快男児「紀ノ国屋文左衛門」青春伝
桜井正
第1話 幼年期、神社での修業
江戸時代の豪商「紀伊国屋文左衛門」の若き頃の物語である。
人それぞれ運がある自分が選んだ運もあるが、自分が選んでいない運命もまたあるのである。この物語を読んで運とは人生とは何かを考え、これからの自分の人生の参考にして貰えたら幸いである。
「紀文」は和歌山県有田郡湯浅町別所にて父親は山本文旦(二十四歳)と、母親は千代(二
十二歳)との間に、次男として寛文九年(一六
六九年)七月三日に誕生しました。
文月(ふみづき七月)だったので文吉(ぶんきち)と名付けられた。
一家は廻船業を営み、紀州屋山本文旦商店といった。 廻船業は諸国の物資を売買して大幅の利益を得る機会に恵まれている反面、「板子一枚下は地獄」の例えのとうり、持ち船が難破すれば莫大な損害を受ける危険を有していました。
もっぱら船は祖父が運行し、父親の文旦は湯浅の店にいて客の注文取り、仕事の段取りや帳簿付け叉客の対応などをしていた。
屋号は(山紀)で、五百石の弁財船の明心丸を持っていた。
延宝一年(一六七三年)桜の花が咲く頃、祖父の武兵衛(45歳)が、湯浅の店ににやって来ました。
「文旦よお前の息子、文吉もそろそろ教育せねばならねえな!」
「へいそうですね、文吉も来月から兄の長吉(7歳)が行く、湯浅の別所にある勝楽寺の寺子屋に、行かせようかと思っています」
そこへ母親の千代が、文吉を連れてやって来た。
「お父様千代です、ご無沙汰しております」
「お祖父様、文吉でございます」
「おお文吉か、いつ見ても可愛いいのう、それで幾つにになったかのう?」
「はいおじい様、私はもうすぐに四つになります!」
文吉は祖父に似ている、ために武兵衛は長男の長吉八歳より、次男の文吉をかわいがるのだ。
「そこで文旦よ、相談じゃがの」
「はいお父上、何で御座りましようか?」
「うん文吉を有田の広八幡神社へ、小僧見習いにと思うてのう」
「ええっ寺子屋じゃなくて、あのう神社へですか?」
武兵衛は、額の汗を手ぬぐいでふきながら言う。年少の人生で関わって来る人こそ重大である、逸れはある意味親より縁有り何かと自分の一生に影響を及ぼすので御座います。
「神主の佐々木利兵衛は、関口新心流柔術の遣い手で、逸れを文吉に習わせたいと思うてのう!」
「商人は読み書きと、そろばんで充分ではありませんのか?」
「はははっ儂の跡を継いで船乗りになってもらいたいのじゃ、船乗りは時には荒くれ者も多いしの!」
「で柔術で、文吉を鍛えるのですか?」
「うむ我が山本家は、今の世では商人じゃが元は平家方の、五十嵐と云う武士だったのじゃぞ、源氏に追われ今は山本だがの!」
「それは分かりますが、急に言われましても文吉だけ別にとは」
そのやりとりを、近くで聞いていた文吉は言った。
「お父さま私は、ぜひにも関口流柔術を習いとうござります!」
「ウムそれで読み書き算盤(そろばん)は、どうしますのですか?」
「それは心配ない利兵衛の妻、お福さんが娘さんと一緒に、文吉を教育してくれるそうなのじゃ」
そう聞いて、文旦もやっと納得した。
何分にも文吉は次男で上には長吉がいた母千代も文吉の妹千歳や弟忠吉の世話で、もう手いっぱいだったので、その事については実はねがったり、かなったりでもあったしそれに廻船業だから、船頭の跡継ぎもまた必要であったのだ。
あくる日、祖父の山本武兵衛に連れられて有田郡広川村の広八幡神社、楼門前にやって来ました。まだ肌寒かった少し風がある。
