第19話 江戸て蜜柑値、空手家参上
文左衛門は、早速に羽織を着込んだ。
「若旦那、今からどちらへ行きますか?」
「高垣亀十郎と共に、日本橋に商売に行く」
「気つけて、行ってくださいよ」
言うと二人は小舟に乗り、大川を日本橋に向かい登って行った。
(ギイギイ)川風が冷たく肌を刺す、柳枝がゆらゆら揺らいでる。
「若旦那、あの波切丸は船に置いて来たんですか?」
「おう、江戸じゃ町人の帯刀禁止しているらしいので置いてきた、変わりに鉄扇を護身用に持ってきた」
文左衛門は番所で貰った、江戸の地図をしきりに見ている。
「よし舟を止めてくれ、この辺で良かろう」
日本橋の手前の、京橋で舟を停めた。
「高垣どのお主は江戸蜜柑方問屋と紀州藩役人に連絡頼む、それとヤマキの得意先にも醤油の荷が着いたと連絡してくれるかのう」
「それで若旦那は、どちらへ行かれます?」
「近くの伊勢屋嘉右衛門店で様子見て、江戸蜜柑方九軒問屋が、揃うのを待つ」
「では、皆伊勢屋に集合ですね」
「ご苦労だけど、高垣頼むで!」
聞くと高垣は、文左衛門と別れ紀州藩邸へと早籠を飛ばした。
しかし運が良いとき更に気を引き締めなければならない、思わぬ不運に会う事があるのです。邪あくな悪魔が要るのかと思う。
それは人が持って来る事が多い、警戒しても悪魔に魅入られたようにやって来るものである。幸運の後には特に気をつけねばならないのである。とても不思議な事ですがね。
「ちょいと兄さん野暮用があるんだがねえ! 有金出さねえか」
やくざぽい男が、ねちねち絡んできた。
「うん今おぬしに、やる金はねえなあ」
ヤクザは懐に手を入れて、ドスを文左が見える目の前に出す。
横から、別の二人も出て来た。
「おいやっちまえ、若いひょろい奴だ」
この時文左衛門の内から、合気術の気が入った。それは皆さん方も経験された事もあるだろう、それは交通事故た時に一瞬の出来事なのに、スロモーシヨンのごとくなる感覚に似ています。
文左衛門は声より早く、近くにいた男に横飛びに腹を思い切り蹴った。
「あちや-ぁ!」
紀文はチャイナ娘から習ったカンフ-を用いて、流れるような素早い動きで突きや蹴りを入れる。
それを見た二人は一斉に斬りかかるが、右の男のドスを、素早く手刀で払い落とした。
左側の男のドスを蹴り飛ばし熊手であごに一発、もう一人の腹には一発足蹴りをいれる三人はその場にうずくまったまま、動けなくなった。道場での合気は知らぬ人が見ると打ち合わせした、演技か演舞のように見えますがこのような暴漢相手は本当だと思えます。
「どうれぇ情けないっの、何だこのざまは」
「あっ空手の知念剛力先生、遅かったですね一つ頼みますよ!」
「何空手の先生だ、逸れはおっかねぇな?」
後ろから、ずいと紀文の前に出てきた。
「そうだ儂は琉球沖縄空手の達人だ、素手で瓦なら十枚は簡単に割る事が出来る!」
見ると年格好は三十ぐらい、筋肉隆々鍛えぬかれ身体はがねのようである。
「へぇ空手の達人ですか、琉球沖縄空手とは珍しいですね」
空手は身体すべてが武器です。鍛えた拳や足など打たれ強い身体は中国拳法とはおもむきが異なります。 比べ紀文は全く鍛えてません、体格の差は牛若丸と弁慶のようなものでかなりの差が有ります心細い限りです、まず相手は正拳突きで向かって来ました。
「とりやぁ-っ」
逸れを手を添えて横向きに外すそして合気で投げ飛ばす、空手にも受け身は有るようだすぐ立ち上がると叉構えに戻る、身体を鍛えているので投げは余り効かぬようだ。
