第11話 太地の帰り太極神拳相伝
湊の近くで水茶屋があった。
「あのう、何か腹の足しになる物は、無いですかね?」
思えば朝から何も食べていなかった、ひもじい顔をしている。
「あのう賄いの茶粥なら有りますが。どういたしますか?」
細めの若い看板娘が、にっこりと聞く。
「あのうそれと何かおかずは、有りませんでしょうか」
「この店は飯屋と違いますが、賄いの鯨の焼肉なら少し残ってますが」
その焼き肉のいい匂いが、辺りに漂っているよけいに空きっ腹にこたえた。
「とにかく、それもらえますか?」
朝から何も口にしていない、冷たい茶粥は紀州の名物、先ず出されたものを掻込んで、腹を満たしてゆるりと一服していると、文兵衛の隣りの席に老人が腰を掛けた。
「あのもし、どうなすった?」
「へい旦那様、湯浅に行くところが、船が江戸に戻りました」
「うむ、それはお困りでしょう」
「この辺に知り合いも無く、旅籠もないので困っています」
太地は山に囲まれ、歩いて行けぬ不案内では、迷い危険である。
「儂は太地の鯨方網元で、和田金右衛門と申す者だが、そうだのうでは暫く我が屋敷にて次の船を待つが良い」
「はいとても助かります、其れではよろしくお願いします」
深々と頭を下げる、金右衛門は水茶屋の代金を払うと、山手の坂を歩いて行く。
後について暫くすると、和田家の大きな屋敷が見えて来る、そして指を差して言う。
「しばらくはあそこの納屋で休むが良い」
「へい、有り難くでは御厄介に成ります」
文兵衛は早速に、納屋の片隅で寝た。
明くる日から和田家の、居候として庭の掃除や薪割りなど、懸命に下働きをした。
「あの文兵衛さん、夕食いかがですか?」
末娘十歳の知佳が、にこにこしてお膳を持って来た。
味噌汁と鯨の肉それに白米、うまそうな匂いがしている。
「へい、早速ご馳走に成ります!」
「文兵衛さんの好きな鯨の生姜焼きと、冷たいお粥も有りますよ」
(胸キュン、俺って惚れぽいの)
腹を満たし外に出空を見た、満天に星が煌めき美しかった。
浜風が吹いている、身体が冷えるので、納屋に入り本を読む。
鯨に関する本が多くあった、絵入り巻物もあり良くわかった。
現物のモリや、刃刺しも置いて有って、それは素人にも理解しやすかった。
特に注意されてなかったので、手に取ると俄か鯨取りになったような気がした。
文兵衛は朝から薪割りをしている、スッと割れる調子が良い。
「文兵衛さん、昼飯持ってきましたよ」
「知佳さん、すみませんいつもありがとう」
後にいた息子の和田直次郎、十二歳が近くに来て言った。
「文兵衛さん、ほな一緒に食べようか」
「オウどうぞ、横に座りよし」
「あの友達になって、くれるかのぅ?」
「オウ、いいよっ短い間となるけどな」
「妹に聞いたのやが、おいらに柔術教えてくれるかのぅ」
「うん、ええよ何時でも此処へきなよ」
文兵衛は、にっこりと笑う。
「うわ! じぁ明日から頼むでな」
食べると嬉しかったのか、小躍りして母屋に帰って行った。
網元の子で友達が、いなかったのだろう。
直次郎はあれから、ちょくちょく顔見せるようになった。文兵衛はいろんな人に会い話しをし、聞く事が楽しみであった。
「文兵衛さん、早速柔らを習いに来たよ」
「よし、では関口流の投げ技やるぞ」
どんどん技掛けて投げる、直次郎は倒れても向かって来た。
「直次郎さん、今日はこれぐらいにしておこうかのう」
文兵衛は、手ぬぐいで身体の汗を拭った。
「へえ、おおきにさん」
直次郎はまんぞくして、満面笑顔だった。
