第三十二話 聞けなかった話

 山木産婦人科クリニックから辿たどったAAAの経路を話し終えた散冴が目顔で促す。それを受けて南条が言葉を続けた。

「その東湾倉庫という会社は所有管理しているだけで、使用していたのは別の会社だった」

「それじゃ、手掛かりも途切れちゃったの?」

「いや、それがねぇ」

 めぐみを焦らすように南条はにやりと笑った。「もったいぶらないで下さいよ」とラファも口をとがらせる。

 南条は上目づかいでぐるっと見渡した。

「あの倉庫を使っていた会社は金央こんおう物流」

 言い終えると口角を上げた。

「え、金央ってひょっとして国立サッカー場建設のときの……」

「そう、みなさんご存知のあの金央建設のグループ会社だよ」

「ちょっと待って、どういうことなの? 全然理解できないんだけれど」

 戸惑うラファとめぐみを前に、南条は芝居がかった動きで手のひらをゆっくりと返し散冴を促した。

「その金央物流が使用している倉庫で、私たちはある人物を見かけました。新井総合病院の新井院長です」

 めぐみは口を開けたまま言葉が出ない。

 小夜子はじっと話を聞いている。

「すいません、俺にも分かるように説明して下さい」

 ラファに向かって散冴はうなずいた。

「それにはもう一つ伝えることがあります。AAAの正式名称はArai Antihypnotic Agent。どうやらあの薬物の精製には新井院長が関与しているようです」


「いや、だって、AAAは龍麒団が扱っているじゃないですか。あの院長は奴らと敵対する神栄会とつるんでいたんじゃ……」

「それは私たちの先入観だった。二股掛けているかもしれないと南条さんに言われて思い出したよ。鮎川さんへの依頼のときも、あの男は私たちと神栄会の二股をかけていたとね」

 ラファも「あぁ」とつぶやき、口をつぐんだ。

「新井がAAAに絡んでいるのは間違いないのね」

「私は確信しています」

 散冴の返事を聞き、めぐみは口を真一文字に結んでテーブルへ視線を落とした。

 ラファの視線は四人の顔をさまよっている。

 南条は笑みを浮かべたまま散冴に尋ねた。

「その新井病院で薬物を作っているのかな」

「警察はルートがつかめていないようですが船による密輸を疑っています。それを逆手にとって、国内で作られているとしたら摘発のリスクも大きく減るでしょう」

「全部つながった気がするわ」

 めぐみが顔を上げた。その眉間にしわを寄せ、口元は引き締めたままだ。

「新井総合病院が薬物を作っているのは、長野にある研究施設。そう思っているんでしょ?」

 めぐみが散冴に顔を向けると「はい」と答えが返ってきた。

「わたしが調べるのを止めさせたかったのは贈収賄ぞうしゅうわいのことじゃなかったのね。噂話であろうと、あの施設が注目されることを嫌がったんだわ」

「以前から龍麒団ともつながりがあり、その伝手つてで金央建設に研究施設の建設を依頼したのでしょう」

「僕が聞いていた金央グループの黒い噂も本当だったということだね。まぁ火のない所に煙は立たぬと言うから」

「初めから覚醒剤を作るつもりはなく、新薬としての痛み止めを目指していたと信じたいところですが」

 三人の話を聞いてラファが何度もうなずいた。


「でもさ、これってかなりヤバいんじゃない?」

 南条は散冴の顔色を伺っている。

「もし僕たちの考え通りだとしたら、奴らが触れて欲しくない部分にかなり近づいてしまったことになるよね。例の殺人事件もここに動機があるのかもしれないし」

 散冴はテーブルの上で両手を組み、心持ち背筋を伸ばした。

「口封じのために私たちを殺すこともいとわないでしょう。だから今日はみんなに集まってもらったんです。長野の施設に関心を持っていると奴らに気づかれないこと、これを強く意識して下さい」

 四人の顔を順に見ながら念押しをする。

 南条は椅子の背に持たれながら頭をかいた。

「難しい注文だねぇ。これはもう僕たちの手に負える話じゃないし、警察に情報を流した方がいいんじゃないの」

「それも方法の一つなんですが……」

「何か引っ掛かるものがありそうだね」

「もう少し調べさせてください。お願いします」

 散冴が頭を下げると、めぐみも続いた。

「わたしも調べたい。おばあちゃんの思いを踏みにじっただけでなく、たくさんの人を苦しめるためにあの土地が使われているなんて許せない」

 残った三人は顔を見合わせる。

 南条が「わかったよ」と声を掛けると二人は顔を上げた。

「私たちのつながりも出来るだけ知られたくないので、人の出入りが多いこのビルを選んだんです。ここを出るときも時間をずらして下さい」

 散冴の言葉にすぐ立ち上がったのは小夜子だった。

「わたくしは何もお役に立てませんが、くれぐれも無理はなさらないでくださいね」

 扉の前で振り返り、みんなに声を掛けて会議室を後にした。


 しばらくして南条が席を立つ。

「で、サンザ君はどうするつもり?」

「もう一度、龍麒団の大城と会おうと思っています。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ですから」

