第22話 レストラン見学会泥酔事件―こんなにもお酒に弱いとは思わなかった!

調理師専門学校は1年間なので、3月に卒業の予定だけど、そろそろ就職先を決めたいと思っている。


「専攻はフランス料理だけど、実際のレストラン、特に高級なレストランに行ったことがないので、どこかに連れて行ってもらえませんか、お金はかけなくていいですから」


「そういえば、久恵ちゃんとレストランで食事したのは、上京した時の案内で銀座のレストランで食事してからずっと行ってないね。ごめんね、気が付かなかった。もっと外食する機会をつくるべきだった。いいよ、適当なところを探しておくから。久恵ちゃんと二人でレストランで食事か、楽しみだ」


そういって、パパは嬉しそうに引き受けてくれた。


そういえば、パパはあまり外食が好きでないみたい。一人で生活している時も外食はほとんどせず、自分で作るか、スーパーかコンビニで総菜を買てくるか、弁当を買ってきて食べるという生活をしていたという。


理由を聞くと、食事の時に必ず晩酌をするので、酔いが回って気持ちよくなってきたところで、家に帰らなければならないのが面倒だとか。私と同居するようになってからも、缶ビールか缶チューハイを1本かウイスキーの水割りを飲んでいる。ただし、休日は飲まない。


1杯飲みながら食べた後、少し酔いの回ったところで、ゴロっと横になって、テレビを見たり、うたた寝をするのが好きだと言っていた。そういえば、食事の後はいつもごろごろしていることが多い。


今度の金曜日の午後6時に第1回レストラン見学会開催ということで、銀座の有名ホテルのメインダイニングに予約を入れてくれた。


◆ ◆ ◆

当日、ホテルのロビーで待ち合わせることにした。パパは会社の帰りにそのまま直行するという。私は一度家に帰って着替えをしてホテルへ向かうことにした。着ていく服がなかなか決まらないので、家を出るのが遅れてしまって、6時過ぎに走ってロビーにたどり着いた。


「ごめんね、服を合わせるのに時間がかかってしまって」


「とっても素敵だ。見違えた。久しぶりだね、レストランで食事なんて」


「ごめんなさい。無理を言って」


「いやいや、こんな楽しい無理なら大歓迎だ、気にしないで、いざ見学に」


「嬉しい」


パパは上機嫌だ。私をエスコートしてメインダイニングへ向かう。パパが受付で予約を告げると年配のウェーターが席に案内してくれるが、少し緊張している二人をどう見ているのか興味深々だ。


席に着くと椅子を引いてくれる。さすがに一流レストラン。着席して渡されたメニューを見る。フランス料理だからフランス語も書かれている。日本語とフランス語を照らし合わせて読んでいる。


事前に打ち合わせたとおり、パパが今日はアラカルトでと告げると、ウェーターは少し残念そうに、お飲み物はと聞く。パパはビール、私はジンジャエールにした。


それぞれサラダとスープをチョイスし、メインはフィレステーキとした。デザートはセットメニューを注文した。パパはメインの時に、赤のグラスワインを二人にと注文した。


「シャーベットは、本当はソルベットというのを知っている? 英語で発音するとソルベット」


「知っている。フランス語ではソルベ、習ったから」


「ハンバーガーは注文するときにはサンドイッチ、ハンバーガーだけほしいときはジャスト・サンドイッチ」


「知らない。へー、パパ英語できるの」


「2年間ニューヨーク勤務をしたことがある」


「知らなかった。それで食事はどうしていたの?」


「赴任した始めのころは、毎日夕食はその辺のレストランで食べていたけど、注文は、いつもビール、シーザースサラダ、ステーキ、ソルベット、コーヒーだった」


「いくらくらいかかるの?」


「チップも含めて20ドルから40ドルくらいだったかな」


「結構かかるね」


「毎日、ステーキを食べていたなんてパパらしいわ」


「僕は気に入った食べ物があるとすぐに何回も繰り返して食べてしまう癖がある。だから、せっかく美味しいものでも、すぐに飽きてしまう。今は美味しいものがあっても、できるだけ食べないようにしている」


「私もそうかもしれない。気に入ったものがあるとすぐにやみつきになってしまって、マイブームと言っているけど、ブームが去るのもあっという間」


「ハンバーグの代わりにチキンを挟んであるサンドイッチが好きになって、週に3~4回買っていたら、店の女の子にソースの好みを覚えられて、こちらが言う前に『ハニーマスタード?』と確認されるようになった」


「日本人だから覚えられたのね」


「そのとき『ジャスト・サンドイッチ』を覚えた」


「確かに実用英語ね」


「それから、事務所の人にデリカテッセンで総菜を買うことを教わった。まあ、総菜屋さんのことで肉料理からシチュウ―、スープ、サラダ、フルーツなどを売っている。パックに好きなものを好きなだけ詰め込んでレジに行く。丁度、ビュッフェスタイルの食事でお皿に料理を盛りつける感じかな。レジでは重さをはかって料金が計算される」