「次は直次郎さん、私に鯨の事教えてくれるかのう?」
「うん僕にわかることやったら何でも、聞いてくれたらええよ!」
鯨漁は四月から九月にかけて休漁だ。その間には鰹漁など小物を取る、今は神無月(かんなづき十月)となる。
「そろそろ鯨の追い込み漁、出るからその時に見に行こうかな」
「よしっやぁ、それじゃ逸れを楽しみに待ってるで」
「ほなそれまで舟用意しとくわ、段取りは任しといてくれるかなぁ」
妹の知佳が、夕食を持って来た。
「それじゃ今日は三人で仲良く食べようかの、人が多いと旨いからね」
丸顔の、なかなか愛嬌のある娘である。
貞享元年(一六八四年)、この頃の太地の人口は四千七十一戸で千八百人有りました。
「文兵衛さん今日太地の若い衆総出で、背美鯨を追うらしいぜ」
「うん観てみたいものだな、抹香(マツコウ)鯨は追わないの?」
「あの鯨は獰猛で、鯨少ない時意外は相手にしないらしい安全第一やから!」
矢張り鯨取りの専門家でも、抹香(マツコウ)鯨は一目置かれているらしい。
「う-んそうかぁ、観てみたいものだな!」
「じゃあ、今から内緒で舟出そか?」
「そうやのう、ほな遠方からでも見るか」
直次郎はしきりに、文兵衛の手を引く。
「早よ行こらよ! 文兵衛さんよぉ」
「銛やアミ、それに太鼓も積んだか?」
「はい準備万端、抜かりは御座いません」
足どり軽く浜まで駆けて行く。直次郎が文兵衛に平舟の手前で声掛ける。
「文兵衛さんちょっと待って、乗る前に準備体操しとこか!」
「おうそやのう急に水掛かったら、手足がこぶらがえりするからなぁ」
文兵衛と直次郎は浜で軽く体操して平舟に乗る。共に半袖の上着で赤い褌姿であった。
前で文兵衛が銛を握り、後ろでは直次郎が懸命に櫓を漕いでいる。
「朝方背美鯨追って行った連中と、そろそろ会うても良いがのう」
「鯨逃がして、追うてるんやろ!」
と言って銛の先を、砥石で尖らす文兵衛。
「そうかなどんくさいな、皆いったい何してるのかな?」
すると突然に、直次郎は漕ぐ手を止める。
「文兵衛さん今近くで、鯨が潮噴いたで」
「あっ見えたで、ええっとあれはゴンドウ鯨やな!」
「よっしゃほな今から行って、この銛で仕留めたろかのう!」
文兵衛は目を凝らし、足踏ん張り銛を構えて身構えた。
「待ってよう兄貴、今ついたら鯨が暴れてこの舟沈むよってに」
「ちっこい平舟で一艘やしな、そうや太鼓叩いて浜辺に追うてみるか!」
「ううんやってみる価値は十分に、あるかもわからんな?」
「ほな太鼓叩くで、鯨の頭抑えて浜辺へ誘導して呉れるかの」
「文兵衛さん、分からんので指示してよう」
それで文兵衛声をたてず、手で合図した。
(ドンドコドン)思いさま叩く、何かお祭り気分で爽快だった。
次第にゴンドウ鯨を、浜辺へと追うた。
潜水した鯨の動きを示す渦が見えて、海上の周りに泡も立っている。
「兄貴そろそろ鯨、上がって来るぞぉ!」
黒い山が盛り上がって来た、平舟は左右に大きく揺れる。筏流しで鍛えた足を踏ん張り鯨の背に、全身の力込めて銛を突き刺す。
(ドスン)手ごたえがあった。すかさず直次郎も銛を刺した。
「オイ、早いとこアミ被せよ!」
二人は鯨の動き止める為アミを投げ入れる、暫くすると波が収まりポカッと鯨が浮いて来た、そしてかなり浜辺に近づいていた。次々に留めの銛を、鯨の心臓に銛を刺す。
「やった鯨を捕った、編みに縄付けろ!」
近いので浜辺にいた子供に聞こえたのだろう、手を大きく振っている。
すると泳ぎ上手なあまさんが、編みに麻の縄付けて浜の皆に合図しました。