なので紀文も、太極神拳の構えに変える。
「ふうんお主も空手が出来るのか、しかし見るからに柔で細い身体しているなぁ?」
言うと連続技でかかって来た、そして腰に差したムンチヤク(竹筒若しくは鉄パイプを鎖で繋げた武器)を取り出し、左右に唸りを挙げて飛ばし迫って来る。
「あちゃー、オラオラッ!」
(ビュン、ビュ-ン)
逸れを避けながら紀文も、腰に差した鉄扇で防いだ何回かするとパイプの鎖が切れてはじき飛ぶ、そうなると使い物にならない。
続けてサイという武器を出して来た、形は捕り物の授手に似ていて先が尖っている。それも鉄扇で打ち据える、サイは剣と変わりなく剣術なら文左衛門は得意である。これは駄目と悟ったので素手に切り替えてきた。
二三手拳でやりやうが 手がしびれる、 そして空手は指も鍛えて強力で目潰しにあえば、本当に目を潰され兼ねない為に警戒しつつ慎重に対戦するので神経も遣うのだ。
「フン、あたぁタッタッタ-タ!」
拳と拳、足と足、気合いの交差。空手の拳や蹴りは鍛えているので長く受けていると手が痺れてくる。勿論根来忍法にも体術が有り逸れなりに、手足は常日頃鍛えていたが空手の要には鍛えて無いので空手の攻撃には長く対応は出来ません。
空手は直線的な動き方で身体も鍛えているから直接身体で受けるが太極神拳は女人が舞を舞っているような動きで、その動きについ見惚れている内知らぬ間に遣られるのです。
「おりや-ぁ、そりゃ-!」
空手で鍛えられたるはがねのような身体には、我が拳はさほどこたえないとふんだので仕方なく、合気と太極神拳の合わせたおおぎ技で相手の経絡秘孔急所をとっさに突いた。
もしこの時文左衛門が暗殺拳である鳳凰真空切りを打っていれば、即死であったろうが文左衛門はいまだ太極神拳は未熟であったが故に空手家は命拾いして助かったのである。
「お主の拳は太極神拳か、まさかと思ったがしまった儂の命も後三年か」
太極神拳(暗殺拳)の有名は琉球沖縄まで伝わっていましたが、太極神拳の神話は知る者にとって神話となるが知らぬ者にとって太極神拳は本土では全く無名であってその恐怖的効果は有りませんでした。
本土まで伝わっていませんので相伝者である紀文さえも知らなかったので御座います。
空手家はううっと唸り再びその場にうずくまりました、そしてゆっくり起きてきてものも言わず青い顔しその場から立ち去った。
少しは効いたのだろうがどれほどのダメージかは本人では無いので把握出来ない、けれど何とか勝ったこの時代空手とは珍しい。
文左衛門は残った三人を縄で縛り付け、長板を差し込み(おれ達は強盗だ)と書き入れました。神技に近い技であったが合気はこの域に達するまで年齢に関係なく、ある者は若くして、ある者は年を経てなお白髪になってからも得られない事もあるようです。
「わっははは、よし此にて一件落着だ!」
紀文は何食わぬ顔で、その場を立ち去る、これが世が世ならばひとりの剣豪に近いといえよう剣は切れなくなるが合気は無限だ。
伊勢屋嘉右衛門の店先で、文左衛門が顔を覗かせ中の様子を見ていた。
「へぇあのもし、あんたさん何かご用で?」
其処の丁稚が怪訝な顔して言った、店に入り片隅の台に腰掛けた時、店先に客が顔色変えて飛び込んできた。
「おい伊勢屋、一定前提どうして呉れるんだよ蜜柑はよう祭りはもうすぐだぜ!」
「へい済みません蜜柑は紀州より、一艘たりとも入ってませんので御座います」
番頭と手代とも手を揉むと、それから地面にはいつくばって頭を下げる。
