中編



 ディートリヒのチャンスは直ぐに訪れた。




「フローレンス=アルトリア!お前との婚約を破棄する!」




 誰もが「コイツ何言ってるんだ」と白けた目でエドガーを見る。

 それもそうだ。ここは社交場、しかもディートリヒの父――ベルガッド侯爵が開いた夜会で、婚約破棄を宣言する場では無い。深い笑みを浮かべながら壇上でエドガーを見下ろす侯爵にちらりと目を向けて、皆恐々として青ざめる。が、誰もエドガーを止めようとはしない。そんな中、フローレンスは首を横に振ってエドガーを窘める。




「エドガー様、そのお話は後で致しましょう」


「いいや、ここでする!」




 頭がイカれた奴はどうしようもないな、と一連の流れを見ていたディートリヒは毒を吐く。ディートリヒは壇上からひっそりと降りて、いつでもフローレンスに駆け付けられるように近くに移動した。


 エドガーは得意げな笑みを浮かべると、かの子爵令嬢をその腕に抱きながら、フローレンスを指さす。一方のフローレンスは、これまた綺麗なアルカイックスマイルだ。




「ベルガッド侯爵様、このようにお騒がせしてしまい申し訳ありません」


「いいや、構わないよ」




 父のように慕うベルガッド侯爵に許可を得たフローレンスは、エドガーに一歩近づく。




「エドガー様、婚約破棄は慎んでお受け致します。……ですが、理由をお聞かせ頂けますか?」


「理由?はんっ!そんな事も分からないのか!ここにいるリリアをお前は虐め、泣かせた。そんな女なんて御免だからな!」




 はて。全く以って違うものは何処からどう突っ込んで良いか分からない。「事実無根です」と言ったところで目の前の二人が納得する訳がない。




「何処でわたくしがリリア様を虐めたのか是非教えて頂きたいですわ」


「一昨日リリアが学園の階段から落とされたんだ。それはお前に決まっている!」




 リリアは大きな目に涙を溜めながら、エドガーに抱きつく。それにヘラヘラとだらし無く頬が緩んでいるエドガーが気持ちが悪い。




「エドガーさまぁっ!私っ、私っ、怖かったんですぅぅう!」


「リリア、大丈夫だ。俺がお前を守る」




 何を見せられているのだろうか。とんだ茶番だ。




「一昨日は友人と共におりました。リリア様とはお会いしておりませんわ」


「嘘を付くな!本当にどうしようもない女だな。侯爵家の俺に伯爵家のお前が逆らうなんて。―――仕置をしなければな」




 エドガーは眉をくいと上げ、舌でぐるりと唇を舐めると、歪な形で笑った。それは酷く悪寒がする笑みで、逃げなければいけないとは分かっているのに、フローレンスは動けない。


 片手に握られたナイフ。

 何も映っていない逝った瞳。

 迫る危機に何も対応出来ない。


 ギュッと瞼を閉じて震えを堪えていたその時だった。


 よく知っている落ち着く、彼の―――ディートリヒの香りがフローレンスの鼻を掠めた。驚いて瞳を開けると、そこには幼馴染の広い背中が映る。




「どういうつもりですか、エドガー殿」




 ディートリヒの穏やかだが突き放すような冷酷な声色に、フローレンスは瞠目した。今までそんな冷たい声を聴いたことが無かったからだ。


 エドガーは、自身が振りかざした手を掴んだディートリヒの絶対零度の視線に当てられて、一瞬怯んだものの、尚食ってかかる。




「誰だお前は!お前には関係ないだろう!離せ!不敬だ!」




 ディートリヒは華麗な動きでエドガーを捻り倒し、近くの従者に拘束させて跪かせる。同じ侯爵位だが、ユーグ家とベルガッド家では圧倒的な地位の差がある。勿論、ベルガッド家の方が格式が高い。ディートリヒを不敬だというのなら、エドガーは不敬という言葉には収まらないだろう。




「これはこれは。確かにご挨拶させて頂くのは初めてでしたね。ディートリヒ=ベルガッドです」


「離せ!!拘束を解かなければ、どうなるか知らないからな!」




 これはもう更生の見込みがない。侯爵に退場を命じられたエドガーは、喚きながら無理矢理引き摺られていった。


 1人取り残されたリリアは唖然としたままホールの真ん中で突っ立ったまま動かない。しかし、段々と事態を掴むと、逃げるように会場を後にした。


 誰もが口を噤んだまま、しんと静まり返るホールの中、侯爵は壇上の真ん中に立つと、再度夜会の開会の辞を表し、何事も無かったかのように楽団がたおやかな音を奏でる。


 色々急展開過ぎて頭が追いつかないフローレンスは、ナイフが迫ってくるあの光景がフラッシュバックして震えが止まらない。それに咄嗟に気がついたディートリヒは、彼女を横抱きにし、目配せだけで侯爵に許可を取ると、颯爽と会場から出た。


 きゅっと、幼馴染の温もりに身を寄せると、それに応えて抱き締める力を強めてくれる。とくんとくんという一定の心臓の音が心地よくて、強ばる身体が少しずつ解れていった。


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