第14話 海南の下津で、難波船修理
今は江戸時代の戸籍は、ないしこの後紀州から江戸に移り住んだので、紀文の戸籍は今となっては通り名だけ残っている、念願どうり紀伊國屋文左衛門と、私はただ読みやすい今ふうに、(紀ノ国屋文左衛門)と、記入しているのです。
部屋にお方様が、突然入って来ました。
「これはお由利の方様、へへい」
藤林正武がその場で、手を付き頭を下げて平伏した。
「そちが鮫を退治した文左衛門どのか、若いのに強かなる者だ、私には近しい者が少ないよって、わが子源六共々これからも、よろしく頼みますぞ!」
常々お由利の方は、お城の二ノ丸で住んでいるが乳母が加納久通の奥方なので、乳離れした源六君を連れてたまに加納家に遊びに来るらしい。
「あの城勤めは、無いのですね」
「勿論です影となり助けてくれれば、それでいいのですよ」
「何ほどの事も出来ませぬが、私にできること成れば何なりと申し付け下さい!」
「ああ嬉しや! 頼みましたよ」
言うと軽く会釈し部屋を出て行く嵐のようなお方様だ、しかしその身のこなしは鋭く忍者のようである、文左衛門には解るのだ。
「これでお主も万々歳である、お由利の方の力添えも有るからの」
紀州藩にも派閥が有り、根来衆は二代藩主光貞の派閥なので、紀文も光貞派と成りました。
「はい気ままに出来るのも総て藤林様の、おかげでございます……。」
文左衛門は頭を下げ、部屋を出ると待っていた高松河内に、褒美の千両箱預けて片男波に帰る、作り置いた茶粥を食べて即刻寝た。
明くる朝魚屋の仕事に出るその段取りをしていたら、見かけぬ者が訪ねて来た。
「あのう、紀ノ国屋文左衛門さんですか?」
「そうだが、どちらさんです?」
「あのう私お手紙貰いまして、白浜の安宅から来た船大工ですが」
文左衛門に、深く礼をする。
「おお待っていました、船は下津港の大崎に打ち上げています」
「此処に来る途中にそれとなく観て来ました、南蛮はスペイン国のガレオン船でしたね!」
「詳しいのですね、へぇスペイン船でしたかならば外交問題にでも成りますか?」
「あっそれは心配無いですよ今日本は鎖国中なので、スペインとは国交ないので大丈夫です!」
大工はおもむろに手帳観た。
「治りますか、ぼろ船ですが?」
「ええ西洋船は頑丈ですし、船底の穴を治せば済みますよ」
「藩の許可下りたら? お願いしようと思っています」
文左衛門は笑顔で言った。
「藩からのお達し有り来ました」
「へえ早いですねえ、和船仕立てに治して欲しいのですが」
「それは出来ますよ、我が国の安宅船形式に成りますがね」
大工は面図を見せで説明する。
「文左衛門さん、あんたどえらい船見つけましたねぇ、この船は世界中を股にかけてる船で、龍骨張り巡らして、今の日本では有りませんやろ、弁財船で例えると二千石は有りますやろ、で修理の細かいところは、私共に任せて貰えますやろか?」
「はい、祖父武兵衛より安宅衆の優秀な事は、聞いてますのでおまかせを致します」
「外国材は無いので、日本の木材で代用してもよろしいですね?」
「はいそれで結構です、では宜しくお願いします」
「了解得たので、今日より修理にかかります、なお御要望有れば現場にて賜ります」
要件述べると、さっさとその場からいなくなった。
文左は鰻を積んで街に出る途中に、玉津島神社に寄り鰻をお裾分けする、巫女かよが待っていた。
「文左衛門さん毎度すみません」
文左はこの笑顔に弱かったのだ。
この日は鮫退治の効果で繁盛する、噂を聞いた娘らは、文左衛門の顔を一目見ようと集まる、歌舞伎の人気役者のような、端正な顔顔だちに、娘らは萌えるのだ。
年明け貞享三年(一六八六年)睦月(むつき一月)文左衛門は満十六歳である。
元禄時代まで後二年である。一月五日に魚市場は、三本締めして大発会し初仕事が始まった。
心引き締め、良い年でありますようにと神棚に祈った。市場の周辺はねこが多くねこだらけであったが、人々は招きねこと言って可愛いがったけれど、あまり増えないねこの需要があったのか……。
毎日が忙しく朝は魚市場、くれ六つ(午後六時)まで棒振り仕事して、帰りに下津港は大崎で、船の修理を見る日課になっていた。猫の手も欲しいほどであったが、玉津島の巫女のかよが、友達を連れて手助けに来てくれるので、何とかまわっていると思っている。
もちろんかってに和歌浦から自分で馬に乗ってやってくる、海南の下津まではかなりの距離あるのですが、馬に乗れるので毎日平気な顔してやってくるのです。どうも武家の娘なので、おてんばで勝ち気な所があるようです。
「かよさん、何時もすみません」
「いえかってに来て、ご迷惑ではなかったかしら?」
「本当に助かっています、これこの間夜店で買ったかんざしですがどうぞ使って下さい」
と言って紀文はかよの髪に、かんざしを挿してやった。
確か前から緋牡丹のかんざしを挿していたが、どうも玉を無くしたようだ、で紀文が探して来た。
「まあ嬉しいわ、ねえどうかなこれ、私に似合うかしら?」
かよはよっぽど、嬉しかったのか貰った緋牡丹のかんざしを、鏡に映しては何時までも観ていた。
