第8話 義経流忍術、山賊退治

 師走(しわす12月)文兵衛は湯浅の別所にある、勝楽寺の寺子屋に通う事となりました。

 勝楽寺は浄土宗の寺で子供らは畳に自前の平机を持ち込み、幼い男女二十人ほどがお寺の広間にて平机を並べて勉強していた。

「ハイ文平ちゃん、久し振りだね元気にしてたの?」

「あれれ美咲じゃないか、いったいどうしたというの?」

 文兵衛は思ってもいなかった、以外な事でなので戸惑う。

「喜美代姉さんも来てるよ、ほらあそこにいてるよ!」

喜美代は手を大きく振り回しながら、にこやかに笑っている。

「ねぇ勉強はお母さんに、教えてもらえないの?」

「最近忙しくてね、それでねぇ私達は此処に出されたのよ近いしね」

「ふうんそうかぁ、じゃ仕方ないなあ忙しいなら」

 文兵衛をジロジロ見ていた、喜美代もこちらに笑顔で来た。

「あれ文兵衛さん、何その格好はえらい変わったわねぇ?」

 確かめる様に、ぐるっと一回りしながらじろじろ見る。

「ううんよく見ると、もうおっさんよね!」

「ハハハ、よせやい褒めるのは」

 トンチンカンな返事、苦労のせいか少しひねて見えるのだが、本人にはわからないのである。

 (最近、喜美代もたまに文平と言う)

 美咲が常に言うので、通ってしまったようだ聞くだけでは判らんが。

「おい文兵衛、お前生意気だな!」

なぜか餓鬼大将の、権太から文兵衛はにらまれている。今までは比較的自分より年上の人に接して来た、それ故に人の反感や妬みは無縁であったが同年代に接すると、まともに降りかかって来る自己中の者がいるのだ、自分より恵まれている叉は優れているだけで腹が立つ者がいるのだ仕方ないですね。

「えっどこがですか、権太さま?」

 文兵衛まだ子供、対抗心で負けじと云う。「おっなんやお前生意気やな、この俺に逆らうんか拳骨喰らわすぞ!」

 拳を振り上げるが、先生が注意しその場はおんびんに済んだ。

 案の定帰り道で五人の悪餓鬼が、文兵衛を待ち伏せしていた。

「おう文兵衛だ、来たぞやっちまえ!」

 皆でぐるっと取り囲む、手に棒切れを持った者もいる、棒先には釘が打ちつけられ危険であった。

 道は十地路面で、意外に広く感じた。

 文兵衛の頭で何かがはじけた、その動きがゆっくりと見えるのだ。

「このやろう、これでも食らえ!」

 先ず前の棒切れ持った者が、上から思い切り打ち降ろす、当たれば当然だが血を見る事になる。

「ええい、とりゃあっ!」

懐に入り手首押さえると、そのまま後ろに投げ飛ばした。

「うわわいっ、腰うった痛いよう」

 転げて倒れると後ろの二人はそれとばかり、文兵衛の足を取りに来た。

 そのまま飛び上がって二段蹴りをする、もう一人の子供の背中に乗ると即倒れ込みカエルの様に地面にへしゃいだ。

 別の二人は、合気技で手首を関節攻めにしてころころと投げ飛ばした。勿論子供相手の喧嘩なのでかなり手加減をしました。

「うわあっ痛いよ、こいつは化け物だ!」

 子供らは先を争ってクモが散るように逃げて行った、子供といっても文兵衛と変わらない年頃で御座いました。

 見ていたのは、あの神社の二人娘です。

「よっ文平ちゃん、かっこいい!」

「オイ美咲ちゃん、冷やかすなよ!」

 文兵衛は、少しはにかみ照れ笑いする。

「そう当たり前だわ、それは長いこと修行してたんだもの」

 さっそく喜美代が横やりを入れた。

 文兵衛はあとで父母から、文句の出ないよう手加減をしたつもりだ、しかし技はあるが手足は鍛えてないので少しばかり痛んだ。

翌日から早速板に縄を巻き、正拳打ちの練習して鍛えた。

 あれから悪餓鬼も少しおとなしくなった。文兵衛も勉強の遅れを取り戻そうと、熱心に励んむ幸い根来流記憶術など役に立った。

ある日寺子屋で親しくなった、男友達が言った。

「文兵衛さんその持っている、木刀良いですねぇ何か風格がある」

「おおこれは宮本武蔵ゆかりの、木刀で我が師匠から貰った物だ!」

「僕に少しの間貸して呉れる、今度木刀を作る見本にしたいので」

言って少しの間貸してやったが、それが中々還らずその子供は寺子屋にも来なくなって、とうとう無くしてしまった事にきずいたが後の祭だ人に貸したらやった事になると気が付いた。物を貸すときは人を見る事だ。

