六十二話 盟主

 身体の倦怠感もようやく取れ、立ち上がることが出来るようになった俺は、ヴィルムに連れられて根元原理主義派の盟主の元へと向かっていた。


 周囲の幾何学的な装飾を眺めながら回廊を進む。何処か現実味の無い万華鏡のような回廊は、どうやら水の流れを意識しているようだ。


 大河の清流のように青に煌く大理石の通路は、歩いているだけで方向感覚を失いそうではある。地下深くのはずなのだが、その様相はまるで海の底にでも誘われているかのようだった。


 セシルの話だと帝城の地下からもここに繋がっているという話らしい。帝国の中心たる帝城の地下に拠点を構える根元原理主義派の底知れなさが伝わってくるようで、なんとなく身震いする。


「本当にこんなところにお前らの盟主がいるのか?」


「今はたまたまここに居るってだけ。聖葬人や僕らのような『イデアの使徒』だって、年に一回お目通り出来るかそうで無いかってぐらい人前にはお姿を見せられない方でね。盟主様に会えるなんて光栄なことなんだよ?」


「秘密結社の親玉に会ってありがたがる気持ちは残念ながら分かりかねるな。——シエラの様子がおかしいのも、大方その盟主って奴の仕業だろ」


「……。ほら、着いたよ。招待されたとはいえ、くれぐれも——失礼の無いようにね」


 話してる内に、いつの間にか螺旋を刻んだような大扉が視界に飛び込んできた。

 案内人よろしく扉の奥へとどうぞと手招きするヴィルムの眼は如実に語っている。

 ——自分で確かめたら? と。


 言われるまでも無い。ここに来た経緯はさっぱり思い出せないが、こうやって連中の拠点には入り込めたんだ。これだけの事態を平然と起こすことが出来る盟主とやらの面、拝ませてもらおうじゃないか。


 と勢い込んだはいいものの、この大扉に取手らしきものは見当たらない。

 一体、どうやって開けるのか?


「ヴィルム、この扉はどうやって開けるんだ?」


「連換術を発動する時に自身の生命エーテルと連換玉を直結するでしょ? あれと同じようにすれば開くよ」


 要は自身の生命エーテルをこの大扉に流し込めばいいのか?

 言われるがまま、螺旋模様の起点に手を押し当て体内の生命エーテルを適量流し込んだ。

 すると模様にしか見えなかったそれは、エーテルを取り込むことで起動する仕組みだったのか、ぐるぐると回転を始める。


 やがて目で追うにもキツイ速さになったそれは徐々に速度を緩めると、突如扉が左右に別れた。大掛かりな仕掛けにも程があるし、盟主にお目通り願うには生命エーテルの操作が必要とは。随分と用心深い……としか言いようが無い。


 俺は左右に開いた扉から見える大広間の中へとゆっくり歩を進めた。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 中は想像以上に広かった。天井は遥か高くにあり、これほどの空間が地下にあるなんてとてもじゃないが信じられない。マグノリアの地下礼拝堂といい、明らかに人智を超越した力でも無ければ建造不可能なこの技術力の高さはなんなのだろうか?


 未だ謎が多い根元原理主義派アルケーの全容。奴らの目的も何のために暗躍してるのかも分からないままここまで来てしまったが、盟主とやらに会って何もかも教えて貰える訳でもないだろう。


 警戒を続けたまま青い大理石の大広間を進む。向こうに台座らしきものがあるが、あれが水の精霊の御神体を祀っている場所だろうか?

 台座から視線を下にずらす。そこには火、水、風、土を象徴するかのような装飾が施された玉座が設えてある。玉座に腰掛けている人物は俺を一目見てその相好を崩した。


「やっと来おったかの。待ちわびたぞ……精霊の落とし子よ」


「お前は……?」


 玉座から俺を値踏みするように眺めているその人物は——年端もいかない少女だった。

 円環のように繋げた天使の輪のような銀髪の長い髪。その瞳は金色で幼い容姿にはそぐわないが、見るものを威圧する重圧のようなものがひしひしと感じられる。


 服装は……ダークレッドの王女様が着るようなドレスに、お尻が膨らんでるように見えるキュロットスカートを履いていた。


 その容姿だけ見れば少しおませな少女——。だが、俺を見据える金色の瞳には悠久の時を生きているような、老獪さを感じさせる鈍い光が見え隠れしている……と感じたのは気のせいなのだろうか。


「ちょっとグラナ? ……言ったよね? 失礼の無いように、って」


「知るか。散々失礼と迷惑をかけられているのはこっちだ。その前に俺はこいつの名前すら知らないんだからな」


 まさしく不敬な俺のもの言いに、ヴィルムは呆れてそれ以上何も言わずただただ深ーい溜息を吐いた。


「ふむ、確かに呼びつけておいて名乗りもせぬのは失礼であったな。よかろう、わらわが招いた客人じゃ、名乗ってやろうぞ」


 少女は不適にニヤリと笑うと、大袈裟に咳払いして口を開いた。


「我が名は『災厄』。古の時よりこの世に在る、人の悪意の化身よ——————」


「……は?」


 一体こいつは何を言ってるんだ? 災厄? 悪意の化身? 何かの冗談だろ?