「ヨイショ、よいこらさあの、ドッコイサのせい!」
女子供が縄を引っぱっる。それは運動会の綱引きのようだった。
ようやく上げた鯨は(約六・四メェトル)ゴンドウ鯨としては、なかなかの大物であった皆の顔がほころぶ。
小鯨も二頭浜に乗り上げていた、速くも大人衆により解体処理された。
その後に鯨方の船団が帰って来た、太漁旗が揚がってない背美鯨を取り逃がしたのか。
変わりにマイルカ十五頭ほど、水揚げして浜辺は賑やかであった。
多い少ないは言えない、皆命掛けの仕事と知っているからだ。
またこの頃の年寄りとは、村の役員で若年寄りは少なかった権力があったのだ。
幕府でも老中若年寄りは、重役で中々になれぬ役職でもあった。
若年寄りの太地覚右衛門(網元)が挨拶に来た。若いが貫録あり筋肉隆々でちょん髷結っている。
「こたびの活躍聞きました、ご苦労様です今どこにお住まいで?」
「和田金右衛門宅で、厄介になっている山本文兵衛という者です」
「そうでしたか、何かお困りの事あれば、私に言って下さいね」
「おおきに、でもそう長くおれません、船くれば湯浅に帰ります」
丁寧な挨拶にて文兵衛かしこまる、緊張して汗が吹いてきた。
「皆喜んでいました、ではこれにて失礼しますよまずは御礼方々」
文兵衛は殺生した鯨の御霊を祀る祠で、両手を合わせ供養した。
鯨はこの村にとって、人々の命を繋ぐ糧であったのだ。牛の命も鯨の命も同じに尊いのである。人は誰も命をいただいて生きているのだ植物も生き物であるなら。
帰り道直次郎が、いき切らせ走って来た。
「文兵衛さん沖に、樽廻船の天神丸来たよ」
「えっ本当か! これで故郷に帰れるなぁ」
「文兵衛さん名残惜しいな、このまま此処にいて呉れたらなぁ」
和田金右衛門が、挨拶に来ました。
「儂はな文兵衛さんが、太地に居て貰えると嬉しいのやがなぁ」
「へい湯浅で、母が待ってるので」
「まあ無理は言えん、叉来て下され喜んでお迎えしますので」
「へい、有り難く思います」
「ではこれにて失礼します、村の寄り合いに行きますので」
言い終わり金右衛門は、役場の方に向う。
直次郎が手招きして待つ、文兵衛平は平舟までゆっくりと歩いて行った。
「文兵衛さん荷物と鯨の肉積んだよ、あっそれと銛もやなこの銛どうするの?」
「直次郎さんそれじゃ船まで、平舟で今から送って呉れるのか?」
直次郎は平舟を漕いでいる、文兵衛の心は久しぶりに晴れ晴れしている。天神丸に着き声を掛けると、水夫が荷物を揚げて無事乗船した。逸れを確認すると船は帆を揚げ、大坂に向けて出航した。
空は晴れて澄み渡り、全く気持ちの良い青空であった。
直次郎遠くで懸命に手をふってる、青い海も凪いで穏やかであった。
樽廻船は紀州廻船に属し天神丸は、千石船で船長の後藤長十朗は、最新の航海技術者でもあった。
「そこの若い衆、湯浅で降りますか?」
「あのその先の和歌浦漁港で、私を降ろして貰えますか」
「へえあんたさんは、和歌浦の漁師さんでしたのですか?」
初め湯浅と言っていたのが、急に変更したので不思議がる。
「いえ、少し私に事情有りましてね」
「いえねぇ、あなたの顔何処かで観たような、気がしましてねぇ」
「祖父は、明心丸の船長でした」
「あっそれで、その人が私の師匠です腕は良かったのですがねぇ」
「孫の、山本文兵衛と言います」
「そう私にとり、嬉しい船旅に成りました」
「では操船を、私に教えて下さいね?」
「何なりと私で良ければ聞いて下さいよ、私も武兵衛さんに教えて貰いましたのでね」
それから船長直伝で最新の航海方法を聞いて覚えた。幼い頃の祖父の教えが今また蘇って参りました。
