって出来るやん。もちろんやけど、女神だって出来るというだけで、同じ種類の神とは断定はできへん。なにせ会うたことないし」


 一つ疑問に思うのは、


「でもイエスの生まれ変わりはどうなったのでしょう」

「いっぱいおるやんか」


 そりゃ、自称はテンコモリいますが、


「とりあえず男の恵みの神は知らんから推測になるけど、アラッタの時の主女神はイエスぐらい慈悲深かったと思うねん。そやけど、そこから千年ぐらい主女神の生まれ変わりと付き合ったけど、正直なところ殆どハズレやった。イエスの生まれ変わりもそうやったんちゃうかな」


 そっか、そっか、記憶を受け継がないタイプの神は宿った人間の性格が濃く反映されるから、イエスそのものが再出現することの方が珍しいのかもしれません。


「イエスが恵みの神の傍証として使徒の祓魔師の存在があるやんか。あれはユッキーと似た能力で、相手の神を自分に取り込んでしまうんや。これはユッキーだって、たぶんやけど女神相手にしか使えへん」

「使徒の祓魔師も女神には使えなかったみたいですものね」

「そういうこと、なんか取り込もうとしてたみたいやけど、あれじゃ、通用せえへんよ。でも性懲りもなく何度も来たんは、女神相手にやったことなかったんやろな」

「でもどうしてイエスは使徒たちにそんな能力を授けたんでしょう」

「護身用やろ。恵みの神は武神に弱いし、目の仇にされるところがあるからな」

「イエスが自分でやれば良かったのじゃ」

「これも『そんなもの』ぐらいしか言いようがあらへんねんけど、アラッタの主女神の事からわかるのは、人に与えられても自分では使えない能力があるみたいやねん。たぶんやけど、種類の違う能力の共存の限界みたいな感じかな。とにかくイエスもかなり力を持った神であったのは間違いないけど、記憶の引き継ぎ能力だけは欠いてみたいやし、それを他の神に与えることも出来んかったんやと思うで」


 コトリ専務でもこれぐらいしかわからないのであれば、この辺は『そんなもの』ぐらしか言いようがないし、


「ところで使徒の祓魔師と女神の仲が悪かったのは聞きましたが、恵みの神同士で争うのでしょうか」

「そこもわからへんとこやねんけど、とりあえず使徒の祓魔師もキリスト教徒になる率は高いやんか。これは時代が下るほどそうなるやん」


 そりゃ、そうだ。西洋では日本が仏教徒になるみたいにキリスト教徒になるものね、


「神を宿す人より劣るけど、使徒の祓魔師を宿してる人も出来がエエわけやねん。そういう出来の良い奴はキリスト教の坊さんになる率が高かったみたいやねん。でもって出世もするんよね」


 この辺はなんとなくわかります。要するに使徒の祓魔師もある種の能力に特化した神と考えれば良い訳です。


「これも『たぶん』ぐらいの話やけど、使徒の祓魔師の究極目標がエレギオンの女神を倒すことになってた感じがするねんよ」


 なんかありえそうなお話です。


「全部返り討ちにしたけど、余計に恨みを買ったのかもしれへん」

「抱えていた武神を式神として使われたんじゃないのですか」

「ビックリするぐらい雑魚ばっかりやった」


 これずっと思ってるのですが、コトリ専務は女神にしたら桁外れに強い気がします。もちろんユッキーさんはコトリ専務以上だし、眠っている主女神となるとユッキーさんの二倍ですから、いかに戦いに弱い女神にしても、かなりのクラスの武神でないと勝てない気がします。だからこそ生き残ってるんでしょうが、


「もう一つ聞いてもイイですか」

「な~に?」

「ベネデッティ神父にしろ、教皇にしろ富への執着が強いですが、使徒の祓魔師に共通するものでしょうか」

「ちゃうと思うで。だいたい聖職者も上に行くほどカネに執着するのは多いのよ。これは聖職者に限らずやけどな。その性格が強調されて反映してるだけ」


 人のサガってことなんでしょうねぇ。世の中で聖人は褒め称えられるけど、あれは数が少ないから褒められるのであって、殆どの人が聖人になったら褒められるのではなく、それが普通になっちゃいますから。

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