第59話 偽りの過去(後編)

「堂林虎牙。中学まで空手をやっていて、その実力は現高校トップの木島鉄平に勝るとも劣らなかったそうだな」


「馬鹿な!! 何でそのことを知ってるんだ!! それは誰にも言ってないはずだ!! どうしてお前が……」


 動揺する虎牙に焔は煽るような口調で更に続けた。そして、それは虎牙が最も知られたくないことであった。


「だが……ある事件をきっかけにお前は空手が出来なくなった」


「おい、まさか何でお前が……」


「この世で最も許されがたく、醜い犯罪。性的暴……」


 焔がここまで言いかけた時だった。


「おい!!」


 虎牙の怒号があたり一帯に響く。焔も今までの余裕ぶった虎牙とは思えないような必死さに一瞬警戒を高めた。そして、息を荒立てていた虎牙はゆっくりと顔を上げると、


「それ以上喋ってみろ……ガチで殺すぞ……ッ!!」


 先ほどの焔にも劣らない殺意を注ぐ虎牙。この行動で焔は確信した。



 なるほど。こいつは訳アリっぽいな。だが……、



「は? 何怒ってんの? 事実だろ。ああ、あれか。あまりにも図星すぎて……」


「俺はやってねえ!!」


 食い気味に答える虎牙にまだ焔は食いつく。


「やってない? そんなもん嘘に決まってんだろ」


「嘘じゃねえ……俺は」


「だったらこの状況はどう説明するんだ?」


「……」


「お前は今日、咲を襲おうとした。そんなやつがどんなことを言おうが、信じてくれる奴なんていやしねえんだよ」


 焔の言葉に何も言い返すことが出来ず、虎牙は歯を食いしばり、その場で下を向くことしかできなかった。そんな姿を見て、焔は1つ虎牙に問いかける。


「違うってんなら話してみろよ。お前の過去を」


 その言葉に一瞬、虎牙はピクリとし、真剣な表情の焔を見ると、何かを決心したように焔に対し、ゆっくりと話し始めた。



 ―――俺は小学2年から空手を始めた。理由は強くなりたいとか、カッコいいとか、そんな単純なものだった。当時、友達も少なかった俺は空手にのめり込んだ。俺が通っていた空手教室は地元にある小さなもので、入門者はちびっこばかりだった。師範はとても優しく、熱心な人だった。それから俺はのめり込むように空手に没頭した。師範の教えもあってか、俺は小学5年の頃には黒帯になっていた。


 それから師範は俺に別の道場を薦めた。そこはここよりももっと規模が大きく、名前もそれなりに通っているところだった。ここの師範代と知り合いらしく、俺のことを紹介してくれたらしい。最初は、師範の元で空手をやっていたいと思ったが、どうにももっと強くなりたいという欲が出てしまったらしい。


 俺は中学に入るのと同時に師範が薦めてくれた道場に入ることになった。元居たところでは俺は一番強かったが、ここでは違った。入った当初、俺は同年代でビリっけつだった。だが、そんなことは俺にとっては些細なことだった。ここでは、あそこでは得られなかったものをたくさん得ることが出来た。そして、強いやつから盗める物は全て盗んだ。


 そんな日々を過ごしているうちに俺は着々と成長していった。最初は試合では勝つことが出来なかった俺も次第に勝率が上がっていき、大会でもそれなりの成績を残せるようになってきた。中学最後の大会は関東大会だった。3回戦目で木島鉄平と当たり、そこで終了。だが、中学最強と謳われた木島鉄平と互角の勝負をしたのが色々な人の目に留まったらしく、数々の高校に声をかけられた。


 正直、こんなにも自分のことを評価してくれる人がいたことに驚いた。それと同時に嬉しかった。これからももっともっと強くなれるんだ。空手を続けることが出来るんだと……


 そんな矢先だった。


 俺と同じクラスだった女子が、俺から性的暴行を受けたと訴えた。身に覚えのなかった俺は当然否定した。だが、その女子が被害を受けた時間帯は俺は1人自主練をしていて、身の潔白を証明するすべはなかった。そして、あろうことか、その被害を受けている現場を目撃したというやつまで出てきた。


 そこからは言うまでもない、俺の中学生活は崩壊。道場からも追い出され、俺はふさぎ込んだ。でも、どうしても空手だけは捨てられなかった。俺は元々通っていた空手教室を訪れたが、そこには誰もいなかった。どうやら、師範は俺みたいなやつを推薦してしまった責任として、道場をたたんでしまったそうだ。