そこかしこで 桜が咲き乱れ、文吉を待っていたように花が舞っていた。まだ小さいので木が大きく見え心ウキウキする。神社は絵に描いたようにピンクに染まり綺麗である。 「うわいっ、でっかいな!」
「今日から小僧見習い住み込みになるが良く勉強するんだよ、それと人見知りせず社交的にな!」
「ハイわかりました、今日より此処で一生懸命に頑張ります」
「うん、しかし剣や柔らは極めなくてもよいぞ、なぜなら鉄砲には負けるからだ身体を鍛えるだけでよい!」
「ハイ剣と柔を学んで精神と身体を鍛える事にします、昨日より今日叉明日と積み上げていきます」
文吉の顔をしみじみ眺めて、ふと囁くように言った。
「言っておく文吉は武士ではない商売人の子供だ、上手くなるのはよいけれど名人と云われる程、極めなくともよいのだよ!」
「ハイ何事も商売の為にと、道を逸れずこれからも頑張ります!」
「そうじゃのう願わくば文吉には商いの達人になって貰いたいな、だから商人の心得を伝えておこう。一つ商人は信用第一とすべし。二つ商人は機を観るに敏であるべし。三つ商人は果断勇決を大事にする。以上の三つである忘れるな!」
言いながら武兵衛は、文吉の頭をそっと優しく撫でる。
「ハイその事胸に秘め、私は将来に商いの達人に成るように勤めます!」
「うんよく言うた、その事必ず忘れるな!」
ここで少し、広八幡神社について述べておこうと思います。
この神社は現在は和歌山県有田郡広川町上中野にあるが、江戸時代は広川村であった。
境内には(平安後期のもの)で明王院の護摩堂もあった。神社と寺院が習合されていた。現在は明治時代に神仏分離令があり護魔堂もなく、神社と寺は別々にある。
神社の方は後の世で津波時に稲むらの火で、災害避難先として有名となった。
現在とはおもむきが少し異なるが、それは江戸時代の事と理解されたい。
武兵衛は神主佐々木利兵衛に会い孫の文吉を預けると、船に乗るため湯浅北湊に帰って行きました。
文吉はそれから神社の小僧見習いとして勉強に修業にと、勤しむのでありました(勉強と言っても親が子供に、簡単に教える程度ではあったが)
逸れが良かった、詰め込み教育でなくてある程度年齢に見合ったものであったので、勉強が嫌いにならず解るまで教えて貰えた。
文吉は幼いながらも、境内の掃除から草むしりもしたそれは特に苦痛でもなかった。
福は武士の出であったので、文吉を我が子と同じように接し、娘の喜美代(四歳)と、美咲(一歳)と共に主に読み書き、そろばんを教えまた武士の家のごとく、商人の子供の文吉にも仕付は武士の子供ように厳しくした。
「おおっい、文吉はいるのか?」
神主の師匠、佐々木利兵衛が呼んでいる。
「はい、師匠ただいま参ります」
掃除の手を休めて、居間に駆け寄りまず頭下げて礼をする。
「それでは今より、関口流の柔術の稽古をいたす」
「はい師匠、ありがとうございます、精一杯頑張ります」
「まず言っておく、関口流は身体の重心を常に移動して相手を倒すと心えよ、剣も柔術も同じだ」
「はい、貴重なお教えしかと承りまして御座います」
「それと、勝負事には全て調子(拍子)が有り波がある、相手の様子を把握して調子(拍子)を崩す事も大事だと心得よ!」
「ハイその事、しかと肝に命じます」
「我が関口流は、そもそも宮本武蔵が無名の頃、相撲の稽古相手になり手ほどき受けて柔の流派を作ったが、武蔵の剣の流れ考え方も受け継いでいるのだ、本を読んで学べと云うのも武蔵の教え!」