 延宝五年(一六七八年)葉月(八月)、文兵衛は九歳になっていた。

 徳川四代将軍は、家綱の御世である。過ぎ去りし日はあっという間であり、それは振り返えってみればその人々の歴史となる。

 文兵衛は別所の実家で、夏休みなのでごろごろと昼寝していた。

 あちこち庭の木々に、セミが鳴いている。

「武兵衛の爺ちゃんどうしたんだろうえらい遅いね、帰る予定より遅れて三日たつ」

 隣で祖母が、せっせと編み物している。

「本当に遅いねえ、どうしたのかねえ文兵衛も待ってるのにね?」

「もう一度船に乗せたると、じいちゃんあれだけ言ったのになあ」

 すると江戸取引先から、飛脚が来た。

文旦が読んでいた手紙落とす。

「あのあなた、どうなさいましたか?」

 青い顔した、文旦が口を開く。

「おとうの船が、時化で沈んだ」

 もう明心丸は湯浅に帰って来ない。山紀の店は大痛手であった。

 今まで手堅く商って来た、どうしょうもなく、オロオロするばかりである祖父武兵衛五十四歳没。

家族は九人祖母の峰、文旦、千代、長兵衛、文兵衛、忠兵衛、千歳、吉兵衛、六兵衛である。

 子供らはまだ小さい、文旦は頭を痛めるやむえず湯浅北湊の店は、閉めて空いた土地は売却しました。

 全てを別所の家にまとめる、一家は突然貧乏のどん底になった。

文兵衛の心にぽっかり穴が空いたようだった、武兵衛の存在は大きかったのだ。身近の人があっけなく死ぬのはショックだった。

(自分はいったい何の為にこの世に生まれこの先何を成すべきなのだろうか、そして生まれた意味は在るのだろうか?)武兵衛の死で幼いながらも、ふっと思うのであった。

 文旦は幸い近くに醤油造りの、勤め先があったのでそこで作業員として働く。

 峰や千代も内職の縫い物拾い仕事をする。

 文兵衛も寺子屋が終わると、家の手助けをする、薪割りに風呂焚き子守リなど仕事は多くあった。

 文兵衛は小さかったので、外に出されず済んだのだ。子供ながら家の事情は解っていたので、出来る事は何でもした。

祭りには夜店で餅を売ったリおにぎりを作って売ったりと、小さいながら商売の真似事もしました。

 文兵衛は根っから楽天家で、一途な面もあるのだが、元々明るい性格であったのだ。

精神的に大人に近づくが、子供の冒険心や探険心は失ってはいない少しばかり、おっちょこちょいであるのだが。

「あっ見ろ、ボロ文が来たぞ!」

 文兵衛教室を見渡す、けれども誰が言ったかわからない。

「えっ文平ちゃん、何よそのかっこは?」

 髪はぼさぼさ、服はボロボロでした。

「へえ-っおかしいかな? 美咲さん」

「なによ乞食みたいね、その身なりは何とかならないの」

 チクリと喜美代が言う。

「今俺んちはとても貧乏だ、喜美代さん解ってくれる勉強道具も買う銭もなくて困ってるんだ……」

 文兵衛ボサボサ頭を、手でぼりぼり掻きながら言った。

「ふうん嘘よ、昨日大きなうなぎを食べてたじゃないの?」

無理もないこの頃、鰻の蒲焼きは店で食べると、一皿二百文(三千円)はしたらしい。

「あれはねぇおいらが、広川で鰻取りのあみ仕掛けて、それで取って来たんだよ!」

 文兵衛は工夫好きで、うなぎ取りの網籠も考え出していたのだ。

 細長い網筒の本体に、竹の蓋に尖った戻りを付けると鰻は最初入れてもあと竹の弾力で、入り口がすぼみ中より出れなくなる。

「じゃ、私達にも取って来てよ!」

「うん、早速今晩神社にうなぎを持っていくよ広川に鰻取りの籠を仕掛けてあるんだ」

「わぁい! 嬉しいなあ私うなぎが大好きなのよ」

 まあ久しぶりに神社に行くも、いいかなぁと思った。(でも気をつけて下さいねぇうなぎの生の血には毒が有り決して生では食べないように特に生肝は命取り、その毒は火に弱く焼いて調理すれば簡単に消えますがねぇ)

