第十三話 売り時
「本当に面白い人だわ、あなたって」
めぐみはもういちど腰を下ろし、テーブルの上で頬杖をついた。
「わたしから買った情報を使って、今度はあの病院から金を脅し取ろうっていうのね」
「そんなことはしません。情報を寝かすのです」
「どういうこと?」
「ワインと同じで、情報も熟成すれば価値が上がることがあります。売るべきタイミングさえ見極めれば」
「サンザさん、俺にも分かるように説明して下さいよ」
ラファが真面目な顔で訴えた。
「そもそも彼女から情報を買っても私たちは損をしない。依頼主から出ているお金ですから。彼女は収入を得る。依頼主は目的が達成されて安心する」
散冴はめぐみが聞いているのも気にせず、ラファへ顔を向けていた。
「俺たちはタダ働きだけど、仕事としては成立ですね」
「私たちに依頼してでも止めさせたいということは、病院側にとってやましいことなのでしょう。ここで彼女が手を引いたとしても、遅かれ早かれほかの誰かが暴こうとするはず。そのときに私たちは情報を売ればいいんです」
「いいの? 依頼主を裏切るようなことをして」
彼女が口を挟んだ。
「私が受けているのは、あなたに調査を止めさせ公表させないこと。第三者が公表するなら、この仕事とは関わりがありません」
「ずいぶんと冷めているのね」
「信頼に足る依頼者ではないので」
めぐみはふふっと笑った。
「やっぱり面白い」
「でも、さすがに百万だと誰も買わないんじゃ……」
ラファが話を戻す。
「十万でも十分でしょう。私たちは何もしていないも同然なんだから。ラファは名刺を探して電話しただけ、私はここでコーヒーを飲みながら話をしただけ」
「オゥケィ。納得です」
口をへの字にしたラファが何度もうなずいた。
「あなたの話に乗るのが賢明なのかもしれないけれど、わたしは納得したわけじゃない」
「そもそも、ひとつ問題があります。その情報が売る価値のあるものなのか、詳しく話してくれませんか」
「ええ、いいわ」
めぐみは冷めてしまったカフェオレに手を伸ばした。
「よくある話よ。土地の取得に絡んだ
「なるほど。でも、それなら不動産屋へ売ったのはかなり低い評価額でということになりますね」
「そうよ。あの羽沢っていう県議は町営で老人憩いの家を建てるって言ってきたんだもの。自然豊かなここへ市部から人を呼びましょう、この辺りの活性化にもつながるからって。だからおばあちゃんは寄付するようなつもりで売ったのよ」
めぐみは険しい顔になった。言葉にも悔しさがにじむ。
「そういうことでしたか」
散冴だけでなくラファの表情も曇った。
「あなたがどこからこの情報を知ったのか、それだけが分かりませんでしたがお身内の方とは……」
「お金の問題じゃないの」
彼女はテーブルの上で両手を組んで身を乗り出した。
「人が減ってきた町に、高齢者とはいえ多くの人がやって来る。交流も増えるだろうし、新しい友達もできるとおばあちゃんはとっても楽しみにしていた。だからその反動ですっかり落ち込んでしまって。研究施設でも税収は増えるし経済効果もあるから、町としては歓迎ムードなのも分かるけれど、なんだか悔しくって」
「お気持ちはお察しします」
「その不動産会社は羽沢の経営する会社のグループ企業なの。でもわたしにはそこまで。怪しい、というだけで何も証拠はつかめなかった。建設に関わった金央建設も絡んでいるのかと探ってみたけれど関係なさそうだし。あの会社は下請け問題でヤバそうだけどね」
ラファが横目で散冴を見る。
散冴は彼女に視線を向けたまま表情を変えない。
「それだけでは何もできませんね。原稿にして持ち込んでも、どのメディアも乗ってこないでしょう」
「痛いところを平気で突くのね。その通りだけど。あとは、あの辺りに剣崎グループが福祉施設を建設しようとしていた計画は本当にあったみたいってことくらいかな」
散冴の表情が一瞬変わり目を見開いたが、すぐに穏やかな顔へ戻った。
「へぇ、剣崎グループって福祉事業もやってるんだ。俺、知らなかった」
「商社と不動産が有名だけど、介護施設や老人ホームの運営を行っている系列会社があるの」
乾いた風が吹き抜け、めぐみはダウンの襟元を押さえた。
「買う価値もない情報だってわかったでしょ。わたしはこのまま調べてみるから」