「では関口流の剣術は、宮本武蔵の流派なのですか?」
「いいや表だって武蔵に剣を習っていない、鹿島古流の天真正自現流が元にあったのだ島津藩は鹿児島の薩南示現流に近い!」
文吉は幼いので、頭がこんがらがってがでんがいかなかった。宮本武蔵は父親の宮本無二斎に、武術の手ほどきを受けて後他流試合を好み野獣のような強さを誇った。若い頃は平田弁之助と言った。十三歳の時初めて試合をする相手は鹿島新当流遣い手である、試合の作法など無頓着で相手を棒刀で殴り倒すなど独自の荒々しい喧嘩剣法だった。兎に角その頃近辺では知らぬ者無いほどの野獣のような暴れ者であったようで御座います。
「オイ其処のおっさん、儂と試合してくれや頼むわ!」
「何やお前まだ若いガキやないか、試合は遊びやない怪我せん内に帰れかえれ!」
「フウン儂が怖いんか、おっさん口ほどにもないへなちょこ武芸者やのう!」
弁之助は試合に於いて剣も強かったがすでに兵法の心得もあった、先ずは口撃して相手心をを錯乱動揺させ平常心を無くさせ後に試合いに持ち込むのです、けれど他流試合では負け知らずであった故恐れられていた様で御座います。兎に角日本刀は重たいです西洋の剣のように、とても片手で振り回す事など出来ませんが弁之助には出来たようです。よほど力が強かったのでしょうかびっくりですねだから若い頃より片手持ち両手の二刀流がなんなく使えたのでしょう。二刀流と言うのは年を経てからですが、鎖鎌の宍戸梅軒の試合の頃よりすでに宮本武蔵は使っていました。
人は誰も棒を持てば叩いてみたくなり、真剣を持てば無性に何かと切ってみたくなります。技を覚えれば使ってみたくなるのも人情ですねぇ大人の武士でそういう人もいて罪のない人々を辻斬りしたりします、試合する人も一つの狂気に近いかも知れませんねぇ、逸れはいつの世の中でも一時的狂った人有り心はみえないので怖いことで御座います。
若い時は調子に乗るとどれだけ伸びるか判らない、伸び盛りがあって才能が爆発するので御座います。そして内なる天才が開花する。その頃近辺では相手がいないほど手に負えない暴れ者であったようで御座います。
近くを通る武芸者にみさかいなく試合を申し込んでいたようです、兎に角強かったそれでもある時寺のお坊さんに諭されて本を読むようになって、考える事多くなりさすがの暴れん坊も穏やかになったようで御座います。
いろいろと話しを聞くに付け文吉は宮本武蔵の生き方行動に、幼いながら憧れや共感を覚えたようで御座います。
「では武蔵の流派でないが、影響を受けている流派という事ですね?」
「 我が流派は主に柔術であるのだが剣術もやる。一人では木刀の素振りまた叩きを主に行う、稽古にては銅線もしくは鉛入りの竹刀にて行う重さが必要だ」
竹刀を持ちながら、ねんごろに説明する。
「重さいる、それはいったいなぜでしょう」
「それは真剣に近ずけ実戦に役立っ要にしている為だ、今はやりの竹刀では軽くて武士の役には立たぬ逸れに木刀も真剣に近く二尺二寸から二尺四寸と勘違い無くしてるのだ!」
「そうですか町道場の竹刀は長く、三尺八寸ほど有りますとえらい違いますよね?」
文兵衛目を輝せ、師匠の話を聞いている。
「実戦では七寸も違うと勘違いを起こし、間合いが狂って実際には当たらなくなる!」
「では関口流はあくまで真剣勝負に、こだわっている古流実戦重視の剣術なのですね」
「負けても死ぬ事のないしない勝負で名手であっても、真剣勝負では臆して日頃の十分の一も力を出せなくなるそれ故関口流では、意識して木刀の長さも真剣に近ずけるのだ!」