しかし文無しは、さすがに身に堪えるなあ欲しい物も買えずに我慢する。

笑われても迷信だ言われてもよいのです。

世の中には目に見えぬ、運とか縁とかある人の生き死にもそうだ金無くば死ぬ事もある。

土地にも運あってどんな店も不思議と流行らぬ場所ある、店を持とうとする時近所の話を聞いたり人の行き来する流れを見たり、自ら勘を働かせねば大損し資本少ない頃、再起不能となるのです一生後悔します。

(長五朗師匠は工夫せよと言ってたな、そうだ藁地に敷き皮乗せたろ)

 早速試してみたら調子が良く硬い小枝やとげが、刺さらなくなった、また竹に皮を包帯のように膝まで、巻き付けて蛇に足を噛まれても大丈夫なようにもしました。

忍術科学は常に進歩しなければならない、これで良いと思ったとき進歩は止まる、そして逸れは直ぐにも古く成るのである。

自分で考えられぬなら常に新しい物や考え方を外に求めて吸収をする、そう新しもの好きな珍しいもの好きな信長のように、何もかにも自分がではなく他人の力を利用し、人の考え意見を借りてでも良いので有る。

 手腕には年代物の中古品、手甲を買って取り付ける本当の忍者のようであるが、それはあくまで蝮蛇(まむし)の対応策だ。

(これで山道も安心、楽勝で歩けるな)

「よっしゃ、明日から叉修行だ!」

 文兵衛は駆ける野原や山を、腰にはお茶が入ったひょうたんを、何時もぶら下げている動くとのどが渇くのだ。

 川に入ってはうなぎや鯉、フナや鮎を取り水辺で火を興してはその場にて食べた。

田んぼではタニシを取り、よく煮詰めて蒼いアクを取り除き、醤油と砂糖少し入れ煮詰める事二時間ほど少し覚まして食べる、こりこりして爪楊枝でほじくり返し食べた、この頃農薬など使用してなく安心して食べられた、ガンガラ食べる要に爪楊枝でほじくり返えして食べるのだが癖になって無中になる。

池や沼では菱(ひし)の実を取って炊いて食べるアカバナ科の植物で、殻を石で割り爪楊枝でほじくり出して食べる味はくりに似ている少し薩摩芋にも似ていてとても美味しい、池の多い大阪府泉南地方で昭和四十年頃まではよく露天商が売りに来て子供達に人気有り良く食べられいたのですが、令和になってからは全く見かけない。忍者はよく乾燥させた物を天然の撒き菱として使用してきた。

山や川の原で蝮蛇(まむし)も自前で作った竹細工で取り、それを町の医者に売っては少ない小ずかいのたしにした。

噛まれた時に中和する中和薬剤も持っていますし、あと百足(ムカデ)に噛まれた時に使う薬も持っている。根来忍者はなぜか甲賀に比べて薬より毒に詳しいのである。

薬は甲賀忍者には負けるかも知れないのだが、まぁどの忍者の流派にも得意不得意があるのです蛇やムカデは薬草でないしねえ。

 山では滝に打たれ、一人瞑想してあれこれ考える。現在では滝に打たれて何も考えずに、悦に入っている人もいるが本来は加熱した頭を冷やしているのだ。

また神社に立ち寄り、立ち木に向かって剣術の稽古もする、自然の中で遊びながら働くのは少年にとって実に楽しい時である。

 森にはやま桃や柿栗など、自生していておやつにもなった。

 神社の娘にやると大喜びだ、貧しかったが自由で生き生きした毎日であった。

 毎日が冒険探検家気取りで、云わば原始人的な生活をおくっていたのである。

(おっと何か忘れてる、そうだ忍術だ)

「そういえば忍者には、火薬が付き物だな」

 ひとり言いいながら、同じところを回ってうろうろしている。

「そうだ! いつも探検に行って見つけた岩山の洞窟だ」

手でよいしょする、文兵衛は思い込めば一直線なところがありました。

その洞窟はひょっとしたら前方後円墳のような誰か大昔の偉い人の墓であったかも知れません、記録にない遺跡があつたのだ。

今は文兵衛の秘密の隠れ家になっていました、そこには林長五郎師匠から貰った忍術書類を、まとめて隠していました、文兵衛の来る前に誰か住んでいた気配があります、妙に人の住んでた生活感があるのです。

明かりにする菜種油が於いていたり、食事用の茶碗や皿があったりしました、油皿に火を灯し見てみると低い机があり、その上には古い本があり手にとって見る。

(ううんと、義経流忍術書とある珍しい本だな、途中までだがなぁ)