 俺は絶望した。そして、更に俺を絶望の淵へ追いやったのは被害を受けたと証言した女子からの一言だった。


 その女子は何度も頭を下げ、俺に謝罪した。こうするしかなかったんだと。こうでもしないと私は本当に犯されていたかもしれないんだと。


 俺のことをハメたのは道場のやつらだった。一番弱かった俺がドンドン強くなっていくのが、もどかしく、許せなかったんだと。


 たったそれだけのことで……たったそれだけのことでだ。俺の人生は滅茶苦茶にされたんだ。



 ―――話が一区切りつき、虎牙が何ともやるせない表情で拳を握っていると、焔が愉快そうな口調で、話しかける。


「ハッ!! そのことがきっかけでやさぐれてこんなことしてんのか。テンプレートすぎて、思わず笑っちまうわ」


 焔のこの言動で、虎牙の顔は一瞬で鬼の形相へと変貌したのだった。


「お前に何が分かるんだ!! 俺の痛み、苦しみ、怒りが!! 人生を滅茶苦茶にされたんだぞ!! 俺の好きだった空手も奪われたんだ!! この苦しみがお前なんかにわかるもんかよ!!」


「だからって、お前が他人を傷つけていい理由なんて1つもありゃしねえだろ!!」


 虎牙の怒号を焔の声量が上回る。しばらくの静寂のうち、焔はおもむろにしゃべりだす。


「たしかにあんたは不幸だったよ。気休めかもしれないが、お前の気持ちはわからなくはない。だけど、それが他人を傷つけていい理由なんかには決してなったりはしないんだよ」


 黙り込む虎牙に焔は続ける。


「いつまでも今を過去に縛り付けてんじゃねえよ。過去を言い訳にするな」


「そんなつもりは……」


「自覚しろ!! あんたはもうガキじゃねえだろ? 1人で立て!! 前を見ろ!! 自分は不幸だからと、他人の幸せを羨み、妬み、奪う。お前のやってることは過去にお前をハメたやつとおんなじだ」


 この一言に虎牙はピクリと反応し、目を泳がせる。


「ただの八つ当たりだ。幸せな奴らへの嫉妬……そして、現状を変えようとしない自分への怒りを他人にぶつけてるんだよ」


 虎牙は何も言うことが出来なかった。それは自覚してしまったからだった。焔に過去を話すことで、記憶がより鮮明になり、より今の自分を客観的に見つめることが出来たからだ。


 先ほどまで力強く握っていた拳はだらっと垂れ下がり、虎牙は幻滅した。自分のやってきたことは自分が最も嫌ったやつらと全く同じだったのだと。


 その姿からはまったくもって覇気は感じられなかった。もう勝負は終わっていた。もう虎牙が咲に手を出すことはないと断言できるほどに……だが、


「でも、今日はいいわ」


 虎牙は焔の一言に虚無を纏った表情のまま顔を上げる。


「別に今日は八つ当たりしていいぜ。ただし、全力で八当たれよ」


 そう言って、焔は拳を胸の前で力強く掲げる。


「俺もお前に八当たらせてもらうからな。自分の力を過信し、現実を見ていなかった馬鹿な俺に対して」


 その焔の真剣な表情を見ると、何かを悟ったのか虎牙は一度目を閉じた。すると、暗闇の中から過去の嫌な記憶が流れ込んできた。そして、自分がしてきたこと、焔の言葉が脳裏をよぎる。


「クソ……クソッ!!……クソッたれがー!! うぉおおおおお!!」


 虎牙は走り出した。過去の胸糞悪い記憶、自分がして来た過ち、どこにぶつけていいか分からない罪悪感、怒りを拳に乗せて。そして、焔はその拳を一心に受け止めるのだった。




 ―――勝負は決した。工場の中を舞い散る砂埃が晴れると、そこには大の字で倒れ込んでいる虎牙がいた。


(完敗だ。もう体が動かねえ。それに体のそこらじゅうが痛え……けど)