師匠の話を聞き、納得したようであった。
「そうですか町の道場とは違いますね、真剣勝負では道場剣法は違って実力の一割も力が発揮出来ないと私も聞いております!」
「それもあるが頭を使い、剣以外にも広く学べと云うのも武蔵の教えだ、我が流派には宮本武蔵政名の名前は全く無いがのう?」
「はいお教え有り難く思います、武蔵の事は私の胸に深く刻みます」
「武蔵は敵と味方をハッキリと区別して、情に流されるなょ勝負に負ける事有る、情けを掛けた平氏は助けた源氏に、情けなく完全に滅ぼされたからのう人は騙しても自分さえ良けれ良いという人が多くいるのですまず逸れを知る事だ!」
「分かりました騙され無いように人には、この先気を付けたいと思います」
ただ一方的に投げられては受け身をするだけでその日の稽古は終わるのであるが、師匠の言葉も耳の痛い事であったが教育の一貫と心得て大事だと思っていました。
「よし今日はこれまで、なかなか根性あるこれからも鋭意努力せよ真剣勝負となった時には日頃身体で身に付けたる事がとっさに出て身を助けると心得よ!」
「はい師匠ふつつか者ですがこれからも宜しくお願い致します、技を頭で覚えず身体に染み付くまで反復鍛錬いたします!」
道場の板間に頭を押し付け、両手を横にして師匠に平伏した上下の関係は厳しいのだ。
「それと神社には昔からの本が多くある、逸れをよく読んでものの道理を知ったら役にたつ歴史は繰り返す、昔も今も人のやることは良く似ているから自分で研究せよ!」
良い師匠に恵まれたのである教えられるので無く自ら率先してやるという、気構えを幼くして徹底的に叩き込まれたのである。教えられた事だけやるというのは、師匠を越えられぬどこにでもいる凡人となるからである。
「ご教授どうもありがとう御座います、本も読むようにして世の中の理(ことわり)を勉強致します!」
「有無特に孫子の兵法は、この先ためになるから必ず読んで頭に入れるようになっ、孫子の子とは尊称であり先生の意を表す!」
「はい兵は詭道なり、敵を知り己を知れば百戦危うからずですね」
「そうじゃ(風林火山)も、心構えとして大事なことだ尚のこと勉強し励めよ!」
「はい逸れは言うなれば、速きこと風の如く、しずかなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如しですね」
「そうだかつて戦国武将の、武田信玄の旗印でもあったのだ深く吟味し読むべし!」
此処で少し脱線します、孫子の兵法はナポレオンも愛読した有名な古い中国兵法書ですが、紀元前五百十年頃より呉の国軍師の孫武が書き始め未完成だったのを、四代目孫が斉国軍師と成りし孫瓶(ソンビン)が兵法書を引き継ぎ書いて完成させたと云われています。
「古きを訪ね新しきを知る。此も大事だが世の中移ろい常に変化する。常識に染まるな新しい物や新しいものの考え方も取り入れ、柔らか頭で時代に合わせる事も必要である」
「先生ありがとう御座います、常識に捕らわれず常に自分で納得するまで考えます!」
何だそんな事か言われんでも判っている。と聞き流す人もいる。意識して実際に取り入れて探求する人もいる。意識的にやるのが大事なのですね、信長とその他の戦国大名のように逸れはやがて大きな差が付くのです。
礼をして終わる。宮司佐々木利兵衛も用事あり、神社に居ない日も多くあったがそんな時には本を読み、また一人で剣術の打ち込みの稽古を立ち木相手にするのであった。
