三話 列車ジャック
一等車両からその隣の食堂車に移った俺達は、人気の無いがらんとした食堂内を警戒しながら進んでいた。テーブルの上には未だ湯気の立つスープや、食べかけと思われるちぎれたパン、フォークが刺さったままのローストビーフなどが、まるで食事中そのままであるかのように各テーブルに放置されている。
椅子にはさっきまで人が座っていたのであろう、温もりが微かに感じられた。
「気味が悪いな。この有様」
「同感だね。これじゃ、まんま幽霊列車だ。——幻覚でも見せられているのかな? 僕達?」
念の為、連換玉で食堂車内の空気とエ—テルに異常がないか確認してみる。連換玉の色に変化は無い、連換術は使われていないということか。
「爆発音がした時、この車両から物音や人の声は特にしなかったよな?」
「そうだね、僕も聞いてない。これは、複雑怪奇な状況だね。ただのテロじゃなさそうだ」
いなくなった乗客達は、隣の車両にでも連れてかれたのだろうか?
とにかく立ち止まってても仕方が無い。俺とアルは引き続き警戒しながら、次の車両へと進む。
この先は車窓から流れる風景を楽しみながら過ごせる、一等車両のチケットを持つ客だけが入れるラウンジだったはずだ。
恐る恐るドアを開ける。中には乗客と思しき身なりの良い老若男女が微動だにせず、生気の無い白目を向いたまま突っ立っている異様な光景が飛び込んで来た。
「なんだよ、⋯⋯これ」
「見ただけじゃ生きてるのか、死んでるのかどうかも分からないね? ——シッ、何か聞こえないかい?」
アルが口元に手を当てて静かにするように促す。おとなしく指示に従い俺も聴覚を研ぎ澄ました。
ラ——————⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
聞こえる。水の底から響くような澄んだ歌声。清涼感のある高い音程の歌声だ。加えて男性が歌うには難しいと思われる旋律。——犯人は女性か?
俺とアルが歌声に耳を済ませていると、向こうの方からドアが開く音と床から響く足音が聞こえて来る。その人影を見た俺は、ついさっきシエラに話した一年前の出来事を再び否応なく思いださざるを得なかった。
「あれ—? なんか気配感じたから見に来たら、一年前にマグノリアで会った風のおにーさんじゃん?? 」
「お前は⋯⋯あのとき取り逃した『水銀の連換術師』!?」
「知り合いかい? グラナ?」
知り合いどころの話じゃない。一年前、マグノリアの貴族街で起きた『神隠し』の実行犯の一人。
見覚えのある、可愛いらしい黒猫の模様が刺繍された鈍色のコートに、紺碧色のあのときより若干長くなった三つ編み。そして、担いでるのは身の丈以上の大鎌。一年前、倉庫街で死闘を繰り広げた『水銀の連換術師』ヴィルム・セレストが目の前にいた。
「妙なところで会うねー? おにーさんも皇都に向かう途中だった?」
「この列車の終点が皇都だろうが。そんなことより、今度は何企んでやがる?」
「ん—? まぁ秘密てことで♪ なんか懐かしいねぇ、このやりとり?」
こいつ、結局はぐらかすのかよ。そんなことより、もう一つヴィルムには聞きたいことがある。——聖葬人ジュデールから掴んだ、ある派閥について。
「ヴィルム、お前『
「へぇ? ——それ、誰から聞いたのさ? グラナ・ヴィエンデ?」
俺はヴィルムの問いには答えず、代わりに身構えることで返答する。一年前と状況は違う。手の内は分かっている。——今度こそ、ここで捕らえる。
俺とヴィルムのやりとりを興味深く見守っていたアルも、腰から吊るした剣帯から
「なかなか興味のそそる知り合いだね、グラナ? 『
「そうだな、無事にこの場を切り抜けたら教えてやってもいいぞ? アル。それより、列車ジャックを一人でやれる訳が無い。たぶん、この車両の向こう側にラスルカン教過激派の連中が控えているはずだ」
「同意だね。この彼だか彼女だか分からないけど、過激派が雇った用心棒かな?」
俺とアルのやりとりをほけーっと詰まらなさそうに眺めていたヴィルムは、はあ〜と盛大に溜息をつく。
「一年前も思ったけど、察しがよすぎない? グラナ? こっちの手の内晒す前に正解ばっかり言ってくるの、流石に空気読めてなさすぎだと思うんだけど?」
ほっとけ。第一、これぐらい頭が切れないと連換術師なんて務まるか!