「どうでしょうか、傷の程度は」
「はい、大丈夫ですよ傷は浅いです、ただガレオン船は帆柱三本有りまして大小二本にしますよ!」
「一本は折れてましたしねぇ」
よく観ていると驚く大工。
「あと船上に縄がどっさり有りまして、今逸れを撤去してます西洋の船は竜骨があって、とにかく頑丈に作られています」
「では少人数でも操船出来るように、改造をお願い致します」
そう文左衛門は大工に言った。
「この間役人が来まして、船の大砲十門持って行きましたよ」
「商船だから仕方ないですね、それではまた来ますので宜しく」
心強い返事に紀文は満足した。
徳川の江戸時代は、なぜか日本の技術は遅れて退化していた。
新しいものを好まない為か、鎖国政策の為か? その間に世界の技術は大幅に進んでいた。
日も暮れて来たので片男波まで馬を走らせ帰る、途中紀ノ川で鰻の入る竹あみ筒籠も揚げた。
家も手狭になって来たので、高松河内に頼んでいた、少し広い和歌浦南の屋敷に引っ越した。
(紀文)の看板掲げ従業員も五人増やして総勢六人となる、いよいよ魚屋から回船業に進出だ。
「よっしゃ、やったるでえ!」
その時心から出た叫びだった。
(紀文)は魚市場の仲間株を手に入れ、仲買いから侍屋敷への小売りまで手堅く商いをした。
(船修理したら水夫いるなあ、人が足らん回船業務に戻るからな)
毎日夕方に文左衛門は、下津大崎に通っては、船の修理状況を丹念に観ていた。 船底の穴は塞がれ下津を流れる加茂川の河口に浮かべて、上部を和船仕立てに改装していた。
下津は海南にあり、有田の箕島はほんに目と鼻先である。
「紀ノ国屋さん、大分出来ましたよ、それで船名は考えてますか」
「凡天丸にしようかと思っています、梵天丸ではおこがましくて」
「伊達政宗の幼名に似てますね」
「梵天丸、凡が違いますがね、さすがに有名人の名をそのまま使うのは、気兼ねいたしまして凡天丸としました……」
一呼吸して文左衛門は言った。
「大きいと思ってたが、水に浮かべると意外に小さく見えますね」
「そうですか中に入ると、かなり広いですよ! 日本の船なら二千石船ですかね?」
「毎日観てると楽しいですね!」
「藩に船名を申請して下さいね」
「屋号と船名を登録しますよ」
(屋号は紀ノ国屋、船の名は凡天丸と決まりだなぁ)
江戸幕府は鎖国により(一六三五年)大型船製造の禁止をした。
けれど(一六三八年)に荷物船に限り解禁したが、その影響で大型船は一時的に減ったのだ。
文左衛門は和歌浦魚市場は従業員に任せ、自分は海南は下津大崎でぼろ屋敷を買い、周辺の若者を集め、水夫の訓練を壱からする。
船員すぐに集まらないので、若い漁師の中より仕込もうとした。
教師には、祖父の船頭仲間に頼み自らは関口流柔術を教えた。
如月(きさらぎ二月)で底冷えする。外は雪が舞っていた。文左は忙しくても侍屋敷は自分の持ち場と、心得て得意先を廻っていた。
加納屋敷に来て御用聞き伺って台所方に入った。応対するお女中に言った。
「ええ今日は脂のった寒ぼら、どうですか美味しいですよ?」
桶から生きのよく、飛び跳ねている寒ぼらを皆に見せる。
「まあ丸々して、ほんとにこれは美味しそうだわねぇ」
そこへ加納久通奥方の乳母に連れられて源六君がよちよち歩きでやってきた、にこりと笑う。
「あっ文左衛門それはぼらか」
「源六様、また持って来ましたよ新鮮で美味しいですよ」
「好物じゃ今からさばいてくれるの、よろしく頼むよ嬉しいな!」
理発な子供だ、奥方が言った。
「あのう文左衛門さん、お由利の方よりお預かりしている物が、御座いますのよ」
と言うなり本を出す、(元和航海記)池田好運著作の、その当時幻の本である、西洋の天文航海術を表した、当時の帆船運用に於いて極めて優秀なる幻の本であった。
鎖国により、船も小さくなりその影響なのか、地乗り航行が主になって船底を陸近くの岩に、ぶつけるなどの航海事故も、当然多くなっていた。
「これは貴重な本ありがたい、お方様には文左衛門が、お礼を言っていたとお伝え下さい」
言ってから、頭を床に下げる。
お由利の方が至れり尽くせりの事、それは紀文を根来忍者と知っての事と思われるが、藤林正武の口添えも多分に影響していると思われる。
(心かけてくれるお方様だな、いや紀州藩主徳川光貞公の心も入ってるのだ)
その期待にたいして、めがねどうりの働きを後にして、根来忍者を徳川幕府の中央に、押し上げるきっかけと成るのである。
弥生(やよい三月)、待っていた紀州藩からの許可が下りた。
紀ノ国屋の屋号と回船業務の許可、凡天丸の使用名である。逸れを聞くと、もう舞い上がるほど嬉しかった。
矢も楯もたまらず、先ずはかよに言ったら自分の事のように喜んでくれる、その場にいた皆にも大声で報告した。
皆大いに喜こぶ、船も大分仕上がっていたので、次の日早速伊勢にある木綿屋に、厚めの帆布を注文した、もちろん丸に紀の字を入れた帆布である。
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