この打ち込みこそ薩摩示現流も重点を置いている修業方法で有り、意外に実戦に置いて真価を発揮するのであるが言われ無くとも文吉は夢中になる性格であった。ただ闇雲に立木に向かって木刀を叩くだけであったが。
幼い文吉にとって師匠の教えは絶対であった。集中は修業では大事成りよい意味で、あほの一念岩をも砕くですかねぇ。関口流に近い流派である薩摩示現流に対して格流派共一太刀受けると、習った年数浅くとも受けた刀共にそのまま押し切られてしまう、もの凄さがあったので、江戸時代には名前のしれた剣豪にも敬遠され恐れられていたのである。
「文吉よ、柔(やわら)の元は剣術にあるのだ剣は一瞬、あっという間に首が飛ぶのだ、感を鍛えよそして人(敵)を侮れば敗れる、相手を認めてその長所短所を探り、研究をすれば道は開けるのだ、あっ忘れるところだった、外なる敵より内なる敵に心せよ(身内の事?)武蔵の言葉である心してかみ締めよ」
「はい一人稽古では主に、剣術をして感を高めたいと思います」
「うむ、よい心がけである此からも励めよ術とは本来創意工夫をもって極める事であり自らも研究を忘れるな常に考えろ、そして自らの技を会得するのだ!」
言われると率直な性格の、文吉は夜寝る前に本読む、道理とは何か運とは何か、神はいるのかと自問自答する習慣になったのだ。
明くる日に師匠より特別に、樫の木で作った木刀一振り、授かってもうとてつもなく嬉しかった。
「おおよそ武芸をたしなむ者、危険を予知するも必要である」
「宮本武蔵先生も、予知能力に優れた人だったのですか?」
師匠の言うことを、幼いながら目をじっと見つめ真剣に聞いている。
「それがなくて切った張ったの武芸者は到底命を全う出来ぬ、味方二人おれば必ず敵も同じだけいるしかも味方の振りして、近ずいて来るので油断するとたちまち遣られるのだ」
師匠もまだ可愛いさ残る顔を見て、笑顔で頷き真剣になって教えてくれます。
「はいなおのこと感を高め、敵を見定める努力をいたします!」
「文吉よこの木刀は、宮本武蔵政名ゆかりの一振りであるが、武蔵の魂をそちに授ける大事に使うが良い」
物には使っていた人の魂が宿る事があるらしい、ひょっとしたら宮本武蔵政名の魂も宿っているかも知れぬ、逸れを思うと胸がワクワクして来る。
「この木刀を持っていると、宮本武蔵になったようなっ気がしてくるなぁ」
木刀持って、天空に掲げてみる。
「オイ文吉お前少し顔が、違って見えるぞワハハハ!」
時代遅れの迷信を今更と思われ方がいるかも知れませんね江戸時代にはそう信じる人は多く居ました。ひょっとして魂あるモノが不思議な力で異次元の世界へ人々をいざなったかも知れませんねぇ、世の中にはまだまだ科学で計れぬミステリアスな摩訶不思議な事が有るので御座います。
人をその気にさせて力を出させると調子に乗って、思わぬ力が出る事が有ります。自分より上位の者をやりこめる事もままあるのです。だから剣術は昔から幼い頃からやるのが良いと云われています。子供の頃の疑わぬ率直さが良いのかも知れませんねぇ。
「はい師匠貴重な物、本当にありがとうございます此より私の宝物にし大事にします!」
「此より人に頼らず、整え鍛えし自分に頼るのじゃぞ、剣豪とて戦場では無名の者にやられ命を落とす事あるが、武蔵は生きたのだ」
「常に油断せず、気合い入れ鍛錬します!」
(剣には間合いがあり、剣の当たる間合い当たらぬ間合いを覚えよと言っていたなぁ、けれど相手なしの独り打ち込み稽古で、どう間合いを探ったら良いのか解らぬ?)
