パパか恋人かどっちなのはっきりさせて!
登夢
第1部 気ままな専門学校生編
第1話 義理の叔父さんがパパになった訳
4月の朝、5時に目覚ましが耳障りの悪い音を鳴らす。ギリギリまで寝ていたい私は目覚ましを起きる時間きっかりに合わせている。
まだ薄暗いけど、すぐに起きなきゃ。私は家事をして学校へ行かせてもらっている身、寝過ごすことはできない。部屋のドアをそっと開けて洗面所へ向かう。ドアにカギはかけていない。
パパは私に夜は部屋の鍵をかけておくようにと言っているけど意味不明。自分への戒め? 私の部屋に押し入って私を無理やりなんて考えることでもあるのかしら? それの裏返し? それなら堂々と入ってきてほしい。
私はもうここへ来ると決めたときにとっくに覚悟はできている。いや、そうなってほしいとさえ思っている。私はパパのお嫁さんになりたいと思っていた。ここへ来るときの決心は今も少しも揺らいでいない。
洗面所でも音がしないように歯を磨いて顔を洗うと、すぐに部屋に戻って身支度を整える。それからキッチンで朝食の準備をする。
朝食はトーストにマーガリンを塗ってブルベリージャムを載せたもの、牛乳、6Pチーズ、プレーンのヨーグルトにフルーツゼリーを加えたもの、リンゴとバナナ。
一人で生活していた時と同じにしてほしいと言われて準備している。免疫能が上がる健康を考えての献立だとか。今の会社の研究所にいたことがあると言うけど本当にそうなの? 私の好みの1人分を別に作るのも面倒なので、これを二人分用意している。
5時半になるとパパが起きてくる。洗面所で歯磨き、お髭を剃り、顔を洗ってから、部屋に戻ってスーツに着替えて、リビングダイニングに来て、二人で朝食を摂る。
「おはよう」
「おはようございます」
「パパの今日の予定は?」
「今日は記者クラブとの交流会で遅くなります。2次会まで付き合う予定だから帰りは午前様になるかもしれません。夕食はパスでお願いします」
「了解」
「久恵ちゃんの予定は?」
「学校の友達と帰りにショッピングに行く予定です。7時前には帰ってきています」
「お小遣いはあるの? 足りなければ遠慮はいらないからね。前借りもOKだよ」
「ありがとう、大丈夫です。十分にあるから」
「東京にはまだ慣れていないから、気を付けてね」
「大丈夫、パパこそ飲み過ぎに気を付けてね」
パパは6時半過ぎに出勤する。こんなに早く出勤する必要があるの? 最寄りの駅は池上線の雪谷大塚だけど、健康のためとか言って、東横線の自由が丘まで約25分かけて歩いているという。まだ、若いのにそんなに健康を気にする? 飲み過ぎにもっと気をつければいいと思う。
パパの名前は
ここのところ楽しそうで機嫌が良い。元々性格は穏やかな方で今まで怒ったことは一度もない。極めて精神が安定していて、気難しいところがなくて、言いたいことを言っても軽く受け流してくれて、安心して一緒に暮らしていける。
ただ、超真面目で男性としてはドキドキ感が無くて少し物足りない。年齢差が18歳もあるとこうなのかな。私がちょっと挑発するとドギマギしているのに平静を装うところはやはり大人を永くやっていることはある。
私は
去年の12月9日、両親が突然の自動車事故で他界した。もらい事故で、居眠り運転の車が車線をはみ出して、対向車線を走っていた義父の車に正面衝突した。助手席の母は即死で、義父は1日後に死亡した。私は友人と別行動をしていた。
昼頃スマホに祖母から連絡が入り、その事故を知った。病院に駆けつけると母はもう帰らぬ人となっていた。死に顔は安らかできれいだった。あまりに驚いて泣くこともできず涙も出なかった。
私は義父が生きているのにほっとした。義父が生きていてくれたら、ママの代わりができる、そう思った。大好きな義父と二人で暮らせる、そう思った。そんなことを思っていたから
義父は危篤状態で意識が混濁していた。医師からは内臓が損傷しているので、ここ1日がやまと言われた。
義父は意識が朦朧とする中「パパしっかりして」と呼びかける私に気が付くと手を握って「康輔叔父さんを頼れ、いいね」と譫言のように繰り返し言っていた。
