四十五話 Forth day 武聖

 淀みない動作から放たれる拳をギリギリでいなす。エリル師匠以上に強烈な打ち込みの乱打。これが⋯⋯本場の東方体術か——。


「——ふむ、体捌きは悪くない」


 嵐のような拳を捌ききり、俺は一歩後ろに下がる。間合いを常に意識しないと、この武聖から一本取るなんてとてもじゃないが——。


「が、格別優れている訳でも無い」


 目の前で拳を構えていた武聖の姿が蜃気楼のように消えた。咄嗟に後ろを振り向き、肩を狙って放たれたかかと落としを両腕で受け止める。骨の髄まで響く衝撃に肺の空気が押し出された。

 呼吸が浅くなり反応が遅れる。そこへ防御で固めた両腕目掛けて、練られた気と共に寸勁すんけいが放たれた。


「破ッ」


 気合をそのまま身体の芯まで揺さぶる衝撃に変えた一撃で、無様にも吹っ飛ばされる。

 道場から押し出され庭の地面へ落下する直前に受け身を取る。気付けば空を見上げていた。


「あの跳ねっ返りが唯一取った弟子と聞いていたが、未熟にも程があるな」


 荒い呼吸をなんとか落ち着かせて、必死に立ち上がる。強い——、ここまで手も足も出ないなんて⋯⋯。


「どうした? いつまで寝ている?」


「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯。もう一回⋯⋯、もう一回お願いします⋯⋯」


 とっくに体力の限界は超えている。それでもここで諦める訳にはいかない。

 ふらふらの身体で立ち上がる。俺は何故、アクエスの養父である東方武術の達人からしごかれることになったのか、事の発端を思い返していた。


 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 協会本部を後にした俺とアクエスは人目に付かないようひっそりと、北地区にあるアクエスの実家へと向かった。協会本部のある東地区から水路を伝って、北地区に到着する。


 二日目に寄ったゴンドラ乗り場のすぐ近くで、シエラとアクエスにルーゼのことで迷惑をかけたお詫びに土下座したことを思い出す。


 あれから一日しか経ってないのに、状況は大きく変わってしまった。そのどれもが自らの未熟さが招いたことだと思うと、自分自身が許せない。


 どうしてもっとあの子の安全に気を配らなかった? 何故、己の力量を過信した?

 結果がこれだ。再びあの子は囚われの身となり、俺も今日は命を落としかけた。

 連換術が満足に使えない状況だったとは言え、蛇の刺青の女が振るう不可視の連結剣を防ぐので精一杯だった。


 否応無しに突きつけられる現実。


 俺は⋯⋯弱い。戦いも、心も。


「ん。ここまで来れば大丈夫かな。はー⋯⋯安心したらお腹すいた」


 隣でぐるぐると強張った身体を解すように腕を回すアクエスのお腹から、ぐーと大きな音が鳴った。こんな時も食欲が落ちないとか、ある意味羨ましい奴だ。


「だいぶ遅くなったから、夕飯買ってから行こうか」


「⋯⋯別に構わないけど、大量に買い込むのは無しだからな」


 手持ちもそこまで残ってる訳でも無い。皇都の物価はマグノリアと比べると割高であるし、屋台の食べ物だって纏まった量を買い込めばそれなりの値段はする。前日、大量に串焼き肉を買わされたすぐ側の屋台の店主が、クイクイと笑顔で手招きしてるしカモか何かと勘違いされてないか? 俺。


 昨日よりかは控えめな三人分の夕食を買い込み、日も暮れた異国通りを黙々と二人で歩く。

 前を行くアクエスは早速、串焼き肉に齧り付いている。ここまで幸せそうに肉を食べる女性は今まで見たことが無い。と、そういえばアクエスに聞いときたいことがあったのをすっかり忘れてた。


「食事中のところ悪いんだが」


「はむ?」


「アクエスとエリル師匠は知り合いなのか?」


 協会本部で初めて知った、アクエスの養父がエリル師匠の体術の師であるという事実。

 確か、師匠は一人で東方の大国、清栄まで武者修行しに行ったという話だったはずなんだが——。


「⋯⋯知り合いというより、憧れの人。エリルさんと逢うことがなければ連換術師として生きていくことは決断出来なかった」

「⋯⋯」


 なんとなくだが続きを聞くのが怖い。俺と出会うまでのエリル師匠がどんな人だったのか本当は知りたいはずなのに。そんな意気地の無い俺を、透き通る氷のような色合いの双眸でじっと見つめるアクエスはぴっと向こうを指差した。どうやら続きはあそこで、という意味らしい。


