第19話「大丈夫」

「何があったんだ?」


「さっきの魔法使ったの誰?」


「ニットラーの子がさらわれそうになったみたい」


「おい、あいつニカだろ」


「警備は誰か呼んだのか?」


 気がつくと、俺達を囲むようにして人だかりができており、四方八方からさまざまな声が聞こえてきた。


「あんな小さい子から目を離すなんて」


「親は何してるんだ?」


 誰が言っているのか分からないが、その言葉のいくつかは、俺にチクチクと刺さるものだった。


 俺は慌てて、カイコとミツバチを抱きながら立ち上がり、周りの人に頭を下げた。


「すみません、お騒がせしました。本当に……」


 ぶつかってしまった人もいるので、何度か頭を下げたのだが、人々は俺のことなどどうでも良さそうにして、あーだこーだと話し続けた。人だかりはなくならず、逃げ道もない。途方に暮れて立ち尽くしていると、人さらいの男を見張っていたニカが俺の前に来て、大きな声で言った。


「皆さん、いきなり魔法を使ってごめんなさい。誰も怪我をしてませんか?」


 ニカはどうやらこの町では有名人らしい。ニカが話し始めると、人々は静かに耳を傾けていた。その時。


「あっ! 逃げる!」


 最初に気がついたのはレグナだった。指で差した方を見ると、逃げ出そうとしたのか、人さらいの男が足を引きずりながら、ヒョコヒョコと走り出すところだった。


「こ、こら、待て!!」


 男は、路地に逃げ込もうとしていた。俺はすぐに追いかけようとしたが、俺が走り出す前に、人さらいの男の足元から水が勢いよく噴き出してきた。それを見て、追跡を思いとどまる。水は男を押し上げると、そのまま空中に放り投げた。


 男は地面に強く叩きつけられると、ぐぅと呻いて、体を丸めた。すると、近くにいた数人が大慌てで、人さらいの男を地面に縫い付けるようにして取り押さえた。


 男は暴れていた。ニカは男の近くに行くと、膝に手を置き、首を傾けてその顔を覗いた。そして、吐き捨てるように言った。


「バカですね。逃しませんよ。……次、少しでも動いたら両足を折ります」


 それを聞いて、ゾッとした。男は暴れるのをやめると、地面に突っ伏したまま動かなくなった。きっとあの男も俺と同じように感じたことだろう。大人しそうな見た目とは裏腹に、過激な発言をする子だ。


「おい、ちょっと道空けてくれ。悪いね。おーい、ニカちゃん」


 男が大人しくなると、誰かが人混みの中から、ニカの名前を呼んだ。声がした方を見ると、黒髪で、立派な口ひげを生やした鼻のでかい男がこちらに手を振っていた。人混みから頭一つ抜けているのを見るに、かなり身長がある。


「こりゃあ、なんの騒ぎだ?」


 人混みを掻き分けて現れたのは、予想通り、体躯の良い男だった。レグナと同じ、ウィララ様の首飾りをつけており、革の手袋にレザーアーマー。腰には大きな剣がぶら下がっている。


 俺の身長は測ったことがないので推測だが、170センチ前後だと思っている。建物の扉などの出入り口を通る時に、出入り口がやけに大きいだとか、頭がぶつかりそうだ、などと思ったことがないので、リトナ男性の平均身長からはそう離れていないはずだ。口ひげの男は、そんな俺が見上げるほどの身長だった。もしかしたら、2メートル以上あるのではなかろうかという身長に加えて、横にも大きい。さすがに少したじろいでしまう。


