第十六話 最後のポイント

 相手の戦姫ドレッサーまで残り十五メートル。イノーラは彼女たちをじっと見つめたまま、背後のリオンに声をかけた。


「どうする」


 端的な問いに、リオンもまた迫りくる対戦相手から目を離さないまま、彼女だけに聞こえるように答えた。


「引けない。今引いたら、後ろから追いつかれるだけだ」


 イノーラはうなずく。相手の戦姫ドレッサーまで残り十メートル。彼女は自分がなぎ倒した木々を踏みつけ、立ち止まった。


 金髪の彼女のバトルドレスは、反発力の黄色と伸縮の橙色で構成されていた。先ほどの攻撃は、下地の橙色でドレスを伸ばし、そこに装飾された黄色の反発を木々にぶつけたのだろう。


 黄色の装飾は胸元にもフリルの形になって存在しており、大きな胸をさらに膨らませている。しかし黄色のスカートのすそは膝上ぐらいまでしかなく、その下は薄いベールだけで足元まで覆っている。全体としては比較的軽量型な印象を受ける。


 生半可な攻撃ではどこを攻撃しても、弾き飛ばされてしまうだろう。二色の色合いと戦闘力のバランスがうまくとれているドレスを前に、リオンは舌を巻く。


 流石は年少二番手アンダーソリストの名は伊達ではない。彼女たちは年少花形アンダープリマであるホープに次ぐ実力者なのだ。


「音楽」


 ぽつりとイノーラが言う。それだけでリオンには十分だった。


「分かった」


 相手は一撃一撃が重い力を持っていると思われる。だが、軽量型の見た目から考えるに、スピードもそれなりにあるはずだ。


 遠距離からの紫の暴風だけでは、伸縮の強力な攻撃で薙ぎ払われるだけだ。ならばこちらはスピードで対抗する。素早く相手の懐に入り、ポイント札を狙う。


 小指で音楽を選択する。アップテンポな旋律がイヤホン越しに共有される。


「勝つよ」

「うん」


 イノーラと対戦相手は姿勢を低くして構えあう。二番手の腰にぶら下げられた数枚のポイント札がカランと音を立てた。


「行け!」

「イノーラ!」


 敵の技師と同時にリオンは叫ぶ。それをきっかけに、イノーラと二番手は駆けだした。


 先手を取ったのはイノーラだった。紫色の軌跡を残して二番手の少女に突進し、その腰についたポイント札に手を伸ばす。しかしそう簡単に相手が負けてくれるはずがない。


 二番手は体を傾けてイノーラの攻撃をかわすと、彼女のポイント札に手を伸ばす。


 なびく金髪のツインテール。大きく踏み込まれたステップ。二番手の赤い目がイノーラの青い目と交錯する。


 あと少しで札に手が触れる。その直前、イノーラのドレスの紫色が膨れ上がった。


 ドレスから吹きすさぶ暴風。紫色のエトワールの能力だ。軽いドレスの二番手は吹き飛ばされ倒木の上に着地して、何度か跳ねて後ずさった。


 しまった。今の一撃でポイントを奪えなかったのは痛い。


 彼女のような実力者相手では、一度使ってしまった手は二度と通用しないだろう。今の接近に対するトラップも、初見だからこそ通じたものだ。


 ひそかにイノーラのドレスに与えていた不意打ち用のボビンの糸を止め、いつでも攻撃を再開できるように裁縫籠手ミシンを纏った片腕に力を籠める。


「続ける?」


 振り向かずにイノーラが尋ねてくる。こちらが劣勢だということは彼女にも分かっているのだろう。だが、リオンは強い眼差しのまま、対戦相手をキッと睨みつけた。


「続けよう。それしか勝ち目はない」


 イノーラは首を縦に振った。戦姫ドレッサーたちは闘争心の宿った眼差しで見つめあい、再び行動を開始した。


 片足を大きく引き、宙を蹴る動作をするイノーラ。巻き上がった暴風が二番手の少女を襲う。イノーラは隙ができているであろう彼女に駆け寄ってポイント札を奪おうとしたが――その直前であることに気が付いて足を止めた。