「あの後藤さん、あの隅で体操してます女の子は誰ですか? 変わった服着てますねぇ」
「あの子は、一年前海で流されている時、助け出しましたチャイナの娘さんで、行くとこ無いと云うので此処に置いていますのや!」
観ていると流れるような、動きです逸れを見惚れていますと。
「おうチョット其処の若者、ジイット最前から見ているが私に何かあるか?」
チャイナ娘と、急に目が合った。
「はい、あまりに動きが綺麗なので、つい見とれていました!」
「其れでは少し私とカンフーで、汗かいてみるか、カンフーは武術アルよ」
「はい、お手柔らかにお教え御願いしますよ、それは何という武術でしょうか?」
「うんチャイナ(中国)の、これぞ太極神拳アルよ!」
と言って色々な形を見せて、くれました足を地べたに着けたりヨガのように、捻ったりとカンフーは身体の柔らかさが必要である。
幸い文兵衛はまだ若かったので、その動きについていけましたが、けっこう節々が稽古後に、身が入たのか痛くなりました。
今でも中国で、体操として残ってるのも頷けますねぇ、それに気合いの声も凄まじいものがある、女であっても耳に響くのだ。
(アチャッ、アタタタッタ-タタッ!)
チャイナ服を着た娘の、柔術とも違った突きや蹴り、逆手取りや巻き手の受け身、それはもう新鮮であったのは言うまでもない。
今までの体術や柔には無かった身体の動きであり、今の太極拳と違ってこの娘は、実は本格的武闘派拳法の太極神拳伝承者であったのだ。陽の少林寺拳法、陰の暗殺拳の太極神拳チヤイナでは震える程恐れられていた。
そんな人が、どうゆうわけあって日本に流れ着いたのか、本人は詳しい事は何も言わない(政変からか?)またそれは個人的な事なのか文兵衛は、まったく聴こうともしなかったが娘は本能的に何か思ったのでしょう、文兵衛に必死に教えた。流暢な舞のような演舞をみた者は死に誘う舞を見たようなもので、中華の武術家にはことさら恐れられました。
後の中国拳法にとっては、大いなる損失であったろうと思われるのですその後の太極拳法が、惜しくも今や武術でなく体操に近くなり残ったので御座います名も太極拳ですが。
今中国では、太極拳法は朝夕の体操となっているが、この頃までは実戦的武術であったのだ、一子相伝成るゆえに途絶えたのであろうか? といってもその頃の中華では無敵の拳法だった故、その名前と人々の憧れから体操として、残り引き継がれているのである。
文兵衛もその凄さは知るよしもない、叉若い娘とあなどったのかも知れませんねぇ。
「文兵衛今日は太極神拳とっておきの、鳳凰真空切りを教えるアルよ! これを見よウッリヤ-アァツ」
気合いもろとも近くに置いていた十寸(三十センチ)の丸棒を、刃物で切ったようにスパッと、竹をさいた如く真っ二つにした。
「ウワア-凄いですね、別に何も持ってませんよねぇ?」
「かまいたちのように、真空切りをしましたこれは太極神拳の秘伝の鳳凰真空切りでアルよ!」
「えっそれを私に、教えてくれるの?」
文兵衛丸棒のスパット切れた切り口を、何度も感心して観ている。
「誰しも出来ないけどあなた素質アル、アナタ若いし身体も柔らかい、コツさえ掴めばすぐにも出来るあるよ柔良く豪を制すある!」
やってみたけど真空切りは、出来なかった一夜ずけでどうなるものでも有るまい。 けれど他の技は 何とか 手取り足取り教えてもらい何とかものに成る、娘はたどたどしい日本語であるが、身体の経絡秘孔(急所)を指で指しながら分かり易く丁寧に教えてくれた。