 口ひげの男は、ニカに近寄ると少し膝を曲げて言った。それでもまだ俺と同じくらいの高さがある。


「この町では、魔法使いが公共の場で魔法を使うのは、禁止されてる。分かってないはずがないな?」


 ニカは頷くと、申し訳なさそうにするでもなく、真っ直ぐに口ひげの男を見つめて答えた。


「レントさん、すみません。知り合いが人さらいにあって、やむを得なかったんです」


 口ひげの男は、レントと言うらしい。レントはちらりと人さらいの男を見た。


「人さらい、か……そこで這いつくばってる奴かい?」


「はい、そうです」


 レントは人さらいの男の方へ歩いていくと、取り押さえていた人達に退けるように言って、男の右腕を掴んで座らせた。男が痛みを堪えるように呻く。


「じゃあこいつは警備隊の俺が預かる。ほら、立て」


 そういえば、先程、警備がどうこうという声が聞こえていた。隊というからには彼以外にも人がいるとは思うが、どういったシステムなのだろう。この支配者がいない町で、警備隊などという組織が機能するものなのだろうか。


「待ってください」


 俺が考え込んでいると、ニカがレントを引き止めた。


「……ルールを破った罰金を払います。銀貨5枚ですよね?」


「ああ、そうだが、でも」


 ニカはレントの言葉を片手で遮ると、人さらいの男の目の前にしゃがんだ。男の顔が強張る。何をするのだろうと思っていると、ニカは男の乱れた前髪を指先で顔の脇にそっと寄せてやると、言った。


「……あなたを奴隷屋に売りさばいたら、いくらになると思います? あなたに銀貨5枚の価値があればいいんですが……」


 人さらいの男は息を呑むと、悲痛な声を出した。


「罰金なら俺が代わりに払う!! だから、だから、奴隷屋に売りさばくのだけは勘弁してくれ!! 頼む……!!」


 男はレントに掴まれていた腕を振り払うと、取り乱した様子で体中を弄り、銀貨を数えもせずに、地面へ叩きつけるように広げた。そして、すぐに両手を地面について頭を深々と下げた。銀貨は数十枚はあるだろうか。


 ニカは何も言わずに立ち上がるとレントを見て、にっこり笑って言った。


「この人、牢屋にぶち込んでおいてください」


「ニカちゃんは相変わらずおっかねぇなぁ」


 ニカはそれに答えるように、肩を竦めて見せると、すました顔で言った。


「今は手持ちがないので、罰金は後でもいいですか?」


「やむを得なかったんだろ? 怪我人もいねぇみたいだし、厳重注意ってことにしとくよ」


「いえ、そういうわけにはいきません。ルールはルールです。……と、いうより、ちゃんと払わないと、私がすっきりしないので」 


「……まあ、そこまで言うなら」


「あとで集会所でいいですか?」


「ああ、いいよ」


 レントは人さらいの男の腕を再び掴んで無理矢理立たせた。男はレントに引きずられながら矢の刺さった足を押さえて、ひーひー言っていた。


「一旦、店に戻りましょう」


 ニカは町の人に頭を下げると、俺とレグナの腕を掴んで早足で歩きだした。ニカが歩き出すと、人々はニカを避けて道を空けた。すると、なぜか後ろから喧騒が聞こえてきた。振り返ると、あの人さらいの男がばらまいた銀貨の争奪戦が行われていた。あの様子では再び警備隊が来るのではないかと思っていると、ニカが急に路地に入り込んで立ち止まった。


「ニ、ニカ、ちゃん、その、ありがとう、助かったよ」


 俺がお礼を言うと、ニカは俺の腕を放り投げるように離して、俺をきつく睨んだ。


「ニカで結構です。セトさん、こんなこと言いたくないですけど、あなたに二人を守れるとは思えません」


 ……言い返す言葉もない。全くもってその通りだ。ニカは胸元に手を突っ込むと、ペンダントを引っ張りだして俺に見せた。革紐のペンダントで、トップには3センチほどの大きさをした緑色の石がぶら下がっている。


「見たところ、魔導石を持っていませんよね? それとも、何か得意な武器がありますか?」


「いや」


「またあんな事が起こったらどうするつもりですか?」


「……どうにもできないよ」


 俺は正直に答えた。


 無力であること。これだけは、すぐにどうこうできるものじゃない。でも、だからこそ、今回の事は本当に堪えた。イーラの時に感じた悔しさとは違う。これは恐怖だとはっきり分かる。


