前兆の予感
コトリ部長のアラフォー・パーティーは大成功に終わりました。ミサキはコトリ部長とシノブ部長が、首座の女神のユッキーさんに会いに行く前に行われたお別れパーティを思い出していたのですが、もうあんな怖い思いは二度とないはずです。
コトリ部長はジュエリー事業本部長ですからミサキの上司の関係ですが、相変わらずちょくちょく飲みに連れて行って頂いてます。ただ総務部長も兼任されているだけでなく、ブライダル事業の指揮も実質的に取られているので、とにかくお忙しい。そうそう、
「上級執行役員就任おめでとうございます」
こう言ったら、
「なにがおめでたいもんか、責任ばっかり負わされてエエことないよ。それに出席せんとアカン会議が増えて大変なのよ」
コトリ部長の忙しさは目が回るぐらいといって良く、シノブ部長が育休中のため情報調査部の仕事も一部引き受けざるを得なくなってるようです。シノブ部長は情報調査部のレベルを飛躍的に引き上げましたが、それでもシノブ部長の分析能力が必要とされるケースが少なからずあるのですが、本人不在のためにコトリ部長がやらざるを得ないってところです。
会社の業績の方はブライダル事業の成功と、ジュリー事業が滑り出し好調もあって順調のはずなんですが、コトリ部長は気になる事があるようです。会社のメイン事業はやはり主力ブランドのクレイエール事業です。
「クレイエール・ブランドは長年かけて育て上げたものだけど、ちょっとね」
「ちょっととは」
「少し食われてるのが会議で問題になってるの」
この辺は話を単純化しますが、マーケットにはパイがあり、これを同業他社と食い合ってるのですが、長年の競争の末にそれなりに棲み分けている部分もあります。その会社によって得手不得手があり、強いところはガッチリ押さえて、弱いところを食い合ってるぐらいのイメージでしょうか。
「クレイエール・ブランドは長い間、わりと安定してたのよね。それで油断していた訳じゃないと思うけど、今年の決算では計画販売量をだいぶ下回って、減収減益になってるの」
コトリ部長の話では、その程度の変動はこれまでもあった事で、それだけで会社の経営がすぐに云々には程遠いそうですが、
「とにかくクレイエール・ブランドが会社の売り上げで占める割合は大きいのよね。大きすぎたから、これの比率を下げるためにブライダルやジュエリーにトライしたぐらい。主力のクレイエール・ブランドに左右される部分を少しでも減らそうぐらいのところかな」
いわゆる多角化だと思います。
「ブライダルとジュエリーは成功してるんだけど、決算で言えばブライダルとジュエリーが増えた分だけクレイエールが落ち込んでいる関係になるのよ」
「それじゃ、結構食われたのですね」
「まあ、そうなる」
珍しくコトリ部長は真剣な顔をしています。
「食われた原因もはっきりしていて、ラ・ボーテに食い込まれたんだけど、このことについて社長も副社長も楽観的なの」
「どうしてですか」
「ラ・ボーテの社長は原口精一氏なんだけど、コトリも良く知ってる人物なの。コトリだけでなく河原崎社長も、綾瀬副社長も、高野専務もよ」
「業界の有名人なのですか」
「ラ・ボーテの原口社長はうちの前副社長なの。ミサキちゃんが入社する前に社長の椅子を狙ってクーデーター未遂事件を起こして辞職したのよ」
コトリ部長によるとラ・ボーテの原口社長のクレイエール時代の評判ははっきり言って冴えないものです。独善、狭量が鼻に付いて人望が乏しくて、手腕に付いてもイマイチで、解任の直接の理由にもなったクレッセント事業の失敗で象徴されています。
「原口社長はうちを辞職した後にラ・ボーテに拾われた格好なのよ。なにを見込まれたのか『わからない』って綾瀬副社長も笑ってたし、ラ・ボーテ自体もどうってことはなかったの。それが去年ぐらいから急に伸びて来たのよね」
「そうなんですか」
「社長も副社長も『まぐれ当たり』で少し足元をすくわれたぐらいの見方なんだけど、コトリはなんかイヤな感じがしてるの」
「イヤな感じとは?」
「まだわからない。理由ははっきり説明できないけど、まぐれ当たりで終らない予感がしているの」
当面の対策は宣伝強化と価格戦略の練り直しで対応となったようですが、
「コトリもそれぐらいしか思いつかなかったから、とくに意見はしなかったんだけど、どうにも打つ手が読まれてる気がしてならないの。うちがそうするのは誰が見てもわかる対策だから、読むこと自体は難しくないけど、その一歩先、二歩先を読まれて動かれる気がしてならないの」
「でも、他に対策と言われても・・・」
「まあ、そうなんだけど、なんとなくだけど広告部長の先行きが暗そうに感じてならないの。会議では『おまかせ下さい』って胸張ってたけど、来年の今頃に会議にいない気がしてる」
そう言えば首座の女神のユッキーさんは先を見ることが出来る話を聞いたことがあります。記憶の封印を解かれたコトリ部長もまた見えるようになって来ているのでしょうか。
「見えるのですか?」
「あは、ユッキー程には見えないよ。でも、少しぐらいはね。ただ、今のところは見えた訳じゃなく、単なる予感程度よ。外れたらイイんだけどね」
その後のコトリ部長はいつもの笑顔に戻りましたが、なにかを気にしているような感じがずっとします。思い切って聞いてみました。
「やはりシノブ部長じゃないと相談相手になりませんか」
「そんなことないよ、ミサキちゃんで十分よ。コトリにはまだイヤな予感がするだけで、愚痴ってるだけ。だって、今の段階じゃ、社長の方針以外に対策が思い浮かばないんだもの。懸念だけで終わってくれると嬉しいんだけど」
ミサキはまだ係長でコトリ部長ように経営の中枢に参加するには遠い位置にいます。こうやって相談されたところで相槌を打つぐらいしか出来ません。ただ、何かを感じます。コトリ部長は単純に経営問題だけを気にしているように思えないのです。
経営問題は連動していますが、これはむしろ結果が現われているだけで、本当の原因は別にある感触をコトリ部長は抱いているのじゃないかと。さらに、それが何かについて、コトリ部長は既に何か思い描いているものがありそうな気がしてなりません。最後にコトリ部長は、
「とにかく忙しくってさぁ、さすがのコトリでもこれだけ兼任、兼任じゃ、ゆっくり考える時間がなくなっちゃってるの。来週の仕事も、考えるだけでウンザリするぐらいあるのよ。それでね、ミサキちゃんにお願いがあるの」
コトリ部長のお願いとは、秘書役になって欲しいです。正式の専任秘書が付くにはまだコトリ部長は早いのですが、コトリ部長のあまりの多忙さは重役会議でも問題になり、内諾を得ているそうです。
「近々、指示が出ると思うからよろしくね」
そう言って帰られました。
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