第十八話 救援
シルからすれば、まさに夢の様な状況に脳の理解が全く追いつかない。
「ついに幻覚まで見えるようになったか……」
「幻覚じゃないよ……ってこんな事言ってる場合じゃないね」
『アンゴラ副隊長? なるほどその男とそういう関係だったわけですか。まあ、今の僕には関係のない話です』
「その声……ヴァイス君なの?」
目の前の破竜が聞き覚えのある声を発したことにシューネは驚きを隠せず、思わず声を上げた。シューネから見たヴァイスは、努力家で真面目な人間で、とても破竜になるような人間だとは思えなかった。
「どうしてこんなことをするの? このことを貴方のご両親が知ったら、どんなに悲しむか!」
『貴女みたいな才能と周りの人間に恵まれた人にはわかりませんよ。僕の気持ちは』
シューネは正しい。だからこそ、自分達はわかり合えないと餓食は確信する。
きっと彼女は知らない。誰にも愛されない孤独を。何物にも成れない自分自身への嫌悪感を。剣を振り実力の上昇を実感するほど、見えてくる己の決して超えられない壁を。
満たされている人間に、飢えている人間の気持ちはわからない。
『副隊長、僕は満たされている貴女のことが、前から妬ましかった。だから死んでください』
困惑し続けるシルを尻目に、餓食が自分に敵意を向けたことを察知し、シューネはすぐに回避行動を取った。
(まずはシル君を安全な場所に移動させなきゃ)
重傷のシルを抱えたままでは、まともな戦闘は出来ない。ましてや相手はシルの魔力を吸収し、昨夜とは明らかに動きの違う完全体の破竜。
例え万全の状態のシルが回避に専念したとしても、数分で追い詰められるだろう。
それほどに今の餓食が醸し出す威圧感は格が違う。
「シューネ……! 俺のことはいいから置いて行け‼」
シューネが助けてくれたことは素直に嬉しい。だが、ここで共に死ぬのでは本末転倒だ。シル自身のためにシューネが犠牲になることは、到底許容できることではない。
しかし、シューネもまたシルをここで捨て置く選択肢を取ることは出来ない。
誓ったのだから。他でもない自分自身に。今度こそシルをこの手で守るのだと。
「大丈夫だよ、シル君。舌嚙まないように気を付けてね」
「シューネ? 何を……っ‼」
シューネの発言の意図が理解できないシルを置き去りに、餓食の攻撃を回避するべくシューネは走り出した。
急だったのでシルも驚いてしまったが、シューネの速さ自体は身体強化をしたシルと大差は無い。シルと決定的に違うのは、餓食の動きに対する反応速度と滑らかな身のこなしだ。
(餓食が動く前に既に回避行動に入ってる。獣人特有の野生の勘か。それに俺を抱えてるってのに、まるで木が避けてるみたいな速さだな)
次々と襲う餓食の攻撃を、シューネはシルを両手で抱きながら捌き続けている。
並みの芸当ではない。シルが知っている八年前のシューネとはまるで違う。
『ハハ、それで逃げたつもりですか?』
しかし、餓食は更に速度を上げ、シューネへと襲い掛かった。
『さあどうします? その男を救うには、僕を倒すしかない。ですが、貴女にできますか? 僕を傷付けることが、そこいらの盗賊にすら生け捕りを徹底する貴女が!』
「そうだね。まだ自我が残ってるみたいだし、ヴァイス君のことは傷付けたくないな」
背後に迫った餓食を振り返り、シューネは自身の思いを吐露する。
その予想通りの回答にほくそ笑み、餓食はシューネに向かって拳を振り下ろした。
『ですよねえ! 貴女は僕を攻撃できない。己の誇り故に。その満足感があなた自身を殺すんですよ!』
「でも、シル君のためなら話は別。【惨殺の大鎌】」
『なにっ……!』
餓食の拳が届く寸前、シューネは体を反転し、持ち前の瞬発力と走力で拳を回避しながら一瞬のうちに餓食に向けて走り出した。
「私の誇りが邪魔でシル君を救えないなら、私は喜んで誇りを捨てるよ」
シルを左手で抱え、右手に【簒奪の大鎌】を持ったシューネは餓食とのすれ違いざま、その無防備な胴体に無数の斬撃を繰り出した。
『ヌアアアアア!』
「私にシル君以上に大切なものなんて無いからね」
見事に餓食の動きを止め、今度こそシルを戦場から離脱させるべく、シューネは走る足を急がせた。
「なあ、シューネ」
そんな必死なシューネの横顔を眺めながら、シルは普段の会話の様に軽くシューネに語り掛ける。
「何⁉ 今話してる場合じゃないから、手短にお願い‼」
動きを止めたとはいえ、危機は未だ去ってはいない。それをわかっているシルがわざわざ話しかけてくるのだから、余程重要な話なのだと察してシューネはシルの声に耳を傾けた。
「強く、なったんだな」
「――え⁉ それだけ⁉」
全く予期していなかったシルの言葉に、様々な感情が一斉に溢れ出した。