「止めても無理だろうけれど、十分に気をつけて。僕は僕なりにちょっと動いてみるよ」

 それじゃ、と片手を上げて出て行った。


 散冴は「尾行がいるとすれば私についているはずですから」と席を立ち、ラファのもとへ歩み寄った。

「鮎川さんを頼みましたよ。彼女、無茶なことをやりかねないから」

 耳元でささやき、肩を叩いた。

「オゥケィ」

 ラファは笑顔でサムアップを見せる。

 めぐみは何か考え事をしているのか、じっとテーブルの一点を見つめていた。



 池袋西口の飲み屋街は今夜も賑わいを隠せない。小路に面した店々からは酒が入った客たちの大きな声が漏れ聞こえてくる。

 中華料理屋から出てきた二人連れのサラリーマンをかわすように、散冴は雑居ビルのなかへと入っていく。

 三階にある龍麒団の事務所に大城だけでなく李もいなかった。

 招かれざる客は奥の部屋へ通され、若い男に見張られながら待つしかない。


 小一時間ほど経ったところでドアが開き、大城が一人で入ってきた。見張りはそのまま残っている。

「今夜は何の用だ」

 短い言葉のなかに柔らかな響きがある。

「何か良いことでも」

「お前には関係ない」

 そう言いながらも大城は片頬を上げた。

「その後、犯人が捕まったという話は聞きません。警察も当然ながら捜査状況は言わない。大城さんの方で何か分かっていることがあれば教えていただけないかと思いまして」

「なぜお前に教えなきゃいけないんだ?」

「私に罪をかぶせようとした奴が捕まっていないとなると、ゆっくり寝てもいられません」

 散冴の話を聞いた大城が鼻で笑う。

「お前はそんなことでびくびくするようなタマじゃない」

「まさか、もうそちらで始末した。なんてことはありませんよね」

 大城の反応を気にすることなく、散冴は少し身を乗り出した。

 左手をあごに添えて、大城が考えるそぶりを見せる。

「そうしたいのは山々だが。俺たちも犯人はつかめていない」

 ポケットから煙草を取り出し、火をつけて背もたれに体を預けた。


「それでは、林さんが私を呼びつけた理由については分かりましたか」

「まだそんなことを気にしてるのか」

「わずかな手掛かりでも欲しいのです。誰が私を陥れようとしたのか。それが分かれば犯人に行きつくのだからWin-Winじゃないですか」

 大城が散冴へ向けて紫煙を吹きかけた。

 散冴は表情を変えず、じっと大城を見つめる。

「どこでどう聞いたのか、お前のことをずいぶんと買っていたらしい。どうやら、こっちに引き込もうとしていたという話を聞いた」

 大城はもったいぶった口調で灰皿に煙草を押しつけた。

「私をですか?」

龍麒団ウチに入れということじゃない。傘下にして、それこそ持ちつ持たれつの関係にしたかったみたいだ。何をやらせようとしてたのかは分からないが」

 あごを少し上げた大城が目を細めた。

 その視線を受け止めた散冴が薄く笑いを浮かべる。

「私が首を縦に振るとでも思ったのでしょうか?」

「さぁな。お前を見ればすぐに無理だと思っただろう。お前の目は敵になる男の目だ」

 大城も身を乗り出し、膝の上に肘をついて両手を組む。

 散冴は動かない。

 二人の顔が近づいている。互いの視線がぶつかる。

「そんな私を見逃して頂いて、お礼を言うべきところでしょうか」

「お前と警察の関係がはっきりしないうちは、うかつに手を出すとこちらが痛い目にあう」

「まさか、私から警察の情報を手に入れようとしたとか?」

「いや。いまは必要ない」

 視線を外した散冴がゆっくりと体を起こした。

「そもそも結びつくはずがなかったのに、犯人は私とあなた達とが関係を持つことを防ぎたかった、ということになりますか」

「そうかもしれない」

「ありがとうございました」

 頭を下げて立ち上がった散冴へ、大城は座ったままにらみを利かせる。

「お前からの土産は何ももらっていないが」

「犯人が分かればお知らせしますよ」

 散冴は立ったまま答える。

「警察よりも先に、ということか」

 大城の言葉には何も言わず、もう一度頭を下げて部屋を後にした。


 散冴の姿が消えると、大城はスマホを取り出した。

「这就是俺だ我。 盯紧那个人あの男から目を離すな找出你现在在哪里いまの居所を突き止めろ小心、因为警察也可能在值班警察も張っているかもしれないから気をつけろ

 通話を終えると、また煙草を取り出した。


 雑居ビルを出た散冴は駅へ向かいながらスマホを耳に当てている。

「ええ、そうです。その男のことを調べて下さい。それじゃ寺さん、よろしくお願いします」

 スマホをポケットへ入れると、厳しい表情のまま山高帽をかぶり直した。

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