それから此処に来ては、その古書を読み剣の型や柔らの形を、習得する他にも兵法の事やら色々書いて有りました。

逸れを狭い洞窟内で試してやってみる、剣術も忍術に近く飛んだり跳ねたりが多いし文章より、絵が多く分かりやすく描かれてる。

(誰が書いたのだろうまさか義経本人、紀州に来ていたわけ無い)

途中までしか書いて無いので、本物かどうかも疑わしい代物だ、ま基本が出来てるので身に付いた。

兎に角本はたまる一方だ、まあいずれ忍術書は処分する腹である。

いっても義経流をのけて、原本は残っている控えの書なのだ。

 江戸時代は、主に黒色火薬であり木炭、硫黄、強石(?)を混ぜ合わせて作っていたが、根来忍法では綿に強化酸(?)をかけ、無煙火薬を作ると書いていたのだ。

 早速探検した洞窟に入って、岩からしたり落ちて動物の骨に穴をあけている、液体を根気よく採集しました。

「これで微塵隠れや、火遁の術も出来るなおいらは少年忍者だ!」

だけど平和な時代、使う事はなくせいぜい熊よけぐらいだが、山に入ると狼もいるし安心していると、命の危険があちこちにある。

そして忍者道具はあまり作らない、なるべくなら市販品で済ませる、人々に忍者と悟らせない為である。

今日も夢中で川辺で鰻取ってる内に、周りが薄暗くなってきた。

近くでは日本狼の、遠吠えがしている。

「ウオオ-ン、ウオオン」

「しまった、狼だこれは近いぞ!」

日本狼は群れて襲ってくる習性がある。ガサガサガサッ。

見ると一匹が前に、立ちふさがっている。

「ウォンッ、ガルルッ!」

丸棒を手に身構える文兵衛。背後にも二匹ほどいるようだ。

突然後ろから、襲ってきたビックリして棒を無作為に振り回す。

「キューンイン」

一匹の狼に当たったようだ。それを合図に一斉に突進してきた。

文兵衛はとっさに、草むらに飛び込むと同時に爆発した。

「ドドド、ドォン!」

閃光赤く大きな炸裂音がする。

すると火達磨になった狼が、足を引きずりながら逃げて行った。

勿論草むらに飛び込んだは変わり身の術で、枯れ木に服着せ中に火薬仕掛けたので本人に怪我はありません、狼は服にしみついた文兵衛の匂いに騙されたのです。

危機一髪であった。文兵衛は既に火薬完成していて逸れを使ったのだ。

「ふう危なかった、相手狼が少なく三匹なので助かった!」

狼の怪我は少ないだろう、火薬の爆発に驚いて、逃げて行ったのだろうと思った。

 延方八年(一六八十年)八月二十三日、徳川綱吉が、五代将軍につきました。

 月日はあれよあれよと、夢のように過ぎて行きます。

 天和元年(一六八一年)神無月(かんなづき十月)、文兵衛は十二歳になった。

身の丈は五尺(約一メェトル五十センチ)前髪をたらし後ろを紐で結わえていた。

このところ湯浅を少し離れた峠にて山賊が出て、旅人が襲われて困っているとの話しで持ち切りでした物騒な世の中になりました。

逸れでその山賊を少し懲らしめてやろうと思いたった、山手に歩いて行くと麓に茶店があった。少し山賊の情報をと思ったのだ。

文兵衛は茶店へ立ち寄って、ひと休みする腰を掛けていると。店のおやじが声掛けた。

「お若い衆これから峠を越えなさるのかえこの辺最近物騒で山賊出ますよ、三人ほど居たと旅人が言ってました気を付けて下さいね」

「へいご注告有り難とう、その山賊を退治にと思いましてやって来ました、と言っても今日は情報集めだけにしておこうと思ってる」

「逸れは有り難い事ですが、あんたまだ若いのに大丈夫ですか、山賊には怖い人大勢いますよ三人意外にもいるかも知れませんよ!」

文兵衛はお茶飲みながら話しを聞く。事前の情報の大事さを知っているからだ。

「はい少し武芸の心得が、有りますのでけれど木刀とか武器は持ってきてません、おやっさんに貰った鉄扇のみが武器ですね!」

文兵衛は茶店のおやじが止めるのを振り切って店を後にする。左手に杉の密生した斜面、右手が崖にのぞむ坂を、ゆっくり登って行くと異様な気配がする。

文兵衛は用心深く、周りに気をつけながら歩む。突然左側の杉から狸毛皮の衣付けた男が現れた腰に大刀を差している。

「オイ其処の若造、ちょっと待て用がある」

「何だ貴様達山賊か、なあ図星だろう!」

文兵衛が言うと、男はいきなり刀を抜いたキラリと光る。道場剣術では実戦に於いては日頃の一割も技が出ないとされているが、関口流では剣術は技や型は余り教えず示現流のごとく打ち込み稽古ばかりしていたので、打ち込みそれが身体に染み付いていて実戦でもビビる事無く身体が自然に軽く動くのです。

