第34話 思い出しました!


 昼休みに学園の食堂の貴賓席でアルフォンスと向かい合わせに座り、ランチをいただいている。なるべく冷静に努めようとしていたのだが、思いがけずアルフォンスの先制パンチが入る。


「で、でん、アルフォンス様、どうかそれ以上は!」


 もう必死だった。こんな護衛が三人もいる場所で暴露されそうになって、いくら子どものころの出来事とはいえ、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。


 幼かったころ……ルイーゼが十才でアルフォンスが十二才だっただろうか。オスカーと、うちの屋敷を訪れていたアルフォンスと三人で、屋敷の庭を散策した。そのときはちょうど薔薇が見ごろで、うちの庭には真っ赤な薔薇が咲き乱れていた。幼いルイーゼはそれをアルフォンスに見てほしかった。なぜならどうしてもアルフォンスの喜ぶ顔が見たかったからだ。


『どうですか? とても綺麗でしょう?』

『本当だ。とても綺麗な薔薇だね』


 アルフォンスはそう言って天使のごとき笑顔を見せた。アルフォンスの笑顔を見てきっと薔薇が好きなのだと思った。薔薇を褒められたのが嬉しくて、張り切って宣言した。


『一本差し上げます』


 どうしてもこの綺麗な赤い薔薇をアルフォンスにプレゼントしたくて、薔薇の茂みに手を伸ばした。そして茂みの薔薇のうちの一本を無理やり手折ろうとしたのだ。その結果、当然のことながら薔薇の棘で指を刺してしまった。痛みに驚いて手を引っ込め、そのまま自分の指をじっと見ていると血の玉がぷっくりと浮いてきた。

 決して泣くほどの痛みではなかったのだが、指から血を出すルイーゼを見て驚いたアルフォンスが、ルイーゼの指を取って自分の口へ持っていき、ぱくっと咥えたのだ。そして、こともあろうにルイーゼの指を舐めた。


『もう大丈夫だよ』


 そう言ってアルフォンスはにっこりと笑った。それはもう十二才とは思えないほどの色気で。一方ルイーゼは、あまりにも予想外の行動に絶句して、まるで石化したかのように固まってしまった。そして火が出るかと思うくらいに顔が熱くなった。そのとき心の中は驚きと羞恥で混乱していた。痛さよりもその行為が恥ずかしくて堪らなかったのだ。


 それにしてもなぜそんな出来事を忘れてしまっていたのだろう。恥ずかしすぎて記憶に封印でもしていたのだろうか。そんなことを考えていると、懸命に制止しようとするルイーゼを見て、アルフォンスが突然吹き出す。


「ぷっ、ごめん。そんなに恥ずかしがるとは思わなかったんだ。そういえばあのときも顔を真っ赤にしていたね」

「お願いですから、もうそれ以上は言わないでください……」


 冷静さを取り戻す余裕がないほどの羞恥に、もはやルイーゼの顔の熱は引く様子を見せない。なぜアルフォンスは今こんな話をするのだろうか。ルイーゼの羞恥を煽って恥をかかせようとしているのか、などと考えて気を取り直す。アルフォンスが薔薇のような女性が好みでないことを、今のルイーゼは知っている。だからこそあえて媚びたような笑みを浮かべて尋ねる。


「アルフォンス様は私みたいな華やかな女性がお好きなんでしょう?」

「いや。どちらかというと私は家庭的で優しい子が好きだね」


 にこりと穏やかに微笑みながら、アルフォンスは華やかな装いのルイーゼに向かって平然とそう答える。その言葉から、言外にルイーゼを対象外だと言っているのだと理解する。きっと少なくとも外見はモニカのような女性が好きなのだ。

 なるほど、対象外だから逆に気軽にランチに誘えたのか。そう考えると合点がいって幾分か冷静になれた。アルフォンスの言葉に対して、伏し目がちに悲しみを表情に表しながら嘆息する。


「そうですか。殿下の婚約者になれそうになくてとても残念ですわ」


 ルイーゼの言葉を聞いてもなお、アルフォンスは穏やかな笑みを崩さない。アルフォンスの表情を見てやはり自分は対象外なのだと再確認し、本当に悲しくなってくる。そんなルイーゼをじっと見ながらアルフォンスが尋ねた。


「そう? ……ところでルイーゼは薔薇が好きなの?」

「いえ、普通ですわ。なぜです?」

「いつも薔薇の香水をたくさん付けていたようだからなぜかと思ってね」

「それは殿下がお好きだと思っていたからですわ」


 アルフォンスの問いの真意が掴めず若干戸惑う。勿論表情には出さないが。前世の記憶が蘇る前、アルフォンスは薔薇が好きなのだと思っていた。だからあんなに薔薇の香水をつけていたのだ。ルイーゼが勝手にそう思い込んでいただけだったと今なら分かるけれど。

 するとそんなルイーゼの答えを聞いて、アルフォンスがテーブル越しに身を乗り出しながら話す。


「……そうだったのか。だけど今はなんだか甘い匂いがするね。俺の好きなバニラの匂い」

「え?」


 咄嗟に両方の袖を交互に嗅いでみるが自分では分からない。今日はまだお菓子を作っているわけでもなく、バニラの匂いなどするはずがないのだけれど。昨日作ったクッキーの残りを朝食のデザートに食べたからだろうか。


「あ、朝のデザートにお菓子をいただいたからかもしれません。きっとそのときにバニラの香りが移ったのですわ」

「そう。それは羨ましいね」


 見ればアルフォンスは満面の笑みを浮かべている。よほど甘いものが好きなのだろう。今度は要求される前にオスカーにクッキーを持たせてあげれば、突然の屋敷訪問にはならないだろう。

 それにしても昨日オスカーはアルフォンスとこんなやり取りをしたのだろうか。アルフォンスとの駆け引きの心労を体感してみて、改めてオスカーに申しわけなかったと思う。


「アルフォンス様が私のような華やかな装いがお好みでなくて残念ですわ」

「君はいいんだ。そのままでも」


 アルフォンスににこりと笑いながらそう言われて内心衝撃を受ける。アルフォンスの言葉に引きつりそうになるのを堪え、懸命に微笑む。華やかな装いが好きじゃないのと言ったその口で、君は華やかなままでいいと言われるとは。そんなにルイーゼのことが嫌いなのだろうか。いや、嫌われようとしていたからいいんだけれど。願ったり叶ったりなんだけれど、好みじゃない格好を続けろと言われると流石にショックだ。やはりこのままだと、好色王の妃になる夢のように見向きもされなくなるのだ。


(これは正式に婚約者候補を辞退しても大丈夫な流れよね?)


 対象外と思われている事実が分かりショックではあるものの、結果的には十分な成果を上げられたと思う。ルイーゼだって腹芸の一つや二つできるのだ。これはオスカーにも自慢できるかもしれないと思った。そんなふうに作戦成功に安堵しつつ、しばらくアルフォンスと他愛のない会話を交わして、その日のランチを終えた。




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