「二人を任せてもいいかな」


「セト、でも……」


 レグナが何か言いかけたので、そちらを少し見ると、口を閉じ、視線を泳がせて、俯いてしまった。


「責任を持ってお預かりします」


 ニカはそう言うと、真っ直ぐに俺を見て、ゆっくりと両手を差し出した。


 俺は、思わず二人を見下ろしてしまった。二人と目が合う。眉尻を下げ、明らかにショックを受けた表情の二人を見て、俺は心が揺らいだ。


「セトさん」


 だが、ニカが諭すように俺の名前を呼んだ。俺は、正しい判断をしなければならない。そう思い直す。


 俺には家族もいなければ、友人もいなかった。奴隷時代に友人がいなかったわけじゃないが、その友人も全員死んでしまって、もうこの世にいない。全員、俺の目の前で死んでいった。家族は山賊に、友人の多くは病気や怪我、兵士による折檻で。今度は、仲間を失うかもしれない。また俺が何もできないせいだ。それはもう嫌だった。


 二人の視線を振り切り、ニカに預けると、ニカの腕の中で、カイコが呟いた。


「……私達を捨てるの?」


 俺はぎょっとして、慌てて首を左右に振った。


「い、いやっ、そういうわけじゃ……」


「セトさんはあなたたちのことを思って言ってるの」


 ニカがそう言うと、カイコはニカの手から飛び降り、俺の足を叩いて言った。


「そう思うなら、一緒にいてよ!! カイコもこれから気をつけるし、いっぱい頑張るから!」


 カイコはそう叫ぶと、真剣な顔で俺を見つめた。


「でも俺は……お前らを守ってやれないし……」


「ニカ、おろして」


 ミツバチの柔らかい声色にどきっとして、言葉を呑み込んだ。


 ニカがミツバチを地面に下ろす。ミツバチは濡れた頬を服の裾で拭った後、カイコの隣に並んで俺を見上げた。


「セト」


 ミツバチが俺の名前を呼んだ。初めてだ、名前を呼ばれたのは。距離が縮まって嬉しい気持ちと、なのに別れなければならない寂しい気持ちとが同時にやってきて、俺はどういう顔をすればいいのか分からなかった。


「今回のことは、カイコが悪いんだよ。当たり前の注意をしなかったんだから」


 ミツバチの言葉を聞いて、俺は思わずうっと呻いた。落ち込んで、心が弱っていたせいか、涙が浮かんできて、慌てて片腕で顔を隠した。


「そうだよ、セトくん。大丈夫だから、泣かないで」


 カイコが俺の膝の辺りを撫でる。俺は涙を拭って、その場にしゃがむと、二人と視線を合わせた。


「それを言うなら俺だって、目を離したんだし……」


「じゃあ、どっちも悪かったね」


 レグナが俺の左隣にしゃがんで、背中を撫でてくれた。


「二人はこれからどうしたい?」


 その時、急に右から男の声がしたので、そちらを見ると、俺の右隣に帽子を被ったヘビが居た。驚きのあまり小さく悲鳴をあげて、レグナに縋りつくと、レグナは体勢を崩して尻もちをついた。


「お兄ちゃん!? 噓でしょ、またついてきたの!?」


 ニカが叫ぶ。俺もレグナも地面に手をついたまま固まっていた。


「いやぁ、可愛い妹が心配で」


「だからってついてこないでよ! 気持ち悪いなぁ!!」


「それで? 二人はどうしたいの?」


 ヘビはニカを無視して、カイコとミツバチに問いかけた。二人は顔を見合わせると、同時に言った。


「一緒に旅をしたい!」


「だってさ、セトさん」


 ヘビがニヤリとしてこちらを見る。俺はすっかり混乱していた。一緒に行きたいと言ってくれるのは嬉しいが、そういう問題ではないんじゃないか? 問題は俺が二人を守れないことであって、二人が俺と一緒に行きたいかどうかはこの際、無視するべきでは?


