第76話 ヒーロー登場 その2


 ルイーゼの背中をふわりと温かな何かが支えてくれている。お陰で転倒せずに済んだ。


「随分乱暴なことをしますね」


 聞き覚えのある声に後ろを振り返ると、そこにいたのは翡翠の瞳に怒りの色を湛えたローレンツだった。一体なぜローレンツがこんなところに居るのだろう。

 ローレンツは「大丈夫ですか?」と言って、ルイーゼを真っ直ぐ立たせた。燃えるような朱赤の髪が若干逆立っているように見えるのは、ローレンツが静かに怒っているからだろうか。ローレンツはつかつかと前に出てガシッとアードルフの腕を掴んで看板を外そうとする行為を阻む。


「何をする! 放せっ!」

「放すわけないでしょう。貴方が力で押し通そうとするなら、こちらも力で阻止させてもらいますよ。それとも人間らしく話し合いますか?」


 アードルフが懸命に腕を動かそうとするがびくともしない。ローレンツの力に敵うわけがない。悪あがきを続けるアードルフの顔が苦痛に歪む。どうやらローレンツがアードルフの腕を掴む手にさらに力を込めたようだ。


「い、痛い、分かった! 話す、話すからっ!」


 アードルフが観念したことで、ようやくローレンツはアードルフの腕から手を離した。痛みから解放されたアードルフが安堵の溜息を吐く。


「分かればいいのですよ。ルイーゼ嬢、念のため私も同席させてもらいます」

「ローレンツ様、ありがとうございます。でも一体なぜここに?」

「貴女がこの通りに入るのを見かけたので声をかけようと追ってきたら、何やら揉め事に巻き込まれているようだったので慌てて走ってきたのです」

「そうだったのですか……。助かりました」


 そういえば完全に町娘に変装していたはずなのに、なぜローレンツにばれてしまったのだろう。


「よく私のことが分かりましたね。完璧な変装だと思ったのですが」

「貴女の顔は存じ上げていますし、どんな服装や髪形をしていても貴女を間違うことはあり得ません」

「そ、そうですか」

「それに、ルイーゼ嬢はお美しいのであまり擬態できていないと思います。はっきり言って目立っていましたし」

「ふぁっ?」


 ローレンツに真顔でさらりと褒められて、思わず変な声が出てしまった。そもそも褒められているのだろうか。それにまさか目立っているとは思わなかった。完璧な変装だと思ったのに。

 ロイはというと、ルイーゼがローレンツと会話をしている横で安堵の表情を浮かべている。看板を守り通せて安心したのだろう。そしてよく見るとロイは肘を擦り剥いているようだ。二度も怪我をさせるなんて本当に酷いことをする。


「ロイ、ニコラさんは?」

「母さんは買い物で今留守なんだ。店番をしていたら、アードルフ伯父さんが看板に手をかけているのに気付いて外に飛び出してきたんだよ」

「そうだったの。怪我の治療をしなくちゃね。アードルフさん、少しお話をお伺いしたいので店の中へご一緒してもらえませんか? ロイ、場所を借りるわね」

「うん、いいよ。あの……ローレンツ様?もありがとうございます」

「どういたしまして。私も店の中へ入らせてもらうよ」


 アードルフは仏頂面で店の中へと入っていく。先ほどまでの不遜な態度はどこへ行ったのかというほどの大人しさだ。ローレンツに対して恐怖心を抱いているのかもしれない。

 ロイの傷を治療しながらしばらく店の中で待っていると、買い物袋を抱えたニコラが戻ってきた。ニコラは事のあらましを聞いて両手で口を押えて青くなっていた。

 ロイを店番に置いて、ニコラに店の二階へ案内してもらう。そしてニコラ、アードルフ、ローレンツと四人でテーブルを囲んで座った。


「アードルフさん、借金の件ですがクレーマン侯爵家で『ロイのパン屋』の借金を全額立て替えさせていただきます」

「「えっ!?」」


 ルイーゼの言葉を聞いて驚いたのはアードルフだけではなかった。昨日の時点でニコラとロイに対して「お金のことをなんとかする」とは言ったが、はっきり立て替えると明言したわけではない。何の事前説明もない申し出にニコラも驚いたのか目を丸くしている。


「ルイーゼさん、それは……それに侯爵家って……」

「ニコラさん、詳細は後ほど説明しますので、今はアードルフさんとお話をさせてください」

「分かりました……」


 困惑している様子のニコラに小さく頷き、アードルフのほうへ向き直る。


「正式な返済処理のために後日我が侯爵家の者がアードルフさんのお宅へお伺いします。宰相である父が貴方の住所も仕事先も全て調べておりますのでご心配いりません」

「ひっ……! 宰相様……!?」


 アードルフは宰相という言葉を聞いて酷く驚いたように息を飲む。そしてアードルフの瞳には怯えの色が浮かんでいる。まさか平民の金銭のやり取りに国の宰相が出てくるとは思いも寄らなかったのだろう。


「ええ。ところで貴方はこの店のご主人、貴方の弟さんであるマルクさんにお金をお貸ししたときに、返済はゆっくりでいいと仰ったのでしょう? まず返済期限については書類に記載されていますか?」

「い、いや……。ほとんど口約束だし、日付と金額と利子くらいしか書いてない」


 予想通りかなりいい加減な書類のようだ。前世の常識から考えるとあり得ないほどの杜撰さだ。この国の法律には詳しくないので細かいことはテオパルトの手配した文官でなければ分からない。だがロイに怪我をさせたことが許せないので、当たり障りのない程度に脅しておこう。


「そうですか……。その書類が有効であれば、返済日に利子をきちんと全額お返しします。もし偽造や改竄等をなされば、すぐに専門の文官に見破られると思います。その場合借金自体が無効になりますのでくれぐれもご注意ください」

「なんだと!? 踏み倒すっていうのか!?」


 アードルフがはったり半分のルイーゼの発言に激昂する。そんなアードルフに冷然と答えた。


「書類に不備がなければ問題ありませんし、きちんと利子も含めて返済いたしますわ。それと貴方は弟さんに予め伝えていた返済期限を急に覆しましたよね。それはなぜですか?」

「それは……金に困ったからだ」

「アードルフさん、宰相の名のもとに真実のみを告げてください。貴方は『サンブレッド』と何か繋がりがあるのではないですか?」

「なっ……知らない!」

「そうですか。どうせ不備だらけの書類です。借金自体を無効に……」

「ま、待て。話す……くそっ」


 アードルフは悔しそうに眉間に皺を寄せるも、ようやく真実を話す覚悟を決めたようだった。




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