 肩で息をし、全身ボロボロでもう動くこともままならない……そのはずなのに、なぜか虎牙の表情は悲痛を感じさせはしなかった。むしろ、どこか晴れやかだった。


「中々やるじゃねえか虎牙」


 そう言って、姿を見せた焔。服は汚れ、所々傷を負っていた。


「ハッ!! そんな言葉何の慰めにもなるかよ」


「いやいや、本当だって。俺が戦ったことのある奴の中では3番目ぐらいの実力者だよお前は」


「3番目か……1番目は相当強いんだろうな」


「ああ、俺の師匠だ。まだ一度も勝てたことがない」


「ハハッ……マジかよ(こいつよりもまだまだ強いやつがいんのかよ。そりゃ人間捨ててんじゃねえのかまったく)」


「そして、2番目はレッドアイだ」


「まさか……お前か……レッドアイを倒したってのは!?」


 驚く虎牙に焔は自慢げに微笑む。


(なるほど、そりゃ勝てねえか。あいつが勝てなかった相手にこいつは勝ったんだ。道理で勝ち目がないわけだ。あの頃から止まってる俺なんかじゃ)


 少し悲しげな表情を浮かべ、天井を見つめる虎牙に焔は、


「でもな、今まで戦ったどの相手よりお前の拳は硬かったよ」


 その言葉を聞いた途端、虎牙の視界は段々と滲んでいった。


「そんなけ硬けりゃ、ちょっとやそっと頑丈な壁でもぶっこわせんだろ」


 一粒、そしてもう一粒と虎牙の頬を伝う。


「さっさと壊しちまえよ堂林虎牙。きっと壊した先に見えるものはそんな悪い景色じゃないと思うぜ……じゃあな」


 焔は虎牙の顔を見て、安心したように笑いその場を去った。



 ―――朝の日課を終え、焔は家で朝食をとっていた。すると、いきなり電話がかかってきた。相手は咲だった。


「もしもし」


「あ!! 焔!! 朝早くにごめんね。なんか、焔と話したいってやつがいてね。ちょっと変わるね」


 そう言って、変わったはいいものの、


「あ、焔しゃんでしゅか? どうもこの前はおしぇわなりました」


「ん? この声虎牙だよな? どうしたんだ? 上手くしゃべれてねえみたいだけど……なんか口に入ってんの?」


「い、いや、しょうゆうわけじゃないんですけど」


 実は咲に謝りに来た時に、謝罪として往復ビンタ20発を食らい、頬が腫れてしまったのだった。


 虎牙は大きく首を数回振ると、普通に話し始めた。


「この前はすいませんでした焔さん。迷惑をかけて」


「ま、咲とそこにいるってことはもう許してもらったんだろ。そしたらもういいよ。後、焔でいいわ。何か気持ち悪い」


「そ、そうか……あ、後、ありがとう焔」


「ん? 何のこと?」


「お前のおかげで壁を壊すことが出来たってことだよ」


「俺は何もしてねえよ。それに、壊したのはお前だ」


「フッ、まあそういうことにしておくさ……後、俺もう一度空手をすることになったんだ。前の師範のところで」


「そうか」


「ちゃんと高校も出ようと思う」


「そうか」


「この恩はいつか必ず返す。それまで待っていてくれ焔」


「いや、待てねえな」


「え? い、いやそんなこと言われても、今俺何もできねえし」


「大丈夫だ。できないことは頼まない……咲を守ってやってくれ」


「え? 俺が?」


「お前が」


「で、でも俺はあれだぜ。一度こいつのことを」


「もう今は大丈夫だろ。それに、もしまたそんなことがあるようなら……」


「あ、はい。絶対しません。で、でもそれなら焔が守れば良いだろ」


「それは山々なんだけど、あの事件で思い知らされたんだよ。俺1人じゃ限界があるって。もし、気づくのが遅れたら取り返しのつかないことになっていたかもしれないって……だから、頼むわ。それが俺への恩返しってことで。そんじゃ」


「あ、おい!」


 焔は虎牙に自分の願いを一方的に押し付けると、電話を切ってしまった。


「ん? 終わった?」


「あ、ああ」


 虎牙は持っていた携帯を咲に返す。


(焔、こんな不甲斐ない俺にもう一度チャンスをくれるのか……今後こそは!!)


「え? 何ジロジロ見てんの? 警察呼ぶよ」


「あ、いやそういうわけじゃなくて」


「まさか!! まだ懲りてないのかこの変態が!!」


 勢い良く振りかぶった咲の足は虎牙の股間を捉え、思いっきり蹴り上げる。


「オオオオオオ!!」


 悲痛の叫びの後、虎牙は身もだえしながら倒れ込む。


(焔ー、お前の願い、叶えることできないかも……)


 

 そんな状況になっているとはつゆ知らず、焔はみそ汁をすすり、ほっと一息つくのだった。


 

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