第7話 同じ結末は望まない
アレーセルの街に戻って来た私とお兄様は、ケントさんが紹介して下さった宿に一晩泊まる事になった。
部屋の内装は問題無い。出されたディナーも美味しかった。
ちなみに、ここの宿泊費はミンクレール商会が負担するのだという。私とお兄様への感謝の気持ちだとか。
事件の被害報告を出さなければいけなかったり、他にも色々とやるべき事があるだろうから、会長にはまた後日お会いする約束をしている。
「ほう? ケントとそんな約束をしていたのか」
「ええ。しばらくは家に戻るつもりはないので、それまではケントさんの所にお世話になろうかと」
テーブルを挟んで向かい合うお兄様は、私とケントさんが馬車で話していた内容を伝えると、少し驚いたように見えた。
「お前が俺と同じセイガフに入るとは意外だな。てっきり、レオノーラと同じ学院に行くつもりだと思っていたのだが」
「私も最初はそのつもりでしたけれど、考えが変わりましたの。もっと違う出会いが欲しいんです」
今年、最高学年の四年生となったお姉様が通うあの学院には、二年後にセグが入学する。
出来る限りもう彼とは接触したくないし、以前の人生では得られなかった新たな出会いが欲しいのは本当だった。
もう同じ失敗を繰り返さない為には、前回とは全く違う道を選んだ方が良いのではないか──と思ったからだ。
「俺は構わんが……母上が気掛かりだな」
「お母様がどうかなさいましたの?」
「お前が家を飛び出した後、ショックを受けたのか倒れてしまってな」
「ええっ!? そんな事になっていましたの!?」
「レオノーラが側で世話を焼いていたが、俺にはお前を見守るという役割があるからな。母上の事は任せてある」
社交界では、棘のある美しい薔薇のような女性だと
外ではきりりとした態度で立派に公爵夫人としての役目を果たすその一方、家では少し気弱な一面を見せる女性ではあるのだけれど──まさか、私が居なくなったショックでそんな事になるだなんて。
家族の前でだけは優しく穏やかな両親なのだけれど、やはりその性質はら子である私達にも受け継がれていた。
お兄様は私を甘やかすのがお好きだし、お姉様も何かと私に似合いそうだったからと、髪を編むリボンやアクセサリーを贈って下さる。
私だってそんなお兄様とお姉様が大好きですし、倒れる程に大切に想って下さるお母様の事を思うと……。
「一度、屋敷に戻ってはくれまいか? 明日には父上もお帰りになる。その際に母上も交えて、お前の将来について相談しよう」
「……確かにそうですわね。私は自分の意見を曲げるつもりは微塵もありませんけれど、ちゃんとお話する必要がありますわよね」
「では明日、屋敷に帰ろう。今日は色々あって疲れただろう? お前はそろそろ休むと良い」
そうして、その日の夜はお兄様に促されるままに早めに休んだ。
お兄様は念の為だと言って、寝ずの番をして私を守っていて下さった。まだ『ガリメヤの星』の連中が、どこかに潜伏している危険性があるかららしい。
翌朝、宿で朝食を済ませた後、お兄様の転移魔法で屋敷へ向かう。
お兄様が家出した私を連れ戻してくれたのだと使用人達は喜んでいたものの、私が戻って来た理由を聞いて複雑そうな反応を示す者が多かった。
すぐにお母様が休む寝室へ行き、そこでレオノーラお姉様とも顔を合わせた。
「あら、お帰りなさいレティ。昨日の運勢は上がり下がりが激しかったようだけれど、恋愛運はこの先絶好調よ?」
「お姉様の言う通り、良い事も悪い事も沢山ありましたわ。恋愛運に関しては、また後程詳しくお話を聞かせて下さいな」
学院の四年生は、卒業に必要な魔法の研究の為に、授業数が少なく設定されている。
お姉様は植物に関する魔法の研究をなさっている。
それには屋敷の庭を使うのが良いだろうと、授業に出る時以外はほとんど屋敷に居る事が多いのだ。
時々、趣味として誰彼構わず勝手に占い、その運勢を勝手に告げるちょっと不思議な女性である。
性格に関しては文句の付け所が無く、色気溢れる抜群のスタイルと美貌で社交界で、注目の的となっている自慢の姉だ。きっと、卒業して数年でどこかの良い家に嫁ぐのだろう。
前の人生ではそれを見届けられなかったから、今度こそはお姉様の花嫁姿を拝ませて頂きますわよ!
「レオノーラ。母上が目を覚まされたら、レティが帰って来たと伝えてくれ。父上が戻られ次第、家族会議を開く」
「ええ、確かに伝えておきますわ。それじゃあまた後で会いましょう」
悪夢でも見ているのか、
こんな風にさせてしまう程、辛い思いをさせてしまったのね……。
そして一時間後、お父様が視察から帰って来た。
丁度目を覚まされたお母様の支度が済んでから、家族五人で部屋に集まった。
何も知らないお父様に昨日の出来事を全て説明すると、お父様は言う。
「セグウェール王子との婚約を断り、屋敷を飛び出した後にスラムで誘拐未遂事件。偶然ミンクレール商会の息子に救われ共にアレーセルへ向かうも、会長と従業員が拉致される事件に巻き込まれ、レオンハルトとレティシアが犯人らを取り押さえたと……。何なんだろうな、このめちゃくちゃな大事件の数々は」
お父様は困惑した様子でそう仰って、私を見る。
「何故私の留守中に、これでもかとおかしな事が起きるんだ?」
「さあ……。何故なのでしょう」
そう答えながら、私は苦笑するしかなかった。
前の人生では、こんな事件が起きていただなんてちっとも知らなかったんですもの!