たったそれだけを言うために話かけたのかという驚愕に、自分は強くなれていたのだという安心感、そして長年の努力が報われたという達成感。
それらの感情を処理する作業は、全力疾走するシューネの足元を疎かにするには十分なものだった。
「あっ‼」
木の幹に足を取られ、派手にすっ転ぶんだシューネ。
この絶好の好機を、体勢を立て直した餓食は逃しはしない。
『もろともに死ね!』
「シル君‼」
二人を踏み潰そうと迫る餓食の脚からせめてシルだけは守ろうと、無駄とわかっていながらその身に覆いかぶさったシューネに、シルは落ち着いた声音で返した。
「大丈夫だ」
「――――――」
突如として雷鳴が響き、閃光が餓食の胸に突き刺さった。
『な、これは……!』
「今のは⁉」
謎の閃光、いやシューネは今の閃光を餓食戦で目にしている。あの時は遠目にしか見えなかったので、何らかの攻撃だとしかわからなかったが、至近距離で視認できた今回は違う。
「レイか」
「
シューネが目を向けた先には、離れた木の上に立って弓を構えるレイの姿があった。
不思議なことに弓はレイの欠損していたはずの左腕に握られている。
「あれは竜具? 弓……っていうよりも左腕の方が竜具かな」
固有魔力という説もあるが、固有魔力は本人の魔力量に効果が比例する。
シューネの見立てでは、レイの魔力量で腕の欠損を補い、武器まで作りだすのは不可能だ。となれば、取引内容によって能力の強弱が変わる竜具の説が濃厚だろう。
そして、シューネは見事にレイの能力を推理しきっていた。
「ご名答。レイの竜具【雷竜の
レイの竜具【雷竜の
餓食戦ではるか遠方から正確に餓食の胸を射抜いたのは、このレイの竜具による狙撃だ。
「すごい。レイさんも竜具使いなんだね」
「レイもっていうより、うちは全員竜具持ちだな」
しかし、餓食戦の核を露出までさせた狙撃でも、今回は体をややのけ反らせる程度にしか効果はない。
シューネが体勢を立て直し、シルを抱き上げて駆け出すまでの十分な時間を稼ぐことはできた。
だが、瞬間火力において竜と猫の中でも上位に位置するレイの狙撃ですら傷の一つもつけられないとなると、やはり自分達だけでこれを倒すのは難しいとシルは判断せざるを得なかった。
「俺らだけで勝てないってならよおー、勝てる手札が揃うまでお前を殴り続けるまでよ‼」
レイの作った隙を生かすべく、シルの考えを代弁するかのように叫び、現れたルートは餓食に向けて飛び上がった。
狙うはその顔面。両手に帯びたガントレットの右手側に魔力を集中させ、一思いに振りぬく。
「でえええい! 俺の必殺技シリーズ第二十四式! 超真スーパーウルトラダイナミックウルトラパンチ改‼」
「ださ……」
意図せずシンプルな悪口が、ルートの叫んだ技名を聞いたシューネの口から漏れた。
だが、どれだけ技名がダサかろうと、威力が伴っていれば問題は無い。そう、問題は無い。
しかし、ルートが放ったのは、つまるところただの気合の入ったパンチ。レイの狙撃を受けてノーダメージの餓食に、ルートのただのパンチが効くはずもなかった。
「ふうむ、想像の一億万倍くらい堅え」
『何だ貴様は』
一周回って冷静な顔で感想を述べたルートは、直後に餓食によって地面に叩きつけられた。
間髪入れずお返しとばかりに、餓食は地に沈むルートに向かって拳の嵐を叩き込む。
『アハハハハハ! 教えてやるよ。本当のパンチってやつを!』
確実に獲物を仕留めたことを確信し、ご機嫌な幼児の如く、餓食は地面をリズミカルに殴り続ける。
もうどれだけ隙を見せたところで、自分の体を貫通する攻撃方法を持つものはここにはいない。その生まれながらの強者故に持つ慢心と浅慮は、例え破竜であろうとも致命的な油断となり得る。
「獲物を仕留めた時こそ油断するなと、親から教わらなかったか?」
突然現れた乱入者は、隙だらけの餓食の横腹へ騎士剣による斬撃を放った。
餓食は斬撃が己の体に届く寸前、その乱入者に気が付いていた。しかし、それまでの有利状況が慢心を生んだ。
『グアアアアアア!』
斬撃を受けた餓食の横腹は大きく軋み、その体は勢いのままに真横に吹き飛んだ。
その超常的現象を引き起こし、シューネ達の元に舞い降りた乱入者は、何事もなかったかの如く軽い調子で二人に話しかけた。
「待たせたな。ここまで時間を稼いでくれたこと、感謝する」
「来てくれたんですね!」
「遅えよ。もっと早く来い」
乱入者の言葉に、シルとシューネもまた軽い調子で言葉を返す。
「大変お待たせした。シグルズ騎士団スオルツ隊所属、ジャック・シェイファー、これより参戦する!」
乱入者の正体は、昨日の決闘でシルと激戦を繰り広げた騎士、ジャックであった。
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