「料理ごとに料金が決まってはいないの?」


「計算がめんどうなのか、どこでもそうだった。それに肉料理は少量でも重いけど野菜サラダはかさが多くても軽いからシンプルで合理的だと思った」


「それはそうね」


「でも毎日これが続くと、さすがに日本食が食べたくなって」


「分かる。その気持ち」


「日本食の食材屋でお米と冷凍のウナギのかば焼きとたれ、それにパック入りの豆腐、即席みそ汁、醤油を買って、自分で鰻重定食をつくって食べた。もう最高にうまかった。日本人に生まれてよかったと、つくづく思った。それからは自炊することにした」


「食材って高いの?」


「日本食の食材屋は日本から取り寄せているので、値段は高め。お米は米国産で安かったし、味もよかった。スーパーでは肉類はすごく安い。普通のステーキなら1ドルから2ドルくらい、すこし良い肉でも5ドルも出せば十分。野菜や果物も安い。自炊すると食費はとても安く上がった」


パパがうれしそうに話してくれる。そういえば、パパはあまり自分のことを話さない。聞くと話してくれるから、もっと聞かなくちゃ。


「聞き上手だね」


「パパの話、面白いし、聞くのは好きよ」


そこへ料理が運ばれてきた。私は海外での生活や、今の会社の仕事など、いろいろなことを聞いたので、話がはずんだ。パパは私とこんなに話をしたのは初めてでとても楽しいと喜んでいた。


話に夢中になって、私はメインの時に頼んだグラスワインを空けてしまった。


「お酒強いの? 大丈夫?」


「弱いけど、飲みやすいから知らないうちに飲んじゃった。大丈夫かな?」


「まあ、僕がいるから安心していいよ」


「ママもお酒はだめで、飲んでいるのを見たことなかったけど、私もダメみたい。成人式の後にビールをコップ半分飲んだけど、ひどく酔いが回ったのを覚えているから」


「ワインは度数が高く口当たりが良いからパパも注意している。以前、送別会で飲み過ぎてひどい二日酔いで死ぬ思いをしたことがある。その時はボトル2本位飲んだと思う。どんどんワインを追加した幹事が悪い」


「飲んだ本人が一番悪いと思うけど」


「レストランではハウスワインをグラスで頼むのが一番、1本では多すぎる。レストランが厳選しているので値段の割に美味しい。ただし、ワインは日本酒と同じで後から回るから飲み過ぎは禁物だ」


デザートの後、コーヒーを飲み終えて退席した。これで第1回レストラン見学会は終了した。パパがレジでカードを出して支払いを済ませる。


「ありがとう。ご馳走様でした。ゴールドカード、かっこいい」


「就職したらカードを作ったらいい」


「私は、いつもニコニコ現金払い、無駄使いするからカードなんか作るつもりはありません」


「堅実なんだ!」


それから、有楽町駅までゆっくり歩いた。昼間暖かかったので薄めコートにしたらすこし寒いので、腕を組んで身体を寄せて歩く。パパも悪い気はしないみたいで黙って歩いている。週末で、周りは腕を組んだカップルが多いので目立たない。


五反田駅でエスカレーターを昇って、池上線に乗り換え。1本電車を待って二人座って帰った。


ただ、座席に座ってからは断片的な記憶しかない。急に酔いが回ったみたい。雪谷大塚駅で揺り起こされて駅を出たのは憶えている。パパに抱えられて気持ちよく帰った記憶がある。身を任せている安心感と快い酔い心地だった。


部屋で介抱されて寝かせられた。この時とばかり酔った勢いで「大好き」と言ってパパに抱きついた。パパは一瞬緊張したみたい。そっと腕をほどいて、私に布団をかけたのは憶えている。それから朝まで爆睡した。


◆ ◆ ◆

朝、目が覚めて、パジャマに着替えていないのに気が付いて、飛び起きた。断片的な記憶をたどると、帰りに酔いが回って、すぐに寝込んだことが分かった。


パパはもう起きているみたい。部屋のドアをノックする。


「パパ、ありがとう、昨夜はごめんなさい。酔っ払ってしまって」


「調子はどう?」


「パパと一緒だからよかった。ほかの人とだったらどうなっていたことかと考えるとゾッとする。もう、絶対にお酒は飲まないから」


「二日酔いはどう?」


「ぐっすり眠れて気分爽快、あとで一緒に散歩に行きましょう」


それから、パパは、2回、渋谷と新宿のホテルでレストランの見学会を週末に催してくれた。もちろん、私はお酒なしだった。


私は、広尾の通りから少し入ったところにある中堅のホテルにコックとして就職することになった。

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