第125話 すり抜けていく(アルフォンス視点)
俺は部屋に戻ったあと、護衛のディルクに行き場のない思いをぶつけるように呟いた。
「ルイーゼを見つけた」
「なんと……」
俺は髪の色を変化させるネックレス型の魔道具を首から外した。視界に入っている焦げ茶色の前髪が銀色へと戻っていく。そのあとドスンとソファに腰を下ろして、両手で顔を覆って大きな溜息を吐いた。
やるせない思いで胸がいっぱいだった。この国へ来て三日経つ。前もって手配して借りたこの民家を拠点にして、本腰を入れてルイーゼを探そうと決めた。ジークベルトは王宮に滞在してはどうかと提案してきたが、ルイーゼが王宮の外にいる可能性が高い以上、王都の街中に拠点を置きたかった。そのほうが動きやすいと思ったからだ。
それに王宮の中には、ルイーゼを攫った首謀者とされるシュレマー公爵がいる可能性が高い。ルイーゼの敵は俺の敵だ。俺自身がシュレマー公爵の手にかからないとも限らない。王宮の誰に奴の息がかかっているかも分からない。
誰が敵か味方か判断が付かない魔窟になど滞在できるわけがない。街のほうが安全だ。そう言ったらジークベルトは「確かにそうかもしれない」と苦笑して、この借家を紹介してくれた。
この三日、町の中で聞き込みをしながら、ルイーゼを探して歩き回った。ルイーゼは美しい少女だ。どこかで悪意ある者に囚われているかもしれないと思うと、気が気ではなかった。一刻も早く見つけ出して連れて帰りたい。もう大丈夫だと抱き締めて安心させてあげたい。日を追うごとに焦る気持ちが大きくなっていく。
(もしこのまま見つからなかったら……)
ルイーゼにはもう二度と会えないかもしれない。胸の中で次第に大きくなっていく不安に飲み込まれそうになる。ルイーゼのいない人生など、もはやどう呼吸していいかも分からなくなりそうだ。まさかこの俺が、女性のことでここまで気持ちを擦り減らす日が来るとは、夢にも思わなかった。
そうして今日街へ出て何の手掛かりも得られなかったら、マインハイムの貴族を一つ一つしらみつぶしに訪問しようと思っていたところだった。その矢先に街の雑踏の中に、あの柔らかな蜂蜜色の金髪を見つけたのだ。
少女は以前のような華やかな外見ではなかった。あのくるくると巻いていたフロールウサギのようなフワフワした髪型は跡形もなく、シンプルに一つに纏め上げられていた。化粧っ気も全くなかった。まるで町娘のような簡素な装いに身を包んで、貴族令嬢といった雰囲気は全く残っていない。
だが見ているだけで穏やかな気持ちになれそうな、あのエメラルドグリーンの瞳……。以前の柔らかな面影はそのままだ。あの少女は間違いなくルイーゼだった。それなのに……
「彼女は……逃げたんだ。俺の顔を見て……」
「そんな、まさか……」
ルイーゼが俺の顔を見て踵を返したのを見て、まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えた。なぜ俺の顔を見て逃げるのだと、すぐに捕まえて問い質したい気持ちでいっぱいになった。本当は以前もずっと俺から逃げたかったんじゃないだろうかとすら思った。
(そういえば、以前は俺から離れるために、わざと派手に装っていたことがあったな……)
段々思考が悪いほうへと向かっていく。ルイーゼがまた俺から離れようとしているんじゃないのか。本当は俺と結婚などしたくないんじゃないのか。
へこんで肩を落としている俺の思考に気付いたのか、ディルクが気遣わし気に声をかけてくる。
「ルイーゼさまは殿下だと気付かなかったんじゃないですか? 髪の色が違いますし」
「……そうかもしれないが、それにしたって逃げる必要はないだろう?」
「この国に来てから、知らない人に追いかけられたら逃げなければいけないという警戒心でも芽生えたんじゃないですかね? 物騒な国ですから」
「……」
ディルクの言うこともまんざら外れてはいないのかもしれない。けれど俺の顔を見たときにルイーゼが一瞬浮かべた表情が、今にも泣きそうな悲しげな顔だったのだ。知らない男を見て怯えたという感じではなかった。
ルイーゼを追った。声もかけた。けれどルイーゼは一度も俺を振り返ることはなかった。そして結局この手がルイーゼに触れることは叶わなかった。
見失ってしまったと分かったときには、膝からくずおれそうな脱力感に襲われた。絶望した。折角見つけたのに、ルイーゼは俺の顔を見て逃げたのだ。こんなの、落ち込むなというほうが無理だ。
「はあ……」
「殿下……。ルイーゼさまが少なくともこの町にいることが分かっただけでも、大きな収穫だったのでは?」
「うん、それはそうなんだが……」
もし見つけても戻りたくないと、顔も見たくないと、そう言われたらどうしようという不安が湧いてきたのだ。だがルイーゼは我がルーデンドルフの国民だ。俺との結婚はとりあえず置いておいても、このような危険な国にいつまでも住まわせておくわけにはいかない。結婚などはそのあとの問題だ。
「それよりも殿下、ジークベルト殿下より招待状を預かっております。失礼ですが先に中を確認いたしました。一週間後に王妃陛下主催で王宮にてお茶会が開かれるそうです」
「ふむ」
ディルクから渡された招待状を開いて詳細を確認する。国王陛下を除く王族とその側近、そしてそれぞれの婚約者や友人を招いてのお茶会ということだ。俺はジークベルトの友人のルーデンドルフ王太子として招待されるらしい。
「参加されますよね?」
「……こんなことをしにこの国へ来たのではないのだがな」
「ですが、ジークベルトさまの立場を確固たるものにするためには」
「ああ、出席するべきだな。分かっている」
以前ルイーゼも交えてジークベルトと秘密裏に交わした約束のことを思い出す。マインハイム王国の内情を変えていくうえで、第二王子であるジークベルトに政策の発言権を持たせなければならない。この国の根っこを変えなければ、マインハイムとルーデンドルフの癒着が免れられないものになってしまう。
今回の事件でテレージアとの婚約の話が流れたとしても、今後も何らかの形で両国が癒着する可能性が高いだろう。だからこそ俺とジークベルトがそれぞれの国で根回しをしようと決めたのだ。
ジークベルトの立場を強固にするための協力は些細なことでも惜しむべきではない。だが、なぜ今なのだ。ルイーゼに手が届きそうなところまで来ているのに、なぜ今、暢気にお茶会になど参加しなければならないのだ……。あまりのタイミングの悪さに、俺は再び大きな溜息を吐いた。
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