第三十五話 御園

 ダークブルーのセダンが湾岸道路を走っていた。日付が変わったいま、物流トラックの間を縫うようにスピードを上げていく。

 ハンドルを握る御園はときおりナビに目をやりながら愚痴をこぼしている。

「ほんとにウチの係長ときたら頭が固くて……。どうしてキャリアってぇのはああなのかねぇ」

 それに答える者はいない。アクセルを緩めることもなく、街灯が次々と後方へ過ぎ去ってゆく。

「タレコミしてきたのが山高だと分かると『アイツは信用できない』の一点張りだからな、まったく。そんな所にこだわる必要なんかねぇんだよ。俺たちの仕事は何なんですか、ってことさ。龍麒団を挙げられるんならネタ元が誰だろうと構わねぇのによ」

 車も愚痴も止まらない。

「結局は『お前が行ってこい。何かあればすぐに応援を向かわせる』だよ。応援が必要なくらいなら、呼んだときにはもう間に合わねぇっつーの。だいたいが山高も山高なんだよ。銃を所持して来てください、なんて言うからまたややこしくなっちまって。許可を取るのに三十分も掛かっちまったからな。遅れたのは俺が悪いんじゃなく、山高のせいだ」 

 車は湾岸道路から左に折れて埠頭へと向かっている。

「赤池のヤツも何度連絡したって応答がないし。まったく、どいつもこいつも」

 すれ違う車もないまま広大なコンテナ置場にたどり着いた。路肩に停めて車を降りる。

「さてと。これから何が始まるっていうんだ。いや、もう始まってるのかもしれねぇな」

 御園はコートの袖をまくり腕時計を見る。零時二十分になろうとしていた。

 あたりを見回し、コンテナの方へ近づいていく。

「こんなだだっ広いところを一人でうろうろしていても埒があかねぇ」

 鼻にしわを寄せた御園が、誰もいない舗道へ目をやったときだった。

 遠くから乾いた爆ぜる音が二度、聞こえてきた。


 とたんに御園の顔色が変わる。

 カーキ色のコートをひるがえして車に戻り、無線を手にした。

「至急、至急。警視五○一から警視庁」

『至急、至急。警視五○一、どうぞ』

「了解。大田区城南島埠頭にて拳銃の発砲音あり。応援願います」

『警視庁、了解』

 ふたたび車を出た御園は静かに走り出した。音が聞こえてきた方向を目指す。

 そして、また銃声が一発。

 一度立ち止まり、スマホを取り出した。

「だから言わんこっちゃない」

 通話ボタンを押して左耳にあてたまま、また走り出す。右手はホルダーから拳銃を取り出していた。

「係長、御園です。城南埠頭で発砲音がありました。すぐに応援をお願いします」

 短い会話を終え、辺りの様子をうかがいながら足の運びをゆっくりと落とす。コンテナの陰に張りつくと一つ深呼吸をした。

 拳銃を構え、並ぶコンテナの間に出来た狭い通路に躍り出た。誰もいないことを確認し、次の通路へと移る。

 三つ目の確認を終えたとき、近くで車のドアが閉まる音がした。

 身を隠した御園の視線の先を黒いワンボックスが走り去っていく。それを見送ると首を少し傾け、目を閉じた。

 岸壁に当たる波の音だけが聞こえている。

 御園は通路を抜けて海の方へ向かった。視界が開けると立ち止まり、長く伸びる岸壁に沿って目を動かしていく。

「あっ!」

 声とともに走り出しながら拳銃をホルダーにしまう。近づくにつれ、御園の足が動かなくなり、そして止まった。

 薄明かりのなかで男が仰向けに倒れている。その左胸は赤黒く染まっていた。

「赤池……」

 またスマホを取り出し、耳に当てる。その顔はすぐ近くでひざを折るように前のめりに倒れている散冴に向けられていた。

「救急だ。場所は大田区城南島埠頭、こちらは警視庁の御園だ。警察車両も向かっているから詳しい場所は来れば分かる」

 低い声で通報を終えるとその場で立ち尽くした。

 コートから煙草を取り出し火をつけた。

「いったい何があったって言うんだよ」

 ゆっくりと紫煙を吐き出す。

 波の音に混ざってサイレンが聞こえてきた。

 散冴の方へ歩いていくと、傍らに落ちていた黒い山高帽を手に取る。

「山高、遅れてすまなかったな」

 御園は煙草をくわえたまま暗くうねる海へ目をやった。



「どう? 連絡はとれた?」

 すっかり自分の家かのように、グレーのスエットと紺色の長Tシャツといったリラックスした姿のめぐみがリビングに入って来るなり声をかけた。

 ソファに座ったまま、テーブルに片ひじをついたラファは黙って首を横に振る。

「絶対にヤバいよ。スマホの電源が切られたままだ」

 彼と向き合うように腰を下ろしためぐみは壁の時計を見上げた。時刻は八時半になろうとしている。

「ここを九時に出発する予定でしょ。こっちに向かっているってことはないの?」

「サンザさんは必ず『今から出る』と連絡をくれるんだ。それに運転中もホルダーにスマホを入れて通話できるようにしているから」

 どちらも口をつぐんだ。お互いに目を合わさない。

 先にラファがめぐみへ顔を向けた。

「やっぱり今日の作戦は中止にしよう」

「だめよ! せっかくここまで準備したのに。日々運送に集荷取り止めの連絡もしてあるし。今日を中止しちゃったら相手にも気づかれて、二度とこの方法は使えなくなるわ」

「でもサンザさんのことを放っておけないよ」

「もちろん彼のことは心配だけど、計画は実行しなくちゃ。チームとして準備してきたのは、この日のためだもの」

 ラファは唇を突き出して首を傾けた。


 めぐみが座ったまま身を乗り出す。

「AAAに苦しむ人たちをこれ以上増やしたくない。奴らを止めるにはわたしたちが動くしかない。そうよね」

「それは……」

「彼なら絶対に大丈夫!」

 めぐみは口元をきっと引き締めた。

「何その自信は。根拠なんてなんもないでしょ」

 彼女の意志に押されたラファが苦笑いを浮かべた。

「あるわよ。だって腕にあれだけの大けがを負っても何事もなかったかのようにしてるんだから。ちょっとやそっとのことなら大丈夫。何か予定外のトラブルがあって、連絡できないだけ。わたしたちが長野へ着いた頃に連絡くれるんじゃないの?」

 めぐみは自分自身へ言い聞かせるかのようにうなずきながら微笑んだ。

 ラファは大きく息を吸う。

「俺一人で乗り込むのかぁ」

「なに言ってるの、わたしも行くわ」

「めぐみさんは現地の案内だけでしょ。研究施設には――」

「だからわたしも行くって言ってるの。日日運送の制服は二着あるんだから」

「え、でも……」

「わたしもチームの仲間、そう言ってくれたのはあなたよ」

 ラファは目をぎゅっと閉じてうつむき、両手を頭の後ろで組む。

 顔を上げたときには彼の顔にも笑顔が戻っていた。

「サンザさんのことを信じて、俺たちだけでやってやるか!」

「そうと決まったらすぐに着替えなくちゃ」

 めぐみは跳ねるように起き上がると、小走りでリビングを出ていった。

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