 スタスタと歩き出すアクエスの後を追う。心の中に残る逡巡と葛藤を無理やり飲み込みながら。




 皇都の外れに位置する北地区はエルボルン大河の流域内でもある。大河を一望出来る展望公園の一角にあるベンチに腰を下ろすと、アクエスはぽつりと語り始めた。


「⋯⋯私、戦災孤児でね。出身地は皇都じゃないの」


「本当の出身地は、何処なんだ?」


「グルナードの更に東、ラサスムとの国境近くにある今はもう無い町、ヒエロソリュマ。十一年前の宗教紛争の激戦地」


 サラリと言われた今はもう無い町の名に戦慄を覚える。地図から消された町を語るものは今や紛争で大切な人を失った人々だけだ。精霊教会発祥の地にして、ラスルカン教に置いては救世主が生誕したとされる二つの二大宗教においても因縁めいた土地。


 クラネスに取っては父である、ジェラルド子爵がラサスム軍に捕らえられた地。

 征伐隊に招集されたミデス団長の息子、本物のリノ・クラネスが命を落とした地。

 そしてルーゼに取っては⋯⋯彼女の両親が亡くなった地でもある。


「あの激戦の中、私は街から逃げる途中両親と三つ下の弟とはぐれて危うく命を落としかけた。敵味方の区別も無い誰かが振るった狂刃から助けてくれたのが、連換術師に成り立てのエリルさんと武術家として救助活動に奔走していた父さんだった」


 眼下を流れる大河の清流に目を落としアクエスは語る。紛争の激戦地だったヒエロソリュマの惨状を、凄惨に生々しく。俺は彼女が語り尽くすまで黙って聴き続けた。


「⋯⋯そうだったのか、エリル師匠に助けてもらったんだな」


「その当時から父さんに弟子入りしてたから、二人の周囲は死屍累々だったけどね」


 無論命を奪うのでは無く、戦の気に当てられ錯乱した帝国の騎士や暴徒と化したラスルカン教徒を止めるために、意識だけを刈り取る戦いを二人で安全が確保出来るまで続けたという。

 

 師匠の昔の話を聞くうちに辛くとも充実した修行の日々を思い出す。何度俺が挫けようが、根気よく体術の基礎を叩き込んでくれた師匠には返しきれない恩がある。女性であることを除外しても研ぎ澄まされた武術の極致に至るまで、これまでどのような人生を過ごしてきたのかは常々気になってはいた。

 

「やっぱり敵わないな。師匠には」


「私だってあの人の域になんか達せる気がしない。精進あるのみだね」


 そう言ってアクエスは力なく笑う。だが、俺にはその表情は何故か泣いているように見えた。

 何故、そう思うのかは分からない。ただ、昨日と違うアクエスの雰囲気に違和感を感じることも確かだ。


「昨日、連れ去られたシエラを追って行った先で何かあったのか?」


「⋯⋯何かって?」


 はぐらかすようにアクエスがベンチから立ち上がる。普段は何考えているのか分からない顔してる癖に、こういうところは分かりやすい。


「そうだな⋯⋯。根拠は無い、だけど普段殆ど動じないお前がそこまで動揺を隠せない何かがあった——。という想像だ。だけど、あながち間違いでも無いんだろ?」


 何故か頑なにその時のことを話そうとしないアクエスに疑問を抱いていたのも確か。

 思い至ったきっかけは昼間、小聖堂でやりあった蛇の刺青の女とのやり取りだ。俺と同じ可動式籠手を嵌めているというヴェンテッラと呼ばれる人物。


 何故、アクエスはあの場でその人物について聞き出そうとしたのか?

 アクエスはエリル師匠を慕っている。ここまで分かれば、自ずと答えは導き出せる。


 俺がアクエスに何故そう思ったのか告げようとしたその時だった。


「——帰りが遅いと思えば、ここで夕涼みをしていたか」


「父さん?」


 音もなく現れた壮年の男性に向かいアクエスが駆け寄った。暗がりでよく見えないが上背があり上半身が引き締ったその様子は一目で只者では無いと分かる。この方がアクエスの養父なのだろうか。


「娘から話は聞いている。お前があの跳ねっ返りが取った弟子だな?」


「は、はい。俺はエリル師匠の弟子、グラナ・ヴィエンデです」


 ふむ⋯⋯、とアクエスの養父の全身から武術家にしか分からない気が満ちる。

 極限まで研ぎ澄まされた闘気に当てられ、思わず息を飲んだ。


「——鍛え方が足りん。不本意ではあるが明朝から稽古をつけてやる。あの馬鹿弟子から頼まれたことでもあるしな」


「は、はぁ」


 どういうことだろうか? エリル師匠がアクエスの養父に俺の稽古を頼んでいた?

 事態が飲み込めない俺を置いて彼はすたすたと歩き始める。ついて来い⋯⋯、ということだろうか?


「はぁ⋯⋯あれじゃ分からないよ、父さん」


「なぁ、アクエス? あの人が?」


「ん。私の父さん。清栄が誇る東方武術界五武聖ぶせいの一人、リャン・ユーその人だよ」

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