6時過ぎになって、康輔叔父ちゃんが東京から到着した。「兄貴しっかりしろ」と叫んでいたが、義父の意識が一瞬もどり、叔父ちゃんと分かると「康輔か、どうか久恵を頼む」というのが聞こえた。
義父の意識は段々と戻らなくなり、1日後に息を引きとった。涙が溢れて止まらなかった。ただ、泣いてばかりはいられない。私が喪主を務めなければならなかった。
葬儀社との打ち合わせなどは叔父ちゃんが全部してくれたが、弔問客からの挨拶は私が受けるしかなく、挨拶を受けるたびに悲しみが募っていった。
葬儀を終えて家に帰り、改めて両親の遺影と遺骨の前に座ると、もう泣く気力も残っていなかった。ただ、一人ぼんやりとしているだけだった。
この先、どうしよう。義父だけでも生きていてくれたら、何度もそう思った。そして、義父の「康輔叔父さんを頼れ」と言っていたことが耳に残って離れなかった。
あれから何日経ったか分からない。これじゃだめだと思うようになってきた。何とかなる、でも何ともならない、これからどうしよう。
叔父ちゃんは帰省するたびに私を訪ねて励ましてくれていた。叔父ちゃんは義父の弟だけあって、義父の面影があった。時々私をじっと見ているのに気づいて、叔父ちゃんを見ると慌てて目をそらした。あの目は男性が女性を見る目だと直感的に思った。私はもう20歳になっていた。
叔父ちゃんは私のことどう見ているの? ひょっとして好かれている? 私は胸が熱くなった。一人ぼっちになったと思っていたけど、叔父ちゃんがいた。その時、義父が「康輔叔父さんを頼れ」と言っていた意味が分かったような気がした。
義父は再婚だった。母はシングルマザーで私を一人で育ててくれていたが、義父の会社でパートとして働いていたのが縁で結婚することになった。義父は実家で祖母と同居していたが、結婚を機に近くに中古の住宅を購入して、私たち家族3人で生活を始めた。
叔父ちゃんとは両親の結婚式の時に初めて会った。当時、私は中学1年生だった。
「久恵ちゃん、新しく叔父さんになる康輔だけど、よろしくね」
「久恵です。こちらこそよろしくお願いします」
「久恵ちゃんのような可愛い姪ができてうれしいよ」
義父よりも5歳年下で、その時は30歳を過ぎていたくらいだった。私からは歳は離れているけど若々しい叔父さんと言った感じだった。私は小さい時からイケメンの男の子が好きになる方だった。義父もイケメンだったけど、叔父ちゃんの方がより私好みだった。お嫁さんになるなら叔父ちゃんみたいな人がいいなと思っていた。
その後は年に1回くらい、叔父ちゃんが帰省した時に会う機会があったけど、会ったのはせいぜい3、4回だったかな。会えば、お年玉やお小遣いをくれた。唯一人の姪だから可愛がってくれたのだと思う。
◆ ◆ ◆
2月の初めに叔父ちゃんが家を訪ねて来てくれた。まず、両親の遺影にお参りしてくれた。
もう49日も過ぎて、私は落ち着きを取り戻しつつあった。学校へも行き始めていた。せっかく義父が私の将来を思って進学させてくれたのだからなんとしても卒業はしなくてはならない、そう思って期末試験に備えていた。
叔父ちゃんは義父の会社の負債や家や財産の状況を説明してくれた。義父は実家の家電サービス会社を継いで一生懸命に経営していた。しかし、義父の死により経営が破たんしたという。
銀行からの融資残額が4,000万円近くあり、ほかにも会社の整理にお金が必要なので、事故の保険金や3人が住んでいた家と祖母が住んでいる実家を売却して、これに充てることにしたという。
叔父ちゃんが仕事で世話になった弁護士さんに頼んで、なんとか借金が残らないように収拾できるようで、私にも当面の生活資金が残るという。
両親は実家の祖母の面倒も見ていたが、これもできなくなるので、祖母は高齢者専用住宅に入居すると聞いた。祖母は気丈で会社の始末は私がつけると言って義父の名義になっていた実家の売却を承諾したという。
祖母には幾ばくかの預金と祖父の遺族年金があり、叔父ちゃんも面倒を見るので、今後の生活については困らないと聞いた。
「分かりました。叔父ちゃん、ありがとう。両親がご迷惑をかけました」
「いや、それよりも久恵ちゃんの今後の身の振り方について相談しよう。3月に短大(短期大学部)卒業だよね。就職は決まっているの?」