そして対面で両手を合わせる、気功術で気を送られましたこれをやると内功が強くなるらしいのです、短期相伝には欠かせぬ事なぜか気が充実したようです。
そして娘が言うに、男と女の身体が違うので経絡秘孔も違うらしく、絵で印した本も貰いました。
(漢字と絵で書かれていた、のでチャイナ文字も大方理解出来た)
短い期間であつたが、しみ入る様に覚えた。また小さき頃から鍛えていたので基礎が出来ていた事も早く取得出来た原因である。
教師が美人であったのも、楽しく学べる要因であったのだろう。娘は文兵衛に相伝したと思っているが肝心の文兵衛は自覚がない中国で歴史あるものすごい拳法という事も知らずであった日本で言うと琉球沖縄県まではその名は知られていたが今は太極拳は残ってるが太極神拳は消えてしまった。中国拳法の達人でもその名を聞くと震えたと云う暗殺拳も相伝者が居なくなると消えてしまうものなのですね幻の拳法と云われるゆえんでしょう。
ちなみに中国の少林寺拳法も、中国には無く現在では日本の四国の多度津に寺でない総本山が在ります、少林寺と言うだるま大使で有名な寺は、勿論古くから中国にありました事は歴史より明白で御座います。
紀州廻船は順調に航行して、串本、白浜、御坊、湯浅を、過ぎて和歌浦港のふ頭に着きました。
「後藤船長ご教授有り難く思います、此処で降りますチヤイナの娘さんもありがとう」
「ほうお役に立ちましたか、其れでは文兵衛さんも元気に達者でのう」
水夫が荷物降ろすのを、手伝ってくれた。チャイナ(中国)のクゥニャン(中国の若い娘)も、にっこりと笑顔で送ってくれた。
娘にとって気掛かりだった太極神拳の相伝を伝えた、満足感もあったのだろうと思われます、相伝の印は有りませんでしたが。肝心の文兵衛はノ-天気で言葉の壁も有り、娘の意思は伝わっていなかったと思われます。
貞享二年(一六八五年)五代将軍徳川綱吉の御代、文兵衛も十六歳になり見た目にも大人であった。
身長も五尺六寸(一メェトル六八センチ)になっていた。
和歌浦のふ頭から呆然として海を見ていました、頭の中が真っ白けでしばし何も、考えられなかったのです。
潮風が吹いてきて、身が寒さの為震えて我に返るのであった。宛てがあって和歌浦に来たのでは無いのです、ただ何となく気の向くままに降りたのである。
運とか縁というものはそういうところから、始まる事もあるみたいである。
この年は江戸幕府、初代天文方の(渋川春海)が日本最初の国産暦を作り、大陰太陽暦の貞享暦としてその後七十年間使われた。
またこの頃には元禄十三年まで水戸黄門で有名な、水戸家二代藩主徳川光圀公が活躍していました。
和歌浦のふ頭から高台に行きふたたび海を眺めている、一人の若い男がいた。ザザザァ波が海岸を洗う音がする、男は呟いた。
「何かでかい事を、やりたいがのう」
一見二十歳とも見え目鼻立ちは整い、色白の文兵衛である。
「さて、知り合いも居ないし、これからどない仕様かの?」
人生何してもうまくいかない時がある。やることなすことが、裏目に出て、それでやる気がなくなっていくのである
そんな時下手に動いてどつぼに嵌まる事が多い、かえって何もしないほうが良い事が多いのです。
どんな人にも運期があり、悪い事が重なる事も多々あるが、希望とか目処があれば、苦労も乗り越えられるのですが、この時何も考えられる事も無く、頭の中は真っ白で茫然自失でした。
(今の世で武士でもない、小僧が出世するのは容易な事でない、武芸が少々出来てもいったい何に成るのか?)