もし私が商会の事件を知っていればそれを阻止しようと動きますし、こんなに世間知らずでなかったらスラムになんて向かいませんでしたもの!
しかし、そんな事を言ったところで、私の身に起きている人生やり直し現象を信じてもらえる気がしませんものね。
「それでですね、お父様。私、そろそろ自立しなくてはならないと思いますの」
「な、何を言っているんだレティシア? 自立とはどういう事だ?」
「外に働きに出ますわ! もうミンクレール商会でお世話になる方向で話が進んでおりますの」
「あらまあ、大胆ねレティ」
「いけません! 今からでも王子殿下との婚約をお受けなさい、レティシア! 貴女が未来のルディエル国王の母となる、絶好の機会なのですよ!?」
お母様がここまで必死に説得するのは、私の幸せを思っての事だ。
貴族の女は、家の為により良い相手と結婚する宿命を背負わされている。
嫁に出した先の家から援助を受ける為だったり、互いの格を上げる為だったり……弱みを握られて結婚させられる場合もあるそうだ。
けれど、セグの評判はすこぶる良かった。
彼の外見は勿論、その性格も穏やかで、何より未来の国王たる人間なのだから。
そんな最良の男性と婚約する機会を自らぶち壊した私の将来を、お母様は心配なさっている。
……でも、お母様の望む道を私は歩みたくない。
今からでもセグに相応しい女性になれれば未来は変わるのかもしれない。
けれども、私の付け焼き刃の優しさでエリミヤに敵うだろうか?
そして何より、セグと顔を会わせるのは、精神的な負担が大きいと感じていた。
あんなに彼を愛していたのに。
あんなに彼の為に女を磨いていたのに。
あの頃の私に出来る全ての努力をしていたつもりだったというのに、私と全く違うタイプのエリミヤを……あの人は選んでしまった。
これから心も身体も成長して、あの頃と同じ姿のセグになっていくその過程を、離宮と学院で見続けていられる自信が──私には無いのだ。
もう一度彼の事を愛しても、今度はエリミヤ以外の花乙女を選んで、私はまた捨てられるのではないか?
花乙女というシステムの、とてつもない恐ろしさが私の心を締め付ける。
一番に選ばれた花乙女だった私は、彼との時間を最も長く共に過ごした少女だった。
少しずつ増えていく花乙女達の誰よりも美しく、賢く、そして才能があるのだと信じて疑わなかった……その自信が一瞬で砕け散った、王妃発表のあの瞬間。
私はもう、彼の婚約者であるという事実そのものに、大きな恐怖を抱いているのだから──
「……ごめんなさい、お母様。私は、セグウェール王子の隣に立つべき女性ではありません」
「何を言っているのです、レティシア! 貴女程身分も美貌も併せ持ち、そして年齢も近い子が他に居ますか!」
「それだけでは、彼には相応しくないのです。……私には、もっと大切なものが欠けています。例えるならば、お姉様のような、清い心が……」
彼は、私を選んではくれなかった。
けれど、それまでセグが私に向けてくれた愛は本物だったと……そう信じたい。
「お父様やお母様にはご迷惑を掛けてしまいますが、私は必ず彼にも負けず劣らないような、素敵な男性を見付けてみせます! その男性との結婚を決めるまで、家には帰りません」
「お前に出来るのか、そんな事が」
「お二人の自慢の娘ですもの。絶対に幸せになってやりますわ!」
「レティシア……!」
これぐらいの決意をしなければ、きっと私は自分を変えられないだろうから。
「父上、母上。レティの身の安全の確保は、俺とミンクレールの息子が保証する。奴もなかなかの男だ。セイガフでも、きっと上手くやれるだろう」
「良い男を捕まえるのは私に任せて下さいな、お母様。レティだけは自由にさせてあげられないかしら? この子には、自分の力で素敵な人と巡り合ってほしいのです。……それに、言っても聞かない子だというのはよくご存知のはずでしょう?」
「レオンハルト……レオノーラまで……」
お母様はそれきり黙ってしまって、その代わりにお父様が重い口を開いた。
「……一度言った言葉は曲げてはならんぞ。必ずお前に相応しい相手を見付けるのだ」
「許して下さいますの!?」
「ただし、変な男を連れて挨拶に来たらただでは済まさんぞ! それから、たまには手紙くらい出すように! 良いな!」
「はいっ、お父様!」
こうして私は家を空ける許可を得て、その日の午後には荷物を纏め終えた。
今回は屋敷の人間が総出で私を見送ってくれた。
お父様だけは来てくれなかったけれど、あの時お許しの言葉を下さった声が泣き出しそうな程震えていらしたから、今頃部屋で一人涙を流しているかもしれませんわね。
皆の思いに包まれながら、私は生まれ育ったアルドゴールの屋敷を、以前の人生とは違う形で離れる事になるのだった。
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