第36話 とある皇女の秘密
敵意を察知するこの力は天性の身体能力と合わせて『獅子の瞳』と呼ばれた。
帝国最初の皇帝が地上で最強生物(つまりはライオンだ。異論はあるだろうけど)をその身ひとつで打倒した末に体得したという伝説に由来する。
その際に王の額にできた十字の傷は武勲のひとつとして語り継がれ、やがて皇帝親衛隊のマークとして使われて『十字輝』となった。
(あたしの『獅子の瞳』は、王たる資質……か。全然、自覚無いけど)
長い帝国の歴史の中で瞳の力は失われつつあった。
この100年間では最後の皇帝――つまり、おばあちゃんとあたしにしか発現していないそうだ。
院長先生曰く、あたしとおばあちゃんは瓜二つの顔をしていて、共に『獅子の瞳』を持っていた。
もっとも、祖母は戦乱の中で生まれ育って幸福とは縁遠かったとのこと。
最後の皇帝などという肩書きこそ立派だが、実際には使用人との間に生まれた私生児で、最初は皇位継承権など持っていなかった。
それが共和国との戦争で敗走を重ねてどんどん不利になり、帝国降伏の僅か15日前にいきなり皇位を押し付けられたという。
年端もいかない女の子を生贄にして、当時の皇族は海外の国へ亡命してしまった。
そのことからも分かるように彼らには王としての気質は無い。
そんな国など滅びて当然だった。
一部の臣下たちは身の上を哀れに思い、おばあちゃんを帝都から脱出させたのである。
……と、あたしが院長先生から聞いたのはここまでだ。
そのときに包囲網を突破したのが『ナイン・トゥエルヴ』だったとか、操縦していたのがラインヒルデだったとか、知ったのは随分と後のことである。
まさか本人と出会うなんて夢にも思っていなかったけど。
ちなみに両親のことに関しては何も知らされていない。
既に亡くなっているせいでノーランド孤児院に預けられたことは分かったが、そのほかは質問をしても院長先生はまともに答えてくれなかった。
(これは、必要な時間)
昨日と同じ宿の、昨日と同じ部屋の、昨日と同じベッドの上だ。
けれど弟の姿は無い。
着替えてもいないので服も臭っている。気分は最悪だった。
それでも冷静に話せたのはラインヒルデと目的を共有するためである。そのためにちゃんと身の上を明かす。
あたしはベッドに腰掛けていて、その向かいで壁に背を預けたラインヒルデが立っている。
いつもと変わらぬ身体のラインをこれ見よがしにするスーツだ。慣れてしまったせいか露出度の高さに対する感覚が麻痺しそうである。
本当に羨ましいプロポーションだ。頭は小さいし、胸は大きいし、あたしとは大違い。
これくらいの美人だったならヨルズも素直に振り向いてくれただろうか。そんな馬鹿なことさえ頭をよぎる。
けれど羨望はあっても嫉妬は無い。あたしは、あたしなのだ。
見上げるほど背の高い美女を前に身の上話を続ける。
「あたしは『機が熟したら王になれ』と告げられて育てられてきたの」
「ノーランド孤児院の裏の顔は、旧帝国軍の残党だということですね」
「搾りかすみたいなものよ。旧帝国領は今でも抑圧されているから、強力なリーダーが現れて不穏分子の指揮を取れば共和国を内戦状態にもっていける。そこで勝利をもぎ取れば帝国は蘇るわ。最後の皇帝の血を引く偶像の元に」
「そのためにあなたは……」
「でも、そんなつもりは無かった。生まれる前に滅んだ国に愛着なんて無いわ。そんなもののためにまた戦争をしたって、たくさん人が死ぬだけよ」
「……」
「あたしは子供の面倒を見るのが好き。だからヨルズと一緒に、孤児院を引き継ぎたかった。院長先生が裏の家業として進めてきた傭兵育成なんてスッパリ辞めてね」
「その院長先生とやらはフェリスの考えに反対したのでしょう?」
「勿論。でも、あたしが必死に抵抗するうちに先生は諦めたわ。孤児院から脱走したり、窓に石投げて叩き割ったり、そりゃもう色々とやった。だからかもしれないけど、あたしは『力はあるのに意志が無い』なんて言われるようになったわ」
銀髪の美女は黙ってあたしの話に聞き入った。
知っていることを全て告げると、彼女は遠い目をして天井を仰ぐ。
「あなたを陛下とお呼びするのは失礼ですね。肩書きではない……あなたは紛れもなくフェリス・エル・ノーランドです」
「ラインヒルデは帝国軍人なんでしょう? あたしを使って国を再建しようとか考えないの?」
「私は野心とは無縁ですから。上に従うだけです」
「意外ね。自己主張が強そうに見えちゃうのに」
わがままボディの持ち主が、心根まで我儘というわけではないのだろう。
ルックスとのギャップに自覚があるのか苦笑いしている。
「フェリスは芯が強いですね。羨ましく思います」
「そう言ってもらえると、何だか救われた気分になるわ。誰かの敷いたレールの上を走る人生なんて真っ平だもの」
ラインヒルデは静かに視線を正面へ戻し、あたしの前でしゃがみ込む。ちょうど頭の高さを合わせてくれたようだ。
膝の上に置いてあった手を握られたあたしは、瞬きしてあらためて彼女を見る。
凛々しい戦士がそこにはいた。
「あなたは素晴らしい人です。だから私の身の上も聞いて下さい」
「もし辛いなら喋らなくても大丈夫だよ?」
「何度も『あとで説明する』と釈明していますから。この場できちんとお話します」
それから……ラインヒルデは自分のことを話してくれた。
澄んだ綺麗な声で綴られた彼女の運命は壮絶の一言に尽きる。
自然と流れたあたしの涙がラインヒルデの手の甲へと落ちる。
「もう長くは生きられないんだね……」
「いえ、十分です。私は最後の皇帝陛下を愛しておりました。50年前のあの日、御命を繋ぐことができて満足しています。心残りなのは、一緒にいられなかったことです。こうして生き永らえたのも、もしまた逢えたら……という小さな願いです」
「あなたは忠を尽くした。きっと、おばあちゃんも満足していると思う」
「そうだと嬉しいです」
顔を上げる。
目尻を手の甲で拭って、前を向く。
泣いたらダメだ。誇り高いラインヒルデに同情なんて要らない。
「ヨルズを助けましょう」
「今度はあたしのために?」
「自分のためでもあります。彼は友人です。そして私を救う存在だそうです」
「まだ会ってから1週間も経っていないよ」
「50年も『ナイン・トゥエルヴ』の中で眠っていた異質な私を、あなた達は疎むことなく受け入れてくれたのです。どうか、私を友達にしてください」
「イヤなんて言うわけないでしょ」
「ありがとうございます、フェリス」
愛しい友をそっと抱き締める。
ある筈のないラインヒルデの鼓動が伝わってくるようだ。
戸惑って宙を泳ぐ彼女の手がなんだか可愛らしい。
「フェ、フェリス?」
「友達なんだから、抱き締めあったっていいんだよ」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなの」
辿々しく、柔らかな手があたしの背を撫でる。
「ありがとう、ラインヒルデ」
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