勿論懐には一銭もなくすかんぴんで心細いの何のって、しかし何時も人生に前向きであれば、良い運も巡って来ると信じていた。
(金は人を生かしもし殺しもするというのは本当だなぁと、身にしみて実感しました)
人生不利運の時はあるしまた良いときもある、まだ若いからこの先良い事も有るだろうと思っている。
背中に太地から持ってきたモリがずしんと重く感じた、そうだ鯨の干し肉もある少し生臭いが逸れを口にして、空腹をしのいだ。
途中道の横の広場で大道芸人が、サル回しをしていました、近所の人やら旅人らで大勢集まり観ていましたが終わったようです、見聞料金が割と多くあったようでホクホク顔です。それなら自分もと思い立ちました。
前に出てまずは簡単な挨拶をしました。そしてストリートダンスよろしく前転横転後転を披露しました。
「もっと変わった芸を見せてくれ!」仕方なく瓦やレンガを拾って来て、三四枚試しに割って見せました。
「何だありふれた芸やのう、若い衆そしたら此を素手で割って呉れたら納得いくがのう」
丸い五寸の木の根っこを、文兵衛の目の前に置きました。意地の悪い人はどこにもいますねぇ出された以上意地でも断れません。仕方なくチャイナ娘より教わった鳳凰真空切りを披露するはめとなった自信は有りません。
「うっ、キエェ-イツ!」
「パカッ」
決まりました根っこは見事真二つに割れました、見ていた人々のヤンヤのかっさいは鳴り止まずいちゃもん付けた男はすごすごとどこかに行ったようです。
なぜ出来たのか自分でも信じられなかったあれはまぐれだったのか? でもないだろうが切羽詰まってやった技であった。もう一度やれと言われても出来る自信はなかったのである。猿回しの忘れていた籠には銭が山のように積まれていました。
大道芸も終わって、 ただあてどもなく歩いた。ふと何気に顔あげて見ると、近くに玉津島神社が見えた、喉が渇き水を飲もうと立ち寄りました。
太極神拳を使うと合気と違って、内攻的なエネルギーをかなり消費するらしい腹が減っている事も有りもうへとへとであった。
この神社は美人で歌人の、小野小町がよく参詣して、袖を掛けた塀が今も残っていると云う。
祭神は四神あり、特に衣通姫(そとおりひめ)は和歌の神として、和歌を読む人に崇められている。
参拝し柄杓で手を清め水を飲む、先ほどの疲れが出たのかその場に座り込んだ。
その様子を遠くから神社の巫女が、見ていました。その巫女名は神主の娘でかよと云う。
「お父様あそこに、倒れているお人がいますよ、助けてあげて!」
聞いてよしと、腰をあげその足で若者に近づいて、高松河内が声をかけた。
「もしいかが成された、儂は神主の高松河内と言う者ですが、何かお困りでしようか?」
「これはご迷惑をおかけします」
文兵衛は簡単に事情話す、神主は真剣に聞いてくれた。
「事情よく分かった苦労したんだのう、するとお主林長五郎殿を知ってるのか、では本当に弟子なのか?」
高松河内はじっと文兵衛の目を見ている。
「へい、私の柔術の師匠でございますが、何か知り合いでしたか?」
勿論忍者の師匠である、事は伏せている。
「あの者本当は紀州藩士で、藤林正武と云う儂の友人でもあるのだ!」
「では、高松河内神主も武士なのですか?」
高松河内は額の汗を手ぬぐいで拭く、質問のそれには応えずに黙り込んだ。
「うむ少し縁が有るようだな、とりあえず片男波に空き家が一軒ある当分そこに住むか」
「へいありがとうございます、逸れでは宜しく御願いします!」
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