「公務員試験受けたけど不合格だった。銀行の求人に応募したけど不採用で就職活動中。3月までに良い就職先が決まらなければ、パパの会社のお手伝いをすることになっていたけど、こういうことになって」
「住む家がなくなるけど、どうする? 就職先も見つかっていないし、良かったら東京の叔父さんのところへ来ないか? 一部屋空いているから。叔父さんは兄貴から久恵ちゃんのことを頼まれているから力になりたいと思っている」
「ありがとう。心配してくれて」
「短大の専攻は?」
「コミュニティー文化学科。私、お勉強にはあまり向いてなくて、パパには高校までで良いといったけど、これからは女の子でも大学まで出ておいた方よいと言い、それでは迷惑がかかると断ったけど、お嫁に行く時も今では短大くらいは出ていないと相手の両親が気に掛けると説得されて、短期大学部に入ったの」
「久恵ちゃんは何がやりたいの?」
「やりたいことがよく分からないんです」
「何が好きなの?」
「強いて言えば、お料理かな。ママに教えてもらっていたけど好きです。ママは料理が上手で、パパが美味しい美味しいと食べていました。それを見ていたから、私も料理が好きになり上手になりたいと思うようになりました」
「料理か・・・」
「これからは女子も自立できなくてはいけないと思う。兄貴も久恵ちゃんが自立できるようにしたかったのだと思う。東京へ来ても今からでは大きな会社への就職は難しいけど、派遣社員になれば何か仕事はあると思う」
「それでもいいけど」
「だけど自立するには、何か手に職をつけるとか、資格を持っていないとだめだ。叔父さんの提案だけど、好きな料理の勉強をするのはどうかな?」
「料理の勉強って?」
「東京へ来たら、調理師の学校へ行ったらいい。1年位で調理師免許がとれると思う。給料は底々だけど、就職口は沢山あると思う。好きなことを仕事にするのが一番良い。好きなら頑張れるし、上手くなる。才能があれば一流にもなれるし、お金は後からついてくる」
「叔父ちゃんはどうだったの? 今の仕事は好きなの?」
「ううーん、いろいろあって今の仕事をしているけど、やっているうちにやりがいがあると思うようになって好きになった。仕事ってそんなものかもしれないね」
「調理師の学校か、料理を基礎から勉強したいから行ってみたい。東京へいきます。お願いします」
「学費は叔父さんが出そう」
「そんな迷惑かけられないわ。少しだけどお金があるから。住まわせてもらうだけで十分です」
「兄貴との約束を果たすだけだから、気にしないで。叔父さんにまかせて」
「でもそれじゃー・・・・愛人になって、そのお手当ということでは?」
「ええ! 驚かすなよ」
「へへ冗談」
「そんなこと二度と口にしないで」
「ごめんなさい」
ちょっと反応を見るために言ってみたけど、叔父ちゃんの驚き方が面白かった。もしそうなったら、一石二鳥、生活は保障されるし、叔父ちゃんも私のものになる。言ってみるだけ言ってみたけどやっぱり、そうはうまくいかないか?
「だったら、家事をやってもらうということでどうかな? 掃除、洗濯、料理など家事一切をお願いする。学費と生活費とお小遣いは叔父さんが負担する」
「家事をすることでいいのなら、そう難しくないし、気が楽なので、それでお願いします。叔父ちゃんの家計は大丈夫?」
「叔父さんはこの歳だから妻子を養えるぐらいの給料は貰っている。久恵ちゃんを扶養家族にするから、税金も安くなるだろうし、健康保険も大丈夫だから」
「親身になってくれて、何から何までありがとうございます。よろしくお願いします」
「一緒に暮らすことになるけど安心していていいから。叔父さんは、昔、研究所にいるとき、『乾燥剤』と言われていたくらいだから」
「乾燥剤?」
「書いてあるだろう。人畜無害、でも食べられません!」
「そんなことないです。とても素敵です」
それから、叔父ちゃんは実家の整理や祖母の引越しのために何回か帰省してくれた。そのたびに、叔父ちゃんは私を励ましに家に寄ってくれた。私は3月末までこれまでどおり家に住むことができて、両親の持ち物の後片付けをしながら、短大を卒業することができた。
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