幼い故何の疑問も持たぬ、立木にむしろ巻き思い切り打ち込む。
「ええっい、やあっ、とうっ!」
今日も文吉の元気な声が、朝早くから神社内にこだまする。
(宮本武蔵は二刀流の開祖と聞く、関口流には伝わってないがいったいどの様な剣だったのか興味が湧くな)
二本の棒きれ持ってやってみる、左手は短めの棒右手は長めの棒それぞれに振り回す。解った事は腕の力が相当にいる事であったが二本の手で持つよりはリ-チが伸びる。
本で読んだが西洋では、左手には盾を持って相手の剣を封じて戦うと、記されている左手の棒は盾の役目とするならば道理に合う、勿論剣の役目も担うならば一石二鳥である。何か二刀流のヒントを掴んだようですねぇ。
ある日の事 宮司の佐々木利兵衛が、妻の福に呟くように言った。
「あの預かっている文吉だが、あの子は不思議な力を持っている」
「へえ逸れは、いったいどんな力で御座いましょうか?」
「会うと何かしら真剣に、教えたくなるのだ不思議な事だがなぁ?」
「そうですか私も自分の子でも無いのに、つい我が子の如く真剣になりますわ」
「あのう文吉さん、ご飯ですよ!」
神社の娘の喜美代が文吉を呼びに来た。何故だろうかその声を聞くと、幼いながらも胸は高鳴りとても嬉しくなるのだった。
「皆さん青春時代は誰にも有ります、逸れは知らぬ間に過ぎ去ったという人、物語を通じてもう一度私と共に体験してみませんか、私のほう勿論大歓迎では共に参りましよう!」
石の上にも三年文吉も七歳になっていた。日々欠かさぬ鍛錬のせいか見るからに逞しくなったようだ。髪は後ろに束ねて目も鋭くなったから十歳にも見える。
腕力は強くなった、4歳から毎日木刀で立ち木の打ち込みをしているからである、この訓練方法は現在でも薩摩示現流に見られる威力は絶大相手が受けた刀を瞬時に押し切りねじ伏せるほどのもので、小手先の技など何ほどのものだと言わんばかりに凄まじいものである、だから古流は実戦に強いのである。
たまに武兵衛が鯨(くじら)の干し肉を下げて、文吉の様子を見に来る。
「文吉はいるかの、儂じゃ武兵衛じゃ」
「はい、なんでしようか?」
「今日から文吉改め文兵衛となる、長吉も長兵衛じゃその事は父親にも相談して、勿論良解を得ている!」
「文兵衛ですか、わかりました」
「良い名前じゃ、よい名であるなあっそれと、今日は大柄の人形を作ってもって来た 儂作った物じゃ、稽古に使ってくれるかの」
「人形を、どう使うのですか?」
「投げたり殴るなどして、実際的に技を試してみるのだよ、心技一体だ身体で覚えよ!」
「はい分かりました、今日よりそれを稽古に使ってみます!」
「身に付けた技は一生ものだその技術は一生自分のもの誰にも盗られまい、あっそれとついで商人の話もしておく儲けは信じる者と書く商人は信用第一だ、得るに長い年月かかるが逸れを失うは一瞬である十分に心せよ!」
言うだけ云うと武兵衛は、目を細めて満足げに帰っていくのであった。関口流は剣の流派ではないので剣に関しては、余り師匠に形などの教えを受けていないので、自ら考え会得するしかなかったが、柔術は合間に手ほどきを受けていました師匠は剣もまた道理は同じで有るとの考えでした。なのでたまに剣の手合わせして呉れる程度でした。
早速人形を木に吊るし人形に棒を持たせ打ち込みの稽古をする、打つと反発力で本当に対戦相手が向かってくる様であった。
闘いの間合いを実感するのに、この人形はもってこいであった良い物を貰った。
(道理の中に真理あり、技の中に極意在りか? 僕には一生かかっても掴めないかもしれないなぁ)
「文兵衛さん、おはようさん」
喜美代が挨拶する、横にいたまだあどけない美咲もつれて言う。
「文平ちゃん、おはようサン」
「あれれ、君達変えた名前知ってるの?」
「ハハンあたくし達は、早耳なのよ!」
まあ女の子二人には、とても勝てない。
(ピイ-ッ)青空に鳶が飛んでる。
「文兵衛さん、隠れんぼしようか」
「うん、してもいいよジャンケンぽいあいこでしよっう」
