第三十七話 来訪者

 テーブルの上にはラファとめぐみのスマホや車のキーなど、持ち物が無造作に置かれている。二人は後ろ手に手錠を掛けられ、パイプ椅子へ座るよう促された。

「あんた達、龍麒団でしょ! こんなことしたって、ここでAAAを作ってるってバレるのは時間の問題な――」

 李はいきなりめぐみの頬を右手で張った。

 乾いた音と引き換えに彼女が口を閉ざす。唇をかんだその目には涙が浮かんでいた。

「やめろ! 殴ることはないだろ」

「お前たちの方こそ生意気な口をきくのを止めるんだな。自分たちの立場を考えろ」

 大城が冷めた口調でいなす。激高したラファも口を一文字に結んだ。

「たまたまここに来たら、お前たちの方からやって来てくれるとはな」

「なぜ分かった」

「いつもと違う人間が集荷に来ているという。どんな奴かと見てみたら、よく知っている女だった。俺たちのことを嗅ぎまわっていたルポライターだ」

 ラファがめぐみを横目で見る。

「帽子をかぶって顔を隠していたつもりかもしれないが、防犯カメラは上だけじゃない。管理室のカウンター下にも隠しカメラがセットしてある」

 大城は薄い笑みを浮かべて煙草を取り出した。

 火をつけて紫煙をラファに吹きかける。


「お前たちの仲間はあと何人だ?」

 ラファは何も答えない。

 李は何も言わずに右手を上げ、打ちおろした。椅子に座っているめぐみの体がよろめく。

「彼女に手を出すな!」

「さっきから言ってるだろ。立場をわきまえろと」

 大城は言い聞かせるようにゆっくりと言葉をつなぐと、めぐみへ顔を向けた。

「お前たちの仲間はあと何人だ?」

 同じ質問を彼女へ投げかける。

 めぐみも口を開かない。

 三発目の乾いた音が部屋に響く。彼女の左頬が赤く腫れている。

「まあいい。急ぐ必要もない。明日の土曜日に新井が来る。それからじっくり聞くことにしよう」

 その名前を聞いて、めぐみが大城をにらみつけた。

 彼女の視線を動じることなく受け止めて話を続ける。

「それにしても俺は運がいい。林が殺されて日本での実権は俺の手に入り、その林を殺した奴も、AAAを探っていた山高も始末できた。あとは山高の仲間を調べあげるだけだったがこうもタイミングよく現れてくれるとは」

「おい、お前いまなんて言った!」

 ラファが手錠をされたまま立ち上がった。すぐに部下の男たちに押さえつけられ、また座らされる。

 立ち上がった大城が部屋を出て行こうとして振り返った。

「俺がなにか言ったか? ああ、まだ知らないのか」

 薄笑いを浮かべて二人を見下ろす。


「山高は死んだよ」


 ラファは目を見開き、口も半開きにしたまま言葉が出てこない。

「嘘よっ!」

 めぐみが短く叫んだ。

「俺が殺した」

 二人がとらわれてから初めて李が口を開いた。表情を変えることなく、大城の後に続く。

 ラファは視線を宙に彷徨さまよわせた。

 うつむいためぐみの頬を涙が伝う。

「どうすればいいのか、明日までゆっくり考えておくんだな」

 そう言い捨てると、二人をちらとも見ずに大城と李は部屋を出て行った。



 御園は不機嫌な表情を変えずにハンドルを握っていた。傾きかけた陽射しが正面から差し込む車内には彼の姿しかない。五反田を過ぎ、三差路を右に折れた。片側二車線の旧街道にはマンションが建ち並んでいる。