「じゃあ、行こう! セト!」


 レグナが腕を組み、ぐいぐい引っ張って、俺の体を左右に揺らす。


「ま、待て待て、死んだらどうすんだ。俺は嫌だ、お前ら二人が死ぬところを見るなんて……」


「そう思うなら、強くなるしかないね」


 ヘビが二人の頭を撫でながら言う。すると、ニカが大きな大きなため息をついた。そして早口で言った。


「……武器の扱いを覚えるよりは魔法の方が扱いやすいと思うので、とりあえず、魔導石をもらうところから始めてはどうですか? 水の魔法が使いたければ、この町から少し東に歩いていくとニニーシェア様の神殿がありますので、そちらでどうぞ」


「はっ、はい……」


 勢いに押されて返事をしたが、すぐに首を傾げた。


「あ、あれ? 待てよ。本当にいいのか? これで……」


 俺が強くなればいいというのは、そう、確かにその通りなんだが、現状、今すぐ危険から身を守ってやれる手段がないのだから、問題の解決にはなっていないのではなかろうか。


「セト」


 あれこれと考えていると、突然、ミツバチに呼ばれて、体が跳ねた。


「えっ、はい……っ。なんでしょう……」


 恐る恐る返事をすると、ミツバチはなんでもない顔で言った。


「俺は風の魔法がいい。あんたが良ければだけど」


「俺は、いいけど……」


「なら、あんたが火の魔法を使えば? レグナはウィララ様だから、そしたらバランスが良いだろ?」


「あ、う、うん……。うん……?」


「セト、気にしすぎ。大丈夫だから、もっと楽して」


 レグナが楽しそうに笑いながら俺の背中をバンバン叩く。


「いや、だって、気になるだろ! 命に関わる事なんだし、もっと……」


「ねぇねぇセトくん」


 カイコが俺のズボンの裾を引っ張ったので、俺はレグナから目を離して、カイコを見た。


「え、な、なに?」


「カイコ、ニニーシェア様の神殿行きたい。ニカちゃんみたいな水の魔法使いになってみんなを守ってあげるね」


 その言葉を聞いて、なんて健気な子なんだと感動した。だがそれでもやはり問題の解決にはならないだろう。


「なれないかもよ。ちゃんと使いこなせる奴って少ないからな」


 ミツバチがカイコを横目に見ながら鼻で笑う。カイコは眉をひそめて唇を尖らせると、悔しそうに言った。


「なるもん」


「私も、自分以外、魔法使えるようになりたいな」


「ほら、でも……すぐには使えないんだし」


 3人はすっかり魔法の話題で盛り上がっているようで、俺の声には答えてくれなかった。


「俺の話、聞いてる?」


 思わず呟いて、立ち尽くしていると、ヘビに足を叩かれた。目線を下にやると、ヘビは言った。


「ところで、セトさん。さっき聞き損ねたんですけど、今日はこれからどうするんですか? まさか野宿?」


「ええっと……野宿、ですね……」


「やっぱり。ウチに泊まっていけばどうですか?」


「いや、そこまでお世話になるわけには……」


「まあまあ遠慮せずに。甘えられる時には甘えとくのがいいですよ」


「と、いうより、知人の子供を連れている人に野宿なんてされても心配なので、無理矢理にでも泊まってもらいますけどね」


 ニカは、腕組みをやめるとこちらを見て、やっと微笑んでくれた。それを見たら、俺も釣られて口元が緩んだ。


 目の前の光景を見て思う。俺は、感謝しなければ。苦しい時も、挫けそうな時も、こうやってみんなが支えてくれようとする。俺もちゃんと、それに応えたい。俺も誰かに「大丈夫だ」と自信を持って伝えてあげられるように。

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