「ふふ、そんなそよ風じゃ私は止められないよ」


 砂ぼこりの向こう側で、少女はしっかりと足を地につけて仁王立ちしていたのだ。


「なんで……軽量型なのに!?」


 軽量型が紫の風を耐えられるはずがない。驚愕の声を上げるリオン。イノーラも驚いたようで行動を止めてしまった。そのすきを見逃す二番手ではない。


 彼女は長く膨らんだ袖を振りかぶり、イノーラめがけて横なぎに振った。橙色の生地が伸び、イノーラの体を薙ぎ払おうとする。


 イノーラはとっさに後方に飛びのき、リオンの乗っている操縦席を足場にさらに飛び上がって、森の中に飛び込んだ。


 二番手の攻撃は続く。彼女は左手を振り、黄色の反発によってイノーラが隠れている木々を弾き飛ばした。


 運よくその攻撃から逃れたイノーラは、倒木によって広場になっている地面を何度も蹴って、二番手の攻撃を避け続ける。


 このままじゃ押し負ける。リオンは傾いてしまった技師席を立て直しながら、攻撃を続ける二番手を凝視した。


 おかしい。黄色の特性は確かに『反発』だ。だけど、それが発揮されるには、しっかりとした土台が必要のはず。ましてや、軽量型のドレスにそれができるはずがない。


 何か、仕掛けがあるはずだ。


 指先に力を籠めながらリオンは彼女の動きを凝視し、ふとあることに気が付いた。


「あれ?」


 黄色の攻撃を始めてから、二番手の彼女は


「足だ! 相手は足元を固定してる!」


 リオンの叫びに、イノーラは瞬時に行動した。紫の特性は暴風。橙色のように薄く伸びる布であれば、ある程度、攻撃の軌道をずらすことが可能になる。


 わずかに右に逸れた攻撃をかいくぐり、イノーラは対戦相手に距離を詰める。生成した刃を構え、一歩、二歩。あと一歩で肉薄する。その瞬間、ベールに包まれていただけだったスカート部分が一気に伸び、足首まで隠してしまった。


 ふりかぶっていた紫の刃はすぐには止められない。叩き込まれた一撃は、そのままの力でイノーラを弾き飛ばし、森の藪の中へと彼女を突っ込ませた。


「イノーラ!」


 直後、黄色の追撃が藪の中を襲う。これはもう、駄目かもしれない。


「平気。続ける」


 けほけほとせき込みながら、イノーラはリオンの技師席のすぐ隣に着地する。どうやらなんとか体勢を立て直して、逃げ延びてきたようだ。


 リオンは技師席で力強く頷いた。


「どうする」

「足元は狙えない。でもまだどこかに隙はあるはず」


 二番手は袖を大きく振る。イノーラはそれをひらりとかわし、彼女の周りを駆けだす。


 何かあるはずだ。ここまで完璧に見える戦略にも、気づかれてはいけない弱点はある。


 リオンは技師席をそっと移動させ、ちょうど向かいにある相手の技師席に近づいた。


 きらり、と糸の束が目に入った。


「あっ」


 糸の束は技師席から戦姫ドレッサーへとまっすぐ伸びていた。ただの援護用の糸にしては太すぎる。ハッと気づいたリオンは、イノーラに大声で指示を飛ばした。


「技師席だ、イノーラ! 技師席を支えにしている!」


 対戦相手はあの糸の支えのおかげで、強大な攻撃を反動なく打ち出せているのだ。


 イノーラは生成した刃を手に、二番手の周囲をぐるりと回って、支えの糸がある場所まで接近した。


「しまっ……!」


 対戦相手の焦り声が響く。だが、彼女の対応よりも、イノーラの行動のほうが早かった。


 リオンの援護によって細やかで鋭い紫の糸を纏ったその刃は、力強く振り下ろされ、二番手と技師席を結び付けていた糸を断ち切った。


 直後、二番手の体は今まで抑え込んでいた反動で吹き飛ぶ。


 間髪入れず接近するイノーラ。伸ばされる手。地面を踏みしめようとする足。体勢を立て直しかけた二番手に覆いかぶさるように、イノーラは彼女に飛びつく。


 彼女の腰に結われたポイント札。風に遊ぶそれをイノーラは、しっかりと握り込み、思い切り引きちぎった。


 ――その瞬間、試合終了のホイッスルが鳴り響いた。


 イノーラは対戦相手を押し倒す形で、二人とも倒れ込む。


 戦場に満ちる沈黙。リオンはわなわなと震える手を握り込んでガッツポーズをした。


「勝った……!」


 イヤホンの向こう側でも、誇らしそうに笑うイノーラの息遣いが聞こえてくる。リオンは技師席から飛び出して、ちょうど起き上がったイノーラに駆け寄った。


「やったよ、イノーラ!」


 イノーラは両手を軽く上げる。リオンは飛びつくように彼女とハイタッチをした。


 対戦相手の技師も外に出て、二番手の少女に手を貸していた。


「だが、お前たちの獲得ポイントは一点だったはずだ。俺のチームのポイントは多いが合計でも過半数には届かない。他のチームの勝ちだな」


 拗ねたような口調でそう言われ、リオンは誇らしそうに鼻を鳴らした。


「ふふ、それはどうですかね」


 きょとんと二番手ペアはリオンを見る。


「ポイント札は対戦相手から見える場所につけなければいけない。だけど……」


 リオンは、後方に放置してきた技師席を指さした。


「技師席につけてちゃいけないってルールはありませんでしたよね」


 その正面ガラスにはイノーラが元々持っていたポイント札が一枚ぶら下がっていた。


 つまり、イノーラのポイントは最初に持っていたポイントに、奪った一枚、そして二番手が持っていた数枚のポイントが加算される。


 二番手の技師は口をあんぐりと開けた後、ふうと息を吐いて両手を上げた。


「負けた。完敗だ」


 文句を言われることを覚悟していたリオンは、きょとんと目を丸くする。


「そこまで堂々とつけているのに気づけなかった私たちの負け。戦略も実力のうちさ」


 対戦相手ペアはさわやかに笑う。そして、各々の片手をリオンたちに差し出してきた。


「いい勝負だったね。また戦おう!」


 上位ランカーに一人前のバディとして認められた。その喜びで舞い上がってしまいそうになりながら、リオンとイノーラは力強く彼女たちの手を握り返した。


「はい!」


 四人の頭上を泳いでいた飛行船から、本戦の結果が響き渡る。


「本選勝者、リオン、イノーラペア!」

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