 再び三叉路を右折すると白い外装パネルの大きな建物が目に入る。車は左折してその構内に入り、地下の駐車場へと車路を下りていった。

 車を降りた御園はエスカレーターへ向かう。

 一階のロビーにはいくつも並べられた長椅子に座って順番を待つ人たちがいる。

 それを横目に御園はエレベーターに乗り込み、七と表示されたボタンを押した。

 かごが止まり、扉が開いた正面にはカウンター内でせわしなく動く女性たちがいる。通り過ぎていく御園に注意を払う者はない。

 目当ての数字が掲げられた引き戸の前で立ち止まった。書かれていた名前を見て、御園は苦笑いを浮かべる。

 ノックをして戸を横に引き、室内へ入った。

 窓にはベージュ色の薄いカーテンが掛かっている。白い壁に囲まれたベッドが一つ、そこには右腕に点滴をさされている男の姿があった。


 散冴だった。

 御園はベッドの下から丸椅子を引っ張り出して彼の枕元へ座る。

「眠ってんのか、山高」

 その声にも反応はなく、散冴は目を閉じている。

「ったく」

 舌打ちした御園の顔にはうっすらと笑みも浮かんでいた。

「あん時、お前さんの体が動いたのには驚いたぜ。まさか生きているとは思ってもいなかったからな」

 眠っている散冴へ御園は語りかけた。

「まったく運のいい男だよ。銃弾が懐中時計に当たって心臓の手前で止まるなんてよ。あと五センチも深かったら即死だったらしい。医者も驚いていたぞ」

 御園の笑い声が大きかったせいか、散冴のまぶたが動いた。まゆを寄せ、そしてゆっくりと目を開く。

「おぉ、起きたか」

 頭を動かして声の主を確認すると散冴は気怠けだるそうにつぶやいた。

「御園さん」

 そのまま再び目を閉じる。

「また寝ちまうのかよ。聞きたいことは山ほどあるってのに」

 頭をかく御園へ、目を閉じたままの散冴が静かに声を掛けた。

「どうしたんですか」

「どうしたも、こうしたもねぇよ」

 御園は座ったまま腰を折って顔を近づける。

「麻酔が切れた後で、ここへ残っていた刑事に話したことは本当か」

「ええ」

「それじゃ、林をったのは赤池に間違いないんだな」

「はい」

 御園は体を起こして視線を白い壁に向けた。深く息を吸いこむと目を閉じる。間をおいて目を開けると顔だけを散冴に向けた。

「こっちの情報を龍麒団やつらへ流してたのも……」

「おそらく」

「まったく馬鹿なやつだよ、赤池は」

 散冴は何も答えない。

 それに構わず、白いシーツに目を落とした御園が続ける。

「そこまで追い込まれる前に、どうして俺に相談しなかったんだ。そんなに俺は頼りなかったのか」

 また一つ大きなため息をついた。

「俺はあいつのことを買ってたんだ。クソがつくくらい根は真面目なヤツだし、いずれは俺の上に立つだろうと。河本係長なんかと違って赤池は現場の気持ちも分かっている。あいつの下で働くのも楽しみにしていたのによ……。なんでこうなるんだよ、山高」

 呼びかけられた散冴だが目を閉じたまま。言葉も出てこない。

「また寝ちまったか。今日いっぱいは麻酔の影響が残るかもと言ってたからな」

 御園は立ち上がり、丸椅子をベッドの下へ入れた。そのまま散冴を見下ろしている。

「俺はな、自分自身に猛烈に腹が立ってるんだ。赤池のこと、お前さんよりも先に俺が気づくべきだったのに。こうなったら俺なりのやり方であいつの仇を取らせてもらうぞ。ただな、お前さんにも礼を言いたい。お前さんが生きて証言してくれなけりゃ、赤池はさらに汚名を着せられていただろう。その強運に感謝だ。ありがとう」

 言い終えると直立不動の姿勢をとり、深々と頭を下げて御園は病室を後にした。



 病院の朝は早い。柔らかな陽光がカーテン越しに室内へ広がる。

 昨夜のうちに点滴とカテーテルが外れた散冴は、目が覚めるなりサイドテーブルのスマホへ手を伸ばした。画面を確認してすぐに戻すと眉根を寄せて天井を見つめる。

 体を起こし立ち上がるとカーテンを開けた。

 もう一度スマホを手に取り、ベッドに腰を下ろすと画面に指を走らせた。


 簡素な食事のあと、回診の時間になった。医者は傷口を確認し「数日は安静にしておくように」と告げて病室を出ていく。

 入れ替わるように入ってきたのは小夜子だった。

「散冴さま、大丈夫ですか」

「すいません、心配をかけて」

 散冴はベッドの上で体を起こし、彼女に頭を下げる。

「昨夜ご連絡を頂いたときには本当に驚きました。すぐに来れず申し訳ありません」

 小夜子も立ったまま頭を下げる。

「いいえ、小夜子さんにもお仕事があるんだから気にしないでください」

「着替えは……あちらへ掛けておきますね」

 部屋を見回して洋服掛けを見つけると、紙袋から服を取り出した。ハンガーにかけ終えると、丸椅子に腰を下ろす。

「傷の具合はいかがなんですか」

「数日は安静にしてろと。それより謝らないといけないことが」

「まだ何かあるんですか」

「小夜子さんから頂いた懐中時計、壊れてしまったんです」

 散冴から話を聞いた小夜子は白い歯を見せた。

「もう、何かと思えば。それこそ気にしないでください。むしろあの時計が散冴さまの命を救ったなら誇らしいくらいです。やっぱりわたくしの思いがこもっていたからですよ」

 冗談めかして笑う小夜子の後ろで戸が開いた。


 病室へ入ろうとする男たちの後ろから看護師が声をかけた。

「困ります、まだ面会時間ではないので」

「あそこに女がいるじゃねぇか」

 刈り上げた髪を茶色に染めた体格のいい男が文句を言う。

「いまの時間帯はご家族だけなんです」

「ほぉ。家族ねぇ」

 白いジャケットを着た小太りの男と散冴の目が合った。

「看護師さん、話はすぐ終わりますから通してもらってもいいですか」

 散冴に声を掛けられ、看護師は渋々といった様子で去っていった。

 男たちは中へ入る。

「いいザマだな、山高」

 ベッドの散冴を見下ろして口角を上げたのは神栄会の上林だった。

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