「はい! 喜美代さんが鬼だよ」
喜美代は木に寄りかかって数える、一つ二つ三つ、十う、キョロキョロ美咲を見て目で合図する。
「どこかなの? あ見つけたわ」
上手く隠れたがすぐに捕まる。
手を握って元の場所に、戻るのであるが(時に天に登った気持ちになる)喜美代は、ますます女の子ぽくなっていく姉妹揃って美人なのだ。美咲がしきりに文兵衛の袖を引っ張る。
「文平、護摩堂に変な人いるよ?」
いつも人の居ない堂が開き、何かお経のような声が聞こえる。
「文兵衛、覗いてみようか?」
「ねぇ文平ちゃん、行こうよ!」
三人は向かった。慌てたのか美咲が護摩堂門前でつまずいた。
「あっ痛い!」
すると御堂の扉が開いた。
「誰かね? そこに居るのは」
「はい私達は、ここの神社の者で御座います」
三人は、口を揃えて答えた。
「そう言う、あなたこそ誰ですかいったい何者なのですか?」
その人は白衣の上に黒い衣を着ていて、頭のおでこに黒い六角の箱を付け逸れを紐で括り、歯が一つの高下駄を履き腰には法螺貝を吊している、手には釈杖を携えたおかしな出で立ちであった。
「おお儂は、修験者の林長五郎と申す、業の修行者である!」
「修験者、お坊様では無いの?」
髭を伸ばしているが二十歳ぐらいに見える、悪い人に見えない。
人の出会いは大事である。人が運を持って来るのだ、人は嘘も言うし騙して悪魔のごとく囁き、悪い方に引きずり込もうと狙う者もいる、気を付けるべしである。真面目で人が良いのは、邪悪な者にとってはカモに過ぎないのです。
「修験道は神道で、山岳信仰と仏教を習合せし真言密教だ、現在は紀州(和歌山県)の大峰山と、山形の出羽三山を聖地としてる、おっと信州真田の四阿山(あずまやさん)も盛んであったなぁ」
「では修験者は天狗や、仙人のたぐいなのでしょうか?」
「いや修験者は山伏と言われる山を駆け巡り叉は山に籠もり、飢えを堪え忍び修行する行者である」
「では山伏とは、忍者なのですか?」
「いや密教の修行者である、生と死の狭間に自分を追い込んで呪文を唱えて行をしごまを焚く、まあ忍者の修行者もいたかもなぁ?」
美咲が文吉の上着を、しきりに引っ張る。
「かつて源義経が鞍馬寺の天狗と名乗りし者に術を習った、その義経に術を授けた者も、鞍馬の修験者であったと伝わっている」
「術ですか、では源義経も忍者だったのですか?」
「義経流という忍法も、残っているから忍者だったか知れんのう」
この日は何故だろう、しつこく聞く。
「あのう下駄は普通歯が二枚ですよね、一枚歯の下駄は歩きにくくないのですか?」
機嫌がよく、応えてくれた。
「一枚歯の下駄は、山伏下駄と呼ばれ山歩きには便利なのだ!」
「では、私おじゃませぬよう行きます、又来ても宜しいですか?」
「おう! いつ成りと遊びに来なされ少し儂も、武芸の手ほどきをして遣ろうゆえのうハハハ」
話を聞くと、何故だろうか幼い三人は急に怖くなってきて、足早にその場を立ち去った。
修験者とはお坊様か氏子なのか、まるでわからずであった。
翌朝文兵衛は、いつものように剣術の一人稽古をしていた。
「ええっい、やあぁっ!」
いつになく力込めて打つ、すると木の上から何か落ちて来た。
(ドドドッドサッ)
「キャアッ! 一体何なの」
美咲の驚いた声、娘は読み書きの時間を知らせに来ていたのだ。
「美咲、大丈夫どうもない?」
喜美代が美咲を起こして聞く。
「あのねぇ姉さんあそこ、木の下で何か動いているよ」
二人は木の下を、そっと覗いて見た。
「あっ、ワァかわいいお猿さんだ!」
喜美代が木の下側の、草むらの中を指差した。
「あらほんとだわ、まだ小さい猿だね」
文兵衛はその場に駆け寄り、その小猿を抱き上げる。
「うむ、気絶しているなあ」
「ねぇお猿さん、まだ生きているの?」
「うん少し怪我してる、物置小屋で手当てしようか」
「そうねぇ、物置小屋へ行こうか」
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