「ご自分でもこれ以上は無理だと分かっているんでしょう。特に贈収賄の場合は、何らかの見返りがないと情報提供を得るのは難しいですよ」
「分かってるわよ、そんなことは。だからわたしが――」
「この情報を買います」
言葉を遮られて口を開けたまま、めぐみは散冴をみつめた。
ラファもまた驚きの表情を隠せない。
「わたしの話を聞いてた? 町では研究施設が出来たことを喜んでいるの。誰もこの話を蒸し返して調べようなんて思わないわ」
「今は、そうかもしれません」
「どういう意味よ」
「二年後に予定されている国政選挙に羽沢県議も鞍替えして立候補する意向です。そのときにスキャンダルが起きたら陣営にとっては大きなダメージになるでしょうね。対立する相手からすれば、こんなおいしいネタはない」
「そこまで調べていたの……」
散冴は無言で笑みを返す。
めぐみは席を立った。
「トイレに行ってくる」
彼女が店の中へ消えると、置いていったバッグの中をラファが調べはじめた。
「ありました」
取り出したスマホを散冴へ渡す。
ケースからスマホを外して、裏側に三センチ四方ほどの薄い金属プレートを貼りつけた。再びケースをつけてバッグへと戻す。
「手間が省けましたね」
「場合によっては彼女に説明してつけさせてもらおうかと思っていましたが、変に不安をあおることはないでしょう。保険みたいなものですから」
トイレから戻っためぐみは散冴の提案を受け入れた。彼女が調べたことをまとめたデータを二日後に受け取る約束になった。
「自宅までお伺いします。どちらにお住まいですか」
めぐみは名刺の裏に住所を書いて散冴へ渡した。
「最寄り駅は武蔵境だから」
「吉祥寺じゃなかったんですね」
「ここより家賃が安いのよ」
彼女はそう言うと何か吹っ切れたような笑顔を見せた。
*
平日の十九時、一日の中で新宿駅に最もたくさんの人が行き交う時刻かもしれない。
東口の改札を出てすぐのカフェバーで散冴は文庫本を片手に立っていた。紺のジャケットに同系色のシャツ、チノパンという姿でページをめくる。
カウンターには鮮やかな金色のグラスビールが置かれていた。すでに半分ほどが減り、白い泡も消えかかっている。
近づいてくる人の気配に、ジャケットの内ポケットから懐中時計を取り出した。
「遅い。十分の遅刻です」
「すいません」
黒い半袖ポロシャツのラファが肩で息をしながら頭を下げた。大きな尻ポケットからコーラのペットボトルがのぞいている。
残っていたビールを散冴が一気に飲み干した。
「行きましょう」
ロングコートを左腕に掛けて立ち上がった。
中央線に乗り、二十分あまりで武蔵境駅に二人は降り立った。
「結構混んでいたから、その帽子が目立ってましたね」
「周りはみんなコートを着ているのに、その半袖姿の方が目立ってましたよ」
改札を抜けた二人はスマホの地図を頼りに歩き始めた。
ラファが画面と辺りを見比べている。
「この辺りは静かですね」
「もともと住宅街だし、高校や大学が多いんです。この時間帯ならば学生もいませんから」
十分ほど歩いてバス通りを越えたところで、戸建て住宅の中に三階建ての集合住宅が見えてきた。築年数が経っているのか、街灯に照らされたベージュの外壁には汚れも目立つ。
「あれみたいですね」
廊下が面している駐車場に回り込んだ。
「二〇六号室は……階段からすぐの部屋です」
一階の部屋番号を確かめた散冴が見上げた。廊下に面した窓はなく、ここからでは部屋の明かりも見えない。
「どうしますか」
「二時間ほど前に、彼女へ確認の電話を入れてあります。少し早いけれど行ってみましょう」
鉄骨の階段を上がっていく二人の足音が響く。
部屋の前に立つと、散冴はインターホンを押した。
反応がない。
もう一度押す。
二人は顔を見合わせた。
散冴がレバーハンドルに手をかけ、ゆっくりと押し下げる。そのまま静かに引いてみると扉が開いた。
すぐにラファの体が明かりのついた部屋の中へと滑り込む。
「鮎川さん」
靴を脱ぎながら散冴が奥へ声をかける。
ワンルームタイプの部屋には誰もいなかった。
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