十四話 もう一人の教皇候補
「カイン……貴方という人は」
「顔が怖いよアルクス。少しからかっただけじゃないか」
ぼんやりとした頭で聞こえてくる言い争いで目が覚めた。見覚えのある天井はどうやら客間として間借りしている部屋らしい。薄っすらと目を開けて顔を横に傾ける。室内にいるのはカインともうひとり綺麗な銀髪の若者。首にかかるかからないかくらいの短い髪型の後ろ姿に、何故か既視感を覚えるのは果たして気のせい……なのだろうか。
「う……頭痛い」
ズキスキする額を思わず片手で抑える。身体を巡るエーテルの流れから察するに体温の急上昇で意識が朦朧とし気を失ったらしい。それも浴場で。なんとか身を起こそうと上半身を持ち上げようとしていると二人がこちらに気づいた。
「グラナ! 大丈夫?」
「……ああ。多少の頭痛はするが問題な……いてて」
上半身を起こした途端、強烈な頭痛とめまいがした。淀んだエーテルで全身を蝕まれた時程では無いが、身体がとてつもなく怠い。
「その様子で大丈夫なわけ無いでしょう。神殿医の診察でも体調が良くなるまでは、安静にして水分と休養を取るようにと診断されています」
「そう……か。ところで君は?」
今更だが、初めて見る顔だ。身なりからして教会の関係者のようだが。
が、俺が驚いたのはそこでは無かった。
「……僕の顔に何か?」
「あ……ごめん。知り合いとよく似ていたもので」
その面差しが二ヶ月前に別れたあの子を彷彿とさせ、血縁関係にある者なのかと思ってしまう。見た目は中性的な美貌の美少年にしか見えないが、天真爛漫なあの子の顔つきをキリッとさせて髪を短くした想像の姿とそっくり……いや、もしかしてと思った矢先、
「失礼、ご挨拶が遅れましたね連換術師殿。……僕はアルクス・プルゥエル。カインと同じ、次期教皇候補です」
と、少し無理をした感のある低い声で名乗られた。
「あ……アルクス・プルゥエル? その名は……」
「御察しの通り、僕は現教皇猊下クロイツ・プルゥエルと縁あるものです。肉親では無く、血縁関係によるものですが」
こちらの先走った予想をまるで思考ごと読み取ったかのように、ばっさりと可能性を切り捨てるアルクス。堂々とした振る舞いと年相応以上に大人びた雰囲気が、隣にいるカインと対象的だった。
だが、どういうことだ?
「ちょっと待て。プルゥエル性を名乗る者は、現教皇猊下とその実の娘以外にも存在したのか!?」
「実の娘……? ああ、確か貴方は彼女と連換術の師弟関係でしたね。アレン公爵閣下から伺っております」
全く事情が飲み込めない中、アルクスだけが合点がいったように一人頷いている。
そんな困りきった俺に、思わぬところから助け舟が出された。
「分かってないみたいだから説明すると、聖地には教会に取っても重要な一族が在住しているんだ。————代々、教皇や枢機卿を排出してきたプルゥエル家と呼ばれる聖女の血筋を最も色濃く受け継いだ人達がね」
さも常識かのようにカインがプルゥエル性の重要性を教えてくれた。と言われてもあまりピンと来ないが、ようはあの子の聖地における親戚———ということだろうか?
「なぁカイン。その話が本当ならあの子、シエラは……」
「申し訳無いけど、彼女を聖地で見かけたっていう話は聞いたことも無いかな。……アルクス。君は?」
「————右に同じ。僕も大婆婆様から親族が逗留しているという話は聞いたことも無い。もっとも、家から飛び出て教皇になったあの方の娘の顔なんて、見たくも無いだろうね」
と、淡々と事実だけを知らされる。おかしい……確かにあの子は聖地に向かったはずだ。じゃあ、ノルカが語った女の子は一体、誰……なんだ?
「とにかく、頭が痛い時に小難しいことを考えるのはよくありません。水分を補給してお休みを」
「そういうこと。それじゃ僕は午後のお勤めがあるから。アルクス、申し訳無いけどグラナの看病をお願いね?」
「ちょっと? 待ちなさい! カイン!」
ひらひらと手を振って退出するカインにアルクスは大声で呼び止めるが意味は無かった。厄介事を押し付けられて怒っているのか、それとも困っているのか判断がつかない。俺とアルクスの間に重苦しい沈黙が横たわる。何か言わなければと思い、重い口を無理やり開いた。
「一つ……聞いても?」
「……何でしょう」
「その綺麗な銀髪と、翡翠の瞳は?」
「ああ……そんなこと。さっきカインから説明を受けたでしょう? プルゥエル家とは聖女様の血筋を色濃く受け継いだ一族なのだと。何故かは分かってないけど、プルゥエルの血縁には時折、銀髪と緑の瞳を持つ子が生まれるのです。————先祖返りした赤ん坊がね」
アルクスは何故か忌々しそうに整った前髪をくしゃりと崩した。先祖返りとは聖女と同じ素養を持つものが生を受けるということなのだろうか?
聖女と聞いて思い出すのは地下礼拝堂に隠されていた八枚の壁画、そしてあの不思議な夢……だろう。これも聖地に来たからこそなのか。それとも————
「とにかく安静にしてください。それでは僕はこれで」
「ああ……迷惑かけてすまないな。アルクス」
「困った時はお互い様です。では失礼」
そう言ってもう一人の次期教皇候補は退出した。一人残された俺は言われた通り、サイドテーブルに置かれた年代物の水差しに手を伸ばす。備え付けのコップに中の水を注ぎこくりと飲み干した。
「柑橘の香り……これレモン水だな」
レモンの果汁が溶かされている飲み物はよくソシエの家にお邪魔した時に振る舞われたなと、遠いマグノリアに思いを馳せる。確か、ソシエの家に何度もお呼ばれする内にすっかり虜になったシエラが作ってくれるようになったっけか。
目覚めたらここに置いてあったので、誰が準備してくれたかまでは分からないが有り難く飲ませてもらおう。
再びベッドに潜り込む。暖かな暖炉の中で薪がぱちぱちと燃えて、火が部屋を明るく照らしていた。ぬくぬくとしていたら徐々に眠気がすり寄ってくる。抵抗せずに目を閉じて……ふと疑問に思った。
事前にアレンさんから聞かされていたとはいえ、何故、アルクスは初対面の俺を一目で分かったのか? と。
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