「手前は若いのに、いやに落ち着いて嫌がるなぁこの真剣見ても怖く無いのか?」

言うなり切りかかって来た。文兵衛は身体をかわして後ろを見ると、いつの間にか二人の男が現れて、いずれも刀を抜いていた。

文兵衛は総鉄造り、二百匁(もんめ)の鉄扇を、腰から抜き打ちに前の男からこめかみに打ち込む。男は一撃で気を失い、後ろ仰向けに倒れた。文兵衛は振り返るなり拝みうちに斬りつけてきた後ろの男の刀身をはじき、眉間に鉄扇を打ち込んだ。

更に身をひるがえし残った一人に、鉄扇を片手青眼に構えてゆっくりと近ずく。

「おのれ青二歳の、若造めっ!」

相手は叫ぶなり、文兵衛の膝を刀で横薙ぎに払って来た。文兵衛真上に跳ぶと相手の刀身を鉄扇で撃ち落とし、刀持つ右手に気合い込めた一撃を加えた。

「ええいっ、やあぁ!」

男の腕が真っ直ぐにぶら下がる。骨が折れだのであろう。頭を打たれた二人は意識戻すと左右から再びかかって来た、まず右の男は二段蹴りであごと腹に、そして左の男には膝蹴りと回し蹴りを決めた。腕を折られた男は痛いのか悲鳴あげて泣き叫ぶ。

「あっあのう命だけは、ご勘弁願います!」

「お主らが二度と山賊を出来ぬように、両足叩き折ってやる!」

男は手を前に合わせ恥も無く泣きながら嘆願する、異様な強さに畏怖したようだ。

「もう二度としませんご勘弁願います、オイ早く退散するぞ!」

気が付いた二人も一緒に、てんでばらばらに逃げて行った。

これに懲りて真っ当に成れるかなあの三人は、帰り茶店に寄って鉄扇を返そうと店に寄りおやじと話した。

「兄さんその鉄扇は、あなたにあげた物ですどうぞお持ち帰り下さい、山賊退治ありがとうこれで商売繁盛します本当助かりました」

「はいそれでは、この鉄扇は記念に有り難く貰って帰ります!」

「カァ-カァ-カァ-」

三羽のカラスが夕日を浴びて、西の真っ赤に色ずいた空に飛んでいく。 けれど今日あった事は家で話せば心配するので、勿論親には内緒に致しました。

この頃白い紀州犬を飼っていて何時も連れて走り廻っていた、自然に運動するので身体もなまらないそれに足腰も鍛えられた。

時折小猿を思い出す、もともと動物が好きなのである、この頃山のあちこちでまだ日本狼が、徘徊していて危険であったから、紀州犬は安全にも役立っていた。

 そして寺子屋は、もう卒業していた。ある日の朝、父親の文旦に部屋に来るようにと呼び出された。

「父上、何でございますか?」

「実はなあ、紀南の大商人である熊野屋は知っているかな」

「はい昔母上が、長年世話になっていたというお店ですね」

文兵衛出涸らしの、渋い茶を一気に飲む。

「そうだ、ならば言わずとも分かるだろう」

「はいお父上私にも、家の事情は十分に心得ています」

「では丁稚奉公に行ってくれるのか、若い時の苦労は買うてでもせよと、そう昔の人は言っている!」

とうとうこの日やって来た。奉公するにあたり忍術秘伝書や巻物は、処分し燃やしていました。忍術の事は封印して、商売の事に集中しなければならないと思った。

「分かりました! 明日にでも船に乗って、新宮へ出発します」

(少し不満もあった、それは長兵衛が何処へも行ってないからだ)

  文兵衛新宮の熊野屋に、行く事となった。

紀州の新宮は徳川頼宣が駿府より転封時に、付け家老として田辺の安藤直次(三万八千八百石)と水野重央が(三万五千石)を与えられ支配せし土地であるが、それはあくまでも紀州藩内である。

 新宮湊近くの店、熊野屋に着いた。熊野屋八右衛文は紀州の材木商で、杉や檜を江戸に出していた。

「えっごめん湯浅から奉公に参りました、山本文兵衛で御座います」

「はい文兵衛さんね、聞いていますよ!」

 女将(おかみ)が出て来て奥に案内された。まずは店主に挨拶すると、次に担当する手代が来て丁稚の仕事について、一からいろいろ詳しく教わった。


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