お決まりのセリフ言うだけで、お手軽に発動出来る術なんかじゃ決して無いんだぞ? 大気中の元素の残量、術の行使に必要なエーテルの細かい操作、生命エーテルと連換玉に取り込んだ大気中エーテルとの同調。これら全てを瞬時に判断、実行することで初めて超常的な力を行使出来るのだから。
「ヴィルムだっけ? もしかしてだけど、ラスルカン教過激派とさっきグラナが言った『
「そっちの褐色のお兄さんも中々鋭すぎるんですけど? んー? あれ?」
なんだ? ヴィルムの奴、アルの顔をまじまじと見つめて? そりゃ帝国では中々見かけないラサスムの民族衣装だろうけどさ?
しかし、一頻り頭を捻ったヴィルムは急にニヤッと笑う。
「ふ—ん? なるほど、なるほど。こっちの情報は筒抜けだったてこと? ラサスムのお兄さん?」
「⋯⋯さてね? とある筋からの垂れ込みで、マグノリアの英雄と聖女が乗る汽車がテロの標的になると知っていただけでね。僕はたまたま同じ汽車に乗ってた、何の変哲も無い一般人さ」
どうだか。お前も充分怪しいのだけどな、アルハンブラ。
しかし、この二人放っておくといつまでも腹の探り合いやってそうだ。
俺はヴィルムの顔を真っ正面から見据えると、警戒は解かず問いただす。
「それで? 列車ジャックの目的はなんだ? このラウンジにいる乗客に生気が無いのはヴィルム、お前の仕業か?」
俺の問いに関して大鎌を担ぎ直したヴィルムは、周りの微動だにしない乗客を見回す。なんだ? 何か確かめているような素振りだが。
「秘密、と言いたいところだけど特別に教えてあげる。一年前と同じで実験だよ。察しがいいんでしょ? これだけヒント出せば充分だよね?」
実験というワードだけで察しろ! は流石に俺も分からないが。だが、隣にいるアルハンブラはヴィルムのヒントに何か気づいたようだった。
「さっきの澄んだ歌声。男性じゃ無理な高音域だったけど、君の声の高さなら歌えそうだね? ヴィルム?」
歌声……あの水の底から響くようなもの悲しいあの歌か? あれをヴィルムが? ん? 歌?
「グラナ、君も言ってただろう? この大河にある巨岩のことさ。あの岩に纏わる伝承は帝国じゃ有名な話だろう?」
巨岩、ローレライの巨岩のことか? 確か、かって荒れ狂う大河をその歌声で持って鎮め、その歌に魅了された船乗りも多いという伝承。でも、それとこれとなんの関係が?
「このラウンジにいる乗客の様子は明らかにおかしい。まるで何かに取り憑かれているみたいだ。『ローレライの歌声』を聴いて魅入られてしまった船乗りのようにね」
「——」
ヴィルムも黙ってアルの推測を聞いている。どういう理屈でそうなってるかは分からないが、この乗客達はヴィルムの歌によって催眠状態にでもなっているということだろうか?
ふと、ヴィルムの顔を見てみる。一年前、本人自身が男であると明言はしてるものの、紺碧色の艶のある髪といい、男には到底見えない卵形の女性らしい顔つきといい、言われてみればどことなく伝承に出てくるローレライの雰囲気を感じなくも無い。
「お兄さん達二人と付き合ってたら、なんだか心の底まで見透かされてるようで怖くなるなぁ。まっ、バレてるならもういいか。聞かせてあげるよ? ローレライの歌声を」
ラ——————⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
再び響く、水の底から響くようなもの悲しい歌声に思わず耳を塞ぐ。
いやに頭まで響いてくる歌声だ。それに歌に合わせて周囲のエーテルも鳴動しているような。
「グラナ。あの歌を早く止めた方がいい。 周囲の乗客が歌声に反応して動き出そうとしている」
「え? わっ、何しやがる!?」
アルからの忠告も虚しく微動だにしなかった白目を向いたままの乗客達が、幽鬼のようにおぼつかない足取りで襲いかかって来た。俺を掴もうとしてくる男性の乗客の手を絡めとり、体落としの要領で床に叩きつける。
汽車に乗ってる乗客だ。間違っても命奪うことなんて出来ない。
「くそっ、どういうつもりだ!? ヴィルム!?」
「だから、さっきから言ってるじゃん? 実験だって? 一年前は邪魔されたけど今回はそうも行かないよ? グラナ・ヴィエンデ?」
幽鬼のように蠢く乗客達を従えるヴィルムは、大鎌を持っていることも相まってまるで死神を連想させる。俺とアルハンブラは生気も無ければ正気も無い、操られるがままの乗客に囲まれ退路を塞がれた。
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