 俺の余りにも無反応な態度にカチンと来たのか、銀髪の少女は目に見えて機嫌が悪くなった。


「むー……。落とし子よ、さては信じてはおらぬな?」


「いきなりそんなことを言われて信じるのは余程のお人好しか、ただの馬鹿かのどっちかだろ。それに……」


「災厄は聖女が鎮めた、だからそんなものが残っているはずは無い。とでも言いたげじゃな。まぁ、あながち間違ってはおらぬ。妾はかの聖女が封印し損ねた『災厄』の一柱であるからな」


 少女は人の振りをした何かであることを、隠すこともなく打ち明ける。

 どういうことだ……。伝承によれば聖女はその命と引き換えに災厄を鎮めたはず——だ。

 それにこいつ、今なんて言った? 『災厄の一柱』だと?


「ちょっと待った……。お前みたいのがまだ他にもいるっていうのか?」


「おうともさ。妾達は人が背負うべき業が実体化したもの。人が生きていく限り、決して無くならぬ負の連鎖そのものよ。……『大罪』という教会の教え、聞いたことないかの?」


 少女の振りをした災厄は何故か楽しそうに俺の顔を覗き込んでくる。

 大罪……人が生きていく限り向き合うべき七つの欲だったか?

 そんなのが具現化した存在なんて、そんなの——。


「元にここにおるじゃろうが? この星には魂と元素を結び付け合うエーテルが満ちておる。人と袂を分けた神、人と共生することを選んだ精霊、これほどの高次元の存在が顕現しとるこの世に、あり得ないことなど、——あり得んものよ」


「だからって……大罪が具現化するなんて話は聞いたことも無い! じゃあ、答えろよ? お前は何の大罪が具現化した存在なんだ?」


 取り乱す無様な俺の言動を、焦り切った表情を、災厄を自称する少女は甘露でも得たかの如く恍惚とした貌で貪るように眺めている。人の姿をして、人では無いものがそんな感情を剥き出しにすることがただ、ただ、恐ろしいとしか思えない——。


「——クピドゥス強欲とでも名乗っておこうかの? 人の欲で最も罪深い『強欲』じゃ。妾はこの世全ての財が欲しい、金、土地、地位、名声、そして人。全てを手中に収めても尚、満足できぬその時は、——————この星をも飲み込むとしようかのう」


 クピドゥスはそう言ってただただ狂ったように笑い続ける。

 決して人には出せずおぞましいとしか形容出来ない少女らしからぬ嬌声。それは何処までも続いているような大広間にうるさい程鳴り響く——。耳が……痛いほどに。


「かかっ、久方ぶりに大笑したわ。もうそろそろ察しても良い頃じゃろう? なぁ? ——落とし子よ?」


「……なんのことだ?」


「何の為に其方をここに招いたと思うておる? この世の全ての財とはすなわち『一ナル元素』を手中に収めること。神にも等しい所業を為す為に、落とし子の力がどうしても必要なのじゃ」


「ハッ……。大言造語かましておいてよく言うぜ——。悪いが、お前の壮大な妄想に付き合うのはごめんだね。やるなら一人で勝手に——」


 もう何が何だか分からない。目の前にいるのは確かに人では無いのだろう。

 だが、だからってこの大罪が具現化した存在だと自称する奴の言葉なんて信じられるわけ——。


「ふむ……非協力的なら仕方が無い。では、嫌でも協力してもらうとしよう。——依代よ、御神体を起こせ」


「——御心のままに、盟主様」


 少女がパチンと指を鳴らすと何処に控えていたのか、シエラが台座の前に現れた。

 まるで霧の中から現れたようだ。生気の無い人形のようにも見える愛弟子は、星屑の光を蓄えたような指輪に嵌められた連換玉にエーテルを取り込み始める。


 四大属性のエーテルでは無い……、これは——————。


「力の制御も順調にものにしておるようだ。これほどの逸材をプルゥエルが隠し持っていたとは……やはり精霊教会は欲しいのう」


 何処までも強欲な『災厄』の少女は、恍惚とした相貌で御神体の胎動を見守っている。

 台座の上、巨大な泡の中には人の女性にしか見えない水の精霊アクレムの姿があった——。

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