「あのねぇふいご祭りは、三日後だよ!」
「はい何とも、申し訳御座いまへん」
店先に江戸中の鍛治屋職人、親方衆が続々と押し寄せてきました一つのパニックです。
もう相場では有りません、この状態では一方的なっ値段も通り兼ねません。
「ええごめん伊勢屋さん、蜜柑方問屋旦那衆八人がお見えで御座います」
高垣亀十郎が蜜柑方を連れ伊勢屋にきたこれで江戸九軒蜜柑方が揃う。
「あれれ紀ノ国屋文左衛門殿は、まだ来てませんのかうーん逸れはおかしいな?」
この頃名字の代わりに、商人の間では屋号を用いる事が大流行りでした、伊勢屋長兵衛とか奈良屋茂左衛門とか、だから紀伊國屋文左衛門(紀ノ国屋文左衛門)でもおかしい事では有りませんでした。
高垣亀十朗が、店の者に聞く。
「お高垣亀十郎、儂はここや!」
店の隅から声がする、店員が探すさっきばかにした若者だった。
「若旦那! 今から蜜柑の値段を客間で決めておくれやす」
「このお人が、紀ノ国屋さん?」
皆は紀ノ国屋文左衛門が、以外に若者なのでびっくりした、人は見た目で判断する事が多くあるので、身なりはちゃんとした方が良いけれど、まだ江戸に来て間がないので、仕方なかった面もある。
「紀ノ国屋さん、先ずは上座にどうぞ、売り手はそちら紀ノ国屋さん、あんたさん独りだけです!」
どんと上座に坐る、紀ノ国屋文左衛門が声高に言った。
「私は紀州から来ました田舎者です、命がけで江戸にきました!」
「其れでは皆さん、今から蜜柑の値段入札します宜しいですか?」
皆望外な値段付かぬか不安な顔色、それ見て文左衛門が言った。
「聞けば去年まで一籠一両だったと聞いています、色付けて一籠一両と二分金で如何でしようか?」
(一分金四枚で小判一両と交換)
「紀伊国屋さん其れでよろしいのですか? 有り難い事ですが」
「私今回心意気で来ました! ほう外な値段は期待してません」
ふっかけられると思っていたのに、意外な申し出に皆同意した。
紀文は昔武兵衛に、教えられた近江商人の心得である三方良しの教え、売り手良し買い手良し世間良し、を実践しました。
八万籠で十二万両です、数量は各人で決めて貰いました。
「いつものように、八万両は藩の蜜柑方に為替で御願いして。四万両は佃島の凡天丸に頼みます」
文左衛門は心易くなった、蜜柑で儲けた金を預けている、住友の両替商に早速依頼しました。取り調べで出航は長引きそうです。
仕方なく紀文は近くにいたまだ若い、遊び人に声をかけた。
「其処の兄さん江戸子だってねぇ!」
「おお神田の生まれよ、俺に用が有るのかい何だい?」
「あのう江戸で一番の有名な遊ぶ所は何処ですか、紀州の田舎ものでさっぱり分かりません教えて貰えんやろか?」
「逸れは浅草田んぼにある吉原という色町やろか、けど一般の人は高くてとてもじゃないが遊べませんがねぇ」
田舎ものと小馬鹿にしたものの言いで、得意げに喋っていました。
「それじゃ私、いっぺん明日行って見ます」
「あんたさん名前何やったかのう?」
「私は、紀伊國屋文左衛門という者です!」
「あの蜜柑船で、名を上げた紀文すか!」
若い衆は、そそくさと退散しました。 そのはずです江戸の街は情報が速い瓦版で朝の事が夜には号外で町中に知れ渡っている、紀伊國屋文左衛門という名前が短期間で江戸中に広まっていました話題に飢えていました。
知らぬは本人(紀文)ばかり成りで有ります。
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